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『マッドサイエンティストの手帳』401

●マッドサイエンティスト日記(2007年5月後半)


主な事件
 ・水田宗親ジャズバンド(19日)
 ・中村誠一を聴く(27日)



5月16日(水) 穴蔵
 終日穴蔵。少しは仕事もするのであった。
 夜、居住している集合住宅の大規模修繕委員会。
 コンサルタント3社の説明を順番に聞く。
 そのうちの1社の担当者、稀に見るプレゼン能力の持ち主で、ほれぼれする。
 浅田稔教授(ほど凄くはないが)を彷彿とさせる話術である。
 ただ、委員の中で意見が分かれたのも事実。その人物がずっと担当してくれるのならいいのだが、小規模な会社だけに、彼一人の営業能力で持っているところがあるのではないか……などという意見もあり、色々迷うところだ。
 いずれにしても、委員を引き受けた以上、また1年ほど会議の連続となる。嗚呼。
 22時近くになってやっと晩酌。
 おれとしては異例の夜更かしである。

5月17日(木) 穴蔵
 終日穴蔵。少しは仕事もするのであった。
 必要あって古い資料を探すが、3時間ほどファイル類をゴソゴソやっても出てこない。本はだいぶ減らしたのだが、雑書類が整理できないまま棚やダンボールに詰め込んであって、これが問題なのである。
 「○美事件」のファイルが大量にあって、FOCUSの「“殺されかけた女”と“死なない女”の高座対談」という記事があった。“殺されかけた女”とは桂あやめ(当時は花枝)さんで、おれも花枝さんと同じ舞台に出たことがある。……これに関連して1992年のSF大会「ハマコン」での『S年F組授業ライブ』のビデオが出てきた。この年、「暗黒星雲賞」を受賞しているが、たぶんこのライブが評価されてのことだろう。
 時効だから動画で公開してもいいか。もう怖いものなしだからなあ。
 (これを録画してくれた某くん、もう公開してもいいからね)
 VHS〜DVDのレコーダーを検討する必要がありそうだ。

5月18日(金) 穴蔵/日本橋
 午前3時前に起きる。長久手町の立てこもり、SAT隊員が1名死亡。その後進展なし。「暁の急襲」の予想は外れた。
 終日穴蔵。明日から田舎行きなので某英文ドキュメントの作成が期限ギリギリ。集中してやったら3時間ほどで片づいた。切羽詰まれば何とかなるという妙な自信がよみがえってくるなあ。
 昼前に日本橋の部品屋へ。
 PC周辺機器のパーツをジャンク屋で探すが、MS-DOS時代はもう遙かな昔であることを実感する。
 「こけし」でカツ丼を食べて帰館するのであった。
 夕刻、かんべむさし氏来穴蔵。
 モロモロのテーマについてビール飲みながら検討するが、かんべ氏「ラジオでしゃべれんことばっかりや」
 だからこそ面白いのである。
 某紙夕刊の記事にちょっと笑った。
 長久手町での立てこもっている大林久人は、息子が2年ほど留守にしていた間に息子の「高級外車」を勝手に売りはらって生活費にしたため、息子と揉めていたという。
 その記事の後ろの方に、大林久人は、息子が帰ってきたら「祝ってやらにゃいかん」からと知人たちから借金を重ねていた、とも。
 どこへ「長期出張」していたのかがわかる、まことに巧緻な記事である。

5月19日(土) 大阪→播州龍野/水田宗親ジャズバンド
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 下男仕事色々。
 ぶっかけ素麺の季節になった。昼は代用冷麺でいくかと買い物に行ったら「盛岡冷麺」があった。昼はこれにキムチ、ゆでタマゴ、ハム、トマト、カイワレをぶちこんでビール1缶いただく。
 睡眠が不規則だったので、午後は3時間ほど昼寝する。
 毎日これだと泣けてくるねえ。
 19時過ぎ、キムチの臭いを吐きつつ、黄昏の「川沿いの道」を歩いて、龍野橋東端の「ガレリア」へ。
 水田宗親ジャズバンドのライブ。
 
 高槻ジャズストリートで聴いて以来。龍野で聴くのは今年初めてである。
 例によってソフトで軽やかな水田さんのアルトを楽しむ。
 ベースがいつものカメさんと違うが、ヤマハの何というのか……共鳴箱のない支柱だけのやつ……とエレキ併用して、なかなか。
 21時まで。
 帰路、5分ほどの道、何から何まで真っ暗闇よ。田舎の夜は早い。「早寝」のおれがいうのだから間違いない。若いもん、どこで何しとるんだ?

5月20日(日) 播州龍野の日常
 ど田舎の好天また侘びしからずや。
 雨天なら読書と割り切れるが、天気がいいと書斎にこもってるのが後ろめたい気分になるから困る。
 世間は日曜日、おれもボケーッとしとればいいのだが、貧乏性ゆえ、半日読書、あとの半日はタイムマシン格納庫にてマッドサイエンティスト的作業、また楽しからずや。
 ということでそろそろ就眠。
 明日からまた張り切って少しは仕事もする予定である。

5月21日(月) 播州龍野の日常
 月曜なのであった。
 タイムマシン関係、張り切って仕事するのであった。
 古い仕事関係の知人からメールあり、日本橋のニノミヤが6月閉店……パーツの調達が難しくなるらしい。
 先日行ったときには気づかなかった。
 困ったことである。
 オタクもメイドカフェも関係なし、日本橋は電子部品と機構部品(代表はナニワネジね)の供給基地であってくれればよかったのだが。
 これからはどこへ行けばいいのか。
 嗚呼……

5月22日(火) 播州龍野の日常
 快晴なのであった。
 下男仕事少し、あとはタイムマシン格納庫で作業。
 大阪方面に気がかりな用件あるものの、日帰りで往復するほどのことでは(たぶん)なし。
 出所まであと2日である。
 夕刻、「川沿いの道」を30分ほど歩く。
 
 楠の大樹、新緑に夕日が射してなかなかの風情。
 白壁の文字は夕日に映えるのであった。あの頃はよかったなあ、よっさん……と訳のわからぬことを呟きつつ、炊事、晩酌、そろそろ就眠である。

5月23日(水) 播州龍野の日常
 本日も快晴なり。
 老朽家屋の居間は朝夕は肌寒く、まだコタツを設置したままである。老母はあまり動かず、ずっと本を読んでいるから、足先を暖める状態がいいらしい。
 さすがに石油ストーブは片づけたけどね。
 本日はタイムマシン格納庫にて某国へ送るための荷造り作業。
 暑いなと思ったら、なな、なんと、昼過ぎの室温は35℃となる。
 季節感が麻痺してくるねえ。
 夕刻……老母はやっぱり足先が冷えるからと、コタツの電源はONである。
 おれは汗をかいたものだから、シャワー後、盛大にビール。
 親子が別の季節を生きているのである。
 スターシップの気象学(福江純さんの「ラーマの気象学」の拡大版)を思いつく。思いつきだけで、まだ話にはならんけど。
 ということで、そろそろ就眠。
 明日は大阪へマシンの「陸送」である。

5月24日(木) 播州龍野→大阪
 下男仕事いろいろ片づけた後、午後、大阪の某梱包会社へタイムマシンを陸送する。
 なぜか船便指定で(運賃は航空貨物でもそう変わらない)、非木材証明が必要だったり、面倒なことである。
 城東貨物線の高架下にある某社、なんとなく懐かしいなと思ったら4年ぶりであった。
 4年間ほとんど同じことを繰り返しているわけである。
 進歩してないと嘆くより、退化してないことを喜ぶべきか。

5月25日(金) 穴蔵
 定刻午前4時に目が覚める。
 ブログで喜多哲士さんの意見を読んで、あわててNHKの「大相撲・幕内の全取組」を見る。4時15分で間に合った。
 いやあ、朝青龍、見事な負けっぷり。これは「注射」ではないよなあ。
 おれもザブトン投げたくなった。
 朝から感激。
 終日穴蔵。
 山積している雑件を粛々と片づけるのであった。
 昼……ハチまで歩いてランチのつもりだったが、雨が強く、歩く気分が失せる。
 ユル・セ・ママ……とこれは前にも書いたか。
 昼は「本宅」にあった冷凍の讃岐うどんを食して、午後も粛々と仕事。
 専属料理人から「夕食メール」あり……しまった、相撲を見るのを忘れていた。ネットで確認、朝青龍は魁皇に負けているではないか。ま、明朝確認するか。
 気がつけば、雨は上がり、『吸血鬼ゴケミドロ』の冒頭シーンを思わせる夕空が広がっているのであった。
 
 19時前、「本宅」のリビングから梅田方向を望む。
 播州の「豆腐工房」のヤッコ、トマトその他のサラダ、手羽焼き、イカのリゾット、その他を並べてもらってビール、ワイン。
 明朝の朝やんの負けっぷりを楽しみに、そろそろ就眠である。

5月26日(土) 穴蔵/創サポ/飲まずボケ
 朝4時に目が覚め、本日も「大相撲・幕内の全取組」で、朝青龍がねじ伏せられるのを確認。大関に負けて座布団が飛ぶとは、これまたひとつの不思議。歓喜の表現なりや。
 某梱包会社から明細がFAXされてきた。
 これでデータが揃ったので、ドキュメントの作成。昼前に終わる。
 運動不足なのでちょっと歩くことにする。
 「ジャズの専門店ミムラ」に、ジョージ・ルイスの1966年版、持ってないのが1枚あった。
 扇町から天六を通過、長柄東まで。
 「Sano惣」で遅めのランチ。本日は牛カツ+ワンコロとする。晩飯が遅くなる予定なので、これくらいのボリュームがいいのである。
 いったん穴蔵に戻った後、夕刻また這いだして天満へ。
 創サポ専科の講義。
 ロビーで芦辺拓さんとばったり。
 10期講座はミステリーの回で、芦辺さん、わざわざ東京から単身帰省?なのであった。
 本日の作品、ショートショートから時代中編まで多彩。アイデアも表現形式もさまざまで、かえって面白い。
 ただし、熟年離婚をテーマにした短編(しかも作者は若い女性)にはレクチャーにちょっと困った。妻からとつぜん離婚を切り出された定年間近の男の心理なんて、年代はおれに近いのに、見当もつかない。あくまでも「短編の形式」をコメントするに留めるが、これは弁理士が離婚調停にかり出されたようなものか。これ自体テーマになるかな。ロボットの離婚が特許紛争に拡大して弁理士に依頼がくるとか。
 終了後、ロビーで芦辺さんとしばらく雑談。
 安い中華屋へつき合ってもよかったのだが、やや疲労、明日が朝から色々動く必要あるところに、本日は「休肝」と決めていたので、早めに失礼する。
 遅めのアルコール抜き夕食のあと、テレビで『アイ、ロボット』の後半を見るが、これは……??? DVDで全部見るべき作品なのか、ちと迷ってしまう。ロボット三原則の盲点をつくアイデアとは思えないのだが。
 就眠前になって、「あ、明日は月曜ではないのだ!」と気づく。
 午前中の書類作り段階から、月曜は朝から市内をこう動いて……と詳細なプログラムを組んでいた、それでアタマが固まっていたのだろう。明日は「日曜休日」なのであった。それなら夜中まで芦辺さんとしゃべっていてもよかったのだが……。
 飲まないとボケるのであろうか。ちょっと心配になってくる。

5月27日(日) 中村誠一を聴く
 本日が日曜であることを忘れていたので、1日儲けたような無駄にしたような。
 いずれにしても、本日はいっさい仕事しないことにした。
 朝4時過ぎに「大相撲・幕内の全取組」で、朝青龍が琴欧州にねじ伏せられるのを確認する。いいねえ。突っ張りが全然効いておらず、「注射」が切れたからとしか思えない。またも座布団の乱舞。
 色々と溜まっている本を読む。
 「雑読雑聴」に感想を書いてない。近日まとめて書こう……とこればっかりだな。
 日が傾きかけた頃に穴蔵を這い出て、地下鉄で難波へ。
 御堂筋の西側にある道頓堀ホテルへ。
 
 このホテルの玄関、なかなかのものであるなあ。
 手前のは朝やんに似てるから近日注射切れで崩壊か。
 ここのホールで時々熱心なファンによって開催される「尾田悟コンサート」……のはずだが、尾田さん、入院加療中(6月半ばに復帰予定)で、本日は中村誠一さんがテナーを持って来阪となった。
 これはまあ皆さん満足という代演である。
 
 左から、宮川彪(ds)福嶋弘富(b)中村誠一(ts,ss)橋本裕(g)鍋島直昶(vib)
 「Aトレイン」から始まり、スタンダード中心。
 誠一さん、見事な金髪。「髪の毛のあるうちに一度やってみたかったから」と、坂田さんが聞いたら怒りそうなことをいう。おれも今のうちにやってみようかな。
 たぶん最高齢・鍋島さんフィーチャーの「スターダスト」もあり。鍋島さん、相変わらず元気で安心する。
 1ステージ終わったところで中華ディナーとなり、ビール飲み始めたところに、ギター抱えたセニョール登場。
 
 エミリオ・モラレスさんという、日本に来てもう30年になるというヴェラクルス出身の歌手。36弦ハープの弾き語りなど、なかなか聴かせる。顔つきが羽柴秀吉に似ているなあ。
 2ステージ目はさらにパワーアップ、誠一さん、テナーとソプラノを同時に吹くなど、エンターテイナーぶりを遺憾なく発揮。
 
 アンコール「ダニーボーイ」の音色はこれまた素晴らしいものであった。
 21時過ぎに帰館。
 専属料理人とワインを少し。
 スポーツニュースで朝青龍が四つん這いになる場面を確認。
 寝る。
 楽しき1日であった。

5月28日(月) 市内ウロウロ、歩数新記録
 先週から組んでいたプログラムにしたがって動くのであった。
 地下鉄で、内本町の大阪商工会議所へ9時15分に着く。
 諸々の手続きのあと、歩いて堺筋本町某社へ。
 さらに西へ。
 御堂筋と本町通の南東角、旧伊藤萬ビルが取り壊されて整地されているのにびっくりする。
 
 バブル崩壊の象徴であったが、初夏の青空が広がっているばかり。
 見ろよ青い空白い雲。
 そういえば本庄の許永中の邸宅も極真会館も取り壊されて更地になっている。
 こうして忘れられてしばらくしたら、またもバブル再発なのであろう。
 御堂筋で某行、四つ橋筋まで歩いて某社。
 靱公園を散歩。
 肥後橋で昔アルバイトしていたことのあるD紙の入っていたビルの前を通る。
 D紙は移転したらしい。このKビルはオーナーが船員だったとかで、船をイメージして作られたとか聞いた。昔のままである。
 
 近くの「喜作」で昼飯。親子丼定食。
 肥後橋経由、ジュンクドー、CDショップなど覗き、梅田新道経由、ハチでコーヒー、梅田某行、旭屋、ミムラ(鈴木章治のラストLPがCD化された)を回って、15時前に帰館。
 14673歩……新記録である。
 ということでビール飲みつつニュースを見る。
 松岡利勝・農林水産大臣が首つり自殺。
 松岡はおれと同年だが、感覚的には理解しがたし。政治家が老人性鬱になるとは思えず。遺書の内容が明かされるまでは「潔し」と評価するに躊躇する。天下り含む官僚にこそ見習ってほしいものだが、官僚の高笑い、「緑資源機構」に天下りした連中の喝采が聞こえてくるような。

5月29日(火) 大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 タイムマシン格納庫にて雑事色々。
 午後は下男仕事色々。
 龍野の夜は早い。
 18時にニュース見ながら晩酌。
 「緑資源機構」を作った「黒幕」が飛び降り自殺。ほほう、「悪いことをしてきた」という自覚はあったのだ。ちょっと意外。後につづくサムライ((c)慎太郎)はいないだろうな、たぶん。
 NHK「クローズアップ現代」の「脱北者1万人 韓国の苦悩」は出色のルポルタージュ。
 脱北者が「手厚い支援を受けながら」「働かず」「感謝もしない」現実が生々しく伝わってくる。
 「天下り」を受け入れざるを得ない民間企業が役人上がりに捨て扶持を与えざるを得ない苦悩と構造は同じであるなあ。
 北朝鮮の市民と日本の役人の違いは、収入(税収)が桁違いなことだけで、労働って何?感覚は同質なんだよね。脱北者が日本に来て役人から「手厚い支援」を受けるとなると、こりゃ天国だろうな。
 眠い。そろそろ就眠。

5月30日(水) 播州龍野の日常
 終日下男仕事。
 ちょっと疲れた。
 早寝するのである。

5月31日(木) 播州龍野の日常
 早寝したら午前3時前に目が覚めてしまった。
 大事件でもないかとテレビをつけたら、「恋する日曜日・文学の唄」というシリーズもの30分ドラマが始まったところ。『新居』というタイトルで、今風のリビングにいる主人公らしき男に「丹羽文雄」という文字がかぶる?! どうやら、昔の丹羽文雄のエピソードを現代にアレンジしたものらしい。
 昔捨てた女ふたりが揃って夜中に新婚の新居に押し掛けてくるという、面白くもうらやましいような設定だが、捨てた女ふたりがともに美人すぎてリアリティがないなあ。
 ……ひと我を非情の作家と呼ぶ「新居」。ふーむ。金雀枝(エニシダ)という花をはじめて知った。花言葉は「恋の苦しみ」? 枝雀師匠が転倒したような印象だが、ウチの庭、伽羅木よりも金雀枝にすればよかった。
 ということで、本日も下男仕事。
 タイムマシン関係は待機モード。船積み後の書類待ち。今週中に片づけたいところだが、航空貨物とちがって時間がかかるなあ。
 午後は雑読。
 祖父江義明『宇宙生命へのアプローチ』(誠文堂新光社)は、人類の知的遺産を「1000年間つづけて」宇宙へ放射しようというプロジェクト構想。「銀河図書館」(もうちょっといいネーミングはないか?)という構想で、それは銀河系に現在2000あると概算される文明の「図書館」と重なり合い、銀河全域が「図書館」となる……。ドレイクの方程式の係数が楽観的すぎる気がするが、銀河全域の種族が「善意の知性」の持ち主であることを前提とする大構想である。
 つづけて文・清水慶一、写真・清水襄『近代化遺産探訪』(エクスナレッジ)
 産業遺跡は100年で風格を帯びる。
 おれが宇宙遺跡に憧れるのは近代遺跡のイメージが好きだからである。
 無償の1000年間プロジェクトを人類が続けられるものだろうか……。
 近代遺跡を見ていると100年が限界のような気がしてくる。

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