JALINET JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』385

●マッドサイエンティスト日記(2006年10月後半)


主な事件
 ・播州龍野の日常(16日〜)
 ・タイムマシン陸送(18日)
 ・深澤芳美さんグループを聴く(20日)
 ・穴蔵の日々(21日〜)
 ・播州龍野の日常(24日〜)
 ・穴蔵の日々(27日〜)
 ・創サポ入講式(28日)
 ・さらばルン吉くん(29日)




10月16日(日) 大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 いつもどおりの出発時刻だが、日の出少し前である。
 次回は薄明、その次には暁闇となるのか。
 播州龍野にて「下男」生活スタート。
 夕刻、回覧板が回ってきた。
 揖保川東の一帯で「10月7日〜11日の間に深夜6件の泥棒事件が発生しているので、戸締まりに注意」という内容。ふだんの徒歩圏でも2件……不気味なり。
 被害状況が不明。ご近所に聞けばわかるのだろうが、そうなると聞きたくない話まで付随して2時間ほどかかるやもしれず。
 5日間で6件だから、同一犯とすればマメなやつである。
 そういえば新宮町の「通り魔」事件も進展なしのような。
 中学時代に買った木刀があるはずだが見あたらず。
 バットを枕元に置いて寝ることにする。

10月17日(日) 播州龍野の日常
 穏やかな秋晴れである。
 老母が珍しく「どこかへ出かけてお昼を食べたい」と言い出す。
 それならと、揖保川上流、新宮町にある「ちづちゃんの花園」へ行く。
 ここは松浦ちづ子さんが休耕田に作っている私設の花園で、今は20種類くらいのコスモスが咲いている。
 
 小さな風車まで作ってある。
 省みてウチの畑、老母が骨折するまでは野菜を作っていたが、今は空き地、除草の手間と税金だけがかかる。わしゃ丸山健二の真似はとうていできないしなあ。
 帰路、そうめんの里で、いちばん安いそうめん膳「名取」を食す。
 あ……老母が食前に飲まねばならぬクスリを忘れた。
 しゃんめえ。

10月18日(日) タイムマシン陸送
 早朝からタイムマシンの陸送。
 山陽自動車道を西へ移動する。
 新幹線の駅から近いM港……この「対岸」にある某所にタイムマシンを搬入する。
  
 対岸から見るM港と、広大な敷地の某所。
 20年数年ぶりに来る場所である。
 ここは、わが短編『笑いの崖』の舞台のモデルにした場所なのである。
 主人公の噺家・桂花之助は、フェリーが出払った後のM港から小型の船で夕暮れの海を巨大コンビナートのある島に運ばれる。
 本当は陸続きの工場なのだが、そこはフィクションであるから、それらしくアレンジしたけど。
 久しぶりに来てみると、港側はショッピングセンターなどが増え、コンビナート側は寂れて、広大な敷地のなかに小事業所が点在する雰囲気だ。
 これはこれで、また別作品の舞台に使えそうな。
 ……と、たいした評判にはならず、しかし、おれとしては愛着のある短編を思い出したのであった。
 夕刻帰館。
 ぶんきちくんは北海道を踏破、ついに青森についたらしい。記録を見てびっくり。「宗谷岬〜函館」は「千葉〜神戸」より長いらしい。東海道しか知らぬおれには仰天データである。
 ビールを飲んで、そろそろ寝るのである。

10月19日(日) 播州龍野の日常
 早寝したら3時前に目が覚める。
 まだ寒くはないのでそのまま起きて机に向かえるが、室温が15℃以下になるとつらいなあ。
 半日、古い本や雑誌の整理。
 拾い読みを始めるから遅々として進まず。
 「文芸」67年3月号。40年ほど前の号である。
 丸谷才一「にぎやかな街で」と安部公房の戯曲「友達」が同時掲載。さらに「新発見」された磯田浅一の獄中手記。
 が、再読したのは「発言」という時評欄。
 日野啓三「兵器に至る“知性”」であった。
 日野氏はこの時代、記者であり評論家である。
 ある機会に、ベトナムでアメリカが使用した「人体殺傷用の特殊爆弾」がテーブルに「罪のない玩具か観光地の土産品」みたいに並べられるのを見て、サイゴンで見たベトナム民族解放戦線の「あわれなほど粗末な手製の兵器」の印象と比べる。手製兵器を作った農民は戦いがなくなれば「再び黙って鍬を握るだろう」が、パイナップル爆弾やボール爆弾など「一見ユーモラスな」「いかに効率的に人を殺すかという抽象的観念の純粋結晶」を作り出した「知性」は「次にさらに恐るべき道具を考えだすだろう」……しかも、その兵器の「鋭いカーブ」「計算されつくした円錐曲線に共感するものが感じられ」「フォルム自体が知性の自己証明のような」「めまいに似た魅力」をおぼえる……論考はさらにつづくが、日野氏は現代兵器をどう見ておられたのか。
 このような時評がまとまったかたちで残っていないのが惜しまれる。
 ということで、なかなか古雑誌が処分できないのであった。
 買い物など、片道2キロ以内の移動に自転車復活。
 川沿いの道を走る。
 
 「暖秋」とかいうが、秋色深い。
 夜は「龍力」を熱燗でいっぱい。

10月20日(日) 播州龍野→大阪/サントリー5
 午前3時起きる。
 この時間から灯りをつけてゴソゴソやっていたら、泥棒が侵入する心配はなさそうである。
 昼過ぎまで「下男」仕事色々。
 夕刻、大阪へ移動。
 必要あってオーディオ装置(DENON〜DIATONE)を大阪の穴蔵に移すことにしたので、相棒の某くんのクルマで移送。
 が、池田から大阪市内へは渋滞の気配。明朝届けてくれることになり、電車に乗り換える。
 帰宅すると、冷蔵庫が不調とかで、冷凍食品をアイスボックスに移したり、大騒ぎである。
 嫌な予感。
 LPプレイヤー・カートリッジに予定している予算を冷蔵庫に振り向けなければならぬのだろうか。
 オーディオか冷蔵庫か。学生の頃なら飯を抜いてでも本を買ったものだが……。
 半客会の会誌「赤き酒場」に、Yさんのこんな文章が載っている。
 『日本沈没第二部』について「リメイク版の映画にちょっと不満があったので、いまい一番読みたい新刊として関心を持っているのだが、1890円の支出に逡巡している自分がちょっとツライ。」……身につまされるなあ。
 冷蔵庫片づけ後、専属料理人と歩いて梅田、ニューサントリー・ファイブへ。
 本日は深澤芳美さん率いる「キャロライナ・シャウト」の特別ライブ。
 深澤芳美(p)、白石幸司(cl)、佐久間和(g)、田野重松(b)。
 ヴォーカル・森朋子さんも参加。
 白石さんの名はクラリネット・アンサンブルなどでよく知っていたのだが、聴く機会がなかった。なんと、花岡さんのあとのデキシー・キングスのクラリネットであったのだ。
 スタンダード中心のしゃれたスイング。
  
 と、最終ステージ前に、なんと「先輩格」の花岡詠二さんが現れた。
 大阪で仕事があったらしい。ファイブ初登場である。
 最終ステージは花岡さんも参加して2クラ・セッションとなった。
 先日のハンク・ジョーンズといい、嬉しい出来事があるものだ。
 あと、いっしょに飲みたいところだが、最近21時就眠がクセになっているので体が持ちそうにない。
 深夜近く、歩いて帰館。

10月21日(日) 穴蔵
 わ、朝7時まで寝てしまった。夜更かしはするものである。
 終日穴蔵。
 朝9時過ぎに、相棒の某くんが龍野のオーディオ装置を持ってきてくれた。
 さっそくセットして、昨夜入手した深澤芳美さんグループのライブ版『Chokot Concert 2005』を聴く。白石幸司さんと後藤雅広さんのクラの掛け合いがいい。
 ただ、この装置、ダイアトーンの音はいいけど、わが穴蔵では音量はほとんど上げられないなあ……と思ったところで思い出した。
 だからこそ4年前にこれ播州龍野の実家に移し、こちらはタイムドメイン・ミニにしたのであったのだ。
 ま、今回はLPプレイヤーをつないで××が目的だから、スピーカーよりもアンプが主役である。
 たまった新聞を読んでいて松本哉氏の訃報に気づく。同時に新刊『荷風という生き方』の広告も。これが遺作ということになるのか。
 一度お目にかかりたい人だった。……というよりも、東京のわが「隠れ家」に近いところに住んでおられたから、近所を散歩していて偶然お目にかかるということはないかなと想像していたのである。
 おれとは同世代。神大・物理学科卒で編集者という経歴がユニークで、だから『寺田寅彦は忘れた頃にやってくる』を書かれたのはわかるが、主な興味は永井荷風にあったようだ。荷風関係の著書3冊は読んでいる。何よりもイラストがいいと思った。多才な人だったのである。
 明日にでも本屋へ行くことにしよう。

10月22日(日) 穴蔵/桂文我師匠の新書
 終日穴蔵……のつもりであったが、修理品の引き取りがあって10時過ぎに自転車でヨドバシへ。
 紀伊国屋に寄って、新書2冊。
 松本哉『永井荷風という生き方』と桂文我『落語「通」入門』、ともに集英社新書である。
 帰館、あとは穴蔵。
 文我さんの「入門」は、露の五郎兵衛から五代目松鶴までの噺家ポルトレー。エピソードの選択など、なかなかのセンスで、この人はまちがいなく米朝師匠の「文筆」面を継承するのだなと確信させる。これと『メッケもん!』の蒐集癖を合わせると、ますます楽しみな。
 文我さんに「米朝師匠の万分の一でいいから」「落語の歴史も熟知した上で本を著せるようなタイプの噺家」を目指せとといったのが師匠の枝雀師匠であったという。こういう資質を見抜いてはったのだなあ。
 新書にふさわしい企画と出来映えである。
 『永井荷風という生き方』については後日に。

10月23日(日) 穴蔵/木曽
 曇天から雨になる。
 終日穴蔵……といきたいところだが、明日からの田舎行きの前に雑件あり、昼、2時間ほど外出。傘差して徒歩トホホ。
 近所の医院、血圧は正常であった。
 「ジャズの専門店ミムラ」に寄ると『木曽』が入荷していた。
 
 1970年、森山威男が宮沢昭カルテットに参加した幻のLP、ついにCD化である。
 ディスコグラフィーを修正しなければならぬ。
 ハチにも寄る。
 こちらでは山下洋輔さん情報。
 12月13〜14日、「討ち入り」にあわせて、赤穂と西宮で「ジャズマン忠臣蔵」をやるという。
 播州龍野にいる時なら、赤穂で聴くのが面白そうだが……。
 クリスマス・イブには森山さんのレコーディング・ライブ。
 年明けには山下さんとセシル・テイラーの共演。
 どうするか……そろそろ年末年始のスケジュールを調整する季節になっているのであった。

10月24日(日)大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 昨日の雨天曇天が嘘の如き晴天しかも寒天にあらず嬉しきことなり。
 はりきって「下男」仕事。
 合間に少しは仕事もするのであった。
 ちと必要あって福江純さんに連絡をとる。
 いつもお世話になることばかり。そのうち何かを披露できるか……。
 本やCDについて書きたいこと幾つかたまっているのだが、明日か明後日に。
 ……なぜか「メイド」系のトラックバックがある。
 ちゃんと読んで張ってくれているのか、ロボットの仕業なのか、おれには判定ができない。判定できないということは、チューリング・テスト合格ということになるのかしらん。
 メイドやおたく相手のことはよくわからん。
 ま、面白いからそのままに。

10月25日(日) 播州龍野の日常/『永井荷風という生き方』
 秋晴れである。
 相変わらず「下男」仕事。
 松本哉氏の『永井荷風という生き方』(集英社新書)
 
 これは、松本氏の遺作となったようである。
 『女たちの荷風』『永井荷風ひとり暮らし』と重なるところが多いが、「老い」を軸に、主に「断腸亭」エピソードを色々収録。「風景画家」としてのイラストがいい。
 老後についての論考……体調などから予感されるところがあったのだろうか。
 気になったのが散歩がらみ。「徒歩能力」に関して、幸田露伴「突貫紀行」が紹介してある。そういえば松本氏には幸田露伴に関する著書もあったのだ。
 露伴は二十歳の時、北海道から東京まで歩いた?
 気になって、午後、「たつの市立図書館」へ自転車こいで行ったが、市町合併後の市内4図書館のシステム統合のため、半月ほど閲覧が制限されている。露伴全集は閲覧できず。
 で、帰館、ネットで調べたら、「突貫紀行」は「青空文庫」で読めるのであった。ありがたいことである。
 露伴は、余市から小樽まで馬(馬車?)、そこから船で函館。青森から松島。仙台から福島。人力車や馬車も利用している。函館や松島には逗留もしている。郡山から東京までは電車。苦難の道は青森〜松島と仙台〜郡山のようである。
 ぶんきちくんの北海道踏破に比べると、さほどでもなし……と思うのはいかんかな。
 ぶんきちくんは、露伴の太平洋側とちがって、どうやら日本海側を東京に向かう様子。
 露伴くんは、歩いた距離は短いけど、明治20年で、食堂もコンビニもなし、食べ物にはまことに困窮したような。
 比較するのはおかしいかな。
 どちらにしても、おれには真似できん。
 荷風のおっさんにならって、色町周辺をウロウロし、ビールを飲みカツ丼を食べるのが無難だと思うのであった。

10月26日(日) 播州龍野の日常
 本日も「下男」仕事……朝7時に資源ゴミを出しに行く。
 と、ウチの北100メートルほどの家の前にパトカーが停まり、邏卒が出入りしている。泥棒か。犬の散歩その他のおっさん連中が立ち話中だが、まだよくわからんらしい。
 先日来、泥的が深夜にうろちょろしているらしいから、気がかりなことである。
 終日田舎。
 少しは仕事もするのであった。

10月27日(日) 播州龍野→大阪

 先だってから進めていた老母のサイボーグ化プロジェクトがめでたく完了。
 ま、新しい入れ歯が出来ただけのことだけど。
 午後帰阪。
 専属料理人が実家方面へ帰ってしまったので、晩飯は冷蔵庫から何か探して食べる……のだが、びっしり食材が詰めてあるもののそのまま食べられるのが何もない。しかも調味料やら香辛料がやたら多くて、何が何やらわからない。
 困ったものだ。
 本日のメニュー。牛肉の塩コショウ炒め。キャベツの刻んであったのにマヨネーズ。トマトぶった切り。パック容器にあったタケノコの土佐煮。辛子明太子。ビール。バーボン水割り。冷凍の松茸ごはんのおにぎりを温めたの。龍野から持ってきた柿。……まあまあのメニューか。龍野で下男仕事している方が効率がいいなあ。
 テレビで「デス・ノート」をやるようだが、とても起きてられないし、2時間の束縛は苦痛。近日、原作のマンガを見ることにして早寝するのである。

10月28日(月) 穴蔵/創サポ入講式
 穴蔵にて雑用の処理。
 夕刻這い出て天満、エルおおさかへ。
 創サポのショートショート大賞授賞式と入講式。
 ショートショートは残念ながら「大賞」なしだが、田中悠紀子さんの「Clorless Green」を入選とした。モノトーンに見える世界を「多彩に」描写する表現力がよく、筋のよさを感じさせる。
 
 その田中さん、高校生かと間違えるような若さ。昔の新井素子さんの印象によく似ているので、そう伝えたら、よくいわれるそうである。
 選評など話して失礼する。
 梅田で旭屋に寄ってより2冊。
 筒井功『サンカの真実 三角寛の虚構』(文春新書)と西成活裕『渋滞学』(新潮選書)。今日明日の楽しみである。
 ついでに成城石井でワインを買って、20時半頃に帰館。
 パスタ系がいいがと思っていたら、珍しくもボンクラ息子その2が夕食を作ってくれた。
 本日のメニュー。
 ローストビーフ、ポテトサラダ、トマトのぶった切り(これのみおれが作った)、明太子のスパゲティ、ビール、ワイン。
 スパゲティは電子レンジ容器を探す時間がなかったのでどうしようかと思っていたら、外食でのバイト歴のあるボンクラ息子その2、1本つまんで茹で加減をみたり、明太子をほぐしておいたり、フライパンに移してオリーブ油をからめたり、堂に入ったもの。専属料理人よりうまいのではないか。帰ってくる必要なし……というわけではないけど。
 『サンカの真実 三角寛の虚構』を途中まで。「飢餓海峡」の伴淳を思わせるような調査力である。

10月29日(火) 穴蔵/さらばルン吉くん
 穴蔵にこもる。
 終日、本を読んで過ごす。
 『サンカの真実 三角寛の虚構』……この「博士号取得」過程の調査は説得力がある。写真のモデル追跡調査も含めて、(著者は自分を「好事家」と位置づけているが)研究者の情熱とジャーナリストとしての執念が結合した成果の感あり。
 本日はミナミの精華小学校で「JAZZ CITY OSAKA 2006」の日だが、そのまま本を読んでいたくなる。ライブやコンサートは楽しいのだが、おれの場合、最終的には読書にまさる愉悦なしということか。
 ひきつづき、西成活裕『渋滞学』(新潮選書)……これまた近来の快著ではないか。
 ソフトバンクが番号ポータビリティの変更受付を停止のニュース、なんとタイムリーな。
 小松左京マガジン第24巻は、読み応えある記事が詰まっていて、創刊以来いちばんの充実ではないか。これは別項にて。
 夕方近く、買い物ついでに散歩。
 扇町……公園には誰もいない。
 ルン吉くんを見かけなくなって1年が過ぎた。
 最後に見たのが2005年10月25日であった。
 弱い秋の西日のなか、最後の定位置であった「2番」モニュメントは、主なきまま公園南西の片隅にたたずんでいるのであった。
 
 ルン吉くんがわが穴蔵の前の歩道に現れたのは2000年11月で、6年前であった。
 それから5年間……かれは色々なことを教えてくれた。懐かしい「ピンクの防寒服」が何年もつかとか、梅田界隈の食料事情とか……。
 2、3ヶ月見かけないことは何度もある。最長は10ヶ月だったか。
 だが、1年のブランクは初めてである。
 本日は仏滅。縁起でもないことは考えたくないが、そろそろおれもルン吉くんから離れて「自立」しなければならぬ時期なのであろう。
 「明日は我が身」と見守ってきたのだが、そろそろ別れを告げた方がいいようである。
 わが「悪趣味」に多少なりともつきあってくださった方もいるから、ここで書いておくと、おれはルン吉くんに、拙作『梅田地下オデッセイ』の語り手「おれ」の20年後の姿を重ねていたのである。
 むろんおれは「おれ」ではないが、半分くらいは自分を投影している。
 おれは極めて臆病な性格であり、ルン吉くんが少し前を歩いてくれるのに頼っていたところがある。
 おれが穴蔵にこもる生活を始めた頃からのつき合いであった。6年目にしてやっとだが、今日からはひとりで歩くことにする。

10月30日(水) 穴蔵/無法自転車オヤジ
 地下鉄で西長堀の市立中央図書館へ行く。
 調べものその他だが、SFにはあらず、集合住宅関係であるのが情けない。
 資料の借り出しは30分ほどで済むが、あとは自分の趣味1時間。
 天気がいいので心斎橋まで歩く。
 が、千日前通……ここはかなり危険である。
 歩道が御堂筋と同等の広さで歩行者は少ないから、自転車のマナーが悪くて恐ろしい。歩行者が避けろといわんばかりの走行である。歩行者より自転車が多いような。『渋滞学』にならえば、クラスター発生の可能性なしの密度。走り放題で、歩行者が障害物に見えるのだろう。
 信号を渡りかけたところで、向かいから自転車で来たおっさん、おれの前でブレーキかけて、大げさに顔をしかめて舌打ちしやがった。「避けんかい」 という表情。(横断歩道は自転車ゾーンが明記されているが、おっさん自転車は歩行者ゾーンを走ってきた) で、おれは「DAAHO!」(ドアホはこう発音する)と怒鳴りつけた。
 喧嘩になれば勝てそうな相手。むろん、おれは臆病だから相手を見てものをいう。
 自転車を放りだして向かってきたらおもろいと思ったが、そのまま行ってしまった。
 当分は定期巡回コース以外、自転車利用は控えることにしよう。
 自転車トラブルの増加は高千穂遙氏も予想してたと思うが、増えそうだな。
 法規自体を知らないのだから。
 酒気帯び自転車の取り締まり強化もあるけど、衝突や喧嘩も増えそうで、たぶんマナーの悪い大阪から広がるだろう。
 なにか大きな自転車事件を契機にマスコミが騒いで法規が周知されるという流れになるのだろうが、だいぶ時間がかかりそう。その間に、おれが事件の当事者になってはたまらんからなあ。
 ということで、御堂筋を本町まで歩く。
 ボンサラ時代のなじみの店でランチ、中ジョッキ一杯。
 また梅田まで歩く。
 「ジャズの専門店ミムラ」に寄る。鈴木章治の『新・鈴懸の径』CD版と寺井尚之『トミー・フラナガンの足跡を辿るVol.2』を入手。フラナガン講座は2005年3月までの分が収録されているから、現実にはVol.4くらいまで進んでいるのかな。
 さらに歩いて帰館……15時前である。歩行時間は1時間20分くらいか。
 運動した日はビールがうまい。
 本日もボンクラ息子その2が料理を作ってくれた。
 これで3日連続。
 昨日の野菜炒め・ポテトとベーコンのなんとかに引き続き、本日は、豚の角煮と煮卵、ほうれん草の胡麻和え、ミニ炒飯、ビール、ワイン、柿。
 片づけまでやってくれた。
 明日からおれもはりきってやるか。

10月31日(木) 大阪→播州龍野
 播州龍野へ移動。本日も晴天なり。
 外は暖かいのだが、田舎の老朽家屋らしく室内は暗く肌寒い。
 老母が居間をコタツにするといい出す。……毎年10月半ばと決まっていて、今年が確かに例外的に遅い。
 急速に寒くなりそうなので、灯油の手配、わが書斎の暖房設備の点検など、下男仕事多忙。
 夜は早く、定刻21時、そろそろ就眠である。

『マッドサイエンティストの手帳』メニューヘ [次回へ] [前回へ]

SF HomePage