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『マッドサイエンティストの手帳』376

●マッドサイエンティスト日記(2006年6月後半)


主な事件
 ・SF作家クラブ親睦旅行(16〜17日)
 ・野良青年団(18日)
 ・播州龍野の日常(21〜27日)
 ・水田宗親ジャズバンド(25日)
 ・穴蔵生活(28日〜)



6月16日(金) 小諸/SF作家クラブ親睦旅行
 激しい雨である。
 どうなることかと思っていたら、10時過ぎると小降りになった。
 昼に神田でアセチレン・ランプ氏に会う。ランプ氏、「関節炎」で右腕を吊っての登場。
 喫茶店でCDと新刊の「物々交換」を執り行う。
 午後、長野新幹線「あさま」で小諸に向かう。
 高崎を過ぎたあたりから、空は急に晴れてきた。
 小諸駅前。
 なるほど閑散としており、大手サラ金の看板のみ目立つ、典型的な田舎駅の風景である。
 駅前のそば屋。2軒ならんでいて、揚げまんじゅうを売っているのは「食堂風」の店。となりが「民芸そば屋」風の店構え。
 「無愛想な女店員」のいるのはどちらか。
 「民芸風」に入ってみる。が、「女店員」はおらず、黙って注文を聞き黙って持ってくる若い男がいるだけであった。一言も口をきかない。客はむろんおれだけ。おれは「ざる」と一言言っただけである。しかし、無口も徹底すると、そう悪い印象はなくなるから不思議だ。味は特別の感想なし。
 タクシーで中棚荘へ。藤村ゆかりの文人の宿である。
 ここでSF作家クラブの親睦旅行……ここで「現地集合」である。
 中棚荘は雑木につつまれた斜面にあるが、すぐ下の低層マンションに遮られて千曲川は見えない。
  
 文人の湯に入る。ちょっとは文才にあやかれるか。
 夜は盛大に宴会。
 全部で30数人。今回は珍しくも筒井康隆氏が参加である。
  
 写真は小松・筒井の両御大を中心に、東野司、久美紗織、豊田有恒、梶尾真治、高千穂遙、小谷真理、巽孝之、難波弘之、一本木蛮の各氏が並んだ珍しいショット。谷甲州は黙々と飲んでいる。
 なお、筒井さんが手にしているのはクラリネットではない。
 中南米某国製の巨大な葉巻である。
 これが点火され、二次会の席でも次々と回し飲みされ、深夜まで煙を上げ続けることになるのであった。
 宴会後、10人ほどで、ロビーのテレビで「富豪刑事デラックス」を、筒井さんの批評的コメントを聞きながら見るという贅沢な時間を過ごす。勉強になるなあ。
 さらに小松御大の部屋へ移動。
 深夜まで色々な議論が続く。
 こういう雰囲気は久しぶりだなあ……。

6月17日(土) 小諸→東京/隠れ家
 小松御大の部屋で午前2時半まで。
 高千穂さんと並んで4時間弱寝て、朝6時過ぎ、山羊の鳴き声で気分よく起床する。
 朝食後、散会、それぞれの方向に別れる。
 東野司さんの抜群の事務処理能力のおかげで、気分よく帰路につく。
 わしは、谷甲州さんの「筒井康隆インタビュー」に立ち会ったあと、そのまま3人(筒井・谷・堀)で東京まで移動することになる。
 甲州会長は連日睡眠が2時間以下とかでグロッキー気味である。
 ちとやばい話などしながら、昼過ぎに東京着。
 「隠れ家」に戻る。
 ボンクラ息子その1は本日は休みで、どこかへ出かけているらしい。
 晩飯をいっしょにということにして、夕食の用意をする。
 千葉産の高い枝豆、高いまぐろの山かけなど、シンプルなメニューを作る。
 が、ボンクラ息子その1の帰館はちと遅いらしい。
 疲れているので、シャワー、ひとりビールを飲んで、もう寝るのである。

6月18日(日) 隠れ家/野良青年団
 雨が強い。
 ボンクラ息子その1は朝からゴルフの練習場へ行き、午後は仕事なのだという。
 午前中、隠れ家にてパソコンを借りて雑務。
 午後、都内をぶらぶら。
 銀座(山野楽器)〜秋葉原(石丸3号館)〜お茶の水(ディスクユニオン)と移動。
 衝動買いは慎むはずが、やっぱり多少バッグがふくらむ。
 夕刻、高田馬場の「サニーサイド」へ。
 野良青年団とナインティ・ウエストのライブ……というよりも、北中たけおさんの送別会を兼ねた貸切りパーティである。
 
 野良青年団の北中青年、6月20日に出発、今回が本当のお別れライブである。
 30人くらい。早稲田のNO系OBが大半みたいで、楽器やヴォーカルの出来る人が多い。
 ナインティ・ウエストき早稲田OBバンドで、これまた渋い。
  
 ……と、途中で、尺八を持ったおじさんが登場。
 「ヴァーガンディ・ストリート・ブルース」を切々と吹く。
 あれっ、浅草HUBで花岡さんの時に吹いていた人ではないか?
 この長谷川さん、聞けば足利在住。全日本デキシーフェスも神戸JSも毎回行ってるし、昨日は大阪のサントリーファイブでラスカルズを聴き、夜行バスで帰ってきたのだという。
 元気だなあ。
 ということで、後半は両バンドのメンバー入り乱れてのセッション。
 北中さんや久保さんのヴォーカルまであって、アットホームな雰囲気のパーティとなった。
 
 2日後に家族・楽器ととともにミシガンへ向かう北中青年と記念撮影。
 2年後が楽しみである。

6月19日(月) 東京→大阪
 東海道昼特急(高速バス)で大阪へ移動。
 最前列の1C席。東京は薄曇りで、西に移動するにつれて晴れてくる。
 眺めもまずまずだが、停車駅?が増えていて、乗り降りないのに停車が多く、快適とはいえない。
 静岡にシンドラーエレベーターの実験棟があるのが新発見か。
 名神〜東名の景色にも飽きたし、次回は中央道経由を試してみて、その後昼特急の利用はしばらく中止することにしよう。
 となると、飛行機しかなくなるなあ。
 夕刻帰館。
 雑件がたまっている。

6月20日(火) 穴蔵
 終日穴蔵、雑件の処理……のつもりであったが、銀行関係のこともあり、昼間2時間ほど出かける。
 阪急の本社前、中継車数台の大騒ぎ。
 迷惑なことである。
 ヨドバシに寄り、タイムマシンのパーツ購入。パソコン関係だが、ヨドバシも関西征圧するなら、ニノミヤの部品コーナーとかナニワネジみたいなのまで作ってくれないものか。
 便利になるのだがなあ。
 帰路、近所の公園、ニャロメの木の緑深し。
 
 しかし、電線国家ニッポンの景観、なんとかならんのかねえ。

6月21日(水) 大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 しばらく田舎生活がつづくことになる。
 パソコンにTVチューナーを組み込む。
 テレビはそんなに見ないのだが、新聞のニュースは1日遅れなので、ニュースの確認には必要である。
 午後、屋根の上でアンテナ取り付け作業。
 先日の液晶テレビ導入で余ったのを書斎側に取り付ける。
 宇宙飛行士の船外活動気分である。瓦で足の裏がジリジリ焼かれる感触がたまらん。
 思ったより簡単であった。
 次はFM用アンテナを張るか。
 龍野の装備がだんだん本格化してくるなあ。

6月22日(木) 播州龍野の日常
 雨である。
 終日「雨読」としたいがそうもいかず。
 老母を医院へ連れて行く。
 雨天で患者は少ない。さっさと診察してもらえて楽は楽だが、○○値がやや高め。
 美食傾向とは思えず、朝食からの時間が短いからではないか?
 次回は朝食を減らして早く、診察はなるべく遅くとしてみるか。
 ○○値を下げることが目的化してはいかんのだが。

6月23日(金) 播州龍野の日常
 朝刊を読んだあと、6時15分に『朝ミラ』を聴こうとラジオをつけたら、すでにサッカーの話題で騒がしいのに愕然。
 おれの腕時計は2秒以上の誤差はないはず。
 時計が狂ったかラジオ大阪が狂ったか……。
 混乱しているところに、けたたましいアナウンサーの絶叫。W杯・ブラジル戦、ラジオ中継の録音らしい。
 むさしくんの「アナウンサー、えらい興奮してはりますね」というコメントで、そういえば今朝試合があったのかと思い出した。
 おれは定刻4時に起きていたのだが、知らなかった。知ってても見ないけど。
 サッカーとなると、ラジオ大阪も放送開始時間が変わるのか(あるいは、おれの時計が狂ったのか)。さらに、サッカーに興味あるとは思えないむさしくん、なんとかそれらしく話している気配。がんばってるなあ。
 早朝からややこしいことである。
 相棒の某くん、某所へ出張のため、終日、タイムマシン格納庫で見張り番。
 ボール盤を使って色々機械加工もする。
 スペースの関係でフライスを10年前に手放してしまったのが残念である。

6月24日(土) 播州龍野の日常
 必要あって終日「原稿」を読む。
 精読する必要あり、1000枚が限界である。
 目が疲れるなあ。
 夜、「ロード・オブ・ザ・リング」を少し見るが、つらい。
 眼精疲労のためではなく、長めの小説数編を読んだあとなので、さらに新しい作品世界へ入るのが面倒なのである。
 特にファンタジーの場合、その世界の構造がさっぱりわからないので、ボケーっと画像を見ているだけになってしまう。
 若くて元気な頃でも見るのがつらいであろうな。

6月25日(日) 播州龍野の日常/水田宗親ジャズバンド
 雨ぞ降る。
 昨日につづき「雨読」である。
 夜、ガレリアへ。
 水田宗親ジャズバンドのライブである。
 
 水田宗親(as)小林俊介(p)亀渕良輔(b,eb)村山茂博(ds)。
 4月23日以来。
 ボサノバから始まって、約2時間堪能、「西瓜男」で終わる。
 7、8月はガレリアが「夏休み」になるので、次回は9月という。
 冷房設備がないかららしい。確かに木造で吹き抜け構造だからクーラー入れても効きそうにない。天井に昔ながらの扇風機とか、窓を開けて川風を入れるだけで十分と思うがなあ。
 この夏も龍野の実家は扇風機で過ごす。おれは平気だが、老母はまたぐったりの季節となる。
 夏来たりなば秋遠からず、おれは早くも冬の寒さを思って憂鬱になるのであった。

6月26日(月) 播州龍野の日常/SJ旧号
 雨である。
 朝からタイムマシン格納庫で見張り番。
 某国のエージェントとメールのやりとり。テポドン発射までには船積みできるか。
 夕刻帰館。
 書斎の押入を整理していたら、スイングジャーナルの1973年10月号が出てきた。
 拾い読みしていたら、「Our Jazz Spot」というコラムで室蘭で開店した「DeeDee」が紹介されている。
 開店記念パーティの写真、なんと若き日(23歳)のNさんがいるではないか!
 
 載せていいかな。いいよね、どの人かはわからんのだから。
 登別ジャズ倶楽部も紹介されている。
 同誌にはハチの山下洋輔トリオ・マンスリーライブの案内も載っている。
 この頃、おれはハチで飲んだくれていたのだなあ。今でもだけど。
 「DeeDee」のマッチは33年後(4月3日)「ハチ」にオーネット・コールマンのサインといっしょに飾られることになる。
 そういえばSJ誌の同じような記事(ジャズ喫茶巡り)の「ハチ」の回に、おれの写真も出たことがあるなあ。これも70年代前半だったと思う。
 Nさんもおれも、30年以上、同じようなことをやっとるのだなあ……。

6月27日(火) 播州龍野の日常
 田舎ストレスが限界に近い。
 銀行関係の用事があり姫路に出る。ついでにジュンク堂で数冊。
 昼前に帰館。
 ストレス発散にはならんなあ。

6月28日(水) 播州龍野の日常
 田舎ストレスがピークである。
 終日書斎でボケーっと過ごす。
 パソコンにTVチューナーを入れたので、セレブ女子大生の誘拐事件というのを見るともなく見てしまう。
 そんなに有名な母娘とは知らなかったが、その私生活の露出ぶりを見ると、狙ってちょうだいといってるようなものではないか。
 今回の犯人がまれに見る粗雑なアタマの持ち主だったから早い解決につながったようだけど。
 美容の世界というのは儲けていることが宣伝になるのであろうか。
 大阪での雑事が滞積しているので、明日「仮出所」することにする。

6月29日(木) 播州龍野→大阪
 朝から撤収作業に入る。
 昼前の電車で大阪に帰る。
 さらば田舎町……といっても、来週また来るのだが。
 梅田。阪急本社と茶屋町アプローズの間に中継車が数台。株主総会の日であったか。
 午後、炎天下の大阪市内を自転車でウロウロ。
 タイムマシン関係の部品の受け取り。青空書房にちょっと寄って坂本さんに挨拶。「ジャズの専門店ミムラ」に寄ったら、ペプロフスキーの新譜が入っていた。
 穴蔵に戻って、雑件の処理。
 ペプロフスキーの『Memories Of You』はSJのCD評では褒めてあるが、例によってクラとテナーの持ち替えで、おれの好み(クラ1本アドリブ勝負)とはちがう。が、ビール飲みながら聴くにはいい雰囲気である。
 ということで夕食時にそれを実行。
 たちまち酔っぱらってしまった。
 雑件、片づかぬままである。

6月30日(金) 穴蔵
 穴蔵にて、早朝から雑事を粛々と片づける。
 9時、近所の医院へ。
 血圧はまあまあ。内科だから専門外かと思ったが、先月からつづく右肘の痛み(というか脱力感)について相談したら、要するに「五十肘」だろうと湿布を出してくれた。同じ姿勢でマウスを使っているから、しかたがないらしい。
 ついでに梅田ウロウロ。「月末の処理」色々である。
 午後は穴蔵にこもる。
 久しぶりに英文のドキュメントを作る。
 勘が鈍っているなあ。
 Googleの翻訳機能を使ってみたら、これがびっくりするくらい使いやすい。
 「直訳」調で入力したら、ほとんど訂正の必要ない英文が出てきた。
 タイムマシンの輸出にはこれで十分な機能である。
 意外にも湿布が効いて、肘の痛みが和らぐ。
 アーチー湿布でも聴きたい気分だがCDの持ち合わせなし。
 雑事はほとんど片づいた。
 夕刻、『朝ミラ』の人気パーソナリティ・かんべむさし氏来穴蔵。
 2時間ほど雑談。
 東西の落語状況について。東京の方、「かえる」が親玉になってどうなるのであろうか……。
 と、波乱を期待しつつ、本年度前半が終了である。

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