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『マッドサイエンティストの手帳』370

●マッドサイエンティスト日記(2006年4月前半)


主な事件
 ・穴蔵の日々(1日〜)
 ・オーネット・コールマン(3日)
 ・播州龍野の日常(4日〜)
 ・穴蔵の日々(9日〜)
 ・ニューオリンズ・ジャズ・カーニバル2006(9日)
 ・滝川・鈴木・2クラ・セッション(10日)
 ・播州龍野の日常(12日〜)



4月1日(土) 穴蔵/図書館/新世界
 昼過ぎまで穴蔵にこもって過ごす。
 ニュース。
 永田の辞職にともなって西澤孝の証人喚問は中止という。
 映画のクライマックスでフィルムが切られたような気分。これは世間の反感を買うぞ。民主党、西澤にしゃべられては困ることがあったとしか思えない。
 川崎でマンション15階から小学生を投げ落とした可能性のある容疑者が、防犯カメラに写った公開ビデオを見て、捕まるだろうと出頭したという。
 この男については冬樹蛉さんが卓見を述べられているが、おれはポテトチップスでビールでも飲みたい気分になった。
 「ポテ」というのは、ある嫌われ者に進呈したあだ名であって、仲間内では「あのポテの野郎が……」などと罵っていた。なんでも「コイケのポテトチップス」に由来するのだとか。
 昔のことで忘れてたのだが、このポスターを見るたびに思い出す。
 
 近所の交番にはまだ貼ってある。播州龍野のポリボックスにも。
 200万円もほしいが、ポスターの顔と今の顔の落差を確認したいところだ。
 これは秀逸な手配書と評価しているが、小池、しぶとい男だなあ。
 「おいポテ! 『論理的な男』を見習って早く出頭しろ」といいたくなる。
 と、見たい顔が2個見られないための八つ当たりである。
 午後、必要あって西長堀の市立中央図書館へ。
 ボランティア活動かなにかで借りたい本やCDがあるとかで、専属料理人もついてくる。
 土日は閉館が17時であった。19時までくらいのつもりだったので、ちょっと慌ただしい。
 なんとか時間内に片づいたので17時前に出て、地下鉄で動物園前へ。
 「奴寿司」を初めて訪問。早めの夕食とする。
 まず「湯豆腐」……なるほど、松茸なしの土瓶蒸し方式であるのか。これはなかなか。
 そら豆、若竹煮、うな肝、出汁巻きなどでビール。あとは寿司を握ってもらいながら酒。味もボリュームも申し分なく、バッテラは後日の楽しみとする。
 店の雰囲気もよく、新世界では「やまと屋2号店」から鞍替えになりそうな。
 ジャンジャン横丁を抜け、日本橋北上。難波まで。
 専属料理人が道具屋筋に寄って帰ると言い出す。
 「あの湯豆腐みたいな器がないかと思って」
 いかんいかん。
 なんでも家庭で再現してみようとする専属料理人の悪弊である。
 食べたくなれば時々でかける。そういう店でいいのである。

4月2日(日) 穴蔵
 天気予報どおり、早朝から小雨が降っている。
 花散らしの雨とか報道しているが、大阪はまだ咲き始めである。
 終日穴蔵。
 ボンクラ・サラリーマン時代に体験したある事件の資料整理にかかる。
 ファイル6冊に数百件の記事。
 PDF化で終わりとするかどうか迷うところだ。

4月3日(月) 三葛/井出商店/オーネット・コールマン
 朝から和歌山へ。
 阪和線、人身事故でダイヤが乱れている。特に急がないので普通で移動。
 泉南の懐かしきノコギリ屋根地域を通過。タオルも毛布もほとんど残っていない。
 この一帯については、「朝ミラ」でのかんべむさし氏の発言が引き金になって、トベクマさんの会議室で産業構造の変化について議論したことがある。
 工場跡らしい建物が散見、兵どもが夢の跡である。
 で、峠を越えて、20数年ぶりに和歌山へ。
 目的地は紀三井寺の手前、三葛(みかずら)である。……花見にいいところだが、この一帯も糸ヘン地帯。ニット工場の多いところだった。
 古い話だが、1970年代はじめ、おれはある計器を持ってこの一帯を回っていた。
 おれが企画した最初の製品で、当時の繊維機械学会誌にも記事を書いている。
 で……石油ショック。
 拙著『マッド・サイエンス入門』の序章に、「止まってる糸のスピード計ってどないしますねんな」という名文句が出てくるが(これは小松さんが褒めてくれた)、このセリフを浴びせられた思い出の地が三葛なのである。
 この一帯も「兵どもが夢の跡」に近い雰囲気だ。
 ありがたいことに、この計器はまだ使われている。
 いや、30年以上経った今も、少しずつだが商品としてまだ売れているのである。
 この寿命の長さ、いかに商品のコンセプトが優れていたか……とちょっと自慢。
 昼過ぎに和歌山駅にもどる。
 せっかくなので歩いて井出商店へ。
 5,6人並んでいるだけで、すぐ入れた。
 初めて和歌山ラーメンの代表格を食す。普通の中華そばに寿司1個。おれにはちと濃厚過ぎるのであった。
 まっすぐ帰館。
 夕刻、シンフォニーホールへ。
 『オーネット・コールマン・カルテット+山下洋輔』コンサートである。
 ロビー、あちこちに知った顔ぶれ。
 席は1階後ろの方、R列であった。
 と、ふたりおいた席に森山追っかけメンバーのひとり、北海道のnamoさんが来る。
 挨拶して、ふと横を見たら、なんとトベクマさんと、その友人の「ジャズ住職」(HPがあったはずだな)が座っているではないか。
 聞けば、どうやらみんな同日にローソンでチケットを購入した結果らしい。
 北海道・大阪・播州龍野の友人知人が並ぶとは奇遇である。
 オーネットのお導きであろうか。
 19時開演。山下さんが登場して「わが人生で、こんな日がくるとは想像もしていませんでした……謹んで前座を務めさせていただきます」と3曲ソロ、そして最後に「初心に帰って」と「ぐがん」。
 場内が暗くなり、舞台の設定替えが10分ほどあって、オーネット・コールマン・カルテット登場。
 メンバーがアナウンスされただけ。シンプルな演出だ。
 よく聞き取れなかったが、ベースがグレッグ・コーエンとトニー・ファランガ、そしてドラ息子……じゃなかった、ドラムが子息のレナード・コールマン。
 オーネットは水色のジャケットに帽子の姿でアルトを持ってゆっくり登場。
 いきなり演奏になった。
 2ベースというのが不思議だったが、長身のグレッグがリズムを刻み、○頭のトニーがアルコ、なるほどこういう構成だったのか。
 レコードで(それもこの20年ほどはほとんど聴いていなかった)しか知らないオーネットの音色、うーん、なるほど、こういうのであったか。と、まったく説明になってないが、説明のしようがないわ。
 8曲、ほとんどノンストップで演奏。
 ベースのアルコが時々挟まれるものの、8割以上はオーネットがアルトかトランペットかバイオリンを演奏している。
 75歳とは信じられないパワーである。
 そして、1時間ほどの熱演のあと、オーネットが「Yosuke Yamashita」と声をかけた。
 山下さん登場!  ついに、やっぱり「共演」は実現したのであった。
 山下さんが参加して2曲。
 ……曲名の紹介なしで、おれには曲名はまったくわからない。
 が、ともかく、ピアノとの共演自体が希有のことではないか。 (スティーブ・キューンとの共演があるとか)
 オーネットの音へのピアノのからみ方は素晴らしいと思った。
 大阪が最終ステージだから、やっぱりここが最高だったのではないか。
 大拍手、スタンディング・オベージョン。
 で、アンコールは「ロンリー・ウーマン」
 泣けてくるねえ。
 21時終演。
 熱気を冷ますために、トベクマさん、ジャズ住職さんと福島駅近く市場跡の雰囲気ある居酒屋でビール。
 熱気冷めず、いい気分で1時間ほどビールを飲む。
 ハチママが「寄ってや」といってたのを思い出して、22時過ぎにおれだけインタープレイ・ハチへ。
 山下さんもこちらに来ていた。大ちゃんや森山研メンバーも。なんと名古屋からふなさんまで……そうか、名古屋公演はなかったのだ。
 ハチママ、前のサイン(67年)と同じプログラムに、新たにオーネツトのサインを貰ったと興奮している。
 
 1967年のプログラムに本日の出演者のサイン。
 中には37年前のオーネットのサインもある。
 ちなみに、プログラム右下に置いてあるマッチはなぜか「DeeDee」というジャズ喫茶のもの。
 23時半まで。明日が早いので、歩いて帰宅。
 慌ただしくも充実した1日であった。

4月4日(火) 大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 正真正銘、いちばん早いJR。
 5時に出て、大阪5:26の各駅停車で西明石へ。ここで乗り換えて姫路へ。ここから(ふだんはバカ高生で満員の)姫新線で本竜野に午前8時到着。
 ああ眠い。
 東への壮途につく兄と駅で交替。
 播州龍野の日常の再開である。
 やっぱり寒い。
 桜の開花もまだである。
 あっという間に夕刻。
 台湾産枝豆を茹で、新ジャガでポテトサラダを作り、揚げを焼いたのに大根おろしとカツオをドバーッと載せ、カレイの一夜干しを焼いてビール。
 くぎ煮で湯割り一杯。
 老母も枝豆好きなので、メニューが重複して助かる。
 片づけ終わって、まだ20時。
 本日は早寝である。

4月5日(水) 播州龍野の日常
 朝から小雨が降り続く。
 ど田舎ゆえ、雨読とする。
 梅田望夫『ウェブ進化論』(ちくま新書)……おれは著者のいう「エスタブリッシュ世代」(あくまでも年齢だけ)で、MS-DOS時代のパソコン通信からなんやかんややってきたが、その「世代分析」には共感するところが多い。
 ただし、日本企業の上層に蔓延る狸どもはキーボードと無縁の「政治屋」ばかり(あくまでもおれの経験した範囲でだけど)。理系でもパソコン忌避体質になるのが多い。くどいようだが、あくまでもおれの経験した範囲でだけど。
 こういう体質を変えるには、シリコンバレーの動きに呼応して企業内でIT的内乱を起こすべきであろう。10歳若ければやったのだが、当時のシステム(アホが某ECのいいなり)では無理であった。
 梅田氏の提唱する「日本人一万人・シリコンバレー移住計画」はすごいと思うが、これが動き出せば、移住はできないが日本の企業内で呼応する人種も出てくるはずである。
 企業の労務屋諸君、これは民青より手強いぞ。労務屋どもには民コロよりもわけのわからん人種なんだから。
 ちょっと血が騒ぐが、もう遅いな、おれには。
 ということで夕刻となる。
 具沢山の豚汁を作る。絶品。枝豆、タコ酢、トマトサラダなどでビール。
 老母がナイターを見ている。
 阪神にダーウィンという投手がいるのにびっくりする。
 名前負けで連打されておる。ちょっと見ただけだけど。
 もう寝るのである。

4月6日(木) 播州龍野の日常
 寒いのであった。
 午前6時の室温は11℃、おれには真冬である。
 老母を某医院……などと書く必要ないか、龍野の名医・井上先生のところへ連れて行く。
 定期的検診、「正常値」である。よかったよかった。
 井上先生から「インターネットでも色々とやられているのですね」といわれる。
 恐れ多いことである。
 こんな温厚篤実な人格者からいわれると、キンタマ・蛆・大便・ルン吉くんなど、わが「汚物趣味」のことが書きにくくなるなあ。
 キンタマが縮みあがる思いである。
 帰路、老母に近所の桜を見せるが、龍野はまだ3分咲き程度である。
 今度の日曜が「さくら祭り」とかで、天気さえよければ、4/9が満開であろう。
 この日は、おれは大阪で「ニューオリンズ・ジャズ・カーニバル」があるから、龍野にはいないんだけどね。
 庭先の赤い花が満開である。
 
 老母としばらくボケーっと眺める。
 「なんちゅう花やねん」
 「ボケの花や」
 桜よりもおれにふさわしい花なのであった。
 ということで、
 春の宵は早く、ビールを飲んで、片づけ終了が19時。
 老母が、「テレビで悪相ばっかり見るのは嫌」(小沢ね)というのでテレビを切る。
 老母は書を読み、おれはそろそろ就眠である。
 龍野の夜は早いなあ。

4月7日(金) 播州龍野の日常
 またも寒いのであった。
 午前4時の室温8℃。キンタマは布団の中でだらしなくふやけていて、小便時に外気に触れて縮めるのがかわいそうになる。
 あ、寒いのはおれだから、キンタマに気遣いする必要はないのか。
 しかし、なぜかキンタマは別人格としか思えない。
 キンタマを「息子」と呼ぶもむべなるか、わが身ひとつの春にはあらねど。
 タイムマシン格納庫にて雑用色々。
 20年ほど前に製造したマシンについて、部品の保有期間のことで問題色々。悩むこと多し。
 タイムマシンのメンテナンスは、未来から部品を調達すればいいわけで、その製品寿命は無限である……はずなんだがなあ。
 タイムマシンの「保証期間」というのは、SFとしては検討の価値ありだな。
 夕刻、小学校同級生の市会議員Mくんが訪ねてきた。
 市議選が近いらしい。おれは住民ではないから関係ないのだが。
 「たつの市」合併後の初選挙で、票の予測がつかないらしい。
 ふーん。
 おれは「市名を『たつの』から『龍野』へ変える」と公約する候補がいれば、住民票をこちらに移して応援してもいいのだがなあ。

4月8日(土) 播州龍野→大阪/黄砂
 播州龍野、朝はやはり寒い。居間にはまだストーブが必要である。
 老母と30分ほど散歩。花見に行く。
 「堀家」前の桜、まだ9分咲きである。
 
 専属料理人からの連絡によれば、昨夜、近くの豊崎西公園では、桜の下でどこかの会社の大宴会があったらしい。
 ↑これよりもずっとお粗末な桜なんだけどね。
 田舎は静かなものである。
 西風が強くなる。
 午後、霞かと思ったら「黄砂」……鶏籠山がシルエットでしか見えないほど。
 大阪へ移動する。
 今頃になって花粉症の症状がひどくなった。
 桧の花粉よりも黄砂の影響ではないか。
 ヨドバシに寄って DiMAGE A200 を修理に出す。
 「システムエラー」発生……ファームアップしても回復しない。
 「見積を葉書で連絡」とか。3週間以上かかりそうな予感。
 桜とか明日のジャズ・フェスとか、撮りたいのが多い時に……。
 ヨジバシを出たら、黄砂で夕陽が銀色の光球に見える。
 
 IXYで撮影。露出の補正がわからず望遠使えずで、これが限界。
 困ったものである。
 専属料理人に夕食は魚と連絡。
 龍野にいると魚を食べない。わが料理メニューにはないためである。刺身は(室津が近いというのに)いいのを売ってない。煮付けはおれには無理。
 ということで、夜は刺身、めばるの煮付け、菜の花のおしたしなど並べてビール、冷酒。
 ヨドバシを出たところで、春駒→サントリー・ファイブという選択もあったのだが、そしてファイブには「前夜祭」かねて野良青年団の諸君が来ているかもしれないと気づいたのは酔っぱらって穴蔵に潜り込んでからであった。

4月9日(日) ニューオリンズ・ジャズ・カーニバル2006
 昼前に専属料理人と歩いて梅田へ。
 黄砂は春霞程度におさまっている。桜が満開なのであった。
 本日も花見日和であるが、梅田新道で地下にもぐり、巨大ビアホール「スーパードライ」へ。
 桜の季節恒例の「ニューオリンズ・ジャズ・カーニバル2006」。
 ODJCのバンドに加えて、今回のゲストは東京から「野良青年団」。
  
 野良青年団はリーダーの北中たけおさんが夏から2年間、ミシガン大に「留学」のため、活動が中断する……トロンボーンの久保くん中心に活動すべしという声が高いが……社会人としても優秀なメンバー揃いだけに「栄転」は避けられないし、これはどのバンドにも共通の悩みだ。レッドビーンズの池本さんも名古屋に転勤というし。
 北中青年の壮行会+末廣光夫さん喜寿祝いも兼ねている。
 ということで野良諸君と記念撮影。
 清水くんが手にしているのは愛娘。抱き方がバンジョーに似ているぞ。
 大野かおりさんが手にしているのは松葉杖。誰もが「酩酊して転倒?」と訊くが、スキーでの事故らしい。
 ビール、ワインを飲みながら夕刻まで。
 詳しいレポートはODJCのホームページの「bourbon street」に書いている。
 お初天神に寄ってから帰宅。
 そのまま早寝である。

4月10日(月) 市内ウロウロ/滝川・鈴木2クラ・セッション
 典型的な「花散らしの雨」である。
 朝から相棒・某くんのクルマで市内ウロウロ。
 最新カーナビの威力に仰天。ウチの近所、地図にもない路地まで出てくる。
 中央大通りの高架に沿って走ると画面上では阪神高速に入ってしまうのはご愛嬌だが。
 十数年つき合いのある某社のH社長を久しぶりに訪ねる。
 当方の事情を説明し出したら、なんだかずいぶん話が早い。
 「ブログ読んでますから」……まいったねえ。
 タイムマシンのメンテナンス問題、どうにか解決の途が開けてくる。
 時間遭難者の救済というテーマが浮上してくるのであった。
 午後、いったん帰館。
 夜、またも穴蔵を這い出る。
 地下鉄でナンバへ。
 「845」で滝川雅弘さんと鈴木孝紀さんの2クラ・セッション。
 田舎との往復生活でタイミングがあわず、滝川さんのクラリネットを聴くのは今年はじめてである。
 
 藤井美穂(p)中村尚美(b)高阪照雄(ds)
 ジョン・デンマンやデフランコ編曲のモダンなナンバーから「鈴懸の径」まで。
 鈴木孝紀さんの進境著しく、「メモリーズ・オブ・ユー」のうまさには感嘆。音色がもともといい上に、アドリブにはっきりと個性が出てきている。
 滝川さんのバッパーとしてのやや過激なアドリブとの対比も絶妙で、この2クラ・セッションは「大阪名物」になるのではないか。
 「11pm」のテーマも面白く(これはジャズ・ピアニストの阿部篤志さんの編曲と紹介された。作曲は三保敬太郎だったかな?)ただ、演奏者も客も、もとの番組は知らない世代が多いらしい。
 それなら「おとなの漫画」のテーマ、「クレイジー・リズム」(クレイジー・キャッツのテーマでもある)なんて誰も覚えてないのではないか。
 カウンターの方から「シャボン玉ホリデーなら覚えている」という声があり、「それならスターダストでしょう」といったら、つづけてスターダストを演奏してくれた。
 どうも店内でおれが最年長みたいだなあ……。
 美人ベーシスト・中村尚美さんのCD「Usagi no Rabbit」が出ていて購入。
 ピアノ・トリオとピアノとのデュオで、全曲、中村さん作曲によるオリジナルである。
 「うさきのダンス」でないところがミソ。表題作は不思議なスイング感のある曲。その他「追い風」「輝くいずみ」「迷子犬」「詩人と雨」など全10曲。曲想多彩、都会的なセンスが溢れている。
 入手方法は中村尚美さんのページを。
 「room703」なんてWinny(というかキンタマウィルス)で話題騒然の703を連想してしまうが、むろんこちらの尚美さんのページの方が先で、しかも元準ミス田舎町なんかよりも遙かに美人……と余計なことはいわんとこ。

4月11日(火) 無情の雨
 予報どおり朝から雨。
 明日からの田舎行きに備えて雑用の処理。
 終日穴蔵……のつもりでいたら、11時過ぎに友人からのメール。
 大学の同級生Oくんの訃報である。
 メールを読んだのが11時20分。
 葬儀は吹田で12時からである。
 大慌てで出かける。
 こんな日に限ってJRはダイヤが乱れている。
 吹田の会館に5分遅れでたどり着く。
 周囲の話を聞くに、有馬の方で岩場で転落という不運な事故だったらしい。
 卒業してすぐ家業を継ぎ、今も経営者であった。
 何かと雑用引き受け、30年以上同窓会の幹事役をつづけてきただけに、こんな場合、逆に連絡網が機能しなかったらしい。
 知った顔が皆無というのは寂しい限り。
 雨の中を駆けつけたのは正解であったか。
 風雨強く、帰路、歩道に桜の散乱がやたら目立つ。
 花に嵐、人生即別離である。

4月12日(水) 大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 阪神〜山陽電車で、姫路駅手前で初めてJR山陽本線の高架をくぐる。
 
 山陽電車の線路は西寄りに移り、低くなり、モノレールの残骸(※)が窓から望める。
 結構なことではないか。
 播州龍野の日常の再開。
 本日は夕方までタイムマシン格納庫で見張り番を務める。
 田舎の春宵は早く、21時過ぎ、そろそろ就眠である。

 ※姫路モノレールについては、「麗しの姫路モノレール」に詳しい。構想段階から現状まで、詳しくレポートされている。
 ウェブ作成者が姫路在住の方ではないらしいところがさらに凄い。

4月13日(木) 播州龍野の日常
 タイムマシン格納庫にて見張り番。
 運動不足なので、夕刻、龍野公園まで散歩。
 
 午後5時、桜はまだほとんど満開のまま。少しの風で花びらが舞う。いちばんいい感じだ。閑散としている。
 この週末、まだ花見が可能なんではないか?
 老母が珍しくも「すき焼きが食べたい」という。
 岸沢屋(龍野で肉ならここ)で200グラムばかり買ってきて、ネギを大量に刻み、ゴボウ、糸コン、焼き豆腐、タマネギ、エノキをぶち込んで、盛大にやる。
 が、老母の食事時間はせいぜい15分。
 おれはダラダラとビール飲むが、焦げ付きそうになり、30分ほどで終了。
 片づけ終了が19時過ぎである。
 龍野の夜、早いなあ。
 あとは焼酎ロック飲みつつ、リスニングルームでロリンズ「Dont Stop The Carnival」……ロリンズはやっぱりラテン・リズムがいちばんいいなあ。

4月14日(金) 播州龍野の日常
 午前4時起床。室温15℃で、そう寒くはないが、これでも大阪の穴蔵では真冬の気温。
 キンタマ緩む春となりにけり。
 パソコン起動。
 迷惑メールがどどっと入る。
 おれはThunderbirdを使っているから、直ちにゴミ箱行きだが、タイトルだけは0.数秒見える。
 「不景気を吹っ飛ばす!超高額サポート毎月\4500000円!!!!」
 アホかいな。おれなら1年を楽に暮らせる金額ではないか。
 このような夢は追わず、地道に肉体労働に励むのであった。
 午後、1時間ほど、室津まで行ってみる。
 龍野から南へ15キロほど。
 先日来、必要あって導入した「空間移動装置」に慣れるためである。
 タイムマシンと違って、まだわが肉体の一部にはなりきってない。
 峠と海岸沿いの「七曲がり」はちと緊張するね。
 
 ああ播磨灘。
 市場風の店で出来合の煮魚を買って帰る。
 夜は煮魚、ひじき、大根・厚揚煮、明太子とカイワレなど並べてビール。
 月収450万だともう少し豪勢にやるのだが。

4月15日(土) 播州龍野→大阪
 細雨烟のごとし。春寒ゆるみかけたキンタマをまたも収縮させる。
 昼、林田川の東にあるまるまん自動車を初めて訪問。イベント開催日。ここの三尾社長はおれと同年代だが、HPの管理やブログを書いている二男のキヨシくんがジャズ・ファンで、パソコンやデジカメなど趣味も重なるところが多い。
 自動車のみならず、アウトドア関係など、多角経営である。
 午後、帰阪。
 姫路からは山陽電車で帰ることにする。
 姫路を出てすぐ、右手に姫路モノレールの廃線と高架を跨ぐような大将軍駅のビル、左手には先日まで利用されていた山陽電車のレンガ造りの高架。
 新旧の廃墟に挟まれた眺めがいい。
 大阪・姫路間、しばらくは山電利用だな。
 車中でウトウトしていたら、とつぜん空気が変わった。
 どどっと乗客が増えて、湿気と熱気で車内が噎せかえる。
 雨にもかかわらず甲子園で試合があったらしい。
 衣服ジトジトのが多い。
 どうやら阪神が勝った様子。ほっ。これでボロ負けだと、車内の空気は険悪なんだろうな。
 夜は専属料理人に<春パスタ>を作ってもらう。イカにタケノコ、茹でた空豆が散らしてあるのが憎い。
 ワインがよくまわる。
 『マトリックス・リローデッド』放映中だが、とても起きてられない。それに、この映像レベルですら早くも「マンネリ」と感じるから恐ろしいね。
 そのうちDVDで見ようと思いながら見てない作品がぶいぶん増えた気がする。

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