『マッドサイエンティストの手帳』345
●マッドサイエンティスト日記(2005年7月後半)
主な事件
・穴蔵の日々(16日〜)
・サンケイホール最後の米朝一門会(18日)
・上京(21日〜)
・国際クラリネット・フェスティバル2005(22日)
・穴蔵の日々(24日〜)
・39th全日本ディキシーランド・ジャズ・フェスティバル(24日)
・播州龍野の日常(29日〜)
7月16日(土) 穴蔵/私の青空(書房)
定刻4時起床、規則正しい穴蔵生活である。
朝、タイムマシン関係でテーマ急浮上、某くん急に来穴蔵。
むむ、近日海外に飛ばねばならぬかも。
ボンクラ・サラリーマン諸君のバカンスに重なるやもしれぬが、まあ、その時はその時である。
午後、自転車で外出。
本日は「東回り」散策コースである。
本庄から中崎町へ。
播州龍野にいる間に電話があったので、久しぶりに青空書房を訪問。
店頭に倉橋由美子『聖少女』の箱入り美本が100円で出ている。嗚呼。
『落語のごらく』のポスターが懸かっている。ちょっと落差を感じるね。
「売れてまっか」
「落語の本で横書きはペケですわ」と、坂本さん、先代我太呂師匠みたいな口振りである。ははは。厳しいね。
雑談1時間ほど。
坂本さん、「古いテレビが壊れたので液晶テレビを買うたら、すぐにNHKの集金人が、衛星放送の受信料(500円)を請求に来ましたで」……どこかから個人情報がNHKに流れているらしい。坂本さん、身分証明書の提示を求めて情報ルートを聞き出そうとしたが、ガンとして口を割らなかったという。ニセ集金人ではないらしい。
世の中の諸君、注意しようぜ。
集団疎開に関する珍しい資料があったので購入。
天神橋筋商店街に寄り、中古CDショップを覗き、扇町公園へ。
ルン吉くん、定位置「2番石」で、日傘を差して瞑想している。
6月21日以来、約1月ぶりだ。
彼の素晴らしいのは「クールビズどこ吹く風」という服装だ。
ただ、下半身は涼しそうで、だんだん菊千代スタイル(「七人の侍」の三船ね)になってきた。
ルン先生、私も続きます。
旭屋〜ジュンクドーを回り、中央郵便局前を北上、大阪駅北側に出て、ヨドバシ見学30分ほど。
紀伊国屋には寄らずに北上して帰館。
大きな東回り(大阪駅を時計回り)コースである。
夕方まで「疎開資料」を読む。
小松事務所に連絡しようと思ったら……そうか、本日はSF大会であったのだ。
小松さん、SF大会〜米朝一門会〜サンケイホール閉幕パーティとハシゴらしい。おれよりよほど元気な様子だ。
夕刻、室温32℃、今シーズン、初めてクーラーをしばらくつける。
晩酌ののち、NHK(うちは金払ってるよ、集金人さんよ。ちゃんと払ってるから、プライバシーは侵害せんといてね)で『ディープ・インパクト』(秀逸……おれも誉めるべきものは誉めるよ)を見て、もう寝るのである。
7月17日(日) 穴蔵
色々本を読んでいたら午前3時頃まで寝られない。実質徹夜である。
2時間ほど仮眠。
5時過ぎ、「日本の話芸」は、笑福亭松喬『住吉駕籠』
米朝一門のとは微妙に違うなあ。
「雲助」の語源が、米朝は「雲のように居所が決まらない」、松喬は「蜘蛛の子を散らすように逃げるから」……街道に蜘蛛のように網を張っているからという説もあるそうだが。
茶店の親父が怒る件りで「口から尻まで青竹通して裏表こんがり火にあぶろか」は聞いたけど、つづけて「口から鰹節突っ込んで尻から猫けしかけたろか」とは……。
朝からコテコテの天丼を食べたような気分になる。
ということで、終日穴蔵。
ロボカップに行くつもりであったが、ニュートラムに乗るのが気が重くなる。
最近、徒歩か自転車で移動できる範囲から出ない傾向が顕著になってきた。
睡眠不足である。
ちょっと本を読むとたちまち眠くなる。
結局、雑読・仮眠・雑聴の繰り返しで1日が過ぎる。
7月18日(月) サンケイホール閉幕・米朝一門会
午後、歩いてサンケイホールへ。
サンケイホール、いよいよ8月から解体作業に入る。
今までずいぶんいろいろと「サンケイホール最後の」なんとか会があったが、本日の「米朝一門会」が正真正銘最後の公演。
本日は終演後、掃除も行われないそうで、掃除のおばちゃんは喜んでいるとか。
補助椅子の上に立ち見も出る超満員。
左隣がかんべむさしさん、その隣が小松左京ご夫妻と、これはいいのだが右隣が「加齢臭漂う」某氏で、これは妙に緊張してしまいますなあ。
午後2時開演。
【本日の演目】
桂しん吉「子ほめ」
桂九雀「軽石屁(東の旅)」
桂小米朝「狸賽」
桂都丸「ろくろ首」
桂米朝「あくびの稽古」
(中入り)
桂雀三郎「時うどん」
桂南光「ちりとてちん」
米朝師匠……「こんなつもりやなかったんですが」と「きたない小話」連発、文団治が「省略の名人だった」とマクラを振って「あくびの稽古」の省略版。確かにどこまで計算なのか「自分でもどこやっとるのかわからん」「最近はもうどないでもええようになった」のか、判定しかねるところがまた「人間国宝の味」である。
いったん幕が降りる。と羽織袴で小米朝さんが出てきて、「ゆかりの方々に来ていただいた」と、再び幕が上がる。
朝比奈千足氏(親っさんの名代ということか)、高橋竹山さん、なんと佐渡裕氏、なんとなんと辻久子さんと、音楽畑からのゲスト。それに、ええっと日本舞踊のえらい人おふたりだが、こちらは、わしゃお名前がわからん。
小米朝さん司会のトークショーのあと、ざこば師匠、南光師匠、そして米朝師匠も登場。
米朝師匠のあいさつのあと、米朝一門も総出(久しぶりに吉朝さんも出てきた!)で「だんだんよくなる米朝締め」
最後は天神囃子がにぎやかに打ち鳴らされ、盛大に紙吹雪が舞う(なにしろ掃除の必要がないのである)なか閉幕となった。
静岡から歯抜き師のハラダはんとか、東京からアセチレン・ランプ氏など、遠来の客にちょっと驚く。
あと、リッツ・カールトンで閉幕の記念パーティ「ありがとう、サンケイホール」
こちらも大盛況。
津軽三味線と和太鼓のにぎやかなオープニングであったが、形式的な挨拶と米朝師匠の発声による乾杯のあとは、関西にしては珍しく品のいいパーティであった。
なにしろガツガツした人が少なく、寿司とかローストビーフにほとんど列ができない(したがってどちらも賞味したが、申し分なし)という品のよさ。
辻久子氏と米朝師匠、ほぼ同年?
そして、このパーティも最後は「米朝締め」
こちらの音頭は、もうこの人しかいない、元祖・本家の吉鹿徳之司さんである。
サンケイホールの思い出は色々あるが、そういえば一度だけ舞台に上がったことを思い出した。
谷甲州さんが『愛國戦隊大日本』を観たいというので、サンケイでの上映会にこっそり行ったら見つかってしまい、「出演者が来られてますから」と舞台に呼び出されてしまったことがある。もう四半世紀になるか……
7月19日(火) 大阪→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動。
かんべさんが『朝ミラ』で昨日の一門会のことなどを話題にするといってたが、残念ながら放送時間と移動時間がほとんど一致しているため、どんな報告があったのかは確認できず。
播州龍野。
小学校は夏休み前の短縮授業になっているのかな。
昼過ぎに買い物に行く途中、下校中の女の子数人が近所の空き地につながる路地にたむろしている。
女の子ひとりだと変質者と間違えられる心配があるが、数人だから……と覗いたら、段ボール箱の中の子猫に餌をやっているのであった。
1週間ほど前に、箱に入れたまま捨てらていたらしい。
車道ではないから通学路になっているが、さほど立て込んでいるわけでもない一角。
うーん、ややこしい所に置き去りにしてくれたものよ。どうなるのであろうか。
おれはこういう場合<オブザーバー>の立場をとることにしている。これはSFから学んだ。……だが、かれらが成長してウチの台所に侵入を試みはじめたらどうするか。
わが家まで150メートルほど。その間に4軒ほど。
夏休みになっても給餌は続くのか……。
おれはこういう光景を見ると、どうしても筒井康隆『猫池』を思い出してしまうのである。
「『箱入り娘』が直喩でないって、小学校ではまだ教えてないのね」
これは林譲治さんの日記ではありません。
それにしても和歌山県で捕まった「病院爆破未遂男」(逮捕の理由は薬物らしいけど)、自宅にダイナマイトが150本あったという。
思わず歌が出ちゃうね(←と、これは杉浦茂先生の名フレーズ)
ダイナマイトがよ〜〜っほっほ
ダイナマイトが150本
7月20日(水) 播州龍野→大阪
梅雨明け宣言というのはあったのかな?
おれは別に天気予報が外れたからといって、気象庁に因縁つける気はさらさらない。
ただ、自信なげな(責任逃れ見え見えの)「宣言」なんてものは、やめたらどうなのかねえ。
「梅雨明けしたように思われますという意見を否定する要因は今のところ見当たりません」みたいな(そうはいっとらんけど、そう聞こえる)アナウンスは……あったのかな、なかったか。
どうでもいいけど夏である。
うちから150メートルの路地、捨て猫がちょろちょろし始めた。
だんだん行動範囲を広げるのだろうか。
これは林譲治さんの日記ではありません。
午後、帰阪。
「ジャズの専門店ミムラ」に寄って、ロルフ・キューンのCDなどを受け取り。
キューン、デフランコ、ダニエルズの3クラセッション……ただし、夜、ビール飲みながら聴いたら、1曲だけであった。しかし、おっそろしく現代音楽的。
ま、明後日には、デフランコとダニエルズを生で聴けるのである。
準備色々。
明日からしばらく上京。
ボンクラ息子その1からのメールでは、「隠れ家」のパソコンは故障しているらしい。
しばらくはプログ中断の可能性大であります。
7月21日(木) 上京
久しぶりに上京。
秋葉原を久しぶりに歩くが、特におたく街に変貌したという印象は受けず、寂れた雰囲気も感じず。
大阪・日本橋の寂れ方が大きいからであろう。
夕刻、東京の隠れ家(ボンクラ息子その1の住処)に荷物を置いて、JR亀戸へ。
ボンクラ・サラリーマン時代にいっしょに仕事をしたことのあるKくん……というよりも、昨年、千葉から内之浦まで夫婦で1600キロを歩いた串崎くんといった方がいいか……と会う。
わが贔屓の「たつみ屋」で盛大に刺身や小鉢を並べて、ビール、焼酎。
行程の話を色々聞く。
1600キロウォーキングの顛末を本にまとめる計画らしい。
その時は改めて紹介予定。
スーパーで食材を買って、隠れ家に戻る。
ボンクラ息子その1用に調理開始。
東京にいる間は居候なので、料理人を務めることになっているのである。
7月22日(金) 東京/イオ/クラリネット・フゥスト2005
昼前に九段にある小松さんの事務所「イオ」へ。
平河町の時に一度寄ったことがあるが、こちらに移ってからは初めて訪問する。
玄関に小吟さんの絵が飾ってあって、ど派手な色調にぎょっとするね。
某資料のコピーをいただく。
乙部さんと雑談していたら親っさんから電話がかってきた。
「どないやねん……」とか、うだうだ話。
なんと箕面の自宅とはテレビ電話がつながっているのであった。
画面の小松さんに挨拶。
「こないだはどうも」「何やったかいな」「サンケイホールで会いましたがな」「ああ、そやったなあ」
イオのベランダからは靖国神社の緑がきれいであるが、包茎大のでかい建物が勃起しているのが目障りだ。
ハゲ頭のチンカス三百代言・五十嵐敬喜がその中にいるかと思うとムカムカしてくるなあ。
頭の中でバズーカ300発ほどを撃ち込んでからイオを辞す。
地下鉄から京王に乗り継いで、京王多摩センターへ。
『2005国際クラリネット・フェストTAMA東京』に行く。
「フェスト・スペシャル・ジャズコンサート」が終わると午後10時前である。
森下一仁さん、高千穂遙さんが住んでいるらしき近傍を通過して新宿へ。
新宿からは、午後11時近いのに、地下鉄は大阪のラッシュ並の混み方である。
隠れ家帰館は23時を過ぎてしまった。
本日は、先に帰ったボンクラ息子その1がすでに食事の用意をしていてくれた。
ということで、ダラダラとビールを飲んでいたら午前2時に近い。
7月23日(土) 東京→大阪
土曜であるが、ボンクラ息子その1は出勤である。月末が近いとこうなることが多い。
こちらのパソコンが故障したまま。修理に出す時間がないという。
10時に秋葉原の「PC工房」へ持っていく。
電源関係の基板かCPUの交換のいずれか、どちらにしても5万くらいはかかりそうである。
知り合いから貰ったもので、XPになって間もない機種、買い換えが賢明か。
いずれにしても、こちらではパソコンが使えず、なんとなく帰りたい気分になり、今回は滞在をやめて帰阪することにする。
ということで、夕刻自宅に戻ったら、「地震は大丈夫だったの?」
16時35分に関東で震度5の地震があったという。
ボンクラ息子その1は仕事で川崎方面とかいってたが……。
午後7時頃に連絡あり「電車に乗っていてわからなかった」とか。
住まいの被害は、帰宅してみないとわからないらしいが、ま、最悪、食器が割れている程度であろう。
7月24日(日) 全日本ディキシーランド・ジャズ・フェスティバル
ボケーっとした夜明けを迎えるのであった。
ボンクラ息子その1の住処、特に地震被害はなかったというメール。ほっ。
ということで、10時前に出て、省線電車で「舞子」に向かう。
本日は『第39回全日本ディキシーランド・ジャズ・フェスティバル』である。
舞子の「舞子ヴィラ」へ。
午前11時〜午後6時のことについてはこちらのレポートをご参照よろしく。
ODJCのホームページ管理人代行(ほぼ2年予定)としては、、こちらも覗いていただきたいのである。
トラディショナル・ジャズのファン増加祈念であります。
帰路は山陽電車〜阪急乗り継ぎのルート。なんと、JRよりも料金が高いのであった。(梅田〜姫路間はJRより200円安いから、意外や意外)
ま、こんな差は、遅くてまずい舞子ヴィラの焼きそば(700円)に較べれば、どうってことないんだけどね。
7月25日(月) 穴蔵/天神祭?
定刻朝4時に目が覚めたものの、体調よろしからず。
終日穴蔵。
タイムマシン関係で海外行き覚悟であったのが、事情急変。
相棒の某くんが単身で行ってくれそうな話になる。
夕刻にニュースふたつ。
杉浦日向子さんの訃報。お目にかかる機会ないままであったが、『そば屋で憩う』は愛読書である。(タイトルが「A列車で行こう」のもじりと知ってますます好きになった)
道路公団の副総裁・内田道雄くん逮捕のニュース。思わず快哉を叫ぶ。パンツ脱がして四っん這いにして、ケツの穴を精査してやれよ。歌舞伎町のポン引きと同室にしてやってほしいところだ。これは無理か。
連座ゾロゾロも期待してるよ。
できれば大阪市の幹部にも同じことやってほしいところだ。
夕食時、ビール飲みだしたところに遠雷のごとき響き。
そうか……今日は天神祭なのであった。
なんとなく寂しい気分はこのせいであった。
いつもなら(4年前まで)天満で桂歌之助師匠の落語を聞いて、あと、ビール飲みながら花火見物というのが恒例であった。
天神さんもつまらなくなった。
ま、内田道雄くん逮捕があったからいいか。歌やんのプレゼントのような気がする。
ということで、そろそろ安眠する。
7月26日(火) 穴蔵
定刻午前4時に目が覚めた。
「カーニバルの朝」の風情……つまり一夜明けた天神祭の光景を楽しむために、早朝の天神橋筋商店街へ出かけるつもりでいたのが、あいにくの雨である。台風7号接近の影響らしい。まことに残念。
新しい商業施設のオープニングより廃墟の方が面白いのと同じ。
「あとの祭り」というか「明けりゃダンサーの涙雨」というか……。
楽しみは秋の阪神タイガース優勝まで待たねばならぬか。
ということで、終日穴蔵。
小松左京マガジン19号。
巻頭に、時速370キロを出した慶応大の8輪電気自動車「エリーカ」の取材記事。
小松さん、実際に試乗して(さすがに乙部さんが運転する時は降りている)はるのだが、この好奇心の旺盛さには改めて感心する。
ディスカバリーにも、どないなってもええから乗せてくれと言い出しかねない。
そのディスカバリーの打ち上げは深夜23時半……とても起きてられる時間ではない。
7月27日(水) 穴蔵/ハチ/ルン吉くん
午前3時に目が覚める。
テレビとネット……ディスカバリーは無事に打ち上げられたらしいが、タイル剥離? 気がかりなことである。
終日穴蔵……のつもりであったが、市内某所に用事発生、午後、自転車で天満まで。
帰路、久しぶりにハチに寄る。
8月8日がハチママ誕生日で山下洋輔さんのソロ・コンサート。
この時期(天神祭が終わってから8/8までの2週間)、ハチママは「あないしょうか、こないしょうか」と、やたら騒がしい。次の祭の準備モードに入っているのである。
へいへいと返事しつつ、明利マスターとジャズクラCDの情報交換。
帰路は東回りコース、扇町公園を抜けるコースで帰る。
扇町公園、ルン吉くん、先週16日と同じ位置で昼寝しているが……。
ここまでくると、もう芸術品に近いなあ。
座っているとわかりにくいが、この姿勢を見ると、防寒コート以外はほとんど裸身……ヒモ状のパンツはTバックのように見える。
胸から腹、脚とほとんど同じ褐色で……垢か日焼けかわからんところが凄いのだが、腰骨のあたりにヒモ状の日焼け痕が残っているから、やはりこの色はサンバーンによるのだろう。
明日は我が身……。
天六の阪急共栄で千円ワインを買って帰ったが、夜のメニューは和系であった。
専属料理人の作ってくれたメニュー。
ヤッコ、鯖の塩焼き、茄子とレンコンの挟み揚げ、ブロッコリとインゲンの胡麻和え、イカの塩辛……でビール、あと焼酎の水割りをダラダラ飲みつつ、NHK「その時歴史が動いた」を見る。
「戦艦大和の最期」だが、こんなに概論的でいいのか。「その時」がどの瞬間だったのかの(番組としての)解釈不明のままである。
7月28日(木) 穴蔵
朝から日差しが強い。東向きの穴蔵、たちまち32℃。
この際だから、ベランダ側を開け放って、本の整理と掃除。「虫干し」である。
汗をかいたのでビールが飲みたくなるが……ま、ここはガマン。
あとは、夜まで、久しぶりに英語を使う雑件処理。5時間ほど続けていたら、少しカンが戻ってきてスピードがあがる。
が、ここで晩酌になるからいかんのよねえ。
小説を書くというのも似たようなもの。これはよく自覚しとるんだが。
産経の夕刊・文化欄に河合隼雄という人が「なぜ落語ブームなのか」という文章を寄せている。
笑いの精神的効用について書かれているのだが、前提となっている「落語ブーム」については、アタマの7行で触れてあるだけ。
「テレビで落語をテーマにしたドラマが話題を呼んだり、落語に関する本やCDが相次いで出るなど、今は落語ブームといわれている。どうして落語のブームなのだろう。」
これだけ。
テレビは見ないからまったく知らないが、今、落語ブームなのか?
本もCDも、別に出る点数が急増したとは思えないし、(大阪に限るが)落語会で「ブーム」と感じたことなどないぞ。『笑酔亭梅寿謎解噺』がベストセラーというのなら(なっても不思議ではない本だが/むしろならないのが不思議である)ともかく。
テレビだけ見て(あるいはテレビ見た人の話を聞いて)「今は落語ブームといわれている」なんて書いているのなら、文化状況に対する認識が、文化庁長官としては低すぎまっせ。東京で寄席に足を運んでブームを実感したというのなら別だけど。
※「タイガー&ドラゴン」というドラマが話題になって、東京の寄席が一見客でにぎわっているという現象があるらしい。「寄席」のない大阪では実感がわかない。
河合隼雄氏の文章は「落語の物語性」をポイントに笑いの効用を述べている。『笑いの力』(岩波)で語られている内容を超えるところは少ないが、きちんとしたもの。ただ、「天満天神繁盛亭」にも触れてあるが、「結構なこと」と実に好意的かつ楽観的に読める。順調だねと「好意的」に見られるのもかえって迷惑なことがあるのではないか。資金的にも苦労しているはず。東京の寄席は一時的なブームかもしれんが、寄席のない上方は、そうでもありまへんで、長官殿!(と、2005.7.31に追記)
7月29日(金) 大阪→播州龍野/米寿祝い
早朝の電車で播州龍野へ移動。
昼前に久しぶりに兄弟集合。
母の米寿祝いである。
暑い時だが、教職関係者もいて、この時期が好都合ということになった。
山腹にある「赤とんぼ荘」へ。
……たいした料理があるわけではないが、他にそれらしき店がないからしかたがない。
本格的な店は中華料理『八宝閣』しかないのだから。室津の魚を調理する抜群の店があったが、店主高齢化により昨年閉店。残念なことである。
ということで行ってみると、赤とんぼ荘、平日というのに、なんと観光バスまで停まっている大盛況。
聞けば……7月1日にリニューアル・オープンして、1月間は「昼食半額」という。半額期間があと3日だから、昼間に市民どもが押し掛けているらしい。
予約の時に「昼会席はもう締め切ってます」とかいったのはこのことだったのか。
ふだん2500円の昼会席が半額とあっては、ま、たまには豪華な昼飯をという気持ちはわからんではないけど。
こちらは5千円の会席、正規料金で別室をとってもらう。
ファミレスの豪華版というところ。部屋から龍野一望、わが家も見えるというところが救いであった。
逐次解散。
おれはこれからしばらく播州龍野の田舎生活モード入りである。
7月30日(土) 播州龍野の日常
曇という天気予報、ペケ。カンカン照りである。
昼前に揖保川沿いの道に出るに、河原に「SHIMANO」と書かれた幟がへんぽんと翻っている。
自転車の変速機しかアタマになかったのだが、そういえば「釣り具」大手であることを思い出した。釣りイベントか。この会社の社史に興味が沸いてくる。
釣師諸君が旭橋から新龍野大橋までの間に、ざっと数えて35人。やけっぱちで突っ立っている。橋の上から5分ほど見ていたが、つり上げたの皆無。鮎を泳ぎながら「つかみ取り」できた時代(半世紀近く前)を知るおっさんとしては、気の毒に思える。
……なんだか、谷岡ヤスジの「釣師と魚」対決ものを連想させる光景だなあ。
川魚は、宮沢昭の曲のタイトルとしては好きだが、鮎も含めて、食用としてはまったく好みではない。
ということで、夕食用には肉類中心に買ってくる。
帰路……10日前に路地で小学生たちが飼っていた子猫、段ボール箱に閉じこめられているのかと思ったら、ガラクタが置かれた路地奥の箱はオープンとなり、低いブロック塀上に「白」、路地前に「トラ」がいる。2匹だけで、1匹減っている。どこかに貰われていったとは思えないが。
くどいようだけど、これは林譲治さんの日記ではありません。
田舎の夜は早いなあ。
寝る。
7月31日(日) 播州龍野の日常
朝から雷雨である。
雨読なり。
笹倉明『復権 池永正明、35年間の沈黙の真相』(文芸春秋)を読む。
学生時代、1シーズン、スポーツ紙でバイトしたととがあり、野球賭博の実態をちらっと聞いたことがある。そんなことを思い出すのであった。
早くも7月が終わる。
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