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『マッドサイエンティストの手帳』336

●幹線水路2005年


 昨日(5月7日)、黒犬救助で中断した水路の探査行に再チャレンジすることにした。
 揖保川のわが家に近いところに取水用の水門ができたのは1953年、おれが小学校3年の時である。
 
 故郷のランドマークといってもいい楠。
 その上流400メートルに「岩浦井堰」が作られ、東側に長い水路が作られた。
 この水路が小学校から中学時代まで、プールがわりであった。
 水路は楠の水門をくぐって堤防の東側に出る。
 子供の頃、漠然と、醤油工場の工業用水だろうと思っていた。
 が、昨秋からこの春にかけての大がかりな改修工事が終わり、なんと記念碑まで建てられた。
 それによれば、この「岩見水路」は揖保川と、東にある林田川を結ぶ「幹線水路」で、1595年には出来上がっていたという。
 気になるのは、(林田川が干上がることがあるため)林田川の向こう側の地域まで、川底をくぐる「逆サイフォン」が新設されたというのである。
 3キロほど先か。
 水路はヒガシマル醤油の主力工場東側(昨日の黒犬遭難現場である)を通り、国道をくぐって、スーパー・ダイエーの脇を流れ、さらに南下。
 このあたりから急に田圃が増える(というより、田畑が残っているというべきか)。
 
 2キロほどの分岐点。
 ここにも今回の改修記念の石碑が建っている。
 よほどの大改修だったらしい。
 さらに水路を見失わないように、曲がりくねった農道をたどって東南方向に2キロ。
 林田川の堤防近く……「逆サイフォン」装置らしき建造物にたどり着いた。
  
 何やら不気味な暗渠の入り口のようである。
 「逆サイフォン」というからには、対岸の「出口」の方が水位が低く、流れ込んだ水が自然に沸き出すかたちになるのだろうか。
 林田川は渇水しておらず、対岸地域も今のところ「逆サイフォン」による給水は不要ということか。
 水路の水は「井上排水桶門」と表記された水門から林田川に放流されていた。
 
 だた、「逆サイフォン」の「湧出口」はどうなっているのか。
 下流の橋を渡って、それらしい場所を探してみるが、水路の続きらしき場所は見あたらない。
 
 国土交通省の表示がある怪しげな建造物が野中にぽつんと建っているが、そこから延びる水路は見あたらない。さらに南(石海地区……これはイワミと呼び、地名が「岩見」にかわったために「岩見用水」となった事情は判明したが)の方に湧き出るのだろうか。
 幹線水路は林田川手前で断ち切られたような印象である。
 遙けくも来たものである。
 林田川上流、アンテナ群をいただく金輪山が小さく見え、パラグライダーの発進基地が霞んでいる。
 水路の先端はどこへ消えたのか……。
 ひょっとしたら、光瀬龍氏はこれに似たような水路を見たことがあって、それから『幹線水路2061年』ラストの名シーンのイメージを思い浮かべたのではないか……そんな気がしたのであった。

※この岩見用水については下流からたどったレポートがあるのに気づいた。
 林田川をくぐるサイホンの出口はだいぶ下流らしい。後日探索するつもり。(2009.6.9)

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