『マッドサイエンティストの手帳』319
●マッドサイエンティスト日記(2004年12月前半)
主な事件
・播州龍野の日々(3日〜)
・穴蔵の日々(11日〜)
2004年
12月1日(水)
市内ウロウロ。
終日雑用。
12月2日(木)
昼前に所用あって十三まで行く。
自転車で十三大橋を渡る。せいぜい15分の距離だが、淀川を越えるとずいぶん遠方に来た感じがする。
ついでに十三商店街の「丹波」(亀岡に本店のある漬物屋)で「きさらぎ漬」を購入……この店については、川本三郎氏が先日週刊誌のグラビアで京都店を紹介していたが、わしゃ20年近く前からのファン。草上仁さんが高槻在住の時に、高槻・芥川商店街の店を教えてくれて以来である。きさらぎ漬、「呉春」との相性が抜群にいいのである。
ということで、夜は久しぶりに冷酒。
12月3日(金)
早朝の電車で播州龍野へ移動。
朝9時過ぎに着。
またも播州龍野の日常再開である。
典型的な小春日和。
老母の依頼で、龍野公園へ紅葉見物に出かける。……母本人は行かず、デジカメで写真を影ってきてパソコンで見せるという方式。
暖かかったせいで、紅葉、さほど鮮やかではない。
夜、テレビで『スパイダーマン』を見る。23時半まで。おれとしては異例の夜更かしである。
12月4日(土)
播州龍野の日常。
台風27号!の影響で、曇天、午後から本格的な雨になる。
夜、テレビで『暴走機関車』を見る。
黒沢原案だが、どうもねえ。前半は面白いのだが、刑務所長と脱獄犯の葛藤が説明不足。これはテレビ版でカットされたせいだろうか。所長自らがヘリから機関車に飛び移るなんて活劇は、あまりにも不自然。
ということで22時過ぎてしまう。おれとしては異例の夜更かし。
12月5日(日)
播州龍野の日常。
「台風一過」というよりも、雨だけが通り過ぎて、風だけが遅れてきたような強風。
買い物に行く途中、春に老母が骨折した「日飼交差点」で、今度はおれがクルマにはねかけられた。
15時頃、ガソリンスタンド「JOMO」の前で、相手はオバハン運転の「三菱の軽」。
最近は、三菱のマークが来ると、軽でも恐ろしいね。
交差点を右折してくるクルマはほとんどが横断中の歩行者(自転車)の前を平気で通過していく。半ばまで渡っていても、である。
普通の横断歩道では、歩行者がいても、止まるクルマは皆無といっていい。
歩行者優先なんて意識はさらさらなく、これは、龍野に限らず(たぶん西日本全般の)「田舎の常識」らしいのである。
この半年、龍野では一日に一度くらい「ひやり」とすることがある。
特にこの「日飼交差点」は恐ろしい。
が、この交差点、買い物にも駅にも病院にもタイムマシン格納庫にも、行くのに避けて通れぬポイントである。困ったものだ。
おれの場合、大阪なら公園で凍死、龍野なら交通事故で、この世におさらばという予感がしてならない。
アホのクルマにはねられるよりは公園凍死の方がいいなあ。
夜、ワイン飲みながら、007『ワールド・イズ・ノット・イナフ』……途中まで見て、二度目であると思い出した。女性の設定が珍しいからで、アクション全般、もはやこの程度では散漫、ほとんど覚えてない。岡本喜八作品なら役者の一挙一動まで記憶しているのとえらい違いだ。いずれにしても、ボンドの悪の枢軸・北朝鮮との対決篇が待ち遠しい。
23時を過ぎる。夜更かしが続くなあ……。
12月6日(月)
播州龍野の日常。
このところ、起床時刻が5時になった。
いかんなあ。いかんこともないか。
タイムマシン格納庫で雑用色々。年末の処理を進めねばならぬ時期になった。
夜はビール飲みながら、マツケン版『忠臣蔵』……伊東四朗がよろしいなあ。いよいよ来週討ち入りである。
12月7日(火)
播州龍野の日常。
朝5時の室温が10℃を切った。いよいよ本格的な暖房を考えないといけない。
昼間、家電量販店、ホームセンターなど、数軒を視察。
結局は、龍野の「書斎」では、部屋全体を温めるのは不可能なので、防寒服を着込んで、下半身を暖房器具で温めるしかないようである。が、机の構造から、ハロゲンヒーターはあわないし……と、結局、夜はコタツで下半身を温めつつ、本を読むしかないのであった。
12月8日(水)
播州龍野の日常。
わ、早寝したら午前2時に目が覚める。
寒い。が、ビールで膀胱が張りつめているので起床せざるをえない。
この際、防寒服に身を固めて、早朝の探索を試みる。
午前3時半頃から自転車で市内徘徊。満天の星である。コンビニ2軒と「すき家」は営業しているから立派なもの。客の姿なし。
4時頃から原付が走り出す。新聞と牛乳の配達である。
東の空に下弦の月が昇る……そういえば、今度は火星・月・金星が並ぶのであったかな。
朝刊が届く時間に帰宅。
ようするに、龍野の早朝(に限らずだが)、面白いものは特にないということのみ判明した。
昼間は叔母が弁当その他持って母を訪ねてきたので、相手をしてもらって、わしゃタイムマシン格納庫にこもる。
夜はおれだけ小鍋で豆腐チゲ。母はキムチは苦手……というよりも、食べたことがないのである。
居間に臭いがこもったので、母が入浴中に、ドアを開け放って換気。暖房は効かないのに臭気はこもるとは、困ったものだ。
じーやん(桂米二さん)からのメールマガジンによれば、京都の安井金比羅さんの上方落語研究会と尼崎落語勉強会の世話人を米朝師匠から引き継ぐらしい。
まあ時代だし、じーやんは適任だろうな。歌やんが健在だったら、たぶん片方は「おまはんが面倒みたれ」ということになっていた気がする。
12月9日(木)
播州龍野の日常。
なんの変化もない一日である。
終日、本を読んで過ごす。
12月10日(金)
寒い。
6時過ぎに庭に出て火星・月・金星が並ぶのを撮影してみるが、東の空が明るすぎて、前の木星・月・金星の時ほどの面白みはない。
キンタマが縮んでしまった。
昼間の電車で帰阪。
穴蔵に戻る。
12月11日(土)
穴蔵の日々再開。
午後、自転車で梅田経由、天満へ向かう。
扇町公園、午後2時。
ルン吉くん、定位置で「起床」したばかりのようである。
おや、11月28日にはグレイだった防寒コートが「黒」に変わっている。というより、黒いのをさらに重ね着している様子。ピンクが4年、グレイが1年、この冬は黒を新調したということか。おれとしては、去年までのど派手なピンクが好きだったが。
まあ、これだけ重装備ならこの冬も大丈夫であろう。
天満で某講座……というよりも、大阪シナリオ学校から独立して運営されることになった「エンターテインメント・ノベル講座」の打ち合わせ。
久しぶりに芦辺拓さん、青木治道さんと顔を合わす。
新組織の中心は、今まで企画運営をやってきた芝崎美世子さん。「定款」の案を見せていただくが、その理念、SF大会よりはるかに立派なのに驚く。
いずれHPも開設されることになるかな。
芦辺さんはこのところ東京との二重生活らしい。後半は「犬の搬送法」が議題となる。
帰路、青空書房に寄る。
京都のYさんが預けてくれた「すぐき」を受領。
夜はこれで一献。
年末であるなあ……。
12月12日(日)
終日穴蔵。
珍しく小雨となり、雨読の日である。
12月13日(月)
穴蔵で過ごす。
午後、這い出して、自転車で梅田。
久しぶりにハチに寄る。
ハチママと雑談しばし。
昔なら忘年会の話など出たところだが、このところ、お互いその元気なしである。
夜はマツケン版『忠臣蔵』最終回。
これでしばらくチャンバラがなくなるのは寂しいところだ。
12月14日(火)
終日穴蔵。
名古屋の今高さんが「クリスマス・プレゼントに」と送ってくれたサン・ラーのSF映画DVDを観る。こんなの知らなかったなあ。……このDVDや、最近読んだSFなど、雑読雑感にアップする。
本はもっと色々読んでいるのだが、感想アップは、多少「職業意識」が出るためにサボリ気味である。いかんなあ。
夕方から、専属料理人、なかのいい友だちと「年1回の忘年会」ということで、ミナミの方へ「ふぐ」を食べに行ってしまう。
嗚呼……。
で、わしゃ、かんべむさし氏が焼酎下げて穴蔵に来たので、こちらも「年1回の忘年会」となる。ただし、メニューはコンビニで買ってきた「ピリからモツ鍋」その他である。
27、8年前は、毎週のようにこんな酒盛りをやっていたなあ……。
もはやお互い夜更かしはできず、21時過ぎの散会となる。
明日から、またも播州龍野行きである。
12月15日(水)
早朝の電車で播州龍野へ移動。
JR、早朝に千里丘で人身事故があり、下りが混乱しいてるらしい。
朝6時前に人身事故とは? 朝まで飲んでいた酔っぱらいの転落事故か?
だいぶ長引きそうなので、姫路までは阪神特急で移動。龍野着は朝9時である。
年末の処理事項など色々あり、龍野市内をウロウロ。
たちまち夕方になる。
急速に暮れる。
センチメンタルな気分になるなあ。
HomePage