HORI AKIRA JALINET
雑読雑聴

  

雑読雑聴 5


荻田清『笑いの歌舞伎史』(朝日選書)
 
 朝日選書にはいい本が多い。中野明『腕木通信』は面白かったし、桂米朝と筒井康隆の対談『笑いの世界』は昨年の収穫のひとつだ。
 この『笑いの歌舞伎史』も、きわめてユニークな歌舞伎史だ。
 帯に「歌舞伎のなかの滑稽と、それを担った道化・二枚目・実悪の役者たち」とあるように、「笑い」という側面に着目した歌舞伎史である。
 じつは、ぼくは歌舞伎についてはほとんど知らない。したがって、作者が、いままでにない研究書だが「けっしてこれが本流の歌舞伎史ではないことも断っておきたい」と注記している。
 ぼくには、下段にびっしりとつけられた注釈に惹かれる。これをたどるだけでも、俄や漫才、新喜劇、上方落語のルーツのひとつが浮かび上がってくる。
 あれ……この雰囲気、どこかで覚えているぞ。
 荻田清氏が上記『笑いの世界』の注釈を担当しているのだ。
 それでかなと思ったが、著者の経歴を知って、あっと思った。
 梅花女子大教授で、近世上方芸能史、上方文化史が専門だが、阪大文学部出身で、歌之助の会にもよく来られていた。
 この経歴、阪大の落語研究会の出身でないはずがないのだ。
 ぼくはオチ研ではなかったが、同級生のMくんがオチ研、よく部室にも出入りしていた。
 実技と同時に、意外に学究的な雰囲気もあって、『上方落語』という会誌を出していた。何冊かは持っている。速記録に細かい注釈を入れていく研究誌で、この注釈の雰囲気を思い出したのだ。
 調べてみたら、編集委員に荻田清の名はあった! (他に、今やナノテクノロジーの権威・河田聡先生の名も)
 阪大オチ研、恐るべし。異才の集まる部室であったのだ。
(2004.12.14)

かんべむさし『強烈★イジョーシキ大笑乱』(講談社青い鳥文庫)
 
 このシリーズでは『笑撃★ポトラッチ大戦』につづき2冊目。登場人物も同じで、続編ともいえる。
 『笑撃★ポトラッチ大戦』は短篇「ポトラッチ戦史」を「小学校上級」向けの長編に仕立てたものだが、毒気を薄めるどころか、かなりエスカレートさせているのに感心した。
 この「イジョーシキ」は、多元宇宙とタイムトラベルが混在、時空を超えて「ポトラッチ」どころでない「常識はずれ」の事件や騒動、民族の習慣が入り乱れる。厳密には多元宇宙ではなく、日本各地に様々な世界の立体映像が出現して、それは「物理的な障害にはならないが、精神に影響する」。
 インドネシアのある種族の習慣(嫁一族が優位)とかマルケサス島の一妻多夫婚とか、こんなのが十種類以上。全共闘に文化大革命、小学生に紅衛兵が伝染して造反しはじめたり、「まびき」なんて問題が出てきたり……おい、だいじょうぶなんかいな。
 ま、うまく収束させているけど。
 かんべむさしのドタバタと批評性、健在である。
(2004.12.14)

上田早夕里『ゼウスの檻』(角川春樹事務所)
 
 『火星ダーク・バラード』につづく2冊目の宇宙SF。
 舞台は火星から木星に広がる。
 ただ、これは宇宙SFというよりも、メイン・テーマは「ジェンダーとセクシャリティの問題」に置かれている。
 『火星ダーク・バラード』では「プログレッシブ」と呼ばれる「新しい能力」を持つ少女が登場したが、今回登場するのは「ラウンド」と呼ばれる、男女両性の機能を備えた新人類であり、かれらは木星の宇宙ステーションのある区画に「隔離」されている。
 その新人類を襲おうとするテロリストと警備を担当する対テロ部隊員。
 ここで、木星基地が不思議な性格を持つことになる。
 つまり、ここは深宇宙に進出しようとする人類の先端基地なのか、監獄なのか、新人類にとっての保護区なのか、隊員にとっての流刑地なのか……。
 これらはすべて正しく、登場人物によって感じ方が違うのである。それは種族の違い、ジェンダーの違いでもある。
 『火星ダーク・バラード』に「ええもん」も「悪もん」もなく、登場人物がそれぞれに強固な論理を持っていたが、『ゼウスの檻』ではそれがより多様になっている。主要人物は3人だが、周辺のわき役まで、微妙なところが細かく書き分けられていて、誰に感情移入して読み進めるか、ある程度読者にゆだねられるかたちになる。このあたりが作者の成長なのだろう。
 だから、ラストを非情と読むか、予定調和的と読むかも、また読者によって違うだろう。
 一部火星、物語の大部分は木星で進行する。
 ほとんどが基地内と宇宙空間の描写になる。ただ一箇所、最初の方で描写される「地球の夏と熱帯の果実」の使い方が(最後の方でちらっと出てくる)見事で、これにはうなった。
(2004.12.14)

有村とおる『暗黒の城(ダーク・キャッスル)』(角川春樹事務所)
 
 第5回小松左京賞受賞作。
 作者とは授賞式でお目にかかった。
 なによりも驚いたのが、有村とおるさんが、ぼくのほぼ同年という点だった。
 もう隠居寸前のぼくとしては、こんな新人の登場に元気づけられる。
 しかも、小松さん選評に「ドストエフスキー的」という言葉まで出てきた。
 『暗黒の城』……ホラーRPGに秘められた謎を巡る物語だが、意外にも(意外というのは、小松さんが選んだのなら、もう少し「未来」かと思ったのだが)極めてストレートな近未来サスペンス。いや、ほとんど「現代」といっていい設定。
 ホラーゲームの開発過程で、係わったスタッフが奇妙な死を遂げることから始まる。
 この謎を追跡する主人公の行動も周辺の動きも、正統派のエンターテインメント。
 謎解きも本格ミステリーと銘打っても不思議でない。
 では、この作品を小松左京賞受賞作たらしめた要因は何か。
 たとえば、ほとんど冒頭に「人が恐怖を感じる最大のポイントは、自分が殺されそうになったときと、最愛の人の死を見る時だけだ」というセリフが出てくるが、この主題が基調になっているところだろう。SF的な仮構としては「もし死への恐怖がなくなったら」に置き換えられる。
 小松さんが「極めて重い主題」と評価されたのはここだろう。
 女性の造形がうまくて(主要登場人物のふたりとも、極めて魅力的。ぼくは特に光希に惹かれるなあ)、筆致が若々しいなあと思う。
 ケチをつけるなら、「おたく的警察官僚」が出てきて、あっさり死んでしまうが、これはもったいない。このキャラクター、もっとネチネチ書いてほしかったなあ。
 ともかく、大人の文体だし、40年の蓄積、まだまだ色々なものが期待できる大型新人と思う。
(2004.12.14)

芦辺拓『切断都市』(実業之日本社)
 
 絶好調・芦辺拓氏の大阪を舞台とするミステリー。
 絶好調というのは、ここにアップしていないけど、傑作『紅楼夢の殺人』をはじめ、多彩な作風の傑作を書き続けていることを指す。
 『切断都市』は、一連の大阪都市ミステリーの「しめくくり」の作品になる……らしい。
 これは異色のあとがきからもうかがえる。
 代表作ともいえる『時の誘拐』『時の密室』が、大阪の史跡や水路など、誇るべき観光資源がきわめて魅力的に生かされていたのに対して、『切断都市』に使われる舞台は、名前はちょっと変えられているが、どれもこれも、「官」(3セクを含む)のデタラメ経営によって莫大なむだ遣いとなり、廃墟寸前となっている場所が次々と登場するからである。
 もう、これは大阪の恥部、腐臭を放つ腐った都市、そして、よく考えれば、それは全国どこにも見られる現代廃墟でもある。
 珍しくも、大阪の景観(と都市行政)に対する作者の怒りがストレートに出ている。
 そして、それらは、おれも市民として、常日頃からアタマにきているところでもある。
 帯にはなんと「新社会派本格推理」とあるが、これは当たっているのかも。
 ただし、芦辺拓さんは、社会派だけではない。
 この「腐った景観」にバラバラ死体を置いてみせる。
 道頓堀のドブ河に浮かぶトルソー、3セクのガラガラ・テンナトビルに出現した生首、有料化した天王寺公園に置かれた腕……新本格的趣向と社会派的テーマ、さらには近世の摂津にからむミステリー。これらが絡み合い、そして……。
 祈・推理作家協会賞!
(2004.12.14)

有川浩『空の中』(メディアワークス)
 
 書評を読んで、あわててその作品を読むということは、ぼくの場合比較的少ない。
 できれば他人より先に読んで、いいものはいちばん先に評価したい。
 ぼくがSF同人誌を主宰したり、ショートショートの選考を引き受けたりするのが好きなのは、「まっさき評価」が好きだからである。
 といって、先を越されたから嫉妬するということはありませんがね。
 逆に、この人が誉めるのなら読んでみようというのも少数。相当な部分でSF観が重なっていないと。
 昔なら伊藤典夫さん、この場合ほぼ100%当たりだった。少し下って鏡明、そして今だと、大森望……しかし、この2人の場合、おれの評価と極端に外れてしまうことがある。鏡明の場合、高橋克彦の評価がスカだった。(むろん高橋克彦の作品がスカだったのである。あくまでもSFとして)
 で、大森望さんの書評、『空の中』を「本年度のSFベストワン」というのを見て、これは読まねばと本屋に走った。
 何年か前の『クリスタル・サイレンス』が帯の文句どおりだったことを思い出したからである。
 以上、前置き。
 わしゃ、作者が女性だとは知らなかった。
 「アリカワ・ヒロ」さんという「主婦作家」なのであった。
 そんな先入観抜きの感想。
 高知上空の「空」に存在する(たぶん)気体状の生命との遭遇場面から、これはホイルの『暗黒星雲』の現代版かと思ったのである。そして、これは現代的なハードSFの盲点をつく作品ではないかと。
 期待は……まあ、裏切られたということになるかな、まったく予想もしない方向に。
 ライトノベルズという分野はほとんど読んでいないので、勝手がわからないところがある。
 特に、登場人物のひとり、美貌の女性パイロットというのは、むろん魅力的で、それも含めて、あれよあれよと読まされてしまった。ただ、わしゃ読者としてはキャラクターの魅力についていける年齢ではない。
 そんなこと含めて……じゃなかった……ライトノベルズ的定型を除いても、これは今年のランキング上位。ホイルを想起したのが間違いで、50年代SFの直系と見れば、まぎれもない秀作。ベストワンというには、まだ未読の傑作があるかもしれないので、評価は留保させていただきたい。大傑作とまでいえないのは、こちらの老化のせいである。
(2004.12.14)

サン・ラー『SPACE IS THE PLACE』(DVD plexifilm)
 
 1972年製作、1974年公開の、サン・ラー主演SF映画があると、ジャズ研究家にして美術評論家のIさんがDVDを送ってくれた。
 ニューオーリンズ・ジャズ、コルトレーンと並んで、最近の関心はサン・ラーであるらしい。
 『未知との遭遇』の数年前に、こんな奇妙なSF映画があったことを初めて知った。
 日本語版ではないので、どこまで理解できたのかわからず(翻訳されていてもサン・ラーは理解しにくいからなあ)、よくわからんまま。ただ、そう複雑な話ではなく、宇宙人・サン・ラーがウンコ型宇宙船(アサヒビールのビルのウンコが双発になったようなの)で降りてきて、黒人種を音楽で活性化して、破滅する地球を逃れて別世界へ旅立つというもの……だと思う。
 これはブラック・プロイテーションといわれるものの一種かな。ただ、サン・ラーは、表面上の主役を張る黒人ではなく、あくまでも宇宙人(ふだんから土星人だものなあ)であり、キーボードを演奏したり、「人生相談」をしたり。
 サン・ラーのアルケストラの演奏は、やっぱり面白く、音もいい。
 一種のジャズ・ミュージカルと見た方がいいのかな。
 大部のサン・ラー評伝を読むべきか。
 この項、あまり自信なし。この映画について詳しい解説がどこかにあれば教えてくだされ。
 しかし『未知との遭遇』の前にこんな珍品を作っていたとは、サン・ラー恐るべし。
(2004.12.14)

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