HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』288

●マッドサイエンティスト日記(2003年10月後半)


主な事件
 ・文楽劇場で「米朝・吉朝の会」(16日)
 ・文楽劇場の場内アナウンスは「葬儀」口調である!(16日)
 ・大阪ショートショート大賞授賞式・他(18日)
 ・阿佐ヶ谷ジャズストリート(24-25日)

2003年

10月16日(木)
 終日穴蔵。
 少しは仕事もするのであった。
 夕方、地下鉄で難波へ。
 18時前に国立文楽劇場へ。かんべむさし氏と待ち合わせ。かんべさんと連れ立っての落語会は久しぶりである。
 『米朝・吉朝の会』である。
 国立文楽劇場には初めて入る。もう出来て20年以上かな。上方に無知な黒川某が「北向き」に作った劇場だが、北向きよりも「林立する連れ込みホテル」に向いて座るのが気色悪いけどね。
 ここの場内アナウンス、どうも陰気だなと思ったら、口調が葬儀屋のアナウンス……例のセレモニーホールとかで「ご焼香案内」するやつ……あれとそっくりなのである。
 文楽の伝統なのか? まさかねえ。東京のイイノホールはこうじゃなかった。いや「ご焼香」アナウンスを劇場で聞くのは、ここが初めて。
 担当のアナウンサーが葬儀会社から転職してきたのだろうか。
 ともかく「落語」には似合わない。
 席につくと、隣がなんと小松左京ご夫妻であった。
 で、演目は、
 桂しん吉「時うどん」
 桂吉朝「明石飛脚」
 桂米朝「本能寺」
 中入
 桂米朝「小噺集」
 桂吉朝「三十石夢の通路」
 鳴り物の面白さ満喫。
 目玉はなんといっても「三十石」である。
 正味55分、京都三条から枚方まで、悠々たる語り口。
 艪歌がなかなかよろしく、ヤーレサヨイの合いの手(これは米左さんと思ったが、あとで聞けば米吉さんであったらしい)の雰囲気がよく、ギャグよりは情緒で語っていく演出がいい。枚方のドタバタ、「権兵衛こんにゃく船頭が利」というのはなしで終わる。この方が余韻がある感じだ。
 終演、21時10分。「ご会葬御礼」アナウンスに送り出される。
 ……小松さん、ちょっとしんどいからと前半で帰ってしまったが、ったくもう、このアナウンス、縁起でもないぜ。
 楽屋にちょっと挨拶。
 かんべさんと千日前まで歩いて、久しぶりに「富多葉」で、おでん、ヤキトリ、ビールと湯割り。……太融寺落語会の帰路がキタの「ふみの」であったように、落語の帰りはなぜかオバンの店が多い。

10月17日(金)
 秋晴れである。
 午後、市内ウロウロする用事あり、そのまま、夕方、神戸へ。
 三宮の「鈴木宗男」そっくりな店主のいる「すし万」へ。
 末廣ご夫妻と岩井道夫さん……あとからODJCの口羽さんも。
 こちらはODJC関係のことでのお願いごとなど。
 ……1966年のODJC結成時(つまり、沖至さんがまだデキシーを吹いていた頃である)の会報・創刊号に末廣さんが寄せたメッセージがあって、これが面白いのである。
 うまく行けば近日紹介できるであろう。
 ビールから日本酒、湯割りにした頃から、なんだか神戸の要人が続々と来店。
 やはりたいへんな店なのであるなあ。
 少し早めに失礼する。
 夜のニュース、藤井治芳くんが訴訟も辞さずと抵抗しておるらしいが、まさか国を相手の訴訟など自費でやるバカではあるまい。官僚あがりなら、民が国相手に訴訟を起こしても、税金でいつまで引き延ばしても平気な官が平気なことは、経験として熟知しているはずだからなあ。公団の費用で三百代言を雇えると勘違いしてるのかなあ。
 藤井対石原の「私闘」なら野次馬として大歓迎である。藤井くん、がんばれ。裁判で全財産を使い果たせよ。

10月18日(土)
 夕刻、天満・エル大阪へ。
 大阪シナリオ学校主催のショートショート・コンテスト授賞式と入講式。
 このコンテスト、もう5回目になる。
 今回の出題は「音」、むろん音を中心的なテーマにする必要はないのだが、今回は五感のひとつに係わるから、「人間を主人公にする以上、その描写を避けては通れない」ところ、擬声語・擬音語の使い方などが気になるところだ。
 受賞作は、
 大賞 谷田茂「空(くう)の結婚行進曲」
 佳作 吉村奈央子「サイレント」
 off
 選評を引用しておくと、
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 谷田茂「空の結婚行進曲」
 優等生的、模範的作品。シリアスで、むしろ暗いテーマだが、前半の明るさと対比させているところも秀逸。ぼくはもう40年以上SFを読み続けていますから、誰も知らないような古い作品と比較して評価しても、これから創作に取り組もうという方は戸惑うでしょう。極力、古い話は持ち出さないよう心がけていますが、例外的にひとつ。実は、この作品に類したアイデアを1974年のファン創作で読んでいます。あるファン創作のコンテストで(ぼくが選考委員でした!)、ファンジン掲載になりましたが、むろん読んだ人も覚えている人もごく少数。その作品は「試験管ベイビー」を題材にしていましたが。つまり、それくらい「古典的」でもあり、意地悪くいえば新しくないともいえます。
 吉村奈央子「サイレント」
 描写力を買う。「音」(この場合は、むしろ静寂)を嗅覚と密着させて描写していて、それが2ヶ所だけ使われている擬音語の効果を高めている。
 逆に、描写力だけで読ませる散文詩のようにもとれます。
 あえてショートショートという結構を無視したところが、意図的なのか、短篇の一部だけを書いてみせたのが迷いますが、筆力を評価します。
 ひょっとしたら作者の志はエンターテインメントとは別方向かもしれませんが。
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 ちなみに、昔のシュートショート・コンテストというのは、京都の三鈷寺でのSFコンを記念して行われたもの。柴野拓美さんとぼくとで選考に当たり、両者迷わず1位に決めた作品の作者は、今、歌人としても活躍されているはずである。
 「サイレント」はSFともショートショートの形式ともちがうので迷ったが、会場に来ていた北野勇作さんが、この文章力はすごいと同じ評価をしてくれたのでほっとする。
 入講式というのは、放送関係などと合同でなかなか熱気がある。
 ともかく日本シリーズ第1戦が始まる時間にこうして集まっているのだから。
 北野さん、小森健太朗さんとしばし雑談。
 このところ、居酒屋へという元気がなく、まっすぐ帰宅。
 別に日本シリーズを見るでもなく、湯割りを飲みながらケン・ペプロフスキーを聴く。

10月19日(日)
 終日穴蔵。
 歌やんの原稿整理と年譜確認。
 長野の聖光寺のKさんから電話。前の薬師寺管主、松久保長老が歌やんのことを執筆中で、細かい固有名詞の問い合わせである。かなり気合いが入っている様子である。……なぜこんな大長老がというと、これまた、歌やん「晩年」のことが色々あって、これも原稿で触れられることであろう。すでに10枚を越えているらしい。

10月20日(月)
 播州龍野に移動するかどうか迷っているところに老母から電話。
 買ってきてほしい本があるという連絡である。
 姫路よりは大阪の方が確実と判断して、龍野行きの日程をずらす。
 穴蔵で、少しは仕事もするのであった。
 午後、書店、ヨドバシなどまわって、ついでに久しぶりにハチに寄る。週末に伊丹で山下洋輔・渡辺香津美・宮本文昭という顔合わせがあるのだが、事情があって行けないと仁義を切りに行く。こちらも別途「抜け駆け」するかもしれんけどね、と。
 ニューヨーク・トリオのツアーに関しても、意見が一致するところとくい違うところと。このツアー、盛岡がいちばん凄そうだけどなあ。まあ、日程を調べつつ、ギリギリの判断だな。

10月21日(火)
 雨である。
 午前中、ノートパソコン持って西長堀の塩田デザインオフィスへ。
 塩田氏デザインの「歌コ本」のカバーの試作品など。いい雰囲気になってきた。
 夕刻からわが穴蔵で「歌コ本」の編集会議。
 off
 深尾先輩、わし、歌コ夫人・維久子さん、米輔さん、永野さん、小牟田さん、歌々志さん。
 途中、薬師寺長老からの原稿がFAXで届いたり、ソバ屋から借りてきた歌やんの色紙を取り込んだり、ドラマチックであるなあ。
 いよいよ大詰め。細部までスムースに進む。
 終わって、記念撮影。写真家・永野さんのデジカメで。さすがプロ、細部までがきれいだ。
 日本シリーズが中止になったので、なんとなく落ち着いた気分で、全員ゾロゾロと近所の居酒屋「満留満」に移動。歌やんの話をガヤガヤやっているうちに「神の河」1本が軽く空いてしまう。

10月22日(水)
 早朝の電車で播州龍野のタイムマシン格納庫に移動。
 タイムマシン整備の合間に、歌々志くんがテープ起こししてくれた「古事記伝」のフロッピーをMS−DOS機でテキストファイルに変換。これで目玉原稿が入ったが、これは難漢字が多くて、校正にだいぶ手間がかかりそうな。
 実家にも寄り、夜帰阪。

10月23日(木)
 終日穴蔵。
 明日から上京するので、片づけておかねばの雑件多い。
 専属料理人は本日より実家方面に去る。

10月24日(金)
 朝4時に起床、6時過ぎまで、雑件まだ片づかないが、ノートパソコンにデータを移して、大阪駅へ。
 7時過ぎの高速バス「東海道昼特急」で上京である。
 席は、3Cでまあいい席だが、運悪くAとBに若い茶パツのしゃべり女2名。オバハンも嫌だが、声が甲高いぶん、こちらの方がたちが悪い。車中でしゃべっているのはこの二人だけ。こちらには無内容の埒もない会話が続き、最悪である。……前回でも懲りているので、MDウォークマン持参は正解であった。が、森山威男は早朝から聴くものではないなあ。ジュージ・ルイスと藤家虹二。
 養老SAあたりでと、やっとお女中眠って静かに。こちらも仮眠。
 ということで、寝たり読んだりで、霞ヶ関に15時過ぎ着。
 丸の内線で南阿佐ヶ谷のホテルにチェックイン。
 夕方まで少しは仕事もするのであった。
 夕刻、実家方面から来た専属料理人と合流、阿佐ヶ谷「神明宮」へ。
 阿佐ヶ谷ジャズストリート恒例、薪能ならぬ薪ジャズ、今年は「山下洋輔+池田篤」。1ステージ目。立ち見である。
 新CDから「シャボン玉」など山下さんのソロ3曲のあと、池田篤登場。
 山下さんの曲や「My One And Only Love」「チュニジアの夜」など数曲、最後は「スパイダー」
 池田篤さんは初めて聴くが、アップテンポも変拍子もバラードも、オールマイティ・プレイヤーの印象。ビッグバンドのリーダーでもあるから、今度はそちらを聴いてみたくなる。
 「神明宮」は入れ替え制なので、次は、河北総合病院の専門学校講堂で谷口英治クインテット。
 あとの2ステージを聴く。
 谷口英治(cl)藤井寛(vib)西村俊哉(g)大表秀具(b)山下暢彦(ds)
 久しぶりに聴く谷口英治、相変わらずのスイング感だが、浅草HUBで演るよりもバップを意識したモダン・スイング性が強く出ていて、ともかく多彩な編曲に感心する。
 「This Autumn」や「枯葉」など秋にちなんだ曲も。
 21時半までまで。
 急いで「鳥正」へ向かう。……が、おっ、途中で某経紙のH記者と路上で遭遇。半年前から阿佐ヶ谷の住人であったのだ。
 いっしょに、おなじみ「鳥正」へ
 山下ご夫妻、池田篤氏がすでにビールを飲んでおられて、そこに合流させていただく。しばらくして、ネットでおなじみのノラさんも。ここでは3年ぶりかな。
 例によってモツ煮込みと白菜漬でビール、湯割り。
 記念撮影をと思ったら、デジカメにメモリーを入れ忘れていたことが判明。
 off off
 池田さんがお持ちのデジカメで撮ってもらった。写真は、翌日送ってもらったもの。
 池田篤さんのホームページにも同日の写真あり、ここも奥行きの深いページだ。
 ビール飲んでガヤガヤの途中、阪神が勝って甲子園3連勝らしい。
 「粋鯨会」の聖地においては、静かなものである。
 山下さんは明日、伊丹でコンサート。いっしょに帰阪してもいいのだが、他にも色々あって明日も滞在。……早めにお開きのはずが、11時近くまで。
 表で、鳥正ご一族と記念撮影の後、例によって「首懸けの経」を歩いて帰館するのであった。

10月25日(土)
 昼まで、ノートパソコンで少しは仕事をするのであった。
 専属料理人は友だちと会うために出ていく。
 昼、おなじみH記者が、ホテルのロビーまで3才の次男・K也くんと迎えに来てくれる。
 徒歩数分のH邸に遊びに行く。
 アニメ関係では珍しいビデオが色々あるらしいが、これを見始めるとキリがないので、サワリだけ。子供ふたりは「鉄腕アトム」(モノクロ)はじめ、正統派アニメで教育中というから頼もしい。
 3時間近くウダウタの後、阿佐ヶ谷商店街を歩く。ハローウィンで、コスチューム姿の子供やおとなが多い。……大型店がないせいか、こんなに賑やかで懐かしい感じの商店街も珍しい。
 商店街を抜けて、また本日も河北総合病院の専門学校講堂へ。
 ジャズストリート2日目、谷口英治カルテット、2ステージ聴く。
 谷口英治(cl)有明のぶこ(vib)袴塚淳(p)大表秀具(b)山下暢彦(ds)
 有明のぶこさんは昨日の藤井寛夫人らしい。
 ピアノが入って、昨日とはまた変わった雰囲気。
 最後はアバロン。
 夕刻、少し肌寒くなる。
 ボンクラ息子その1から連絡あり、夜、一杯やる予定が、本日も22時ころまで仕事という。
 18時過ぎにまたも「鳥正」へ。本日はひとり寂しく、やっぱり、ヤキトリ、もつ煮込み、白菜漬でビール、湯割り。
 19時頃に、「フィナーレ」というか、ジャムセッションをやっているということなので、杉並第一小学校体育館へ。ちょうど谷口英治さんが出ているところだった。
 宇川彩子さんのタップで「キュート」
 これは大阪でも2月に松竹試写室ライブで聴いている。
 快演。滝川雅弘と谷口英治の雰囲気の違いが面白い。
 あと、駅前で米軍第7艦隊バンド諸君を数曲聴くが、ブラスよりもエレキでビートルズなんて、時代を感じさせるなあ。第7艦隊ももはや「勇壮なマーチ」の時代ではなくなっているらしい。
 あと、「銀座で飲んでいた」という専属料理人(知り合いの店だというが、まあ土曜だから空いていたのだろう)と合流、が、ボンクラ息子その1、10時過ぎても仕事が終わりそうにないという連絡あって、親子3人猫いらずは断念、発泡酒を飲んで寝るのであった。

10月26日(日)
 朝7時にひとりホテルを出て、東京駅に向かう。
 8時10分発の高速バス「東海道昼特急」。……なにしろ往復1万円。
 帰路は1Cで見晴らし最高の席である。……が、B席に金髪のロッカー? ややこしい格好の上に、通路にギターケースを置くわ、やたら飲み食いするわ、水を飲み、瓶ごとワインを飲み、途中からチューハイまで。気持ちの悪いやつだが、なにかの「禁断症状」ではないかと心配になる。が、まあ静かなのが取り柄。
 「東海道は日本晴れ」で、名古屋あたりまでは景色も飽きない。富士山も由比の海岸も最高であった。……が、さすがに月に2度の利用で、もう十分である。東海道の景色にも飽きたので、次は中央道経由新宿行きを利用して、そちらに飽きたらまた新幹線利用に戻るとするか。
 夕刻帰宅。
 雑用、色々溜まっているなあ。
 ボンクラ息子その2とふたりで晩飯。
 手分けして焼き肉の準備。……ボンクラ息子その2、さすが近所の焼き肉屋でバイトしているだけあって、なかなかの手際。野菜の刻み方も、鉄板焼き用とあとの焼きそば用に分けて刻んでいるなど芸が細かい。
 ということで、伊良部が打たれるのを見ながら、盛大に煙を上げる。
 片づけがおれの分担である。
 日本シリーズ、どうやら勝敗の帰趨が見えたあたりで、定刻前だが、9時就眠である。

10月27日(月)
 終日穴蔵。
 定刻4時に起床して、パソコンに向かい、5時に「自宅」で朝刊を読み、ささやかな朝食の後、また穴蔵に籠もる、ふつうの日である。
 が、さすがに日本シリーズ第7戦は気になって、夕刻、おでんや総菜を買ってきて自宅テレビの前に陣取る。ボンクラ息子その2はバイトで、おれひとり。誰に遠慮することもない最高の生活である。
 観戦しつつビール。
 6-2でダイエーが優勝。何といっても圧倒的な「若さ」の勝利である。
 9回2死で、代打の広沢がホームランというのが「奇跡」。
 星野は「老」の象徴として広沢を起用したのではなかったのか。三振で終わればそれなりのドラマであったろうが、広沢、やったじゃないか。
 いずれにしても、阪神ファン諸君、いい夢を見たではないか。
 ロートルのかなりの数が去るか低迷するか(広沢、伊良部、八木あたりは確実、桧山もなあ)、また低迷の時代がくる。「若さ」の補給は期待できないのだもの。
 来期低迷しても、決して藤山寛美……じゃなかった、岡田が悪いのではないよ。オーナーの方針なんだからなあ。
 老兵は去るべきだなあと……ふだんから自覚していることを再確認しつつ、最後に湯割りを飲んで寝るのであった。

10月28日(火)
 雑用が溜まったのであった。
 専属料理人がいないので、ベランダの植木に水をやり、洗濯のしなければいけないのであった。
 9時から市内ウロウロもするのであった。
 本町あたりまでウロウロのあと、午後、かんべむさし氏の仕事場に寄って雑談1時間。魚の焼き方についてレクチャーを受ける。

10月29日(水)
 終日穴蔵。
 少しは仕事もするのであった。
 歌やんの「古事記伝」関連で、古事記関係のことを調べだしたら、面白くなってきて、気がつけば午前2時を過ぎてしまう。
 ……結局、徹夜である。

10月30日(木)
 早朝の電車で播州龍野のタイムマシン格納庫へ移動。
 本日は阪神の特急利用。終点が姫路でないと寝過ごす危険性があるからである。
 姫路に8時着、この時間から開店している新興書房で古事記関係の本2冊購入。
 龍野で実家にも寄って、大量の柿を獲る。
 ……ホームセンターで高枝鋏1800円を買ってきた。テレビ通販でしきりに宣伝しているやつ(1万円)と別に変わんのではないかい。
 おれは野菜や果物にはとんと食指が動かないのだが、実家の庭になる柿だけが例外である。が、一週間、せいぜい10日ほどの勝負で、ともかく保存がきかない。ジャムとかにしてもしかたないもんね。
 4キロほどの荷物を持って、夜、帰阪。
 さすがに早寝。

10月31日(金)
 終日穴蔵。
 昨日の「柿獲り」作業……高枝鋏使ったり木や塀に登ったりしたものだから、節々が痛い。
 歌やんの「古事記伝」の校正……神の名の記述など、不明のことまだ多い。
 午後、キタ図書館まで行くが、無念、月末で休館であった。
 午後3時頃に本庄から自転車で帰ってきたのであるが、穴蔵に戻ってから、やたらヘリの音がうるさくなる。2機が上空ウロウロ。うるさくて、バズーカがあれば撃墜したい気分になるほどしつっこい。……どうも入れ替わりで何機かが来ている模様。
 夕方のニュースで「豊崎4丁目のマンション建設現場でガスが噴出。メッキ工場だったらしい」というから、まあ、だいたいの事情は想像がつくなあ。
 騒音で嫌になって、早めに「自宅」で滝川雅弘や谷口英治のCD聴きながら、湯豆腐でビールを飲むのであった。
 秋の暮れであるなあ。

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