『マッドサイエンティストの手帳』265
●マッドサイエンティスト日記(2003年2月前半)
主な事件
・スペースシャトル「コロンビア」空中分解事故(2日)
・「返済請求通知書」(4日)
・火事と大麻と(5日)
・松竹試写室でタップダンス(9日)
・インタープレイ・ハチで取材を受ける(13日)
2003年
2月1日(土)
終日穴蔵。
自宅に食事に行く以外、まったく出歩かず。
寒さは昨日よりましか。
先日録画しておいたビデオ『ロシア戦略核ミサイル軍』を今頃見る。(牧野さんパーティの日の放映だったのだ)
サタンやトーポリの画像、なかなかの迫力。ちょっと驚いたのが、古い(20年前くらい?)多弾頭ミサイルSS-18を転用して、バイコヌールから昨年末に民間衛星「6個」を打ち上げたという。2月ほど前の、これはかなり新しいニュースではないか。と、ネットで調べてみたら、これが3回目?
ロシアがこんなことやってるとは知らなかった。転用が簡単なのなら、これは結構割のいいビジネスになるのではないか。
2月2日(日)
定刻4時に目が覚めるが、寒いので、そのまましばらく読書。
5時前に起きて、ニュースを見ようとテレビをつけると、5時前というのに臨時ニュース。イラクか北朝鮮かと思ったら、なんとスペースシャトル事故である。
スペースシャトル「コロンビア」が日本時間の昨夜11時過ぎ、大気圏突入時に爆発という。乗員7名死亡。
急いでネット接続。宇宙作家クラブのMLで情報が飛び交っている。「空中分解」が正しいらしい。
NHKのニュースは5時20分までで、引き続き「日本の話芸」。川柳川柳の「日本歌謡史」なんてのを始めた。円丈『御乱心』で頼りない兄弟子として描かれていただけのことはある。こんなの放送している時かよ。「自宅」へ朝刊を取りに行く。当然ながらネットで得られる以上の情報はない。
ぼくはコロンビアについては特別な思い入れがある。
●スペースシャトルによる最初の有人飛行は1981年4月だった。帰還が日本時間で1981年4月15日未明。午前2時過ぎからNHKの中継を見た。眠い目をこすりながら出社、仕事、夜帰宅。そして午後8時頃、読売新聞文化部の宮部修くんからの電話で、この日早川書房がおれと徳間書店を提訴したことを知る。
●つまりこの日なのである。
●この夜もほとんど眠れず、翌日は早朝から上京、SF作家クラブの会合挟んで、ともかく色々あって、やっぱりほとんど眠れない。3晩不眠。大学時代の製図提出70時間ぶっつづけ以来である。
この日以来、コロンビアとわが生涯最大の事件は、分かちがたい記憶として、体に染みついてしまったのである。
事故に驚くよりも、あれから22年かという感慨の方が強い。
終日、ネットとテレビでニュースを追うが、打ち上げ時の左翼の損傷が原因という見方が多い。
おれには「老朽化」という言葉が気になる。
コロンビアの機体消滅は、わが肉体の消滅のイメージと重なる。
わが事件に重ねると、老化は最近特に実感するところなのである。事件の関係者の数人は亡くなっている。嫌なやつばかり(今岡清、五十嵐敬喜、堀敏明、菅原哲朗)がしぶとく生き残っている。
しかし、コロンビアの事故を「老朽化」……それも、ある司会者は「中古車」のアナロジーでしゃべっている……だけで論じていいものか。
終日、頭が混乱して、思考はまるで整理がつかず。
夜、FMのセッション505で中川英二郎オクテットを聴く。元気があっていいなあ。
2月3日(月)
午前3時頃に目が覚めて眠れない。
コロンビアの事故についての宇宙作家クラブで、それぞれにコメントを書こうという提案が出る。
わしゃ、まだ頭が整理できない。
5時を待って朝刊紙面チェック、当然ながらネット以上の情報はない。
ニュースが気になるが、タイムマシンの部品関係で某社に出かける。商談ではないので、作業服代わりのブルゾンで出かけられるのがいい。
午後、混乱したまま、宇宙作家クラブのMLにコメントを送る。
夜の番組もコロンビアのニュースと解説が多い。
気になるのが…退官した人物による「安全性批判」である。
わが経験では、この種の批判には2種類ある。
ひとつは組織が官僚化している場合。もうひとつは負け犬の遠吠えである。
前者だと怖いね。……おれが30年ほど所属していた組織はその典型で「前任者を否定するのがおれの主義」と嘯くのがいて、こんなのが政治力で上へ行く。暇なやつほど社内政治に熱心になるからである。製造業がこれでは技術の継承などできようはずがないからなあ。その結果どうなったか……と、こんなこというのは「負け犬の遠吠え」か。ははは。
2月4日(火)
朝のニュース、もうスペースシャトルより、梅宮アンナの離婚なんてのを流している。
愚民国家であるなあ。
本日はネクタイにスーツの仕事である。肩が凝ることである。
夕刻帰宅。
ボンクラ息子その1宛に「又はご父兄の方々」と併記された「請求書在中」「至急」と赤スタンプの封書が届いている。
差出人なし。
中身は「返済請求通知書」とあって、要するに「アダルトサイト利用の請求書」。再三請求しているにもかかわらず未納だから至急振り込めという内容である。
おお、これがよく聞く「詐欺」まがい請求書か。
ネットで『最終告知』なるものが飛び交っているらしい。喜多哲士さんや林譲治さんに届いたという。文面は喜多さんが1月30日に紹介しているのとほぼ同じである。
もっと凄いのは、一度でも遅滞すると銀行個人信用情報センターなどの「ブラックリストに登録され」、ローンやクレジットカードが発行されない上、「IT情報化社会の現在では、就職・転職・ご結婚・昇進の際に著しく不利になりますことを、老婆心ながら追言申し上げます。」とある。
差出人の肩書きが、
○○興業 代表取締役
○○債権回収機構 常任理事
大日本愛国○○塾 塾長
とある。コワモテであるなあ。「魁! 男塾」を思い出す。
何も知らない女子供が読むと震え上がりそうである。
念のため、東京にいるボンクラ息子その1にメールで確認。ただちに「そんなの知らん。ほっといて」と返信があった。
…夜、専属料理人にこれを見せると「またこんなものを…。どうするつもりなのよ」と嘆く。
子供の不始末ともう思いこんでいる。これが怖いのである。騙されやすそうで心配になる。
細部を解説した上で、似たようなものが来てもうろたえるなと諭す。
それにしても…「愛国戦隊大日本のフジヤマ将軍」の家にこんなものを送りつけてくるとは、なんたるフトドキ者だ。
2月5日(水)
早朝の電車で播州龍野のタイムマシン格納庫に移動。
タイムマシン内のトイレの電球に古いタングステンランプを使用しているのだが、これが切れやすい。発光ダイオードに変更できないか実験するが、やはり光量が足りないようである。
ランプメーカーを当たるが、ネット検索でもなかなかヒットしない。
暖房なしの倉庫、2時間いると、やっぱりキンタマの波動関数収縮してしまう。春は遠いなあ。
夕刻帰阪。
途中、夙川で途中下車して、妹から石川県の名酒「うすにごり/池月」を貰う。
これは19度の辛口で、チビチビやるのに堪らんのである。持つべきものは下戸の親族。
午後7時前に帰宅したら、上空をヘリが数機飛び交っている。
何かと思ったら火事で、専属料理人が「あっちの方でさっきまで凄い炎が上がっていた」という。
ベランダから見ると、天六方面。まだ燃えているらしい。
なぬ! 北野勇作氏の住んでいるあたりではないか?
慌ててかめくんに電話。
かめ「うちのちょっと西の方、極真会館の近くですわ。さっきまで見に行ってました」
民団大阪本部の北側、在日アパートらしい。
ニュースでやるかなとテレビを見ていたら、火事の代わりに、中島らも逮捕のニュース。大麻とマジックマッシュルーム所持という。……さほど驚きもせず。
大麻に関してはコメントする立場にないが、らもさんは「天性の作家」であるから、いずれ…だいぶ先になるかもしれないが…今回の顛末はすべて書いてほしい。ぜひとも読みたいのである。
ハードSF研の公報が届いている。
なんと石原藤夫博士がホームページ開設されたらしい。
すぐさまご挨拶に出向く。
ハードSFの大先輩にして、SF科学、SF書誌学、科学史、古代史研究家など多くの顔を持つ(しかもそれぞれの分野で凄いレベルの業績がある)オロモルフ博士の登場である。
さっそくオロモルフのホームページにリンクをはらせていただく。
2月6日(木)
専属料理人、風邪で発熱。困ったものだ。
銀行その他、それに買い物の代行もあり、昼前に梅田から本庄方面のスーパーへ自転車で回る。
中崎町の近くなので、昨日の火事場を見物に寄る。
相当な範囲が燃えたはずなのに、通りからは見えない。極めて狭い路地でしか入れない場所なのである。消防車50台が来たと言うが、消火に手間取るはずだ。
民団本部に隣接した北側で、ビルの上からでないとわからないだろう。今日もヘリが飛でいた。
この一帯、妖しげな神社みたいなのや、極真会館、府警の建物(公安関係か)、民団の本部、それに許永中の自宅(今の所有権がどうなっているのか知らないが)など得体の知れない建物が並んでいて、ともかく不気味な一角である。
早朝グルメで天五方面へ行く時にネキを通過するのだが、黒っぽいクルマが停まっていることが多い。
かめくんの住まいからは100メートルも離れていないのではないか?
かめくん夫妻はとつぜん1月以上海外へ行ってしまうことがある。帰国したら焼け野原だったってこともあるのではないかい。と「老婆心ながら追言申し上げます。」
2月7日(金)
やっと集合住宅の水漏れ事故が解決したと思ったら、午後、またも発生。
よそのトイレの水が溢れた現場をデジカメで撮影なんて、気乗りしませんぜ。
今回は保険金請求レベルではないものの、上階の「老人性」に起因するようなので、被害者側が「なんとかならないのか」といってくる。こちらは行政じゃないからなあ。困った問題である。
老化(←とあえてソフトな言い方にするが)が恐ろしいのは、老化を自覚できないからである。
これは痴呆に限らない。
一般に「老害」というのは、原因になる「老人」が自分の老いを自覚していないからである。
おれはこれが怖いので、自分なりの検査基準を設けている。
詳しくは非公開だが、「体力」「記憶力」「思考力」の3点である。先世紀でSF大会参加を終わりにしたのは「体力」が設定しているレベルを切ったことが主因である。
ただ、自己チェックを忘れるようになったら、どうしたらいいのかねえ。
気の重くなることが多い。
先日、某紙のコラムに「節分の太巻き寿司の丸かじり」について書いたら、やんわりとした「苦言」らしきハガキが新聞社から転送されてきた。
書いたのはこんな内容。
●節分に「恵方に向かって、太巻き寿司を、黙って、切らずに丸ごと食べる」習慣は、「昔からの神事とか、地方の風習とかいわれるが、大阪商人の考案説がいちばん説得力がある。」しかし「ぼくは実行したことがない。」なぜならば、わが家にその習慣がなかったので、作法がわからない。「しゃべってはいけないのか。途中でお茶を飲んではダメなのか。」……いずれにしても「行儀のいい食べ方ではないからなあ。」
……300字ほどのコラムなので、書けることに限界がある。どうも揶揄のようにとられたようである。
この「巻き寿司の丸かじり」習慣、関西の風習と思っていたが、わが知り合いに色々尋ねても、子供の頃から家庭でこんな習慣があったというのは皆無なのである。
調べてみた範囲では、
・太古からの神事。(これはまず間違い)
・愛知の風習。秀吉の家臣がのり巻きを食べて出陣、手柄をあげたことから。
・江戸末期に船場商人が始めた風習。
などの諸説。
ただ、はっきりしているのは、1977年に「大阪海苔問屋共同組合」が道頓堀で「のり巻きの早食い競争」をやったことからエスカレートし始めた。これは確かである。
かんべむさし氏はこのイベントに関与はしていないが、業界情報として知っていた。
このイベントを企画した人物が何をヒントにしたかがわからないのである。
たぶん船場の習慣を知っていたからではないか……というのがぼくの推測であった。
つまり「早食い」で人気になった習慣で、しかも立ち食いだから「行儀のいい食べ方ではない」といいたかったわけである。
ハガキの主は、63歳の女性で「両親は高知の出身だが、戦後間もない食糧難の頃から、節分には無理をしてものり巻きを作ってくれた。今は独居だが、この習慣は守って、節分にはひとりのり巻きを作って食べる」と書かれている。
話を聞けば、高知の習慣ではないらしい。関西生まれで、物心ついたときから家庭の習慣であった。ただし、丸かじり、恵方を向いての立ち食いではなかく、ふつうに食卓を囲んだということである。ご両親は別に船場界隈の勤めでもなかった。いずれにせよ、今の「七種類の具を巻く」とか、だんだん派手になる風潮には批判的で、この点では同じ意見であった。
謎は残ったままである。
夕刻、かんべむさし氏が来穴蔵。
1時間半ほど雑談……の途中にも、水漏れ関係で呼び出されるなど、落ち着かない日である。
2月8日(土)
午後、北野勇作・モリカワ夫妻が来穴蔵。
ひと月ほどベトナムへ行っていたので、おみやげ持参。
かめ夫妻の海外旅行のみやげは、だいたいいつも現地の食材や調味料である。
今回は、ベトナムの焼酎、醤油みたいなもの(魚油ベース?)、するめ(これは日本と同じ、というより、日本に輸入されているものか)である。
ついでに先日の火事の詳報を聞く。……が、近所過ぎて、消防車のサイレンも現場近くではとめてしまうから聞こえず、ヘリの音が騒がしいので出てみたら「火事らしい」という程度だったという。
ともかく炎は見えず、煙だけ。大した火事ではなかった。
これがテレビだと、阪神大震災以来の大火災のように見えて、やはり心配した知人からの電話が相次いだという。実際、ウチにも専属料理人の実家とか、ボンクラ息子その1が東京からとか、全国区での報道であったらしい。北朝鮮の謀略説はなかったのだろうか。おれが最初に思ったのはこれだったんだけどね。
夜、ベトナムするめを炙って、「醤油みたいなもの」とマヨネーズを混ぜたもので食べる。これでベトナム焼酎の湯割り。心なしかエスニックの味で、結構なものである。
これを飲みながらFMでゴンチチの番組を聴いていたら「似たフレーズ」の紹介で、ウェス・モンゴメリーの中に「お猿のカゴ屋」が出てくるというのに笑ってしまった。酔っぱらっていて曲名失念、何だったっけ。(※)
この種のでは、「ブルー・モンク」が「サンタが街へやってくる」につながるのを谷口英治のライブで聴いた。他では、石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」はエリントンでヒットした「ディガ・ディガ・ドウ」に似ていると思うが、言った人はいるのかなあ。
※ モンゴメリーの「おサルのかごや」は「モンタレー・ブルース」であると森下一仁さんから知らせていただいた。森下さんもゴンチチ番組のファンという。
「似たメロディ」についてはクマゴローさんから、「ゴースト」と「赤トンボ」の類似のメール。確かに坂田明さんが「モントルー・アフターグロウ」の中で高らかに吹いているのは、これを意識してと考えると、なるほどと思う。
2月9日(日)
夕刻、心斎橋。
松竹ビルの試写室で、第10回「big jazz river」……今回はゲストにタツプダンスの宇川彩子さんを招いてのライブである。
滝川雅弘(cl)竹下清志(p)西山満(b)石川潤二(ds)+宇川彩子(tap dance)
ジャズ・ライブでのタップは初めてである。日野元彦は聴けない(見られない)ままになってしまったし。サミー・ディビス・Jrをテレビで見たくらいかな。
2畳ほどの板を敷いてのダンス。
最初は「キュート」……これはドラムのブラシワークに相当する部分がタップになるわけで、似合いの曲である。
あと、ブルースや「マイ・ファニー・バレンタイン」なんかも。
パーカッションの一種と聴けばいいのかな。(※)
華やかで面白いが、踊る方、見る方、聴く方、かなり疲れるのも確か。
CDでは売れそうにないのが気の毒なところでもある。
アンコール曲「セントトーマス」に友人の京都在住、なんとかハヤシ・マリさん(姓が聞き取れず)が加わっての2人タップ。これは凄い迫力であった。休日でよかった。平日だと階下から抗議がきただろうな。
ちょっと疲労する。……インストの合間に聴くのがいいのかな。ジャズメンにタップの名手は多いらしい。ガレスピーはうまかったというが、CDで残っているのだろうか。
まっすぐ帰宅
テレビで『ムーンゲート』を30分ほど見るが、好みでないので切る。だいたいの展開も見えるが。
今頃『アラビアの夜の種族』を読み始める。……受賞パーテイに出る場合は読んでおくのを原則としているため。が、ちょっとしんどい。これも似たような「好みの問題」かなあ。
「アラビアの酋長」は大好きなのだが。
※タップは「体鳴楽器(楽器そのものが発音体となっているもの)」に分類されると作曲家の大澤徹訓さんから教えていただいた。オルゴールもそうだという。
2月10日(月)
早朝…といっても6時過ぎだが、出かけようとしたら、専属料理人が(なんとこんな早朝から!)穴蔵に連絡してきて、いっしょに行くという。
単にタイムマシン格納庫に移動するだけなのだが、ウチの父の命日でもあるので、お供えなど用意したのだという。
いっしょに播州龍野に移動。
わしゃタイムマシンの整備をするが、その間、老母と3人で墓参。春のような陽気で助かる。
ついでに……と、何の脈略もなく、近所にある「ゴミ屋敷」を撮影。
最近テレビではやりのゴミ屋敷。まだあのレベルには及ばないが、相当いい線を行く。
なにしろ、どういうわけか廃車が6台ある。乗りつぶしたわけではないから、どこから来るのだろう。1台は家と成長した樹に挟まれて、取り出すのは不可能。
時々実家に「業者」が「あの空き家の持ち主は?」と尋ねてくる。……「住んではりまっせ」といっても納得しないらしい。
ま、ご近所のことであるのでこの辺まで。
夕方まで、専属料理人が老母の話し相手をしてくれたようである。
夕方までいて帰阪。
姫路で鉄火巻きの旨い寿司屋に寄る。
夜帰宅。
2月11日(水)
終日穴蔵。
世間が休日だとやっぱり静かである。
2月12日(水)
終日穴蔵。
タイムマシンの機内トイレの電球、ネット検索でヒットしなかったが、日本電球工業会の名簿を取り寄せて当たっていくと、ほとんど要求を満たすメーカーに行き着く。
特殊法人も少しは役に立つということか。
夜、集合住宅の理事会。
光ファイバーの導入について、集合住宅の場合、微妙なところだ。わしゃADSLで十分なのだが、少数の希望者もいて、「業者」側は、シェアを取りたいものだから先行投資で設備を設置したがる。「赤字覚悟ですから」と恩着せがましいのが、狙いは見え透いている。
わが集合住宅、インターネット人口は15%くらいのようである。
2月13日(木)
朝っぱらから市川新之助くんの「隠し子」騒動。まったく先日から「カブキの日」が続くなあ。賑やかな世界だ。
おれ「新之助って25歳…え、うちのボンクラ息子に隠し子がいるようなものか!?」
専属料理人「そんな歳でしょ。だって団十郎の奥さんというのは私と同学年だったわよ」
おれ「え、よう知ってんのか?」
専属料理人「留年してきて同学年になった人だから……」
あんまり余計なこといわない方がいいな。報じられているような「才媛」ではないといいたいらしい。ははは。
昨夜ハチママから呼び出しがあったので、午後、インタープレイ・ハチへ。
某紙の取材があるので立ち会ってほしいという。
これは記事が出てから書くことにしようっと。
「西天満」界隈の紹介でハチが取り上げられるという。
おれにとってもなじみ深い場所である。
40年前に来たヌルスタジオ(神明町)。30年前からのハチ(梅ヶ枝町)。それに米朝事務所もすぐ近くである。……西天満という町名はどうしても好きになれないが。
個人的には、60年代のSF、70年代のジャズ、80年代の上方落語(太融寺/米朝事務所)と、この界隈とは密接に関わっていることになる。
色々しゃべっていたら午後5時頃になる。
久しぶりなので、ハチママに寿司でも食べに行こうかというと、ハチママ、たちまちわが家に電話して専属料理人に「すぐ出て来!」
30分ほどで専属料理人が到着。
ハチママ主導でミュンヘン北大使館へ。
ハチママ、分厚い札束を持っているのかと思ったら、これがビール券で、なんと親の代からここの株主だという。
寿司の予定が、蒸し鍋のコース、3人で2人前。これくらいが適量である。ビールは遠慮なくがぶ飲み。
ハチママが先月「たったひとりで」、新幹線で名古屋→ここで乗り替えて中央線で塩尻→またも乗り替えて小淵沢。ここで山下洋輔氏のコンサート。一泊。また同じ経路を「たったひとりで」大阪まで帰還したという顛末、約2時間の独演会。
確かに驚くべき話ではある。
京都とか神戸でも頼りない人である。
名古屋の乗り換えもややこしいが、塩尻でよくぞホームも進行方向も間違えずに乗り継げたものだ。
塩尻というのは、路線もホームも複雑な上、進行方向が変わるし、中央線のホームには色とりどりの乗車口標識がかかっていて、どこで待てばいいのかわからない。しかも胸クソ悪い名前の特急が走っている。ともかく難所で、おれも一度乗り間違えたことがある。
まあ、これなら今後、どこへ行くにも「世話人」不要であるなあ。
それにしてもハチママ、茶パツにしてずんぶん若々しくなった。
以前(30年前)はポニーテールにジーパンで、これまた凄かったが。
午後9時まで。
2月14日(金)
終日穴蔵。
少しは仕事もするのであった。
2月15日(土)
終日穴蔵。
笠原和夫のインタビューをまとめた大著『昭和の劇』を読む。
圧倒された。……これも別項だな。
夜、光ファイバーの導入に関する説明会。全部で10人ほど集まるが、利用者は当面3、4人がいいところではないか。わしゃ当分ADSLである。
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