「宇宙法廷ノート」2
【NOTE】
提訴
電話はいつもとつぜんかかってくる。
この長い物語をどこから書き起こすか。二秒ほど迷い熟考した結果、やはり作者・堀晃が事件の発生を知った場面から始めるべきであろうと考えた。
1981年4月15日午後8時5分頃、自宅の電話がとつぜん鳴った。電話はこちらの都合を考えずにとつぜん鳴るから苦手だ。このところ、ろくな電話がない。昔からの電話嫌いがますます高じている。本日のは特にねちっこい呼出音に聞こえ、嫌な感じがしたが、案の定、嫌な感じの声が伝わってきた。
「こちらは読売新聞文化部のミヤベと申しますが、堀晃さんでしょうか」
「はい、そうですが」
「本日、早川書房が東京地裁にあなたを提訴しました。それで、いわれっぱなしというのもシャクでしょうから、何かおっしゃってください」
「ええっ、あ、そうですか。まだ何も聞いていないのですが」
「本日の午後四時頃、訴状を出しました。あなたもいいたいことをいってください」
「……といわれましても、ええっと、なにをですか」
「じゃ、こちらから聞きましょう。まず、『太陽風交点』の文庫化について、徳間書店とは出版契約を交わされましたか」
「出版契約書があります」
「その契約書に判を押されたのはいつですか」
「契約の日付は今年の2月19日です」
「では、『太陽風交点』の早川書房での文庫化についての契約はどうなんですか」
「文庫化について、昨年の秋に打診があったことはありますが……」
「早川は、徳間との契約が二重契約といってるのですよ」
「契約の内容については、どう考えていいのか、こちらも困っているのですが……」
……しばらく、徳間との出版契約、早川からの抗議についての経過説明となる。
ぼくとしては、何回も繰り返して色々な相手に話してきたことなので、はっきりいって苦痛だ。
ミヤベ記者(これは後日の記事から、読売新聞文化部・宮部修記者であると判明するが、この時点ではミヤベとしか聞いていない)の質問に答えながら、こりゃえらいことになったという動揺よりも、やっと相手が態度をはっきりさせてくれたか、と納得できる気持ちの方が強かった。1月から続いていたモメゴトにやっと「解決の方向」が見えたからである。……これは十七年経ってからの感想ではない。その後も不愉快なことは続くが、ともかく反論の権利はある。1月の受賞以来、気の重い電話が続き、あらぬ噂が飛び交い、それを伝えてくれるご親切な電話があり、家族に対する脅迫まがいの電話を今岡清からかけられるに及んで、こちらも忍耐の限界にきていたのである。その後の人生を含めても、この日までの三ヶ月間ほど嫌な思いをした期間はない。
やっと公式的に発言できる。正直、そんな気持ちの方が強かったのである。
その意味では、ミヤベ記者の「いわれっぱなしというのもシャクでしょうから、何かおっしゃってください」という質問は、こちらの感情をかなり正確につかんでいたわけである。が、裁判になるなら、こりゃ、記者にいうことではないわなあ。
なにしろ、提訴を知らされたばかりで、肝心の訴状の内容じたい、まだ何も知らないのである。ミヤベ記者は「二重契約ていってる」という説明だけで、詳しい説明はない。
ミヤベ記者は訴状を読んでいるのか? 入手可能なのか? 提訴の事実をどこでどのように知ったのだろう? あとになって疑問が湧いてきたが、とっさにはそこまで頭が回らない。やはり動揺していたのだろう。
経過説明は10分くらい。
「それはそうと、明日、SF作家クラブの臨時総会がありますね」
「……ええっと、臨時というのか……集まることにはなっておりますが」
「ああなるほど」ミヤベ記者は早口でいった。「任意団体ですから定例総会はないわけですね。……で、あなたも出席されますか」
「そのつもりです」
電話を切る寸前に、ぼくが訊いた。
「……あのう、それで、これはどういうことになるのでしょう?」なんともしまらない質問だが、記事の扱いがどうなるのか知りたかったのだ。
が、返ってきたのは意外な言葉だった。
「まあ、民事ですから、そのうち適当なところで和解でしょう。……まあ、いずれにしても、のんびりした話ですなあ」
ふーん、そんなものなのか。ここまで嫌な目にあって、裁判の席で「仲直り」なんてできるものだろうか。ミヤベ記者は「その程度の事件」ととらえているようだが。と、受話器を置いて3秒ほど考えたあと、また電話機をとった。午後8時半に近い。徳間書店にはもう誰もいないだろう。
ぼくは徳間書店の久保寺進氏の自宅に電話をかけた。久保寺氏は帰宅していた。
「さっき読売の記者から電話がありまして、早川が訴訟を起こしたというんですが、この件、ごぞんじですか」
「え……本当ですか。夕方まで社にいましたけど、聞いていませんが」
久保寺氏の声は、その体格同様、やや小声で細いが、どんな時にも興奮することがない。ごく平静にぼくの経過報告を聞き終えると、「こちらでも、ちょっと当たってみましょう」と電話を切った。
近くで子供の相手をしている家内に伝えた。「聞いたとおりで、早川が裁判を起こしたらしい。まあ、どういうことになるかはわからんけど、直接鬱陶しい電話がかかってくることはないやろ」
十分ほどして、今度は徳間の菅原善雄氏から電話。
「久保寺から聞きました。どうやら提訴は本当らしいですね。ぼくも直接聞いていないのですが、社を出てから新聞社からの電話があったようです」
菅原氏も詳しい事情は知らないようだ。
「どうしましょうかね」
「明日、早めに出てこられませんか」菅原氏がいう。「昼までに、できる範囲で調べておきますから」
夕方、SF作家クラブの総会の前に、徳間書店に寄る約束だった。午後3時か4時の予定である。
「では、昼までにお伺いできるよう手配してみます」
4月16日は勤務先の労働組合が賃上げ交渉で24時間ストを予定している。これがわかっていて有給休暇を前もって申請はしにくいのである。スト破りというわけではないが、罷業積立金の扱いとか、組織内で例外的な行動はとりたくない。過去の経過から、おそらくストはない。あっても昼までだろう。スト解除の段階で休日申請すれば、夕方東京には間に合う。そう踏んでいたのである。
上司に電話をかける。「ややこしい時なのですか、明日、明後日の2日間、休ませていただきたいのです。急にややこしいことが発生しまして。明日の朝刊にでるかもしれませんが、こないだ話した、出版契約のゴタゴタです。ストに入ると組合との話がややこしいのですが、緊急の用件ということで後日説明しますので、なんとかお願いします」
受賞以来の経過は会社にだいたい説明してある。そうしておかなければ、会社に電話がかかってきた場合に困るからだ。
まったく、ややこしい日を選んでくれるぜ、と電話を切ってから思い当たった。まてよ、明日、SF作家クラブの総会があることは、先月から決まっている。となると、明日の総会を見越して本日提訴したのか……まさか、いや、そうかな……。前日会員が提訴されたとなると、いやでも話題にしなければならぬ。だが、早川に何のメリットがあるのだろう。混乱させたいだけなのか。しかし、それは結果として嫌われることになるのではないのか……。よくわからない。早川の弁護士が先月、訴状を用意していたことは聞いている。いつでも裁判所に出せる用意はできていたはずだ。
しかしなあ……。なんかおかしいなあ。
この3ヶ月の経過をどう考えても、早川の……早川清社長の判断がどこかで狂っているとしか思えないのだ。訴訟の提起は社長決裁のはずである。ぼくの勤務先では取締役会付議事項である。ぼくは早川社長と直接話はしていない。交渉の席にも、会社組織としては当然のことながら、社長自らが出てくることはめったにない。経営者は下から上がってくる報告に基づいて判断する。
本当に正確な情報が届いているのだろうか。社内政治に長けた「内務省」型人間を経由すると情報が恣意的にねじ曲げられることは、どの会社でもよくあることだ。それに今回の事件では……これは、その後いくらかは明らかになるが……保身のために不都合な事情を伏せて報告が行われた気配が濃厚なのである。「誰が」かは、はっきりしている。「どのように」が不透明なのだ。
早川とのゴタゴタについては、3月24日(火)にこちらの最終見解を出して、それでダメなら司法に判断を仰ぐのはやむを得ない、ということになっている。つまり「訴えるならどうぞ」と伝えてから、沈黙が3週間続いている。
どうもこの日を待っていたと考えたほうがよさそうだ。だがなあ……。
午後9時に近い。
小松さんはすでに上京している。筒井さんに電話した方がいいだろうか。(この時期、日本SF作家クラブの会長は小松左京氏、事務局長は筒井康隆氏である)
テレビで映画「復讐するは我にあり」を放映している。筒井さんがこれを鑑賞中であれば迷惑がられるのではないか、と迷ったのである。が、やはり事務局の耳には入れておくべき事項だろう。
躊躇したあげく垂水の筒井邸に電話する。が、すでに上京されているとのことであった。
さてと……というところで何もすることがなくなった。
「明日からどうする」ぼくは家内にいった。「しばらく静岡へ帰るか」
静岡というのは家内の実家である。
1月から3月にかけての電話で、家庭内の雰囲気が一時おかしくなった。なにしろ脅迫まがいの電話まである。これ件は抗議して詫びも入っているからもう繰り返されることはないだろうが、せっかく静かになったのに、また明日から電話が集中しそうだ。ぼくの留守中に出版契約についての取材があっても答えようがないだろう。日頃から、仕事のことは、会社もSFも含めて、家内にはほとんど話していない。タモリにならって、仕事とセックスは家庭へは持ち込まない主義だ。SFは……リビングへは持ち込まないのである。
留守番は不安だという。
「そんなら明日朝、静岡までいっしょに行こう。ともかく子供を早く寝かせろ」長男は2歳8ヶ月である。「たぶん、騒がしくても、せいぜい四、五日のことやろ」
家内が子供を入浴させたりしている間、水割りを飲む。
やはり気分が高ぶっているらしく、あまり酔わない。
ぼくは、この3ヶ月の出来事を思いだした。
すべては日本SF大賞の受賞から始まる。
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