『マッドサイエンティストの手帳』233
●マッドサイエンティスト日記(2002年3月前半)
主な事件
・徳間文芸賞贈賞式(1日)
・ジョン・コルトレーン生誕75周年記念スペシャル・ナイト(2日)
・半村良氏逝去(4日)
・80年代前半のライブ・テープを聴く日々…
2002年
3月1日(金)
久しぶりに上京。
防寒下着着用でコートなし。これでも凄く暑い。
某国際商人宿にチェックインのあと、地下鉄で銀座。山野楽器で北村英治のCD『セッション』を購入。
ぶらぶら歩いて有楽町・ビックカメラ見学の後、東京會舘。
久しぶりにSF作家クラブ総会に出席。初めて会う方が多い。代替わりであるなあ。
18時から徳間文芸賞贈賞式。
3月2日(土)
昼近くまで寝る。
夕方まで時間があるので、珍しくも都内散策。
お茶の水でディスク・ユニオンと古書店を覗いた後、引き返して、初めて湯島聖院を見学。その裏手へ行くと神田明神。こんなところにあったのか。
そのまま歩いて、気がつけば御徒町。10年以上前、ここの韓国焼肉店街の近くに会社の開発分室があって、よくきたものであった。本日、焼き肉を食べる気分にはならず、神田へ戻って、「砂場」でビールと天ざる。
16時過ぎに東京TUCへ。ジョン・コルトレーン生誕75周年記念「TORIBUTE TO JOHN COLTRANE」スペシャル・ナイトである。
終了はなんと22時を過ぎる。
急いで東京駅八重洲口へ。珍しくも大阪行きの夜行バス「ドリーム5号」に乗る。25年ぶりではないかと思う。3列シートになって初めて。席は1Cで、2階最前列の右窓側。眺めはいいはずが、ずっとカーテンを引いたままである。ああしんど。
3月3日(日)
「ドリーム5号」大阪駅に7時5分前着。正確であった。
が、やっぱり眠れるものではなかった。
興味本位で乗車してみたのだが、もうこれで一生乗らない。
かんべむさし「眠れないことはなかった」
北野勇作「眠りかけたら、振動で、阪神大震災を思い出して起きてしまう」
わしゃ一睡もできなかった。
帰宅後、夕方まで眠る。
3月4日(月)
夕刻、半村良氏の訃報。
メーリングリストと別に「電話網」という制度が生きているので、数氏に電話とFAX。小松の親っさんと珍しく電話でしゃべる。小松さんも半村氏の「正確な年齢」は知らなかったらしい。
半村さんはSF関係の会にはほとんど出てこられなかった。何度かお目にかかったが、話したこともない。
ただ、何か独特のオーラを感じさせる人であった。
もの凄く鮮明に覚えていることがある。
30年以上前。……1970年5月、初めて早川書房を訪ねた時である。
2階への木製階段で、降りてくる小柄な人とすれ違った。普通に背広で皮のカバンを下げた人だが、何か異様な雰囲気があった。殺気というと表現が悪いなあ。やっぱり一種のオーラだと思う。
2階で森優(南山宏)さんに挨拶したら、さっき半村良さんが来ていたと教えてくれた。……あとで知ったことだが『石の血脈』が完成した直後だったのである。
この時が初対面(というより、初めて見たということだが)で、この時の印象は30年間変わらないままである。
なんだか凄い……ちょっと怖い雰囲気の人だった。
そこへ行くとコーシン(高信太郎)は凄かったなあ……。
10年以上前だが、新宿の酒場で半村さんと偶然いっしょになったことがあるという。初対面である。最初は「半村センセイ……」、2軒目で「なあ、半ちゃん」、3軒目か4軒目か知らんけど、最後の方は「おい、この半公!」
「君は『半ちゃん』と呼んでよろしい」というお許しが出たそうである。
3月5日(火)
ちょっと必要が生じて図書館へ行くことにする。
「穴蔵」を這い出して、表に出たところで、ポール井上氏に遭遇。こんな「ネキ」(←語源は根際?)に勤務してはったのか!
荒本の府立中央図書館へ。小雨になる。……が、探していた資料はなんと中之島図書館にあることが判明。中之島の閲覧室はまだそのまま残っていたのか。知らなかった。嗚呼。無駄足であった。中之島経由で夕刻帰宅。
3月6日(水)
どうも気分がのらない。天気はいいので、午後、自転車でかんべ事務所へ。2時間近く雑談。知人の訃報はやっぱり気分を重くする。
3月7日(木)
午後……参院予算委員会の国会中継見ていたら、面白くて15時まで。民社の福山くんというのが張り切っている。外務省の欧亜局長というのは、山科けいすけの描くキャラクターに似ているなあ。不気味な男だ。
3月8日(金)
午後、また国会中継。共産党の筆阪くん、がっばっているね。欧亜局長、ますます不気味。「窓際人物」の顔なんだけど、結構したたかなのであろうなあ。
3月9日(土)
昨夜から鼻水とくしゃみが急に増える。……まあ、今年はましだな。
ここ数日、気分が重く、夜、久しぶりにサントリー・ファイブへニューオリンズ・ラスカルズを聴きに出かける。
珍しくメンバー7人全員が揃う。……「In the upper garden」が演奏されて、これも去年のお彼岸以来、一年ぶりか。
明朝からヨー・キムラ・トリオはアメリカ演奏旅行。フロリダ〜テネシーへもという。
3月10日(日)
終日、珍しい80年代前半のライブ(私家録音テープ)を聴く。……最近でも、ライブ会場に録音機を持ち込むファンは多い。インタープレイ8でも、昔の知人に当たれば色々出てくるかもしれない。
ただ、こうした作業は、やっぱり青春のものだなあと実感する。狭い会場に押し込められて聴くのはもう苦痛だし、録音機を気にしながら聴くのも無理。うまく編集されたCDが出るのがいちばんありがたい。
音楽や映画の研究のしんどさは、こういう時間的拘束だろう。
活字なら一日中読んでいても苦痛にはならないものなあ。
なんだか人生の残りの方向が決まった気分だ。
明け方まで寝つけず。音に興奮して……ではなく、明日に証人喚問を控えた宗男の気分を想像して、であろうか。
3月11日(月)
新聞休刊日なので、早朝、パジャマのままコンビニに行ってサンケイの特別版を買ってくる。
朝刊を「自宅」へ取りに行くのも、「穴蔵」からの距離はそう変わらないので、新聞の宅配が打ち切りになっても、わしゃ全然困らないねえ。テレビ覧さえありゃいいんだから。
で、テレビ欄を確認、9時から鈴木宗男くんの証人喚問の中継を見る。……やっぱりロッキード事件の時ほど面白くないなあ。辻元清美は「挑発」かもしれないが、回答をはなからあきらめていて、自分の「売り出し」を狙ったとしか見えない。まあ総会屋の手口と同質か。裏取引を狙ってではなく「株主」への受け狙いだろうけど。
午後から深夜まで、あちこちのチャンネルで宗男喚問の総括。が、ちょっと見ただけで、もうマンネリ。
アホらしくなり、また夜中まで、80年代前半のライブ・テープを聴く。
3月12日(火)
終日、穴蔵で机に向かったまま、80年代前半のライブ・テープを聴く。
つくづく、わしゃ「ながら族」ではないなあと実感する。
3月13日(水)
終日、穴蔵で机に向かったまま、80年代前半のライブ・テープを聴く。
夜、居住している集合住宅の理事会。
4月から1年間、管理組合の理事長という役職が回ってくる。理事を敬遠する人が多いので、輪番制を導入した張本人のひとりであるから、これはしかたがない。……星新一さんの短編を思い出す。あれは「人口の間引き」であったが。
3月14日(木)
朝から電話で起こされる。集合住宅の一室、トイレ逆流で水漏れ事故。こんなのが「理事長の仕事か!」と怒鳴りたくなる。が、「縦管詰まり」の可能性あり、そうだと被害が他の部屋にも及ぶし、先だっての配水管洗浄に手抜きがあった可能性もあるのだという。……ああ、こんなことが1年続くのかよ。
昼頃に解決。結局は個別の問題であった。
暖かいというか、4月中旬の陽気。やや異様な暖かさである。
SFアドベンチャーの編集長であった、現在「文源庫」代表の石井さんが来阪。
詳しくはまだ書けないが、ネットと連動した雑誌の企画中。……いや、企画段階は過ぎて、ほとんど実動段階。関西方面の調査を兼ねてらしい。
かんべむさし、それに本間祐氏にも来てもらって2時間ほど。
近日、詳しく紹介できると思う。
3月15日(金)
早朝の電車で播州龍野の実家方面へ移動。
タイムマシンの整備。
午後は彼岸に備えての墓掃除など。母といっしょに山裾の墓地まで歩き、花を飾る。
ここにぼくが入ることはない。できればミシシッピー河口の街、だめなら淀川に散骨と決めているからなあ。
宇宙葬が理想だが、太陽系の重力圏から解放されるのは無理だろう。
現在、高い金を取って募集してい宇宙葬は、ちょっと大がかりな空中散骨に過ぎないからやめた方がいい。
夜、帰阪。
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