HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』207

●マッドサイエンティスト日記(2001年8月前半)


主な事件
 ・タイガー一行、国立民族学博物館へ行く(3日)
 ・山下洋輔ライブ at ハチ ついでに三日月狼藉(4日)
 ・インタビュー記事が2件(10日)
 ・『第三の男』の謎(13日)

2001年

8月1日(水)
 朝5時に朝刊を読むために「実家」に帰ると、ボンクラ息子その2がプレステ2をやっている。徹夜らしい。専属料理人も眠れなくて起きてしまったらしい。それなら、せっかくだからと正規に朝食を作ってもらう。わしゃこの時間に朝食というのが、体調にはいちばんいいのである。
 雑用の多い日であるが、色々片づく。
 8月25日に谷口英治と滝川雅弘が東京で2クラセッションをやるという。今度は右近茂のテナーを加えて、ベニー・グッドマン楽団にスタン・ハッセルガード(cl)とワーデル・グレイ(ts)が加わった伝説的「バップ」の再現を試みるという。うーん、行けるかどうかまだわからない。ディスクピアを覗くと、買い損なっていた「ベニーズ・バップ」があり、1、2ともに買ってくる。録音はよいというものの、なんといっても1948〜9年のもの。やっぱり今の生きのいいのを生で聴きたいなあ。

8月2日(木)
 あまりアタマの働かない日であった。

8月3日(金)
 午後、千里中央から国立民族学博物館へ。
 5月22日にあった「タイガー計算機をいぢる会」の「続編」である。あるイベント会場で石毛館長にばったり会った時、「館長室は午後5時以降はアルコール解禁にしているから、一度遊びにいらっしゃい」と声をかけられ、それではタイガー・メンバーで「お言葉に甘えさせていただこうか」というずうずうしいプランが実現したのである。
 参集メンバーは、ちょっと遅れてきたメンバーも含めて、大迫公成、菊池誠、小波秀雄、野尻抱介、林譲治、堀晃、渡辺義弥。15時頃に館長室を訪ねると、なんと小松左京さんがすでに来ていた。なんでも何回か先の展示企画のレクチャーとか。
 タイガー・メンバーは石毛館長の案内で、まず「楽屋」見学。薫蒸室、立体情報ライブラリーシステム、資料保管倉庫など、民博へは何度も来ているが、裏側を見せてもらうのは初めてである。展示品の「滅菌」システムも凄いが、数年先に孵化する卵が潜伏していることがあるというから、まるでエイリアンの世界である。
 常設展示も見学。
 17時から、館長室の応接コーナーで、石毛先生の手作りオードブルとともに、ビール、ワイン、日本酒が並ぶ。小松さん、それに副館長や久しぶりの杉田繁治教授らも同席で10人以上の懇親会になる。
 なんとも贅沢なことである。
 off
 こういう場合……といってもわかりにくいか、以前のプラザホテル1階の「マルコポーロ」に数人が集まった場合など、たいてい小松さん独演会になるのだが、この日は小松さんの正面に石毛先生がいて、両碩学中心の大座談会になった。といっても、90%くらいが小松・石毛発言だけど。
 その話題の広がりたるや、ざっと列記すれば、アラビアンナイト、らくだの瘤、シルクロード、鄭和の遠征、文の思想・武の思想、独立行政法人、精神経済学、量子コンピュータ、地球温暖化、日付変更線、南極大陸、イースター島、モアイ、家型石棺、石貨の経済学、教育制度改革、T沢のおっさん、風呂敷と唐草模様、押しかけ弟子、バイク、平家物語と源氏物語、パチスロ、科挙制度、シンガポール、マンダリン・チャイナ、ミドルレンジ論構想……
 まあ、こういったキーワードの周辺に色々な話が飛び交って、気がつけば21時を回っていた……。
 ちなみに、小松さんの正規の弟子というのは、公式的には「押しかけ弟子宣言」をしている横田順彌氏ひとりである。わしの場合はどうか。……ぼくが小松さんに作品を見て貰ったのは昭和37年夏であり、「易仙逃里記」で作家・小松左京が誕生する2月前なのである。ヨコジュンは誕生後の「押しかけ」であるが、わしゃ、作家・小松左京が誕生の時にすでに身ごもっていた弟子なのである。弟子として認知するとかしないとかいう以前に、エイリアンみたいに潜伏していたのである。こういうのは何弟子と呼ぶのか……。横山やすし(「生まれながらの漫才師」)にならえば、「生まれながらの弟子」とでもいうか。やすしの師匠はエロたこのノックだけど。えらい違いだ。
 贅沢かつ刺激的な一日であった。

8月4日(土)
 夕刻、専属料理人と歩いて梅田のインタープレイ・ハチへ。
 毎年8月恒例になっている山下洋輔さんのライブ。
 ピアノを横向けにセットして、前列はピアノを囲むような配列。ウチのふたりはピアノの真正面で、2メートル前の山下さんと向かい合う位置である。(……「なんだか堀さんちで弾いているような気分だった」とは、後で山下さんから聞いた言葉)
 音響的には最高の位置ではないが、弦がもろに見えて、なかなかの迫力であった。  
off
 「ラウンド・ミッドナイト」から始まって「ボレロ」まで。山下さん、超満員で通路がなく出るに出られず、強制的アンコールはNHK大河ドラマの後に流れるテーマであった。
 あと、例によって、ハチママ誕生パーティということになるのだが……うーん、まあ、書いておこうか。
 アルトを持ってきた「三日月」なる男、すでに酔っぱらっていて、音程が外れたというよりも、もともとまともには吹けないアルトをひとり鳴らしはじめた。当然周辺からブーイングの嵐、が、まったくやめる気配なし。頭痛がしてくる。缶ビール1個飲んだだけでオモテに避難。あの大ちゃんまでが出てきたのだからひどいものだ。……さらに、まあ、書いておくか……この「三日月」夫人・F子さんとウチの専属料理人は知り合いで時々近所で会うものだから、この日も並んで座っていた。わしゃ、もう気分が悪いから帰ろうといったのだが、専属料理人はF子夫人が気の毒だからと渋る。まあ針の筵の心境だろうけど。
 30分ほど路上でボケーッとしていたらハチママが戻ってきた。事情を聞いて「よっしゃウチが止めてきたる」と店に入っていった。しばらくして出てきて「アルトを取り上げてトイレに放り込んどいた」……が、2分もしないうちに、またもアルトの騒音が聞こえてきた。こりゃあかんわ。ハチママでダメならもう止められる人間はいない。
 専属料理人を呼び出してコソコソと退散。まともに食事をしていなかったので、斜め向かいのヤキトリ屋「てころ」へ行く。生ビール3杯。30分ほど。やっと落ち着いて帰宅することにする。
 店を出て歩き出したところで、とつぜん専属料理人がクルマの影に身を隠す。
 「なんや?」「あれあれ」と指さす方向、通りの向かい側を「三日月様ご一行」がお帰りになるところであった。「何も隠れる必要ないやないか」「でも気の毒だから」……どっちが気の毒やねん。周囲にはラブホがちらほら。こんな場所で隠れたりすると、「あたしたち、ヘンに思われないかしらアアアア〜〜〜〜〜ン」(←タモリ)的気分になってしまうではないか。
 歩いて梅田を抜けて帰宅。
 途中、おおっ、梅田センタービルの前、正確には新御堂の堂山町交差点を北へ50メートル行った東側路上、JR環状線ガードのちょっと手前の歩道端に、ルン吉くんが布団がわりの新聞紙を敷くところだった。6月15日早朝に寝ていた位置と寸分変わらない。最近はここが「寝床」になっているのか……。職住隣接で便利だろうけど、ここはタクシーが夜通し走っている場所だからなあ……。
 ※その後のハチで騒ぎの様子は、ハチのホームページでわかります。

8月5日(日)
 三日月後遺症で終日アタマが重い。三日月、少しは石毛先生を見習え、ったくもう。
 夕食、専属料理人がデパートで「トロ豚」というのを買ってきた。オーブンで脂を落としたのを塩とポン酢で食べる。これが結構旨くて焼酎の湯割りをがぶ飲み。

8月6日(月)
 わはははははははは。大金が入ったぞ! ダハハハハハ。タイムマシンを使って大儲けする方法は、拙作『熱の檻』を参照されよ。あのう、明日の競馬の結果を見てくるなんてチャチなもんじゃありませんぜ。……あ、これは遙か昔に絶版だから、近い将来、長篇化構想中。ベストセラーになれば、それこそ大儲けだけど、実物のタイムマシンには及ばんぜ。ははは。(以下略)
 森ノ宮のキャノン販売サービスセンターへスキャナーを下げて修理依頼に行く。大量の文書を整理するために色々試行錯誤していたのだが、どうも調子が悪い。ソフト側の問題かもしれないので診断してもらう。と、やっぱりハードの故障でスキャンしないのであった。修理依頼してから本町へ。色々と人に会う。

8月7日(火)
 昨日入手した大金、全部なくなりました。「過去」側に収奪されてしまい、もう残ってません。
 手元にあるのは、昼のお弁当用の500円くらいです。
 ウチに来ても大金はありませんからね。
 ……とでも書いておかないと、近所から包丁ぶら下げた男が入ってきたりしたら大変だからねえ。物騒な世の中になりました。嗚呼……
 会社関係での送別会にお呼びがかかって夕刻、本町の「ゆかい屋」という居酒屋へ。創作料理系で、満員の盛況である。ほんのしばらく来ないうちに、その前に「たのし屋」だったか「おもろ屋」だったか「うらめし屋」だったか、新しい店もできていて、チェーン店らしい。反面、ガラガラの店も多い。居酒屋もひとり勝ち総取りの世界と化しているわけか。……わしゃ本町で昔から老夫婦ふたりでやっている「おきん」という店が好きなのだが元気だろうか。魚の煮付けが抜群に旨い店である。そのうち覗いてみることにしよう。

8月8日(水)
 キャノンのサービスセンターからFAXがきて、昼、森ノ宮までスキャナーを取りに行く。
 古いタイプと手書きの資料を取り込んでみるが、スキャナーでは結構時間がかかることが判明。
 午後、近くの喫茶店で林譲治氏と会う。資料のCD化について色々とレクチャーを受ける。林さんから、古い艦船資料を国会図書館でデジカメ撮影したのを貰う。色々検討してみるに、やはりデジカメでの収録、JPGでCD-Rに納めて、htmlで整理するのがいちばん効率が良さそうである。
 夜、集合住宅の理事会。終了後直ちに議事録作成。こういう仕事は速いのである。

8月9日(木)
 夕方、日経のH記者がインタビューの掲載紙や写真を届けてくれる……というのは一応の名目で、まあビールでも飲もうということである。
 根っからのSFファンで、学生時代は青山智樹氏や伊吹秀明氏らと活動していたらしい。『愛国戦隊大日本』のビデオまで所有しているというからたいしたものだ。
 SFの話や以前のファンダムの話をしていたら、たちまち就眠時間近くになってしまった。
 色々な業界でSFファンが活躍しているというのは嬉しい限りである。

8月10日(金)
 朝8時過ぎに電話。学友のひとりである。
 産経新聞の記事を読んだから、ということである。
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 ちょっと照れくさいので、あまり公表していなかったのだが、新聞記者はさすがに敏感である。ホームページの記載の変化から、退職されたのですかという問い合わせが2件。で、内容は違うのだが、ともにインタビューを受けて、その中で公表しているから、もう隠すことでもあるまい。
 ひとつは日本経済新聞8月2日(夕刊)で、関西に関して好きなことをしゃべるというもの。
 そして、今回の産経新聞は「気になるこの人」という欄で、産経の執筆者のインタビュー記事。8月8日〜11日、朝刊になんと4回である。(産経新聞には、毎週月曜の『週間ファイル』というページの隅に、ごく短いコラムを書いている。関西版でもう1年半。この4月から全国版になった。) インタビュアーは政治・国際室の河合洋成記者。
 記事は、この日記をアップする本日(11日)までだから、興味のある方は、すぐにキオスクへ。
 このページは目立つらしく、他にも電話やメールをもらった。
 学友のMくん、やはり同期の消息が気になるらしく、リストラの状況など色々教えてくれる。子会社へ出向して470人のリストラを敢行した先輩とか。その大先輩だって、戻れば今度は……とか。
 「わしにはできんなあ」「堀には無理やろ。お前は書斎におるのが似合うとるねん」
 確かにこの2月で、血圧は下がった。けどなあ、「フルタイム」というのはあくまでも名目上のことであって、気分は失業者なのである。
 世間はいよいよ盆休みに入るらしい。
 夕刻、地方赴任の友人が帰ってきたので居酒屋でビール。

8月11日(土)
 世間は盆休に入ったらしい。
 朝、意外に涼しい。朝5時、久しぶりにルン吉くんが戻っている。7月15日以来。盆休で帰ってきてくれたのだろうか。
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 ピンクの上着ももう蒸し暑くないのかもしれない。半ズボンになった裾から入る風がひんやりしたら秋なんだろうな。
 気がつけば立秋過ぎ。チェットベーカーりセンチな気分……とつまらんダジャレを思いつく。
 秋風が身にしみる季節到来の予感。
 明日はわが身である。

8月12日(日)
 午後、関西テレビで、滝川雅弘さんが音楽を担当したドキュメント、「闇市跡からの証言」を見たのだった。

8月13日(月)
 必要あって……というより、前からちょっと気になっていたことがあって『第三の男』のDVDを借りてきた。
 パソコンで観るが、ソフトがなんとかという警告が出てきて、10分ほどで止まってしまう。
 しかたなく、午後、ボンクラ息子のプレステ2で観るるこちらは快調である。が、(たぶん設定ミスではないと思う)原シナリオの英文を確認したかったのだが、英文字幕は出ないのであった。ヒアリング力が弱いとこういう時に困る。
 「第三の男」に関して気になることのひとつは、主人公の名前である。
 映画でジョゼフ・コットン演じる三文西部劇作家はホリー・マーチンズである。
 これが好きで、ぼくは自分のハンドルとして、時々hollyを使う。
 表記は holly Martins で、これは映画のクレジットで確認できる。(映画の中に、著書「オクラホマ・キッド」が出てくるが、これには著者名なし)
 グレアム・グリーンの小説版では Rollo Martins である。
 さて、早川から以前出たグリーンの全集があり、「第三の男」は実家書庫にあるはず。手元にないので、今の文庫を立ち読みした。RolloをHollyに変えたのは、Rolloにはホモセクシャルのにおいがあるというコットン意見にしたがってであると明記されている。で、アメリカの詩人「トマス・ホリー・チヴァーズ」を思い出してホリーにしたという。ついでに、「ホリーとライム」が植物名で並べたという意見は否定して、ライムの由来は死刑囚の死体を包む「石灰」から命名したと書かれている。
 で、原文を確認するために、今出ているペンギンブックスを調べてみた。
 と、この「序文」微妙に違うのである。アメリカの詩人が Thomas Holley Chivers であることは確認できる。(Holleyである) が、その他の説明はない。ホモ云々もぼかさけている。
 要するに、グリーンの「序文」のバージョンが幾つかあるらしい。……まあ、映画でも、冒頭のナレーションが英米で違うのだから、不思議ではないが。
 結局は、「HolleyがヒントになってHollyという名にしたのだろう」というのがが今のところの結論。
 実はもう一点(というか、2、3点)気になることがあり、最終的には「The third man」の英文シナリオを読みたいのだが、どうすれば入手できるか、ご存じの方(あるいはお持ちの方)ありましたらメール下さい、よろしく。
 (↑上記シナリオ、8時間後にメールいただき、英会話教材に3種類あること判明。ありがとうございました。基本のネット検索を怠っておりました。……紀伊国屋が徒歩10分、ジュンクドーが自転車10分なんて場所にいると、店頭以外を探すのが面倒になっているようだ。8/16朝)

8月14日(火)
 ちょっとした必要あってジャズ・ヴォーカルの超大型新星・上山高史さんのライブテープを聴き、前に送っていただいた誕生日ライブのビデオを観る。近日、楽しいお知らせができると思う。
 ライブ盤についてちょっと考える。
 雰囲気はいいが拍手と過剰なかけ声が邪魔な場合がよくある。
 代表はサンジェルマンのジャズ・メッセンジャーズの「モーニン」だろう。なんとかヘイゼルという「詩人」の嬌声がうるさい。昔は物珍しさというか、一種の蘊蓄として「ウィズ・ヘイゼル」なんていったものだが、どんな資格で「演奏」に参加しているのか。だいたい、ジャズ・ファンで「なんとかヘイゼル」の「詩」を読んだ人はいるのだろうか。わしゃそんな詩人、全然知らんぞ。
 ……近年、ライブハウスでマナーの悪い客に腹が立つことが多い。老化である。
 夕方、北野勇作氏がモリカワと来宅、チェコのおみやげなど色々いただく。
 チェコは意外にもビール発祥の地みたいなもので、ピルスナー系が多く、日本から行ってもあまり違和感がないらしい。ただし、ここでも元気な団体は「韓国」だそうな。

8月15日(水)
 午後……ぼけーっと書斎から古い住宅に切りとられた青空を見る。蒼穹にわた雲。四国にそっくりな雲を発見。オーストラリアにも見える。その雲が高知あたりで歪にちぎれていく。地震でもあるのではないか。「雲で観る未来予想」というトンデモ本のアイデを思いつく。あのトンデモ本というのはだいたい「持ち込み」なのだろうか。編集者の企画とは考えられない。となると、わしも持ち込みをやってみようか。トンデモ本大賞と星雲賞のダブル受賞がわしの夢である。……もっとも、トンデモ本というのは著者がトンデモ本と自覚した時点でトンデモ本ではなくなっているのかな。
 もうすぐ9月。
 セブテンバー・ソングの季節である。
 5月から12月は長い道のり
 でも9月になると残された日々はもうわずか
 秋がきて青葉を赤く変えていく
 戯れにゲームをしている時間はもうない……
 And I have'nt got time for the waiting game.
 ……というのに、終日ぼけーっと敗戦記念日を過ごすのであった。嗚呼……。


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