『マッドサイエンティストの手帳』722

●マッドサイエンティスト日記(2020年1月後半)


主な事件
 ・神戸新聞文化センター(16日)
 ・谷口英治@ニューサン(19日)
 ・某宴会(24日)
 ・ラスカルズ@ニューサン(25日)
 ・播州龍野いたりきたり
 ・高齢者講習(30日)


1月16日(木) 穴蔵
 晴れて寒い日……らしい。
 終日穴蔵にあり。時々空を眺めるが、外の気温は実感できぬまま。
 資料を読んで過ごす。

1月17日(金) 神戸新聞文化センター
 定刻午前4時に目覚める。
 阪神淡路大震災から25年。5時46分に5秒ほど黙祷するが、毎年、今にもズシーンと衝撃がきそうな緊張を覚えて、目は閉じてられない。
 大阪で震度4、本棚倒壊程度の体験で、25年経ってもこれだから、阪神間在住の方々の緊張はこんなものではないはず。
 毎年同じこと書いている気がする。
 また1年、忘れて過ごすことになるんだろうけど。
 昼、その神戸へ出かける。
 三宮の眺め。市役所の「中折れ」光景が忘れられないが、新庁舎、いまや風格があるなあ。
  *
 東遊園地まで行くか迷うが、30分ほどの往復は慌ただしそうで断念。
 午後、神戸新聞文化センターでの講座。
 提出作品、エッセイ5本+短篇1を中心に。
 それぞれ面白く、エッセイ(紀行文含む)は話題豊富で、脱線気味の雑談が多くなるが、どうしても地震の話に戻ってしまうなあ。
 本日ばかりは致し方あるまい。
 しかし……テレビもこの日だけは阪神大震災を特集するが、出版に関しては(ずっと前から)出版社は「阪神大震災文学」に消極的な印象を受ける(Y村女史の阿漕ミステリーなどは論外として)。
 遡って、関東大震災はどう扱われたか。芥川も谷崎も、エピソードとしては書いているが、真っ正面から書いた「震災文学」は思い出せない。映画でも「大虐殺」ものなどしか思い浮かばない。
 ちょっと考えさせられる。

1月18日(土) 穴蔵/ウロウロ
 定刻午前4時頃に目覚める。
 普通に朝の行事を執り行い、しばらくマジメに机に向かう。
 昼前に下男(おとこし)仕事……専属料理人のお供をして某スーパーへ。ビール等のポーターを務める。
 午後、西長堀の中央図書館へ。
 ちょっと調べたいことあり、播州龍野の実家書庫までは面倒なので、こちらで調べる。
 ある作家に関するWikipediaの記述がでたらめなので、その確認。やはりひどいものである。
 某地方紙の7年前の記事(具体的には山陽新聞2011年1月の記事)を確認したかったが、地方新聞の保存は1年間だけであった。
 岡山まで行かねばならぬか。
 西長堀から谷四へ移動。
 某所で内輪の会議、1時間ほど。
 まだ先になるが、ちょっとした企画の打ち合わせ。桜の季節から動き出すことになるか。
 Wikipediaの訂正についてもお願いする(わしゃアカウント設定しての作業はよくわからんのである)。
 夕刻、メンバーの2氏と東梅田へ。
 喫茶店には遅く、飲み会には早い時間。
 安く気遣いなしで呑める店があるというのでついて行ったら、なんとニューサン1階上のアイリツシュ・パブであった。
 はじめて入店する。
 まだガラガラ。キャッシュ・オン・デリバリーの店で、客への「干渉」いっさいなし。酒だけでも何もいわず。
 だんだん混んでくるらしいが、なるほど流行るはずだ。
 喫茶店より安くビールを飲んで、ちょっとお先に失礼する。
 ということで、ふだんの夕食前に帰館。
 お、久しぶりにパエリアである(ちょっとピンボケ)。
  *
 豊崎西公園南側中本酒店推奨格安馬鹿旨ワインを少しばかり数杯。うまっ。
 早寝するのである。

1月19日(日) 谷口英治@ニューサン
 日曜日なのであった。
 午後、専属料理人とニューサンへ行く。
 月に2、3度行われている「昼下がりのジャズライブ」である。
 秋澤一(cl)……月に1度ニューサンに出てはるが聴いたことなし……のグループに、ゲストが谷口英治(cl)と畑ひろし(gt)。これは聞き逃せない。
 ということで始まったが……
 「寝床」とまではいわないが、このクラは「旦那芸」である。
 谷口さんも畑さんも、そちらのレベルに合わせて演奏しているように聞こえる。
 もっと、遠慮会釈なくやってほしい。
  *
 谷口・畑だけのデュオ「ソフィスティケーティッド・レディ」は聴かせた。
 ただ、客層が悪い。
 最前列に座った「横縞シャツ」の太ったおっさん、飲みまくり、演奏中に大声で話し、野次まで飛ばす。
 なんでもクラは偉い先生らしいから、このおっさんは精神科の患者か。
 音楽療法かもしれんが、ニューサンで治療は困るぜ。
 今年のジャズの聴き初めがこれ。
 災難であった。
 夜、湯豆腐で一杯飲みつつ、CDで『Moonlight Becomes You』を聴く。ほっ。

1月20日(月) 穴蔵
 晴、午後陰。終日穴蔵にあり。
 今週は午前か午後か夜につまらん用事があって、効率の悪い週である。
 目先の雑事を片づけているうちに、たちまち夕刻。
 夜に集合住宅の理事会。鬱陶しい議題多し。
 年末から水漏れ事故が複数あり、建物全体が老朽化しつつあるからなあ。
 理事長のお役御免まで、あと4ヶ月か。
 21時前にやっと晩酌。

1月21日(火) 認知機能検査/宍戸錠
 朝、地下鉄で都島ドライビングスクールへ行く。3年ぶりか。前に運転免許の高齢者講習を受けた場所である。
 認知機能検査という案内(命令)が来たので出向く。
 高齢者講習の予備検査で、認知症患者をふるいにかけるテストらしい。750円。
 4つの絵が描かれたパネル(戦車、トンボ、ステレオ、目/以下似たようなの)を4枚、計16点を見せて、それを用紙に文字で書かせるいう、バカみたいなテスト。
 しかし、これでおれはボケてないと判断するのは危険だな。
 後日、高齢者講習は普通に受けねばならぬらしい。
 免許の維持もたいへんである(あと2年のつもりだが)。
 まっすぐ帰館。
 夕刻のニュースで宍戸錠の訃報。86歳。
 先日から宍戸作品を続けて見ていたのだが、予兆だったのだろうか。
 宍戸錠は同時代に見たなかでで、いちばん好きな映画俳優である(厳密には、「警察日記」を見たのは後日だが)。
 デビューから見たわけではないものの、1959年に『街が眠る時』を見て、その不気味な「殺し屋」に魅了されて以来、ずっと見てきた。そのことはここの「シシド 小説・日活撮影所」の項に書いている。
 『街が眠る時』は、死ぬまでに、なんとかもう一度見られないものか……
 エースのジョーを悼んで、本日はこれから『殺しの烙印』を見ることに。

1月22日(水) 穴蔵
 終日穴蔵にあり。
 午前晴、午後曇、夜は雨になった。
 終日、コタツで資料を読んで過ごす。
 たちまち夕刻。
 専属料理人の並べた数皿で一献。
 これからシシドを偲んで『拳銃は俺のパスポート』を見ることにする(『殺しの烙印』がつまらなかったからなあ/活劇場面に見るところはあるが、「女房持ち」の殺し屋なんてジョーではないぜ)。

1月23日(木) 入梅
 未明だ。雨が降っている。
 本日から季節外れの「入梅」らしい。1週間以上、梅雨空(のような天気)が続くらしい。
 終日穴蔵。
 くすぶって過ごす。
 明日は少しは面白い日になるだろう。

1月24日(金) 某宴会
 某行の口座からネット振込しようとしたら、ワンタイムパスワードカードが表示しない。電池切れらしい。
 しかたなく梅田の窓口まで出向く。
 電池交換ではなく、カードそのものを交換、手続きに1週間ほどかかるらしい。使い出して3年ほどか。5年は経っていないと思う。
 案外不便なものであるなあ。
 一応手続きするが、これからは口座を減らしていく方が賢明なようだ。
 夕刻。専属料理人と茶屋町の某割烹へ出かける。
 甥の某くん(なんて呼んではいかんか、今は大学教授)の招待である。
 ずっと前(大学院時代?)に奨学金の保証人になっていたとかで、めでたくその「期が明けた」から、お礼に一席設けたいという。
 そんなこと、まったく忘れていたが、ありがたくお受けする。
 横浜から兄も来阪。
 刺身や鴨鍋で一杯やりつつ、久しぶりに一族での宴会となった。満腹。

1月25日(土) ラスカルズ@ニューサン
 天気予報はまるで当たらず。「梅雨入り宣言」まがいは何だったのか。本日も晴天。
 大阪には中国からコロナウィルス感染者が押し寄せているので、外出はせず、穴蔵にて過ごす。
 夕刻、マスク着用して梅田へ。
 墓参のため播州龍野を往復してきた兄と合流。西宮から妹も来る。
 久しぶりに兄妹そろってニューサントリー5へ。
 ニューオリンズ・ラルカルズの出演日。
 本日がやっとまともなジャズ初めである。
  *
 3ステージを聴く。
 ありがたいことに、ニューオリンズ・ジャズを聴く中国人はいない。
 ステージの合間に播州龍野の事情や、(唯一の孫がいる)香港事情や、虚言癖のある迷惑女のことや、あれやこれやしゃべっていたら、あっという間に22時半である。
 次は3年後か。おれは欠席になる可能性が高いなあ。
 いや、河合さん、福田さんがお元気なうちは、聴き続けねば。

1月26日(日) 穴蔵
 天気予報はまるで当たらず。薄曇…ほとんど晴である。
 梅雨空はどこへ行った。
 習近平ちゃんが稀に見る大英断。武漢を封鎖し、中国からの海外ツアーを禁止した。
 遅い気がするが、やらないに越したことはない。
 ……と思ったら、これは「隠し通せるレベルでない」ことがやっとわかっての処置らしい。手遅れ。
 梅田は(マスクしてデパ地下へ行った専属料理人のいうに)中国人うじゃうじゃという。
 終日穴蔵にて過ごす。

1月27日(月) 大阪←→播州龍野
 未明だ。雨が降っている。浅田飴にはまだ少し時間がある。
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 年度初めの雑事色々。
 こちら(ど田舎)は老人が増えて、メールとネット振込で済む用事が、すべてメモの投函と現金手渡しだから、交通費だけでも相当な負担になる(交通費の方が高くついたり)。
 幸い、葬式だけは、わが家が第1号としたやった「家族葬」がご近所の定番(密葬含む)となったようで、ありがたいというか。
 食料不足の戦後ではあるまいし、誰も「隣保」総出の葬式宴会なんて、面白くもなかったはずである。
 何事も、誰かひとりが強引に進めないと、状況はまるで変わらないようである。
 午後、姫路に出て、こちらでもちょっと雑事。
 風雨が強くなった。
 姫路城、本日は中国人少ないあるよ。
 夕刻帰館。

1月28日(火) 穴蔵
 晴れて暖かい日である。
 用事なきにしもあらずだが、梅田はまだ中国人うろうろだろうし、コロナウィルスに感染して自覚症状のないポンジンもうようよだろうから、穴蔵で過ごすことにする。
 マジメに仕事……のつもりだが、今ひとつ気合いが入らず。
 昼は、専属料理人が若ごぼうの掻き揚げを作った。これで天ざる。
  *
 せっかくなので熱燗、ちょいと一杯。うまっ。
 午後は昼寝。
 出歩かず、人と接触せず、感染せず、結果として他人に迷惑かけず。
 当分こんな生活をつづけることにしよう。

1月29日(水) 穴蔵
 薄曇り、暖かい日である。
 本日も穴蔵にこもって過ごす……つもりだったが、クリックポストの発送あり、マスクして公園南のポストまで。
 ついでにジュンクドー往復。
 近所、中国人うようよあるよ。
 T横インが2つあり、他にも急造ホテルやら民泊もあるから、致し方なし。
 一応マスクはしているが、大声でケンカしているような口調で会話している。仲はいいんだろうけど。
 マスクしてないと、唾液の飛散がすごいだろうな。
 そのご一行、茶屋町近くの回転寿司店へぞろぞろ入っていく。
 唾液トッピングの寿司がうまそうだなあ。
 わしゃ一生行かないけどね。

1月30日(木) 高齢者講習
 午前は快晴である。
 終日穴蔵で過ごしたいが、前から申し込んでいた案件あり、通勤ラッシュの終わった頃に地下鉄で都島へ。
 自動車学校で高齢者講習である。
 さすがに運転免許関係で中国人ツアーは来ないので、ほっ。
  *
 9名で受講。うち2名がヨレヨレのおっさんである。歩くのがだいぶ不自由なような。大丈夫かいな。
 といいつつ、おれもふだんは軽なので、クラウンの車体感覚にとまどって、半ヨレ。
 つつがなく終了。
 2年後に播州龍野のクルマを廃棄するつもりなので、ここに来るのもたぶん今回が最後であろう。

1月31日(金) 穴蔵
 晴れたり曇ったり。外は寒いらしい。
 終日穴蔵で過ごすことにする。
 専属料理人がなんかのバーゲンに行くというので、昼は近所の信州そばで「コロコロ」。ついでにジュングドー往復。
 本日は中国人の団体は少なく、ほっ。
 午後も穴蔵。
 週刊誌は壊滅状態である。文春も新潮も、たいして面白い記事がない。
 読むに値するのは「Newsweek」だけである。
 その2月4日号……「新型肺炎の最大の犠牲者は貧困層だ」が凄まじい。
 武漢の海鮮市場では「オオカミの子からヘビ、コウモリなど珍しい野生動物を幅広く扱って」いるが「不潔で危険な仕事を担っていたのは、主に出稼ぎの単純労働者」で、かれらは「武漢の交通機関がストップしたとき」「既に故郷へ出発した後だった。」
 中国は監視社会だが、貧困層は「身分証を持っていない」人もいて「監視が難しいバスや相乗りのトラックを利用する。」「ウィルスに感染した貧困層は、病院へ行く可能性はかなり低い。」……治療に必要な「戸籍管理制度」とか、中国医師のレベルが日本の「学部レベルかそれ以下」とか、その医療資源も都市集中とか、まだまだつづくが……もう手遅れだな。
 本日、中国で9,000人が感染というが、そんはレベルではあるまい。
 日本はどうか。オリンピックを心配してるようだが、迷うことはないだろうが。返上しろ。世界のためだろう。
 一杯飲んで寝る。
 無為に過ごした1月が終わる。嗚呼。


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