『マッドサイエンティストの手帳』647

●マッドサイエンティスト日記(2017年1月後半)


主な事件
 ・独居生活
 ・シンギュラリティシンポジウム(21日)
 ・播州龍野いたりきたり
 ・自動車学校(25日)
 ・創サポ対談(28日)
 ・桂米朝展(31日)


1月16日(月) 穴蔵
 定刻午前4時に起きて普通の生活モードで過ごす。
 即ちボケーーーーツとタドコロ状態……あ、いかん、ほんまにタドコロになったら廃人だから、少しはアタマも使うのであった。
 午前6時、外気は5℃、昼間は8℃で昨日よりましである。
 終日穴蔵。2時間ほど机に向かい、2時間ほどコタツに潜って読書の繰り返し。
 時々東の空を眺める。
  *
 北西から東南への雲の流れは相変わらず急である。
 ニュースは京都や北摂の積雪報道ばかりだが、大阪市内は降らないなあ。
 仲間はずれにされているとしか思えない。
 ということで、夜は専属料理人に、もずく、みりん干し、牡蠣鍋など並べてもらってビール、湯割り。
 早寝するのである。

1月17日(火) 穴蔵
 定刻午前4時に起床。
 5時46分にしばし黙祷。あれから22年である。
 毎年のことだが、この時刻、とつぜん激震がくるのではと緊張する。しかし、この日のこの時刻だけというのは、やはり天災を忘れかけているのかもしれぬ。防災用具の確認を行う。
 昼前、とつぜん専属料理人が実家へ帰ってしまった。
 毎度のことながら、愛想尽かされたわけではなく、家庭の事情である。
 しばらく楽しき独居生活モードに入る。
 昼はソバを茹でて冷酒一杯。
 午睡。
 夜は専属料理人の作り置きの総菜並べて、ビール、黒糖焼酎の湯割り。
 いかん、酒浸りになりそうな。
 禁欲的パターンで生活せねば。

1月18日(水) 穴蔵
 穏やかな冬の日である。
 ストイックな独居生活を送る。
 午前4時に起きる。
 5時に朝食。トースト、ティ、ハムサラダ等の定番メニュー。
 午前中、机に向かう。某イベントの資料準備。本当は原稿を書かねばいかんのだが。
 昼は自宅の冷蔵庫にあった食材でカレーうどんを食す。
 午後は机、コタツで読書の繰り返し。散歩に出るが、面倒になり、近所のスーパー(サボイ)で最小限の食材買って帰館。
 19時からコンビニメニューより少しましなのを並べて晩酌。
 メニューは……書くほどでもないか。野菜もきちんと摂取。ビール、湯割り。
 片づけ終わり、本を読みつつ、たぶん22時頃に眠るのである。
 1,2887歩。明日はもう少し歩くことにしよう。

1月19日(木) 穴蔵
 晴れて穏やかな日。薄曇りかなと思ったら、PM2.5で空がかすんでいるらしい。困ったものだ。排出している国の諸君は10年後にバタバタ死んでくのだろうけど。こちらは屁を嗅がされている気分。
 本日も終日穴蔵、そこそこ禁欲的な1日を過ごす。
 朝食は定番メニュー。
 昼食は河春の弁当。500円。
 晩酌は……書くほどでもないか。豆腐や野菜はきちんと摂取。ビール、湯割り。
 仕事はさほど進まないのであった。
 20時過ぎにネットで、
 第156回「芥川賞」に山下澄人氏『しんせかい』 「直木賞」に恩田陸氏『蜜蜂と遠雷』
 を知る。
 芥川賞、宮内さんは残念だが、まだまだ機会はある。恩田陸さんは大本命というか当然というか、ともかくよかった。おめでとうございます。
 ということで、早寝するのである。
 明日は少し運動することにしよう。

1月20日(金) 穴蔵/ウロウロ
 大寒である。午後には雪という予報であるが、穏やかな冬日である。
 昼間、運動不足なので西回りコースうろうろ、約8,000歩歩く。
 あとは穴蔵にて禁欲的独居生活。
 あまり禁欲的とはいえぬメニューで晩酌。
 早寝するのである。

1月21日(土) シンギュラリティ・サロン/某飲み会
 なんだか忙しいような刺激的なような拘束時間が長いような1日である。
 午前2時過ぎに自然に目覚める。
 トランプの大統領就任演説を見る。同時通訳が女性なので迫力なし。youを「皆様」というのもなあ。
 ということで内容は(実務優先で、「美辞麗句」で飾り立てる空疎なものではない印象だが)いまひとつ頭に残らず。
 後刻新聞で精読する気分にもならず。
 3時過ぎにまた眠る。
 昼過ぎに出て、グラフロのナレッジキャピタルへ。
 松田卓也先生主宰のシンギュラリティサロンのシンポジウムに参加する。
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 シンギュラリティシンポジウム
・「シンギュラリティへの道」 松田卓也(AI2オープンイノベーション研究所所長、神戸大学名誉教授)
・「全脳アーキテクチャから目指す技術的特異点への望ましき道筋」 山川宏(ドワンゴ人工知能研究所所長)
・「人類を再発明するのに必要なこと」 高橋恒一(理化学研究所)
・「シンギュラリティを問い直す〜技術的特異点と経済的特異点〜」 井上智洋 (駒澤大学)
・「国づくりに人工知能をどう生かすか〜新産業構造ビジョン〜」 井上博雄(経済産業省)
(パネルディスカッション)
「日本からシンギュラリティを起こすには〜その具体的な方法〜」
 ファシリネーター:塚本昌彦(神戸大学) +講演者5氏
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 4時間の長丁場で、論点多様。色々なメモはこれから再検討することに。
 夕刻、グラフロから徒歩5分の某居酒屋へ。
 L字型カンウターに10人ほど。ビール飲みつつ、こちらでは昨年9月にあった不思議な飲み会のつづきで、今回はおれに話題提供者の順番が回ってきた。
 SF関係のこと1時間ほど話し、あとは関連テーマでガヤガヤ。江坂遊さんや、珍しくも深田亨さんも来店。
 気がつけば就眠時間22時を過ぎている。
 ぶらぶら歩いて帰館、就眠。さすがに疲れた。

1月22日(日) 大阪←→播州龍野
 朝の電車で播州龍野へ移動する。
 新快速、まあまあ空いている。10時前に本竜野着。
 寒いのであった。10時の書斎の室温は5℃、大阪の早朝のベランダ気温ではないか。
 雑事色々。ご近所の自治会関係。あと、市東端のM自動車へ行き、バッテリーの交換など。
 昼過ぎに片づく。
 ひと晩こちらにいてもいいのだが、寒い。100畳の片隅にストーブつけてじっとしているのは退屈だし、明日はさらに寒くなりそうなので、帰阪することにする。
 午後に姫路へ。姫路市内をうろうろしようか迷うが、歴史博物館の「人間国宝・桂米朝とその時代」展は週末からなので、次の龍野行きの時にする。
 小溝筋の灘菊で遅めの昼飯。
 「お父ちゃん、ランチ終わってんねん」「飯はいらんから」
 ということで、白おでん(酒麹での味つけ)でビール。
  *
 あと、粕汁で灘菊の熱燗。酒蔵直営店の粕汁がうまくないはずなし。絶品。暖まるねえ。
 夕刻に近い新快速で帰阪。
 穴蔵に戻る。
 夜、有田市の石油工場で火災のテレビ中継。いいなあ。まさに「工場燃え」。見物に行きたい。

1月23日(月) 穴蔵
 寒いのであった。
 いや、穴蔵にいれば寒さは覚えず、ニュースは「西日本大雪」と喧しい。
 雪見酒を楽しみたいのに、大阪市内は雪が降らないなあ。
 終日穴蔵。某資料を読んで過ごす。外出はコンビニへ行っただけ。
 ニュース雑感。
・稀勢の里の横綱昇進。
 出身校(中学?)龍ヶ崎での大騒ぎ中継を見る。こちらに書いてるけど、龍ヶ崎市は一度ぶらぶらしてみたい町だ。おれが行った頃、稀勢の里はまだ生まれてなかったのだなあ。春になったらいってみたい。
・松方弘樹の訃報。
 松方弘樹とは雷鳥の食堂車で背中合わせに座ったことがある(こちらに書いている。)40年前になるのか。おれとは同年代で驚きもせず。しかし真似のしようのない人生だな。

1月24日(火) 穴蔵
 寒いのであった。
 午前6時、室温16℃、外は4℃で、この冬いちばんの寒さ。
 終日穴蔵。
 某コンテストの応募作を読む。
 傑作があれば楽しいのだが、いまひとつ。過去の受賞作と較べると、今回は受賞作なし、佳作複数とするのが妥当か、色々と迷う。結果は来月に選評とともに某サイトに掲載の予定なり。
 夜はコンビニメニューでビール、湯割り。
 さすがに飽きてきたなあ。

1月25日(水) 某講習会
 寒いのであった。
 午前6時、室温15℃、外は3℃で、この冬いちばんの寒さ。
 寒いが、8時過ぎに出て、市内にある某自動車学校へ行く。
 免許更新の前に某講習の受講が義務づけられたのである。
 9時から3時間、退屈な講義を受け、検査や実技指導色々。
  *
 教習所のコースを走るのは半世紀ぶりである。ひとり10分ほど。脱輪も接触もせず。
 動体視力、夜間視力ともに年齢標準値より上で、適正診断もすべて評価Aであった。
 両隣の同年代者のをちらっと見たら、結構ミスが多いような。
 今後、3年ごとにこんな講習を受けねばならず、あと3年で返納すべきかな。
 運転するのは播州龍野だけなので、タイムマシン業と「別荘」をどうするかが今後の課題となる。
 色々と気が重いことだ。

1月26日(木) 穴蔵/ウロウロ
 寒いのであった。
 午前6時、室温15℃、外は3℃で、昨日と同じ。市内も氷点下という予報はどうなったのよ。
 穴蔵にて粛々と雑事。
 昼間は暖かくなった。
 夕刻に近い午後、散歩に出る。淀川堤を東へ。無風・温暖で春は近い。
  *
 1928年に作られた梅田貨物線のトラス橋を「はるか」が通過していく。数年後には地下駅に潜ることになる。
 今のうちに、新大阪〜天王寺間を乗ってみたいが、普通切符でデッキにいたら検札されそうだしなあ。
 車窓から「うめきた」を眺めたいだけなのである。そのために特急はなあ。普通列車が走ってないのがけしからん。
 天八まで歩き、スーパーで食材買って帰館。
 夜は、湯豆腐、マグロの切り落とし・納豆・おくらのネバネバ系小鉢、出来合の筑前煮などでビール、喜多屋「九州」という銘柄の冷酒を一献。
 楽しきかな独居生活。

1月27日(金) 穴蔵
 さほど寒くないのであった。
 終日穴蔵。少しは仕事もするのであった。
 まあまあ禁欲的生活。
 朝はパン(むろんティ、ハム、サラダ、果物も)。
 昼はうどん(むろん玉子、とろろ昆布、ネギなどぶち込み)。
 夜は……さすがにコンビニメニューは食す気にならず、夕刻、散歩を兼ねて中崎町界隈をうろうろ、ヤマタツでトンカツとサラダを買って帰る。翁豆腐の木綿なども並べてビール、湯割り。
 栄養バランス満点ではないか。
 専属料理人不要論が浮上してくるなあ。

1月28日(土) 創サポ対談
 温暖な日である。
 終日穴蔵にて雑作業。
 夕刻に這い出てエル大阪へ。
 創作サポートセンターの講義で、本日はかんべむさし氏をゲストに招いての対談……というよりも、おれがインタビュアーとして、かんべさんの小説作法を聞く企画である。
 かんべさんとは小説その他色々についての議論を40年以上つづけてきた間柄なので、今さらという気がしないではなかったのだが、本日は『ミラクル三年、柿八年』執筆の手の内を公開してもらった。
 3年間ラジオのパーソナリティをつとめた体験をベースにした長編で、珍しく執筆資料を残していたという。
 これはおれも知らなかった。メモだけでダンボール箱いっぱいあるという。
 3年分の番組進行表、メモから抽出したエピソード表、それらを構成した1章でB4数十枚のプロットシート(ほとんどが手書きである)、人物表、業界関係の書籍、雑誌、切り抜き……。それらをどのような意図で作成していったかという解説。最終的には700枚を570枚までに削り落としていく作業。
 ここまでの準備作業が行われていたとはまったく知らなかった(もっとも、この作品は例外的らしいが)。
 40年以上つき合いのあるおれが驚いたのだから、専科の生徒諸君は衝撃を受けたはずである。
 話かわって本日から歴史博物館の「人間国宝・桂米朝とその時代」展が始まっている。最近発掘された、米朝師匠が春団治師匠に送った「親子茶屋」の原稿が公開されるらしい。
 これに倣って、「朝ミラ資料」もぜひとも保管しておくようにといったら、かんべさんは「そのうち処分する」という。
 まあ、考え方はそれぞれだからなあ。本日資料の一部を目撃した参加者は貴重な体験をしたことになる。
 15分ほど超過して終了。
 まっすぐ帰館。
 専属料理人が帰ってきていた。
 遅めの晩酌。オニオングラタンなどでワイン。うまっ。やはりコンビニメニューよりいい。
 ということで2週間近くの独居生活が終わる。

1月29日(日) 穴蔵
 曇天なり。
 終日穴蔵。
 午前、未開封だったダンボール3箱を開封、書籍とファイルを床に並べる。必要な資料を探すが見あたらず。よく調べたら本棚にあった。嗚呼。
 午後、未開封だったダンボール1箱を開封、中のCDを床に並べる。来月の某企画のためのCD選定。夕刻まで色々とジャズクラリネットを聴いて過ごす。
 穴蔵のフロアに本とCDの積み上げ状態になってしまった。嗚呼。
 そのうち整理することにしよう。
 夕刻、雨になった。
 専属料理人の並べた、黒半+わさび漬け、富士麓の豚肉なんとか、静岡なんたらの生ハム巻き、静岡どっかのトマトなどでビール。
  *
 しらすパスタで白ワイン。うまっ。
 そろそろ早寝。本日は0歩。

1月30日(月) 穴蔵
 終日穴蔵。
 ある企画の準備で、ほとんど終日CDを聴いて過ごす。
 ダンボールに詰めてた分も取り出し、フロアに広げるが、どうしても1枚が見当らず。
 またも部屋が書籍とCDの積み上げ状態になってきた。
 CD用の棚を買うかどうか迷うが、半分以上はもう聴かない気がする。1000枚ほど処分するか。

1月31日(火) 大阪←→播州龍野/桂米朝展
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。日の出は7時。須磨あたりで水平線がオレンジ色に輝き、明石で明るくなった。
 9時前に実家に着く。実家書斎は7℃で、あまり寒くはない。
 雑事色々。
 昼の姫新線で姫路へ移動する。
 城の北側……昔通学した中学高校の少し北……にある県立歴史博物館へ。
 「人間国宝・桂米朝とその時代」展を見る。
 ロビーで久しぶりに米朝アンドロイドと再会。
  *
 これは撮影OK。内部は禁止。
 出生、幼少期、上京、正岡容との出会い、入隊、戦後の大阪での活動開始……から文化勲章受章まで、年代順にコーナーが設定してある。
 なによりも少年時代から40歳頃までに書かれた直筆原稿と研究ノートが凄い。春団治師匠に送った「親子茶屋」原稿を含めて、ほとんど初めて見るものばかり。
 細かい字でびっしり書かれたノートからは、米朝師匠の学究肌の側面が伝わってくる。よく残されていたものである。
 展示物に「題なし」でリスナーから送られてきた小冊子「奥目の細道」もあり。これはラジオで聴いた記憶がある。
 この企画の中心人物は学芸員の中川渉氏。よくまあこんな見事な育ち方をされたものである。
 夕刻帰阪。


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