『マッドサイエンティストの手帳』640
●マッドサイエンティスト日記(2016年10月後半)
主な事件
・穴蔵の日々
・SF検討会(21日)
・大阪JAZZ同好会(23日)
・安田五郎さんの訃報(26日)
・ラスカルズ@ニューサン(29日)
・播州龍野いたりきたり
10月16日(日) 穴蔵
終日穴蔵。
昼間9時間ほどは机に向かって過ごす。少しは上田早夕里さんの姿勢を見習わねば。
某企画書を作成して発送。
たちまち夕刻となる。
*
専属料理人が並べた和中よくわからんメニューでビール。
あと洋が追加される。ブルディガラのクレセントパンで、専属料理人の実家方面から届いたやまざきのワイン。うまっ。
早寝するのである。
10月17日(月) 穴蔵/ウロウロ
未明の激しい雨が8時頃にはやみ、9時を過ぎると、空は急速に晴れてきた。
ビジネス・スタイルで外出。
谷町筋の法務局へ行き、タイムマシン業の登記簿謄本をとる。
本店移転にともなう諸々の手続き。
上町台地の西斜面を下り、商工会議所へ。
ボンサラ時代の勤務先近くを歩き、本町まで。
梅田に移動して金融機関をうろうろ。
昼は新梅田食道街の新喜楽にて、かも鍋定食。
午後に穴蔵に戻る。
夕刻までボケーーーーッと本を読んで過ごす。
夜は専属料理人が和風数皿並べてくれたのでビール、れんとの水割り。
早寝するのである。
明日からは気合いを入れて机に向かうことにする……つもり。
10月18日(火) 穴蔵
暖秋とでもいうのであろうか。
昼間、室内・ベランダともに27℃で、じっとしているには極めて快適である。
ちょっと片づけを……と思ったのがいかんのか、ダンボール箱を整理しているうち、汗が噴出、ちょっと気分が悪くなった。
午後、3時間ほど横になる。
5箱分が片づいた。あと10箱。
目標は、すべて本棚とボックス内に収納し、床に本は積まず、ルンバを導入することである。
終着点は遠く……嗚呼。
10月19日(水) 穴蔵
暖秋である。
終日穴蔵。雑資料の再読・仕分け・廃棄物の荷造りで過ごす。
こんな日が続くのであろう。
10月20日(木) 穴蔵
暖秋である。
本日も終日穴蔵。雑資料の再読・仕分け・廃棄物の荷造り。
午前10時から、ヒラリーとトランプの最終テレビ討論を見る。
同時通訳がともに女性なので、迫力も下品さも感じられず。面白くないなあ。
同時通訳というのは女性の仕事になってしまったのか?
アポロの月着陸の西山千(←男でっせ)を思い出す。
トランプの声は、声質がそっくりとまではいわないが、男の通訳を使ってほしいところだ。
あ、討論の内容がつまらんことは、いうまでもなし。
10月21日(金) 鳥取地震/唐揚げ/SF検討会
金曜日、ダンボール回収日であり、早朝に5箱分を出したら、例によって、あっという間に持ち去られる。
これで計42箱を処分。あと10箱あるが、これは、これから処分(播州龍野送付用含む)する本の梱包用に残しておく。
まあまあ片づいてきたかな。
穴蔵にて、少しは仕事もするのであった。
と……午後2時7分にテレビで緊急地震速報が流れ、5、6秒してから揺れがくる。1分近く、本棚が大きく揺れる。
緊急地震速報のあとで本格的な揺れというのは初めての体験である。
震源は鳥取県中部。震度6弱。大阪は震度3、龍野は震度4とテレビで流れる。M6.6らしい。
体感的には阪神大震災以来である。
もっとも、専属料理人がいうには、2000年10月6日の鳥取西部地震の方が怖かったという。
そうか、この時はM7.2。おれは新幹線の中(岐阜)にいて、ひかりが停電・停車、車体が揺れるのを感じた。新幹線運転停止の影響も遙かに大きかったなあ。
落ち着かぬ気分で過ごす。
夕刻、近所の「とりあん」という店で「もも」や「なんこつ」の唐揚げを買ってくる。
*
日本唐揚げ協会主催の「からあげグランプリ」で金賞受賞という。そんな「協会」があるとは知らなかったが、日本**作家クラブよりは権威がありそうな。
世の中には唐揚げには目がない人種がいて、代表格は天ちゃんである。一度鑑定してほしいところだ。
専属料理人に小鉢やサラダを用意してもらう。
夕刻、かんべむさし氏来穴蔵。
定員2名内容非公開のSF検討会を開催する。
唐揚げでビール、焼酎飲みつつ、テーマ雑多、メインは「終活」であろうか。最近はこの話題が増えた。嗚呼。
10月22日(土) 穴蔵
終日穴蔵。
少しは仕事もするのであった。いと少なしを。
10月23日(日) 大阪JAZZ同好会
昼前に出て、片町線「放出」へ。
ここにはふた月に1度のペースで来ているが、周辺を歩いたことがない。
駅前から寝屋川大橋まで歩いてみる。
*
市営住宅や工場が多く、平坦で「高低差」的には期待(古代の河口湖からの放出口を思わせる地形)したほど面白い地域ではなかった。
放出大橋から「中高野街道」を歩いて戻る。
こちらには古い屋敷や神社仏閣が所どころに残っていて、まあまあ。
ということで14時前に駅前のディア・ロードへ。
大阪JAZZ同好会の例会。
本日の特集はTさんによる「レオン・チュー・ベリー」を聴く……よくまあこんな地味なプレイヤーを「ほぼ完璧」に収集してはるなあ。
10月24日(月) 穴蔵
終日穴蔵。
快晴。雲ひとつない秋晴れである。
旧穴蔵よりも視界がひろく、ボケーーーーーッと空を見て過ごす。
と、とつぜん建造物の一角が動き出したのでギョ。
* *
よく見ると駐車場のクレーンであった。
夜、Eテレで「グレーテルのかまど『桂米朝師匠の栗きんとん』」という番組を見る。
はて、米朝師匠は栗きんとんがお好きだったかな? と思ったら、桂吉坊さんが(「足上がり」の稽古の時に)米朝邸で栗きんとんをいただいたという話であった。
米朝師匠が甘いものを召し上がるのは、車椅子になり、お酒も薄いのを少しという生活になってからではなかったかな。
しかし、吉坊さんにもちょっと「風格」が出てきたなあ。
10月25日(火) 穴蔵
終日穴蔵。
曇天、昼間は小雨が断続的に降る。やや肌寒し。
ボケーーーーーッと空を見て過ごす。
睡眠パターンが不規則になった。
晩酌後に仮眠したら、深夜に目覚める。
BSで「東京ジャズフェス」を放映している。
渡辺香津美、パット・メセニー、寺井尚子、ケニー・バロンらが登場、ナベサダがトランペット加えたオーソドックスなクインテットでバップ、最後にセルジオ・メンデス(まだ生きてはるのかと驚くが、意外に若いのだな)が出てきた。
あと本を読んで、未明の就眠。
10月26日(水) 穴蔵/安田五郎さんの訃報
午前7時に携帯着信音で目覚めた。
専属料理人からの朝食合図である。
こんな時間までの睡眠は年に1度もないことである。
午前9時過ぎ、近所の某医院で定期検診。ごく正常であった。
あとは穴蔵にこもって過ごす。
運動不足なのだが、新穴蔵は居心地がよく、だんだん出不精になってくる。
喪中につき年賀欠礼のハガキが届く。
なんと8月10日に名古屋の安田五郎さんが亡くなられていたことを知る。
多くのSFファンが、あの笑顔とユーモラスな語り口を知っているだろう。
SF大会や電筒線オフや名古屋のラブリーなどでよく会った。
なんといっても、伝説のショートショート「その便所」の作者である。おれも、その影響を受けて、便所SFを2篇(「時間虫」と「開封」/後者は年間SF傑作選に選ばれた)書いている。
便所SFを刊行した旧友の高井信さんも知らなかったようである。
なんとも寂しい気分だ。
享年64歳。早すぎるぜ、ゴローちゃん。
10月27日(木) 穴蔵
終日穴蔵。
ボケーーーーーッとタドコロ状態で過ごす。
本日、専属料理人不在。運動不足なので、昼前に散歩に出る。
梅田貨物線に沿って西回りコース。地下工事現場が報道関係に公開されるらしいが、外からはさっぱりわからん。
地下道を抜け、かっぱの「つるまる」に寄り、さっさと穴蔵に戻る。3,858歩。
やっぱり穴蔵にこもっている方がいい。
10月28日(金) 穴蔵
終日穴蔵。
ボケーーーーーッとタドコロ状態で過ごす……と書きつつ、常人にタドコロの真似が出来るはずはなし、本当のところは、資料をあれこれ読み、不要なのを片づけたり、ダラダラやっとるのである。
運動不足である。
午後は雨の予報が、降る気配がないので、散歩に出る。
淀川堤を東へ、長柄手前まで。天八のスーパーで黒糖焼酎を買って帰る。4,280歩。
15時過ぎに帰館、雨になった。
明日はもう少し歩くことにしよう。楽しき独居生活が待ってるからなあ。
10月29日(土) ラスカルズ@ニューサン
専属料理人が朝から出ていった。同窓会だそうで、帰館は未定。天気と体調しだいらしい。
独居生活がいつまで楽しめるのやら不明である。
穴蔵にてボケーーーーツと過ごす。
関西に「木枯らし1号」というが、昼間、室温24℃、ベランダ24℃で、まだ暖房の必要はなし。
夜、這い出て、梅田のニューサンへ。
ラスカルズを2ステージから聴く。
*
桂米二師匠から挨拶されてびっくりする。正面テーブルに4、5人のグループで来てはった。
普段着だとまったく目立たない。このへん、米朝師匠に似てるなあ。
3ステージ前に帰りはったので、こちらが正面席に移る。森マスターに「今のが米二師匠やで」といったら驚いて「何かしゃべってもろたらよかった」
ということで、3ステージは福田さんのトロンボーンの2メートル前で聴く。
「Hold Me」が泣かせる。この曲はピンカラが歌うと味があったなあ。
もの思う秋である。
10月30日(日) 大阪→播州龍野
朝の電車で播州龍野へ移動する。
新快速、さほど混んでおらず、姫新線はガラ空き。
実家にて肉体労働。主に夏から冬モードへの切り替え。ストーブとコタツはまだ使用しないが、準備だけはしておく。
先日の地震で庭の石灯籠がひとつ倒れているが、これはどうしようもない。
廃屋になるまで、そのままにしておくことにする。
午後、揖保川沿いを散歩。
*
秋晴れだが、河川敷公園には誰もいない。
夜の食材。味三昧の弁当だけでは寂しいので、MaxValu(食品スーパー)へ買い物に行く。
「伍魚福」のコーナーがあり、イカ天とか串ダコとか酒肴が色々充実しているのだが、なんとコーナーごとなくなっている。
売れないからか。龍野の田舎者はこういう「ちょっとした贅沢」はやらんのかねえ。龍野か姫路で伍魚福の売り場を探さねば。
しかたなくTOPVALUブランドの安物を買って帰る。
17時に日没、急に暗くなる。
昼抜きだったので、早めの独酌。デフランコ師匠、トミフラ師匠を遠慮なく流しつつ。
10月31日(月) 播州龍野→大阪
早寝したら午前3時に目が覚める。
播州龍野の未明、室温14℃(たぶん外気も同程度)で、思ったほど寒くはない。
朝までベッドの中で、中原弓彦『汚れた土地』を再読。
この長編は「魔女が玄関の網戸を内側から開ける」場面から始まる。主人公が横浜の高台(矢口台)にある進駐軍の住宅エリアを訪れるが、その夜はハロウィーンで、メイドが魔女の面を被って出てきたのである。1965年の作品。これでハロウィーンというものを知った。
半世紀経って急にアホのお祭り騒ぎになるとは思わなかったなあ。
日が昇ってから起床。
庭の柿を少しばかり収穫して持ち帰ることにする。
*
今年はどことも不作のようである。残りはご近所の知り合いにお任せする。
タイムマシン格納庫でうち合わせ、金融機関ウロウロの後、午後の電車で帰阪する。
専属料理人が(実家には寄らずに)帰阪していて、独居老人生活は2晩で終わる。
夜は、生ハムのなんとか巻き、鱈のソテー、温野菜、色々サラダ、どこそこのフランスパンなどでビール、白ワイン、デザートに柿。
まあ、独居老人が豆腐チゲ作るより優雅である。
早寝するのである。
10月が終わる。新穴蔵に移ってのひと月、これといったことはできぬまま。嗚呼。
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