『マッドサイエンティストの手帳』523

●マッドサイエンティスト日記(2012年3月前半)


主な事件
 ・日本SF大賞贈賞式(2日)
 ・ロボットラボラトリー(5,6日)
 ・大阪←→播州龍野、いたりきたり


3月1日(木) 穴蔵
 定刻4時に目覚める。
 今日も元気だ、雑用が楽しい。
 終日穴蔵。
 主に近日やるセミナー「うめきた開発」の資料作りである。
 たちまち夜になる。
 わ、歩数計はゼロ表示。ま、いいではないか((C)眉村卓)……ちなみに、そういうものだ((C)カート・ヴォネガット)。
 一杯飲んで早寝するのである。
 今日の夢は東京の夢。

3月2日(金) SF大賞贈賞式
 昼前ののぞみで上京する。
 専属料理人も同行。安いツアーを探すと、価格は、おれ単独で上京するのとそう変わらないのである。
 終日雨。雨を追いかけて江戸にくだるような気分。
 某所にチェックイン後、専属料理人は友人等に会いに出かけてしまう。
 おれも書店など回るつもりだったが、雨で面倒になり、夕刻になって東京會舘へ。
 18時〜徳間文芸賞の贈賞式。
  *
 第14回大藪春彦賞 沼田まほかる『ユリゴコロ』(双葉社)
 第32回日本SF大賞
 大賞 上田早夕里『華竜の宮』(早川書房)
 特別賞 横田順彌『近代日本奇想小説史 明治篇』(ピラールプレス)
 特別功労賞 小松左京氏
 例によって会場でたくさんの人に会う。
 びっくりしたのが30年ぶりくらいに会う「一の日会」メンバー。
 牧村光夫さん(三鈷寺以来というから、なんと40年ぶりである)が、なんと「43年遅れて発行された」という「宇宙気流50号」をくれた。なんでも、おれもまだ会費切れではなかったのだとか。……今年の発行だが「1967年10月号」である。65年のファンジンを語るという座談会があって、伊藤典夫さんが「パラノイアでは、堀晃はいい」と発言されているのに感激した。
 20時過ぎに散会。
 家族と合流する予定であったのが、ボンクラ息子その1は仕事が23時頃までかかるという。専属料理人はボンクラ息子その1の配偶者と(つまり嫁・姑で)鰻屋で食事中、あとワインバーへ移るのだとか。
 勘定だけ回されそうで、こちらへの合流は見合わせる。
 結局、ホテルの横にある「でり坊食堂」というレトロな定食屋兼居酒屋で、ひとり寂しくモツ煮でビール。
 見れば、21時過ぎというのに、客の半数以上は、アルコールなしで700円のフライ定食などを食べている。
 まじめな人が多いのだ。

3月3日(土) 東京ウロウロ/帰阪
 快晴になった。
 荷物をコインロッカーに預けて、都内ウロウロ。
 主に浅草界隈。
  *
 完成したスカイツリーを見に、源森橋まで往復。
 昼は、むぎとろはちょっと重いので、並木の藪蕎麦へ行ったら、えげつない行列である。
 地下鉄で三越前へ移動し、ボンクラサラリーマン時代に東京支社があった近くの「砂場」へ行く。
 こちらはビジネス街なので空いている。
 ざるで軽く一杯。
 専属料理人は神田の「昔の勤務先」界隈を歩くというので、おれはお茶の水のディスク・ユニオンへ。
 中古で、名も知らぬフランスのクラ名人(2枚組900円/ハズレでも文句はいわんよ)など数枚を発掘する。トータルで5000円以下。
 店内で田中啓文氏とばったり。マメな男だ。あ、おれもそうか。
 東京駅で専属料理人と合流。とボンクラ息子その1の配偶者がおみやげにと、某店のグリッシーニを持ってきてくれた。
 コノスルのハーフボトルを買って、車内でチビチビやりつつ、夕刻帰阪。
 本日は13,179歩であった。

3月4日(日) 穴蔵/河野典生氏の訃報
 午前5時に起きる。ふだんより1時間遅い。上京疲れであろう。
 終日穴蔵。
 明日の某研究会のための資料の仕上げ。
 OpenOfficeの「プレゼンテーション」で作成していたのだが、保管の時にトラブル発生、読み出せなくなってしまった。嗚呼。
 5時間ほどの作業がパーか。
 午後、テキストファイルと画像データを頼りに2時間ほどで再現できた。
 PDFにして、ほっ。
 夕刻、ヘリコニア談話室で河野典生氏の訃報を知る。
 1月29日に亡くなられていたのだ。
 高知新聞しか報じていないとは……
 おれは『殺意という名の家畜』以来、愛読してきた作家である。
 70年代末だが「作風は違いますが、あなたの作品には注目しています」というハガキをいただいて感激した。
 『街の博物誌』も素晴らしいが、河野典生氏の最高傑作は『明日こそ鳥は羽ばたく』であろう。これはジャズ小説の最高峰と信じている。
 おれは、無為に過ごした日に反省をこめて「明日こそホリは羽ばたく」つもりと書くことがあるが、むろん、河野氏への敬意をこめてである。
 本棚を探して再読することにする。

3月5日(月) ロボラボ
 雨ぞ降る。
 昼、駅前第3ビルのロボットラボラトリーまで歩く。
 本格的な雨だが、おれの場合、ラマダホテルの裏口から地下道に潜り、ホテル・コムズの南側に出、阪急の高架下を歩いてかっぱ横町を抜けて梅田地下街の北端から地下に入るから、傘を差すのは100メートル以下である。
 13時から、浅田稔先生主催の研究会「ロボット共生社会実現に向けたロボットの知能発達」
 研究者と企業の開発担当者などが主なメンバーである。
 
 岡田浩之(玉川大脳科学研究所教授)「ロボカップ@ホームからシティへ」
 谷口忠大(立命館情報理工学部准教授)「ロボット演劇と未来の街」
 おれは、浅田先生ご指定のテーマ「うめきた未来予想図」……梅田ウォッチャーという立場からの気楽な話題提供である。
 最後に、大塚善章さんの「関西ジャズから発信する新しい街の形」が予定されていたのだが、善章さん風邪でダウンのため中止。ちょっと残念であった。
 全体のテーマとしては、「うめきた」がどうすれば「ロボットと共生するおもろい街になるか」というあたりで、パネル討論では「笑いと食」がメインになった。
 夕刻からビール飲みつつ意見交換会。
 20時前で失礼する。
 明日もあるからね。

3月6日(火) ロボラボ/万博公園
 朝まで降り続いた雨が9時前にやんだ。
 駅前第3ビルのロボラボまで歩く。
 浅田教授主催の「ロボット共生社会実現に向けたロボットの知能発達」2日目。
 9:30から開始。
 岩橋直人(情報通信研究機構)「ロボットとの対話が広げる共感に満ちた未来の街」
 瀬名秀明「SFから見た未来ロボット都市の可能性」
 話題は多いが、ともに「共生」のベースとなる「共感」と「共通信念」、「シンパシー」「エンパシー」「コンパッション」(と、それぞれの訳語)の違いなど、微妙にして本質的な差異が議論となる。
 総合討論が終わって昼。
 研究会はここで終了。
 林譲治さんと福田和代さんも来ていて、Rooboの方々とSF作家クラブ50周年企画の打ち合わせなども行う。
 午後は上記SF関係4人で万博公園の某館へ。
 
 イオの乙部さん、デザイナーの塩田さんと合流。
 こちらでもSF作家クラブ関連の打ち合わせ。
 色々なことが進行しているのである。
 夕刻、地下鉄で新大阪方面へ移動。
 これから仙台まで帰るという瀬名会長をお見送りするが……綱渡りの乗車で、無事に乗れたかどうかは確認できぬままである。
 瀬名さん、よく動くなあ。
 ちと疲れて、本日はアルコール抜きの解散とする。
 帰館して、シャワー後、アルコール摂取。
 
 某方面からいただいた黒糖焼酎「奄美の隠し酒」、某某方面からいただいた小鮎の甘露煮、某某某方面からいただいた伊勢湾のカマボコなど、頂き物を並べて一献。
 たまらんなあ。
 寝る。

3月7日(水) 大阪→播州龍野
 昼間の電車で播州龍野へ移動する。
 雑事が色々とあるのであった。
 夕刻、久しぶりに揖保川沿いに散歩。数ヶ月前から大がかりな護岸工事をやってたが、完成してみると、たいして変化なし。
 
 ちょっと殺風景になった。
 昨日までの雨で水量が多い。
 濁っていて、わが心象風景のごとく水は流れるのである。
 夜は、大阪から持ってきた食材を小鍋にぶち込んで、ひとり鍋、ビール、湯割り。
 鴨居のスピーカーから降り注ぐデフランコ師匠、ドン・バイロン師匠、花岡詠二師匠を聴きつつ。
 よろしいなあ、独酌は。

3月8日(木) 播州龍野→大阪
 播州龍野にて定刻4時に目覚める。
 室温20℃。ストーブつけたまま寝たからである。それでも極寒期より5℃高い。
 春は近いのである。
 雑事色々。
 昔の資料(同人誌、ファンジン発行時代)の資料を整理するが、ホコリが多くて途中まで。
 午後の電車で帰阪。
 夜は独酌ならず、専属料理人の並べた数皿でビール。ジャズが流せないのがつらい。
 
 とつぜん「発掘」されたオパールがあって、なぜか(というよりも、わが老母の遺志というべきか)専属料理人に贈られたという。
 優雅な輝きをながめつつ、ワインを少しばかり。
 寝る。

3月9日(金) 穴蔵/ウロウロ
 雨ぞ降る。
 終日小雨が降り続く。こんな日は穴蔵にこもって仕事をしていればいいはずなのだが、そうもいかず。
 朝、近所の医院へ定期検診に行く。
 年に1度の健康診断。
 レントゲン、心電図、尿、血液の検査など……まあ、詳しくは書かないことに。
 酒をやめろといわれた訳じゃないからね。
 ついでに、雨の中を歩いてQBへ。1000円ですっきり。
 あとは穴蔵にて、少しも仕事はせず、本を読んで過ごす。晴歩雨読なのである。
 夕刻になりにけり。
 晩酌。
 専属料理人が「新鮮な鯖が安かった」とかで、鯖の味噌煮、サラダ、大根と揚げの煮たのなどでビール。
 引き続き、キズシ(しめ鯖)で安酒の熱燗。
 
 友人のNくんが送ってくれた、フィンランドの名クラリネット、アンティ・サーピラ・カルテットのCDを聴きつつ。
 サーピラは2007年の神戸JSで聴いて以来である。
 よくスイングするクラ、備前焼で飲む熱燗によくあって、感涙ものである。
 酔っぱらって早寝。

3月10日(土) 穴蔵/ウロウロ
 曇天にして寒。
 こんな日は穴蔵にこもって仕事をしていればいいはずなのだが、そうもいかず。
 午後、必要あってヨドバシへ。
 ついでに「うめきた」界隈ウロウロ。
  * 
 3階スペースでクロセイ(黒田征太郎)さんがアート制作のパフォーマンス中であった。
 ドラムは中村達也。
 「東日本大震災チャリティアートエキジビション」である。
 しばらく見物。クロセイさんは今や巨匠であるなあ。
 ということで、夜は専属料理人に「春パスタ」を作ってもらって軽くワイン。
 明日は「防災訓練」その他311関連のことあり、早寝するのである。

3月11日(日) 穴蔵/311行事
 定刻午前4時に目覚める。
 晴れた空。
 普通の日常を過ごす……つもりであったが、10時から近所の公園で「避難訓練」。
 任意の参加だが、こういう行事を冷ややかに見てはいけない。
 
 区内の何ヶ所かの公園に集まった住民が小学校の校庭へ「避難」する訓練。
 聞けば、予想以上に参加者は多いそうである。
 午後は穴蔵にこもる。
 定刻14:46には静かに黙祷。
 あとは枝雀師匠の古い録画を2時間ほど見る。
 「くしゃみ講釈」「時うどん」「いらちの愛宕まいり」「池田の猪買い」
 どれもこれも爆笑もの。特に「猪買い」の鉄砲不用意バージョンなんて、まったく知らなかった。
 不謹慎といってくださるな、詳しくは書かないが、病床にある人のための「激励」でもあるのだ。
 311にふさわしい作業ではないか。
 夜はスンドゥブでビール、ごはんぶち込んで、ワインを少しばかり。
 明日は終日ウロウロしなければならぬ。寝る。

3月12日(月) 梅田
 所用あって朝から梅田の某所へ。
 午前中に片づくはずだったのが、ちょっとややこしい事態になって、夕方近くまでかかることになってしまった。
 慌ててかんべむさし氏に連絡、本日午後に予定していた<小松左京イベント>(3月20日と7月吉日のふたつある)に関する打ち合わせは欠席させていただくことに。
 夕刻に近い午後に帰館。
 晴れて、風が冷たいが、おれが窓のないスペースでゴタゴタやっている間、大阪市内はかなり激しい雪が降ったのだとか。
 往復で6,724歩。
 昼飯の時間がなかったので、早めの夕食となる。
 なぜかアルコールを口にする気分にならない。
 早寝するのである。

3月13日(火) 穴蔵/ウロウロ
 寒いのであった。
 ボンクラサラリーマン諸君の通勤ラッシュが終わってから、地下鉄で淀屋橋へ。
 おっ、壁面がリニューアル工事中である。
  *
 このままの方が風情があっていいのではないか。
 地下の喫茶店でかんべむさし氏と会う(ここがお互いの仕事場の中間点)。
 昨日の会合を欠席したので報告を聞き、資料の交換と、その後の作業の打ち合わせ。
 30分ほどで片づいてしまった。
 金融機関その他を回って、梅田経由、帰路は徒歩で5,377歩。
 午後は穴蔵にて雑事色々。
 たいして捗らないのであった。
 夜は中華メニューであった。餃子、麻姿豆腐などが並ぶが……われながら不思議だが、ビールを飲む気にならず、スープとごはんをいただく。
 別にドクターストップではないよ。なぜか飲む気にならない。どこか体がおかしいのであろうか。
 本を読みつつ早寝……のつもり。

3月14日(水) 穴蔵/ウロウロ
 久しぶりに快晴。寒。
 穴蔵にこもって粛々と雑事。
 午後、地下鉄で心斎橋へいき、阿弥陀が池近くにあるシオタデザインオフィスを訪ねる。
 色々と打ち合わせ。
 西長堀の市立中央図書館に1時間ほど寄り、夕刻に近い午後に帰館。
 本日は7,639歩。
 夜は和風メニューでふつうにごはん。
 体調が悪いわけではないが、本日もアルコールを口にする気にならず。
 本だけはよく読める。

3月15日(木) 穴蔵/ウロウロ
 午前3時に起床、普通の生活モードに入る。
 午後、散歩を兼ねて外出。
 西回りコース。
 阪急中津のガード下をくぐり、大阪中央郵便局へ。
 所用済ませて、スカイビル「農園」散歩。
 菜の花が咲いていて、もう春である。
 「うめきた」の地下道を抜けてヨドバシ経由、紀伊国屋書店、丸善&ジュンク堂を回って帰館、5,200歩。
 夜はでかい牡蠣フライが出てくる。
 
 久しぶりにビールを一杯(レギュラー缶1個)。うまいのはうまいが、それ以上飲みたいとも思わず。
 早寝。

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