『マッドサイエンティストの手帳』473

●マッドサイエンティスト日記(2010年2月後半)


主な事件
 ・浅倉久志氏の訃報(16日)
 ・藤田まことの訃報(18日)
 ・チャントリのカシラの訃報(27日)


2月16日(火) 播州龍野の日常/浅倉久志氏の訃報
 播州龍野にて、楽しきかな下男仕事。
 大阪で隣室の工事音に苛まれるより遙かに快適である。
 色々やってたら、たちまち夕刻となる。
 一杯飲って寝るのである。
 「文藝春秋」3月号を読む。
 表紙に、立花隆「『政治家』小沢一郎は死んだ」とある。
 この記事を読むが……立花隆も老いたなあというのが実感である。
 小沢批判だが、冒頭から「小沢はもう政治家として終わりだろうと私は見ている」「とっくに死に体と映っている」「もう小沢の政治生命がどうなるなどといったことを論じるのはくだらないと思っている」
 ということで、東大駒場のゼミで学生が小沢をどう見ているかアンケートを行って、そのデータの羅列だけである。
 これは小沢分析のために、多変量解析の準備だけして投げ出したってことか。
 しいて好意的に解釈すれば、「小沢が嫌われる主因は何か」と考えて、分析手順をぶっとばし、「自民党体質を引き継いでいるから」と断じた……ということかな。
 東大生相手という偏った調査だからなあ。一般市民アンケートなら「悪相だから」ということになるかも。
 田中金脈を追及した時の立花氏であれば、こんな安易なアンケートでは終わらなかったはずである。
 体力勝負ができなくなってはるのだろう。
 明日は我が身であるなあ。
 訃報。
 浅倉久志氏が14日に亡くなられたという。
 おれはSF人生において3人の翻訳家とその訳業から計り知れぬ影響を受けた。
 矢野徹さんからはSFの基礎を教えられた。
 伊藤典夫さんからは極めてコアなSFの神髄を学んだ。
 そして浅倉久志さんからは、最良のSFとその周辺文化を教えていただいた。
 ともかく浅倉訳(大谷訳も含む)にハズレは皆無だった。
 SFに限らない。ミステリも冒険小説も、そして何よりも『ユーモア・スケッチ』といった、日本にないジャンルの紹介が素晴らしかった。
 はじめてお目にかかったのは1965年のSF大会(TOKON)だったと思う。
 意外にもSFファン(翻訳家になられても)であり、80年代半ばにも、京都のコンベンションに来られて、合宿所でマクラを並べてしゃべったことがある。
 物静かで温厚な方だった。
 だから、こんな方が激怒するなんて、よくよくのことである。
 ある時、某(大阪弁でいえば、目のいんでもた)作家が暴言を吐いたことがあって、これは浅倉さんに対してではないものの、ものすごく立腹された。
 おれはまったく同感だったので、それ以降、某と会うこともなければ著書を手にすることもなくなった。
 いい人は逝き、アホは残る。
 世の無常を感じるなあ。

2月17日(水) 播州龍野の日常
 明るく陽気に下男仕事ホイホイと遂行する。
 合間に本を読む。
 ちょっと買い物に行く。
 それ以外のことはなし。
 ちょっと時間があるからといってCDを聴きだすと、階下の「異常音」に気づかぬ心配がある。
 まして原稿を書くなどもっての他、没頭して老母の異変に気づかなければ困るからなあ。
 静かに本を読むしかない。
 ま、これはこれで静かな生活なのであるが。
 持田叙子『永井荷風の生活革命』(岩波書店)……某講座をまとめたもので『荷風へ、ようこそ』の講演版、それだけに読みやすく心地よい。
 加藤政洋『敗戦と赤線』(光文社新書)……面白い面白い。著者は72年生まれ。旧赤線地域の現状とのギャップが気になって、現地を歩いてみたくなる。荷風○人さんいっしょにどうですかといいたくなるなあ。
 上記2冊、「雑読雑聴」にわざわざ書くほどでもないので短い感想のみ。

2月18日(木) 播州龍野の日常/藤田まことの訃報
 相変わらずの下男仕事。
 昼、鍋焼きうどんを作って食っていたら、冬季五輪のうんざり的ニュースに続いて、藤田まことの訃報。
 驚くなあ。
 名優だが、最初から最後までテレビの人であった印象だ。
 おれは『びっくり捕物帖』からのファンである。引き続き、ハセくーん!の『スチャラカ社員』……うへ、もう半世紀を超えるのか。
 『てなもんや三度笠』は第1回から見ている。東海道シリーズは全部見た。
 「当たり前田のクラッカー」は、第1回からではない。冒頭で、的場達雄が斬り込んでくる(武器は毎回変わる)のをかわしてこのセリフをいうのは、5、6回目からのパターンと記憶している。
 「てなもんや」も中仙道シリーズあたりから断続的なにり、64年〜72年はほとんど見ていない。大学時代〜就職して数年はテレビなしの時代だったからである。
 松竹(京都)の映画に脇役で出てきたり(コメディではない、倍賞千恵子の映画……『稲妻』だったかな/妙に存在感があって、これが後の必殺シリーズにつながったのか)、その程度しか記憶にない。
 時々見ていた『夜の大作戦』は面白かった。「ショー・クリメ」なんか最高であったなあ。
 必殺シリーズは熱心には見ていないが、むろん好きである。
 しかし、なんといっても『てなもんや』と『夜の大作戦』だなあ。
 スクリーンでの記憶がほとんどない。
 これだけのキャリアがあるのに、映画で代表的なコメディがないのは不幸だ。
 『明日への遺言』くらいは見ないといかんであろう。
 夜、しんみりした気分で「龍力」飲んでたら午後10時近い。
 就眠する。

2月19日(金) 播州龍野の日常
 粛々と下男仕事を片づける。
 老母の確定申告をしようかと思ったが、今年からやめることにした。
 鳩の脱税を見たら納税する気が失せたからである(←本気にしないように、エシュロンくん)。
 不景気で、幾ばくかあった不動産収入が一昨年から解約となり、老母の収入は年金のみになったから、確定申告の必要がなくなつたのである。固定資産税のみかかってくる。困ったものだ。
 裏庭にて関係書類を焼却する。
 
 華氏451度の炎は心地よい。
 焚き火ができるスペースがあるというのも、贅沢といえば贅沢である。
 (枯葉や枯れ草を燃すのはいいが、紙の焼却は厳密にはまずいのかな。「ご近所」がうるさいかもしれん。が、領収書類をのぞき見しかねないのがいるから、しかたないのである)
 小沢も鳩も、場所はあっても、監視の目があるから、証拠書類焼却ができなかったのであろう。

2月20日(土) 播州龍野の日常
 播州龍野の下男生活、厭きてきたなあ。
 専属料理人に問い合わせると、穴蔵の隣室の工事は昨日でやっと終わったらしい。
 あと1日の辛抱である。
 まあまあ天気がいいので、午後、龍野市内をウロウロ。
 図書館で新刊……珍しくも「極道もの」があるので1時間半ほどで一読。
 山平重樹「実録 神戸芸能社 ― 山口組・田岡一雄三代目と戦後芸能界」(双葉社)
 面白いことは面白いのだが、極道ジャーナリズム独特の文体が鼻につくなあ。
 三代目の美化とか、対抗するのが愚連隊型とか。ヤクザとカタギ(興行社の社員)の区別をくどいほど何度も強調してあったり。
 ただし税務署員に対する麻雀接待と翌日の「取り返し」エピソードは面白い。
 鼻につくけど、この文体には学ぶことも多い。極道本はたまに読むから面白いのだろうな。
 帰路、シャッター商店街を歩く。
 河原町商店街中心に「町ぢゅう美術館」というイベントが開催中である。
  
 あちこちの会場に絵画や写真やポスターや工芸品の展示があり、シャッター商店には幼稚園児の製作した絵が飾ってある。
 5、6会場を見て帰館。アマチュア作品ばかりだが……おれは、このようなイベントに皮肉なコメントするほどひねくれてはいないのである。
 夕刻、冷蔵庫一掃メニュー。
 レシピは……まあ一種のチゲである。これでビール、湯割り。
 本日は、18時から、徒歩10分のアポロスタジオで「素人落語会」がある。前から気にはなっているのだが、母の世話(風呂から出るまではひとりにはできない)の時間と重なるために行けない。
 素留亭どっぐ師匠の「桂吉朝さんに学んだ」という経歴が気になる。
 ポスターでは「看板の一」「厄払い」「始末の極意」「野ざらし」と、なかなかの演目である。
 老母の就眠が20時過ぎで……落語会はもう「大喜利」時間であろう。ま、いたしかたなし。
 早寝するのである。
 今日の夢は大阪の夢。

2月21日(日) 播州龍野→大阪
 午前中の電車で大阪へ移動する。
 つかの間の「下郎の休日」である。
 山陽道は日本晴れ。
 昼前に穴蔵に帰着した。
 と、隣室のリフォーム工事が終わっていて、本日は部屋がオープン……貼り紙に「自由にご見学ください」とある。
 「近隣の皆様に多大なご迷惑をおかけして申し訳ございません」
 「皆様と住民の一員として末永くおつき合いのぼどを」
 などとも。
 某工務店の大将らしき人がおれに気づいて、えらい低姿勢のあいさつ。
 他からもだいぶ苦情があったらしい。
 「明日、うちの家族が引っ越してきますので……」
 要するに、本人か息子か娘の一家が住むということらしい。
 「なるほど、それで時間をかけて丁寧に工事してはったわけですか」といったら、  「いえいえ、決してそうではなくて……」と、ファイルに整理した写真や図面を見せてくれて、想定していた以上に傷んでいたところがあって……と詳しい説明をしてくれた。
 まあ、お隣りになるとなれば、2月13日に社名を出して書いた非難は削除しておいた方がいいであろう。※
 しかし、ともかく、プロの工務店の一家が引っ越してくるのだから、この集合住宅の構造は悪くはないらしい。
 昼は専属料理人に焼きそば(おれのリクエスト/本当はホルモン焼きうどんが食べたいが、これは佐用町に限るからなあ)を作ってもらってビールを一杯。
 あとは穴蔵で郵便物や新聞や本を読むつもりが、30分もしないうちに睡魔に襲われ、4時間近く昼寝。
 目覚めれば夕食に近い時刻である。
 久しぶりに(今年度2回目かな)入浴して、夜は軽くビール、軽くワイン、軽くケン・ペプロフスキー。
 早寝するのである。

※おれは過去の記事の改竄はしない。間違いがあったら、間違いはそのままにして、訂正とお詫びを追記することにしている。これはHPに限らず、(小説以外の)著書でもやったから、こんなに訂正と言い訳の多い本は珍しいと批判されたほどである。しかし、自分のミスを認めず、こっそり改竄というのもなあ。そんな例を幾つか知っているぞ。知ってて知らんふりしてるけど。世の中にはプライドの高い人はいる。つきあいたくはないけど。……ま、O建設さんについては、おれのミスというより、今後のこともあるので削除。そのことだけちょっと申し上げたかったのです。

2月22日(月) 穴蔵/梅田の昼ウロウロ
 静かな日である。
 穴蔵にて、少しは仕事もするのであった。
 午後、大淀税務署へ確定申告の書類を提出に行く。
 今年も還付金で可児市alaの森山威男コンサートに行けそうである。
 ついでに梅田方面、書店・CDショップなどウロウロ。
 梅田駅前の歩道橋から大阪駅を眺める。
 歩道のルーフが姿を現している。
  *
 おれは冬季五輪というのにはカケラも興味ないのだが、この斜面を見ていると、誰かひとりずっこけて滑走・ジャンプしないかなと期待する。
 しばらく見ていたが、ずっこけゼロ。ああ、つまらん。
 穴蔵に戻る。
 本日から専属料理人は実家へ帰る。あちらの方も体調いまひとつ。
 西も東もたいへんである。
 夜はボンクラ親父の息子その2が、温豆腐、ブリの照焼、ナスとピーマン炒めなど作ってくれたので、それらでビール、湯割り。
 本を読みつつ寝る。

2月23日(火) 穴蔵/梅田の夜ウロウロ
 終日穴蔵。
 粛々と雑事を片づける。
 夕刻、専属料理人は不在につき、夜の梅田をウロウロすることに。
 曾根崎小学校南の「市力」にて、寿司でビール、白鹿一献。
 ハチに寄って、ビール一杯。
 21時過ぎにニューサントリー5へ行く。
 月末火曜はサウスサイド・ジャズバンドの出演日である。
 
 シカゴ・サウンドがたまらんなあ。
 23時前まで。
 楽しき大阪の休日は終わる。
 明日から田舎行きである。

2月24日(水) 大阪→播州龍野
 定刻4時に目が覚める。睡眠は4時間ほど。眠い。
 が、起床して、5時過ぎに出かけるのである。
 午前5時40分に大阪駅北側の「北ヤード」へ。
 5:45から国際宇宙ステーションが見えるはずだが、見えない。
 確か広島上空を通過のはずだが……
 淀川堤へ行かないと無理か。
 そのまま播州龍野へ移動する。
 またしばらくの下男モード入りである。
 眠くて、下男仕事以外ほとんど昼寝して過ごす。
 暖かく、午後の室温は19℃。
 うちの敷地内で2月の開花はゼロかと思ってたら、梅が一輪咲いていた。
 
 こなんことに喜びを見出すのもなあ……
 一杯飲んで早寝するのである。

2月25日(木) 播州龍野の日常
 午前6時の室温18℃……夢みたいであるなあ。
 張り切って下男仕事。
 老母と朝食中、豊田彰男くんの公聴会が米国で継続中というのに、テレビのニュースは冬季五輪ばかり。
 ぎょ……フィギュアの選手のなかに「今くるよ」がいるのにびっくり。
 が、年がちょっとちがうか。今くるよさんに娘さんていたっけ?
 最近見ないのでちょっと気がかりだ。
 いしいひさいち氏も気がかりだけど。
 夕刻、風が強くなった。
 春一番か。ちょっと外へ出たら、たちまちくしゃみ連発。
 嗚呼、今年も始まったか。
 色んなものが一挙に押し寄せてきた日だなあ。
 早寝するのである。

2月26日(金) 播州龍野の日常
 朝だ雨だ、ひさしぶりだ。
 あまり張り切らずに下男仕事を遂行する。
 雨の中をゴミ集積所まで歩くのはちと辛いものがある。
 傘差し自転車でゴミ袋搬送は難しいからなあ。
 こんな日は終日書斎といきたいが、昼食後に老母が昼寝してしまったので、市立図書館へ行く。
 静かなものである。
 雨天だからな……と思ったら、某おばはんたちの声、浅田マオを見ないかんとかで、入れ違いにそそくさ帰っていく。
 へえ。「君の名は」の女湯を思い出すねえ。
 週刊新潮、日経PCなど拾い読み。
 つぎに、日本放送作家協会編『テレビ作家たちの50年』(NHK出版)を読む。
 これは『SF作家クラブ40年史』みたいなものか。色んな「放送作家」の寄せた短文で50年を構成しているが、やっぱり面白いのは60年代の終わりまで(最初の100頁ほど/全体は400頁)。後になるほど散漫。
 おっと思ったのは2点。
 ・「おとなの漫画」などで作者(青島ら)が「出演」したのは、ツッコミがいないからだという。ドリフはいかりや長介がひとりでツッコミをやった。クレイジーは全員がボケだったから(台本を知ってる)作者がやらねばならないことが多かったという。妙に説得力がある。
 ・萩原津年武という人が放送作家になってたとはまったく知らなかった。この人は中原弓彦(小林信彦)が辞めたあと「ヒッチコック・マガジン」の編集長になって、3号ほどで廃刊にした人物ではないか。その編集センスのひどさは高校生のおれにも(高校生だからこそか)目次を見るだけでわかった。2、3年して、「宝石」だったかで、いかがわしいスナックを経営していたという「手記」を目にしたこともあるぞ。
 テレビがややこしい世界であることには納得。
 引き続き、矢野絢也『「黒い手帳」裁判全記録』(講談社)を読み出したら、これは緊迫感があるので、借りて帰ることにする。
 ということで、帰館、夕食の準備。
 湯豆腐、イカの一夜干しで、ビール、「龍力」熱燗を飲りつつテレビを見るに、要は「金が金、浅が銀」ということか。
 ま、ともかく明日からは人殺しとか大事故のニュースをメインにしてほしいものである。
 「黒い手帳」を読みつつ寝るのである。

2月27日(土) 播州龍野の日常/カシラの訃報
 昨夜、矢野絢也『「黒い手帳」裁判全記録』を読んだが、タイトルが大げさすぎる。とても「全記録」といえるものではない。ただし戦慄的な記述もあり。ま、改めて書くかも。
 朝だ。
 薄曇りなれど暖、朝6時の室温は17℃である。
 幸せな日が続く。
 張り切って下男仕事をこなす。
 昼過ぎ、新宮町の神社にある老木が療養中?と聞いて見物に行く。
 新宮八幡神社前の広場、樹齢370年の「椋と欅」が衰弱気味らしい。
  * 
 左が椋、右が欅。この2本の樹の根元が「癒着」しているのである。
 確かにつながっていて、境目はわからない。
 新緑の頃に改めて来ることにする。クルマで10分ほどだからね。
 夕刻、ネットに接続すると、
 南方英二師匠(チャンバラトリオのカシラ)の訃報。
 おれの知る限り、関西でカシラに好意を抱かない人を知らない。
 おれはカシラに数回お目にかかったことがある。お笑い系の人で、落語家以外に知遇を得たのはチャントリだけである。
 1977年、漫画家のコーシン(高信太郎)がとつぜん来阪した。30年以上前だ。
 コーシンはチャントリ・ファンで、台本を提供した(マンガで渡したという!)仲なのであった。
 この時にコーシンがカシラを紹介してくれたのである。
 梅田花月の信号渡った北側の「赤とんぼ」という居酒屋。この時のことはここにちょっと書いているとおり。なぜかいっしょに川又千秋がいた。
 その翌年に、またコーシンが突然来阪した。
 当時、西中島南方に住んでいた。コーシンが来て「着替えさしてくれ」という。
 うちの近所でカシラの結婚式があるから出席するのだという。
 「新婦は○さん(←魚の名前)……珍しい姓でしょ」
 「別に珍しくもないで、ここの2軒先が○商店や」
 招待状の住所を見ると、ウチと番地がちがうだけである。
 「ええっ、あの○さんとこの娘さんかいな!」
 後で判明したことだが、要するにチャントリの事務所がウチのはす向かいのマンションにあったのである。
 ○商店は燃料屋だが、一角に居酒屋をオープン(おれは行かなかったけど)、そのカウンターにいたのが娘さん。
 カシラは常連だったのだ。
 要するに町内会。
 この夜は、さすがにカシラは抜きだが、コーシンとリーダー(山根伸介師匠)に誘われて夜中まで飲んだのであった。
 その後、路上で何度かカシラやリーダーと会って挨拶したことがある。ともにいい方であった。
 むろんチャントリ芸のファンでありつづけた。
 殺陣は体技であって、難しくなったのかなあ。
 あのハリセン芸は余人をもって代えられるものではない。※
 一度叩かれてみたかったなあ。
 ※ハリセンはカシラの発明である。音は大きいがそれほど痛くはないとカシラから聞いた。叩く側の意見だから、リーダーにも確認すべきであったか。構造からみて、クッションで叩かれるような効果だったんだろう。できることなら一度叩かれて「ハリセンの科学」を書いてみたかったのである。

2月28日(日) 播州龍野の日常
 午前5時、わっ寒い……と思ったが、室温14℃でそれほどでもなかった。
 急に気温が3℃も下がったからである。
 しかし、寒いことは寒い。
 下男仕事の合間、ハロゲンヒーターでキンタマ照射しつつ、少しは仕事のつもりが、生産的なことはできぬまま夕刻になる。
 老母はテレビでNHKばかり見ているが、食事時にそれを見る限り、本日は津波警告ばかりが放送されていたようである。
 室津(播磨灘の漁港)から10キロの地では、沿岸諸君には悪いが、退屈な日であるよなあ。
 冬季五輪よりは緊張感があるけど。
 ということで、老母が就眠後は、湯割り飲みつつ、トミフラ師匠、デフランコ師匠、グラッペリ師匠を1時間ほど聴いて、そろそろ就眠である。

[最新記事] [次回へ] [前回へ] [目次]

SF HomePage