『マッドサイエンティストの手帳』471

●マッドサイエンティスト日記(2010年1月後半)


主な事件
 ・創サポ講義(16日)
 ・ニューオリンズ・ラスカルズ(16日)
 ・柴野拓美さんの訃報(17日)
 ・文化たこやき、関テレ登場(28日)
 ・創サポ講義(30日)


1月16日(土) 穴蔵/創サポ/ラスカルズ
 穴蔵にて少しは仕事……と思っていたら、土曜も隣室のリフォーム工事である。
 騒音ひどく、昼間2時間ほどキタ図書館へ避難する。
 朝刊からからネタを拾って「講義用作品」のアイデア構成を行う。
 夕刻、天満のエル大阪へ。創作サポートセンターの講義「SFの書き方」である。
 SFの書き方を2時間で伝授というのは無理なので、数年前から、「SFの定義」とか「SFの歴史」「代表的な作品の紹介」などはバッサリ切って、手打ちうどんの実演コーナーにならって、アイデアの構成からプロットの作成、書き出す直前までの実演を行う。今後、実際に作品にするかというと……自己評価では55点くらいだから、とりあえず引き出しにしまっておくことにするが。
 最後に、実際に書き出す上での「秘伝中の秘伝」を教える。これは厳密にはおれの発明ではないのだが、昨年も「ものすごく役に立った」という意見があった。
 帰路、梅田でニューサントリー5に寄る。
 ニューオリンズ・ラスカルズの出演日。2、3ステージを聴く。
 
 満員の盛況。
 最後は「アラビアの酋長」で、「パンツはいてねえぞ」の大合唱で終わった。
 ライブの聴き初めはこれでなければ。

1月17日(日) 穴蔵/柴野拓美さんの訃報
 天気晴朗にして静かな朝である。
 日曜なので隣室のリフォーム工事はなし。
 阪神大震災から15年。この日は出来るだけ静かに過ごすことにしている。
 落ち着いて本が読めるなあ……。
 と、昼過ぎに訃報メール。
 昨夜、柴野拓美さんが亡くなられたという。
 うーん。
 体調が悪いとは聞き及んでいたが……。
 SF大会に参加するファンも含めて、SF関係で柴野さんと縁のなかった人は少数だろう。
 おれは1962年夏の「関西SFのつどい」でお目にかかって以来、47年を超える。
 その間、教えられたことは計り知れない。
 「宇宙塵」からデビュー、あるいはデビュー前に「宇宙塵」掲載の作家は多いが、おれもそのひとり。
 習作『イカルスの翼』のアイデアがクラークの短編と同一であることを知ってちょっと落ち込んでいたところに、アイデアの展開は決して劣っていない、「宇宙塵」にクラークの『イカルスの夏』(風見潤さんの訳)と並べて掲載するからと、改稿を薦めてくださったのが柴野さんである。
 この作品がデビュー作となった。
 その後……いや、何かとご教示いただいたことや、SFのコンヴェンションその他でお目にかかったことや、書き出したらきりがない。
 自分でいうのは気が引けるが、柴野さんはハードSF志向の方で、ある時期、ハードSFを志していたおれに、ひときわ期待されているところがあった。色々と熱心なアドバイスがあったのもそのためだと思っている。
 色々な事情があって、最終的には柴野さんの期待に応えられないままになってしまい、内心忸怩たる思いだ。
 先世紀末を区切りとして、おれはSF大会も、もうおしまいにしようと思っていた。
 が、ワールドコンの前あたりから、視力を失われてもSF活動を続けられている柴野さんを見て、心を入れ替えた。SFで育てられた以上、SFで何かやれることがあれば、続けなければいかんのである。
 柴野さんとは、ワールドコンで少しお話したのが最後になってしまった。
 自慢といえば、あきこんで「柴野拓美賞」をいただいたことか。
 賞の名を汚さぬよう、まだしばらくはがんばります。
 柴野さん、ありがとうございました。

1月18日(月) 大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 これからしばらく下男モードに入る。
 雑事多し。
 浅川マキの訃報。
 うーん。いつ何があっても不思議でない雰囲気の人であったなあ。
 おれはナマで聴いたのは1度だけ、70年代後半、大阪の中之島公会堂でのコンサート。ゲストの坂田明さんを聴くために行った。「レフト・アローン」のアルトが戦慄的に素晴らしかった。
 アルバムでは山下トリオとの「MAKI VI」、そして森山威男が叩いている「DARKNESS I」(この中の「グッドバイ」が際だっている)のふたつが愛聴盤である。
 できれば森山さんとのライブを聴きたかったなあ。
 たちまち夕刻。
 老母の夕食につきあってビール、龍力の熱燗。
 19時半からのNHKのクローズアップ現代「脳波が暮らしを変える」に川人光男さん登場。
 明晰にして誇張のない名解説である。
 脳を研究していても、確定申告無視のアホ木バカ一郎とはえらい違いである。
 寝るのである。

1月19日(火) 播州龍野の日常
 午前3時半に朝刊の届く音で目が覚めた。
 大阪の工事音に慣れていたせいか、早朝など30メートル以上離れた路上の犬の散歩音で目が覚めたりする。こちらのくしゃみが100メートル先まで伝わっているのではないか、気になるなあ。
 このところ、訃報ばかりが目につく。
 双葉十三郎氏につづいてミッキー安川。
 ミッキー安川は「タレント」らしいが、テレビはあまり見ないから知らず、『ふうらい坊留学記』の著者(安川実)としてしか記憶にない。
 カッパブックスから出たこの本は、ほぼ同時期に出た『何でも見てやろう』(源田実くん、おれはこの頃からちゃんと読んでおるのだよ、75年頃からはあまり読まなくなったけど/気悪いかもしれんがね)よりも遙かにインパクトが強かった。ある世代(当時の中学・高校生)にはそうではなかったか。
 SFマガジン創刊の前後で、もう半世紀前になるのだなあ。
 相も変わらず下男仕事。
 小春日和…ってのは陰暦10月だから適切ではないか…快晴で春の陽気である。
 1時間ほど散歩するが、あとはコタツで本を読みつつ寝転がって過ごす。

1月20日(水) 播州龍野の日常
 相も変わらず下男仕事。
 あわせて職人仕事も少し。タイムマシン格納庫にて修理完了のマシンの木箱梱包を行う。
 肉体労働は精神的にもいいなあ。
 あとは書斎にてボケーーーーッと過ごす。
 昨年夏から実家の敷地内に咲く花を撮影しているのだが、1月に開花するのはゼロかと思ってた。
 塀の外、休眠畑にペンペン草(だろ?)が咲いているのに気づく。
   *
 年中咲いているのかもしれんが、気づいたのは今年はじめて。
 RICOH CX2 のマクロ機能、なかなかではないか。
 こんなことにしか楽しみが見出せないのは寂しいことだが。

1月21日(木) 播州龍野の日常
 曇天にして暖。
 朝、プラスチックとビン(龍力の酒瓶など)のゴミ出しに行ったら、帰路、小雨になった。
 ついてない日だ。
 終日下男仕事。それ以外、なーーんもなし。
 断腸亭のおっさんだと「大黒屋にてカツ丼で一杯」で済むところだが、わしゃ老母の食事も作らねばならず、たいへんなのよ。
 早くカツ丼生活に入りたいものである。
 ちょっと気になって平成の荷風ちゃん(この方が、かんべむさし、冬樹蛉、田中哲弥、トベクマさんたちと同門というもむべなるかな)のところを見たら、十三Mではなく荷風展へ行ってはる。
 2月19日までだから、おれも来月上旬には見に行けるかな。

1月22日(金) 播州龍野の日常
 曇天にして寒。
 終日下男仕事。気分が重く、体を動かすのがつらい。田舎ストレスが溜まってきたのである。
 こんな時は落語に限るのだが、お笑い系DVDは大阪に置いたままである。
 20時〜NHK関西特集「芸人虎の穴」というのを見たが……アドリブめかして作った台本が見え見えで笑えなかった。
 NHKのバラエティだものなあ。「日本の話芸」みたいに、高座の中継さえやればいいんだよ。
 お笑いはあきらめ、湯割り飲みつつ、デフランコ師匠、トミフラ師匠を聴いて、そろそろ就眠。
 ああ春は遠い。

1月23日(土) 播州龍野の日常
 晴天にして寒。
 終日下男仕事。
 午後、気分転換に旧市街地から龍野公園を散歩する。
 土曜の午後だが、人の気配はなく、しんとしている。
  *
 龍野城趾。誰もいない。
 市立図書館に寄って1時間ほど雑読。
 雑誌、週刊誌など読んでの雑感。
●長嶋一茂のミスターのお宝叩き売り騒動。
 ポストによれば、買い主の山田勝三氏は一茂から「闇組織が黙ってないぞ」と脅されたという。
 こんな面白いネタに週刊新潮が黙ってるのはおかしいと思ったら、なんと週刊新潮には長嶋一茂が連載コラム(面白くもなんともない)を持っているのだ。こんな人選のセンスからして週刊新潮の凋落が見て取れる。「ミスター騒動を記事にできぬ週刊新潮の切歯扼腕」なんてタイトルが浮かんでくるねえ。
●小沢騒動。
 文春、新潮が小沢を叩き、週刊朝日が「検察の狂気」と国策捜査批判。メディアもデスマッチか。
 これに関しては、意外にも週刊新潮の「東京地検特捜部長が呻いた『殺さなければ殺される』」という記事に説得力がある。「(小沢への)恐怖に怯える検察の先制攻撃という構図」……納得であるなあ。
●小沢騒動2
 石川知裕の弁護士に安田好弘が登場。佐藤優が紹介したらしい。死刑になるのではあるまいに。
 ……と、手に汗握る展開である。どっちも負けるな。楽しませてくれたまえ。
 ということで、夜、おでんで龍力飲んでたら、ジーン・シモンズの訃報。80歳。
 おれは『大いなる西部』でぞっこんになって以来、シモンズ・タイプに女性にしか惹かれないのである。
 通夜を兼ねてワインに切り替える。

1月24日(日) 播州龍野→大阪
 朝から慌ただしく下男仕事を片づけ、朝の電車で大阪へ帰る。
 つかの間の休日である。
 昼前に帰館。
 昼は専属料理人に焼きそばを作ってもらって昼ビール。うま〜〜〜っ。
 午後は、溜まっていた新聞・郵便物など読み、3時間ほど昼寝。
 日曜で隣室のリフォーム工事はなく、静かなものである。
 夜はうどんすきで一杯。
 早寝するのである。

1月25日(月) 下郎の休日
 穴蔵……寒いのであった。
 午前9時、室温15℃、外6℃で、龍野の書斎でハロゲンヒーターでキンタマを照射しているよりも暖かいはずが、体感温度は寒く、しばしエアコンを稼働させる。
 が、隣室のリフォーム音(ドシーン、ガンガンはないが、電ノコとカナヅチの音が切れ目なし)が響き始めた。思考力ゼロあるよ。ま、しかたないか。
 昼、所用あって自転車で区役所その他へ行く。寒いのなんの。
 行ってみれば、別に行かなくてもいい用事であった。納付書の注記がわかりにくいのである。
 本町にも用事があるのだが、小雨になったので引き返す。
 冬の雨にうたれて帰館。
 弱り目に祟り目、泣き面に蜂、貧すりゃ鈍する、藁打ちゃ手を打つ、便所へ行ったら人が入っとる……のパターンだな。
 あとは騒音に悩まされつつ雑読。
 生産的なことは何もできぬまま、夜はレンコンの饅頭?、ほうれん草のなんとか、豚キムチなど並べてもらってビール、湯割り。
 下郎の休日は終わる。嗚呼。

1月26日(火) 大阪→播州龍野
 定刻午前4時に起床。
 早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 下男モード入りである。
 寒い。
 午前9時過ぎの書斎、室温6℃で、昨日の大阪の穴蔵よりも10℃ほど低い。
 机下のハロゲンヒーターでキンタマを照射しつつ、上半身は防寒服。
 手が冷たいので、読書・パソコン用の手袋を着用する。
 
 この手袋は、寒いと嘆いていたら某某おばさんがプレゼントしてくれたもので、なかなかの優れものである。
 このスタイルだと、下半身は暖かく、上半身はまあまあ、指はよく動き、アタマはクール。
 仕事がはかどってもいいはずが……生産的なことはあまり進まず。嗚呼。
 午後はタイムマシン格納庫から某国への貨物運び出し。
 木箱梱包だと、フォークリフトを所有していない零細工場はたいへんである。
 なんとか貨物車に積み込んで終了。
 夜は老母に粗食、おれは豚豆腐チゲで盛大にビール。
 早寝するのである。

1月27日(水) 播州龍野の日常
 晴天にして暖。
 下男仕事あれこれ。
 特に記することないまま日が暮れる。
 一杯飲んで就眠する。
 こんな無為な日々が当分(老母が死ぬまで)続くのである。嗚呼。

1月28日(木) 播州龍野の日常/シャイなたこやき屋/めんぼう
 朝だ。雨が降っている。浅田飴だ。久しぶりである。
 午前10時〜関テレの「よーいドン!」という番組を見る。
 月亭八光さんが天六界隈をブラブラするコーナーで、「文化たこやき」マーガレットが紹介される。
 
 白木崇峰くん(右)登場。
 ……これは1月13日に聞いていた番組である。
 「文化たこやき」という名称が面白いから取材されたのかと思っていたら、「こんなに人が良くて引っ込み思案の店主は珍しい」という取り上げ方である。
 円広志にいたっては「この人、たこやき屋に向いてへんで」とまでいっとる。
 好青年であることは間違いないが、調理の腕も、バンジョー同様、なかなかでっせ。確かに営業能力は心配だけど。
 ま、これがきっかけで繁盛すればいいけどねえ。好漢の健闘を祈る。
 昼。
 気分転換に、久しぶりに未知のうどん専門店へ行く。
 姫新線・余部駅の近くで車窓から「めんぼう」という看板が見える、ちょっと気になっていた店。
 
 結論。ペケ。
 この店、近くにある高尾製粉製麺の子会社なのであった。
 手打ちではなく「手造りうどん」……苦しい命名だが、量産品なのであった。平凡である。
 播州龍野の近傍、いいうどん屋が少ないなあ。

1月29日(金) 播州龍野の日常/「はりま路」閉店/林業なのだ
 相も変わらず下男仕事の日々。
 昨日の製麺会社のうどん店がいまひとつだったので、昼、横尾製麺の直営店「はりま路」へ行く。
 
 と、「昨年末で閉店しました」と看板が立ててある。
 昼食時はけっこう流行っていたがなあ。
 ランチの煮麺はなかなかうまくて、タイムマシン関係の来客を何度か案内し、皆さん喜んでくれた。
 そうめんの里の「庵」よりもこちらの方が高く評価できた。徒歩圏だから一杯やれるし。
 播州龍野ではいい店がほとんどなくなったなあ。
 午後、地域の役員氏が来宅。
 5年に1度、「農林業経営体調査」なるものがあって、所有の山林の面積を調査しているという。
 うちは「林業」やってたのか?
 確かに固定資産台帳には「山林」があって、しかし固定資産税はかからないから、特に気に留めていなかったのだ。
 が、鹿が降りてくるのを防止する柵の設置で、面積に応じて費用の分担があった。4、5年前かな。
 調べて見ると3千uほどある。
 「どのへんですねん」と訊けば「だいたいあのへん」とか、境界もはっきりしないらしい。
 
 あとで見に行ってみる。
 墓地の向こう、たぶん幅50メートルほど、食パンをスライスしたような感じの区画なのであろう。
 金になりそうな樹木もなし。
 秘密基地を作ってみようかな……などと愚考する。

1月30日(土) 播州龍野→大阪/創サポ講義
 慌ただしく下男仕事を片づけて、午前中の電車で帰阪する。
 昼前に穴蔵に帰着した。
 隣室のリフォーム工事は終わったらしく、静かなものである。
 夕刻、穴蔵を這い出て天満のエル・おおさかへ。
 創作サポートセンター(専科)の講義である。
 提出作品7篇についてのコメント中心に。
・夫婦別姓制度が芸人の芸名までエスカレートする社会……ふた昔前だとショートショート誌掲載レベル。
・余命3ヶ月のイケメンホストと風俗女の沖縄行き……ケータイ小説みたいなパターンだが表現力あり。
・コスプレ店へ行きたい言い出す元気爺さんを孫の視点で描く……これは秀作と思う。
・人面瘡を感染症として描くホラーで「怖がらせ方」に新趣向を試みている。
・孤立した山荘ものに、さらに密室殺人や死体消失が連続する新本格……前例はたぶんないと思う。
・高校テニスの花形選手の挫折と再生というストレートなスポーツ小説。
・死体を生コンで固めるのを専門職とする男の快楽と狂気。
 ……SF以外の作品がほとんどだが、それぞれ面白く、かつ意外な実験が試みられているところがあって、こちらも刺激を受ける。

1月31日(日) 穴蔵
 朝だ。雨が降っている。小雨であった。
 寒くて出歩く気分にもならず。
 終日、穴蔵にて、月次の決算作業の他、新聞、雑誌、書籍を読み、CDを聴いて過ごす。
 午後、3時間ほど昼寝。
 播州龍野から帰ってきた翌日はだいたいこんなパターンになる。
 夜は専属料理人に「コロッケ・キャベツ、白菜煮、イカ刺身・カイワレ」など並べてもらってビール、安い純米酒。
 カジシン『メモリー・ラボへようこそ』を読みつつ、早寝するのである。

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