『マッドサイエンティストの手帳』453
●マッドサイエンティスト日記(2009年5月前半)
主な事件
・大阪中央卸売市場(2日)
・滝川雅弘・谷口英治・2clセッション(3日) ・毛馬再訪(4日)
・ビッグリバージャズ2009(5日)
・天五/創サポ/ニューサン(9日)
・Sunday at Jazz Club(10日)
5月1日(金) 穴蔵
気がつけば5月になっていた。
深夜というか未明というか(1時半)、桝添が会見、国内で豚インフルエンザ改めインフルエンザA型(H1N1)感染の疑いがある患者(横浜の男子高校生17歳)が確認されたという。
朝からのニュースはこればかりだが、テレビのアホがマスクもせずに病院前から大声で中継してるのはどうかなあ。
少しは予防の範をたれてはどうか。
いや、おれはテレビのアホが感染死亡するのはいいと思うよ。ただ、死ぬ前に、次の「現場」でウィルスをまき散らされるのはかなわんよね。
……取材ヘリ同士が衝突する場面は見たいが、それがわが家に落ちてくるのはご勘弁を、という気分である。
終日穴蔵。
運動不足なので、夕刻、淀川堤を上流・本庄方面へ散歩。
ずっと前から気になっているチョルテン(仏塔)。
JR東海道線、淀川鉄橋を南に渡った東側にある教恩寺で、JRの利用者ならたいてい知っているはず。
この「目玉」は、チベット仏教寺院(カトマンズのスワヤンブナート寺院などが代表的)に見られる装飾で、釈迦の目が四方を睨んでいるらしいのだが、日本で見るのはここだけである。
この寺の前はよく通るが、なぜこんなのが建てられているのか、訊く機会はないままである。
夕刻のニュース。
横浜の男子高校生は「陰性」であったという。
何回かこういうことが繰り返されてから真打ち(陽性)登場ということだろうな。
夜、珍しくテレビで江口洋介版『木枯らし紋次郎』を見る。
中村敦夫版は比較的よく見たし、特に市川昆監督のはキレがよかった。
今回の、連続ドラマの第1回かと思ったら、単発のようである。
江口と中村を較べてもせんなきこと。どだい器が違う。
ドラマの展開がつまらない。紋次郎にからんでくる男が事件の裏を知っているようだが、この存在が「敵か味方かわからない」ところ……岡本喜八作品における中谷一郎みたいな役割かと見ていたのだが、種明かしされてみたら、いちばんつまらない結末。
時間の無駄であった。
5月2日(土) 穴蔵/大阪中央卸売市場
本日も快晴なり。
こんなに晴天が続いていいのであろうか。
パンデミックで、そのうち出歩くことも少なくなるだろうから、発作的に市内をウロウロすることにした。
専属料理人と昼前に出て、環状線で野田へ。ここから歩いて大阪中央卸売市場へ。
新しくなってから来るのは2度目かな。
四半世紀前までは、バイクや自転車で、午前4時頃によく来たものだが。
場内を一巡り。土曜の昼となると、閑散としている。
「ゑんどう」で昼飯。
ここの寿司は「まぜ」といって、1皿に色々なのが5カン。「おかわり」というと別の組み合わせで次の皿が出てくる方式。
「4皿目」なんて猛者もいるけど。
四半世紀前には1皿500円であったが……嗚呼。
お、奥の席にヒラマツくんがいる。
そのヒラマツくんて誰ですねん。知らんのかね、大阪市長の平松くんだよ。
……と、『夜を走る』を読んだ筒井ファンなら、大阪市長は「くんづけ」でいい理由はおわかりいただけよう。
それでなくても平松くんはウチから徒歩7分に住む同じ町内会みたいなもの(酒の安い店がネキにあってよろしいなあ、といいたくなる)。
安藤くん、板東くんもそう。北野くんは数年前に引越し、許くんも小菅に住まいを移して寂しくなったけど。
などと愚考しつつ、ま、公人だから写真は載せてもよろしかろう。
中央市場の南側は、中之島西端で、堂島川と土佐堀川の合流点は橋脚になっている。
河口に近く、川面は濁っている。
悲しい色やね。
Hold me tight……前にも書いたか。
京阪「中之島」駅を見学。
乗らずに(260円もするからね)渡辺橋まで歩く。
渡辺橋の上、ほぼ南端まで時ならぬ行列。
何かと思ったら北詰の「堂島ロール」を求める人の行列なのであった。
あと1時間半です、と、末端あたりで店員らしいのがいってる。いやはや。
堂島から地下街に潜り、梅地下を南端から北端まであるき、14時過ぎに帰館。
約6.5キロ。8000歩には達しなかった。
5月3日(日) 穴蔵/滝川雅弘・谷口英治・2clセッション
終日穴蔵。
少しは仕事もする……つもりなのであった。そして、少しだけした。
夜、専属料理人と歩いて梅田へ。
ここ数年、毎年この時期(高槻ジャズストリートの前後)に行われる谷口英治さんと滝川雅弘さんの2clセッションである。
大野綾子(p) 中村尚美(b)高阪照雄(ds)
今回はリクエスト優先?ということで、2曲目に「鈴懸の径」があったり、アンコールが「シング・シング・シング」だったり。
ただし新アレンジの曲が増えて、おれとしては「ステラ・バイ・スターライト」のアレンジや、ガーシュインをコラージュ的に演奏する趣向、それに「Hush-a-bye」がいいなと思った。
2ステージ、22時前まで。
谷口さんと記念撮影をお願いする。
谷口さんの話では、昨年から「流行歌手」になった秋元順子は前に「浅草HUB」で歌っていた「花屋のおばちゃん」だという。
へえ。10年ほど前、谷口英治とグラマシー・ファイブ・リバイバルで出演していた頃に、おれも聴いている。
歌っていたのはむろんジャズで、ごく「庶民的雰囲気」のヴォ−カルだったけど。
歌手も作家も、いつどう化けるか、わからんものだなあ。
5月4日(月) 穴蔵/毛馬再訪
昨夜に続いて、高槻ジャズストリートで2clセッションがある日だが、終日穴蔵にこもる。
少しは仕事もする……つもりなのであった。そして、少しだけした。
昼のニュースで高英男の訃報。
90歳……うちの老母と同年であったのか。
シャンソンもいいが、高英男とくれば、やっぱり『吸血鬼ゴケミドロ』だなあ。あれは怖かった。
夕刻に近い午後。
少しは体を動かさねばと、1時間ほど自転車で走る。
ここは水郷か……。
いや、淀川。毛馬閘門から500メートルほど上流である。
振り向けば、葦の群生の向こう、穴蔵近くのタワーマンションから建築中の阪急百貨店まで、梅田のビル群が一望である。
40年ほど前……正確には1971年から2年間ほど、この近くに住んでいた。
操業停止した工場跡に研究所と寮があったのである。
淀川堤、今は河川敷公園だが、当時は荒涼としたワンドであった。
夜、酔っぱらって、堤防の斜面に寝そべることがあった。
シャツをはだけると気持ちよかった。
草なぎメンバーの気分はよくわかる。
裸になって何が悪い。
毛馬一帯、自転車で20分ほどの距離だが、妙に郷愁を覚えるのである。
ついでだから、昔の工場跡へ行ってみる。
昔の工場跡は「団地」に変わり、塀沿いの樹木だけが残っている。
樫の木は残った。
姫路も高知も同じパターンだなあ。
当時よく歩いた大東町商店街は「蕪村通り商店街」と名前を変えているが、閑散としている。
むしろただの路地の雰囲気である。
……こんな風に、昔住んでいた場所を訪ねてみたくなるのは、死期が迫っているからであろうか。
毛馬堤を走って帰館。
春風や堤長うして家遠し。
5月5日(火) 穴蔵/ビッグリバージャズ2009
本日は曇天なり。
半日穴蔵。
少しは仕事もする……つもりなのであった。そして、少しだけした。こればっかりだな。
昼前に出て、自転車でOAPプラザへ。
ビッグリバージャズ2009である。
曇天……雨が降りそうなので、本日はOAPプラザ1階の広場が会場。
濡れないように、階段や2階コンコースを含めて、出演バンドをぐるっと取り巻いて聴く。
NOグローリーランド・ジャズバント、マホガニーホール・ストンパーズ+ジェフ・ブル、ニューオリンズ・レッドビーンズを聴く。
天気がいまひとつなのと、肌寒く、ラスカルズの出演まで待つのがつらくなり、途中まで。
都島橋から天六経由で帰る。
お、「十八番」と「天六うどん」がともに(たぶんビルの改築で)移転しているのに気づく。
ちょっと南、商店街の西側に移転している。
朝飯(十八番)と昼飯(天六うどん)のわが愛好店、道をはさんで向かい合っていたのが、仲良く並んで新装開店である。
ということで、天六うどんできつね。
味は変わらず。よかったよかった。
「十八番」にも近いうち来るからね。
ということで早朝グルメと立ち食いうどんの記事を修正する。
明日は雨模様ゆえ、穴蔵にこもって、渋滞情報を見ながら大いに仕事……と心に誓うのである。
5月6日(水) 穴蔵
本日も曇天なり。
終日穴蔵にて過ごす。
少しは仕事もする……つもりなのであったが、気分が鬱である。
終日ボケーーーっと読んだり聴いたり昼寝したりで夕刻となった。
世間はまだ「連休」だから、ま、おれも休みでいいか。
ネットで注文していた、藤家虹二『We Love Clarinet Vol.4』が届く。
50周年記念CDである。ゆったりしたスイングで、こういうのを聴くとほっとするなあ。
夜は専属料理人に色々並べてもらって晩酌。
しらすおろし、ほうれん草、白身刺身、枝豆、蕗煮、ローストチキン・サラダ、五目寿司。
ビールと「神の河」水割り。うーん、冷えた「呉春」がほしいところだが、これは贅沢というものであろう。
元気が出てきたので、張り切って早寝するのである。
5月7日(木) 穴蔵
雨歇まず風冷なり。終日穴蔵にあり。
……断腸亭くんというか荷風散人というかニフウちゃんというか、あのおっさんの同年の頃の記述に倣えば、こういう一日であった。
早く「雨。正午満留満。」で済ます境地に至りたいものである。
早寝。
5月8日(金) 穴蔵/ウロウロ
明け方まで続いていた小雨が7時にはやみ、午後には晴れ間も。
不思議なもので、世間の連休が終わると、(SF以外の)雑用も急に発生する。
午前中、雑事色々。
昼過ぎに自転車で出かけて、ヤマト運輸、郵便局、銀行関係一巡、チーハに寄ってヒーコ。
そういえば、8月8日に「ハチ50周年イベント」をやるので、そろそろ準備を始めなければならない。
CD店、書店を一回りして帰館。
やっぱり体を動かしている方がアタマも働くなあ。
夕食前に郵便物投函しに50メートルほど外出する。
と、ひときわギンギラギンの電飾が目につく。
「天下一品」である。
おれは別の店で一度試したことがあるが、もう年齢的に受けつけられる食べ物ではない。
ここは確か「ちりめん亭」だったはず。
専属料理人に聞くと、2ヶ月ほど前に変わったらしい。
ふだんあまり通らない一角だから気づかなかったのである。
地下鉄の駅に近いからラーメン店が多いのは当然ながら(他にも「四天王」などチェーン店らしいのが数店)過剰ではないか。
「弥七」以外、行列は見たことないし、「輝」も、待機していてもせいぜい数人だからなあ。
どう淘汰されていくか。
いや、ラーメン店よりも多いのがヘアサロンである。
徒歩2分以内に先月から2軒増えて、直径100メートル以内に10軒以上あるはず。
一度調べてみよう。
ラーメン人口とヘア人口の相関はあるか……。
まずはラーメン食っている客のヘアスタイル調査から始めるか。
5月9日(土) 穴蔵/天五/創サポ/ニューサン
わ、とつぜん夏になった。
昨日までベスト着用していたのだが、快晴で、シャツ1枚でも快適である。
穴蔵にて、少しは仕事もするのであった。
昼、京都からSFファン(兼落語ファン)のYさんが来るので、天五で待ち合わせ、シチューうどんでお馴染みの「かね又」へ。
「若鶏の照焼」1皿500円でごくごく軽くビール1杯。
色々と物々交換・情報交換しつつ「シチューうどん」。
健康な食事である。
いったん帰館。
夕刻、天満のエルおおさかへ。
創作サポートセンター専科の講義。
提出作品数編を材料にコメント。
都会によくある公園を舞台にしたホラー(短編)と、神戸・異人館付近の貸しスタジオを舞台にしたシチュエーション・コメディ(長篇)がなかなか面白く、特に後者の「古典的名作映画〜一昔前の連続テレビドラマ」の流れの「換骨奪胎」ぶりが巧妙で、これを分析していくと、こちらにも参考になることが色々出てくる。
ちと時間オーバーとなった。
隣の部屋には講師として福田和代さんが来ていて、そちらの内容にも興味があったが、挨拶のみ。
帰路、ニューサントリー5に寄る。
先日の「ビッグリバー」ではラスカルズが聴けなかったので、2ステージ目から。
連休明けで、ふだんよりも空いていて、福田さんのトロンボーンの正面3メートルの席に座らされた。
音響的には最高の席だが、あとから来た客の私語がひどくて、2ステージ目だけ聴いて退散。やれやれ。
こういう人を見ると、本当にジャズ・ファンなのだろうか、いつも疑問に思う。
5月10日(日) 穴蔵/Sunday at Jazz Club
本日も夏なのであった。
快適だが、こんな天気が続くはずはないぞ。「ロケット・サマー」((c)ブラッドベリ)みたいなものであろう。
午後、自転車で天五(黒崎町、青空書房の東側路地を入ったところというか、シチューうどんでお馴染みの「かね又」の2軒南側というか)の「バンブークラブ」へ行く。
竹が生えていて、もとは歯科医院、「竹之家」と呼んだ方がいいような店。
14時から、ここでSunday at Jazz Clubの例会である。
本日は「フレンチ」特集である。
東京から来てくれたS藤さんが主に今世紀のフランス・ジャズを、T本さんが著名ジャズメンのパリ・ライブを紹介。
パリはアメリカよりもアフリカに近い。
ジャズ以前の民族性などがわかってくる、面白い特集であった。
あとの方はヴォーカルとなど持ち寄りCDも色々。
昨夜みたいに演奏中に大声で私語するアホ皆無の、気分のいい会であった。
5月11日(月) 大阪→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動する。
午前9時に着いて、久々に<下男モード>入り。
掃除洗濯は前任者がやってくれてたので、買い物に行く。
まずは誉田町福田のとうふ工房 豆華へ行って木綿豆腐300円を購入する。これで冷ヤッコ4日分が確保できた。
あとは食品スーパーに寄ってあれこれ。
午後は書斎の窓からボケーーーーーーーッと庭を眺めて過ごす。
室温26℃で快適である。
庭の新緑が目にしみる。煙が目にしみるよりずっといい。
4月15日に較べて若葉が急激に増えたなあ。
などと感慨にふけっていたら、夕刻に小沢いっちゃんが辞任表明した。
やれやれ。
どちらを支持とか(どちらも支持しない)関係なく、単細胞の麻生太郎は任期いっぱい、解散総選挙はやらんよ、昨秋からいってることだけど。
周囲が難しく勘ぐりすぎているのだ。
このタイミングはあまり意味はなかろう。
しばらくの間、太郎の「歪な得意面」を見るのは不愉快なことだけど。
などと愚考している間に夕刻になった。
老母の夕食にあわせて、おれも晩酌の用意。
「豆華の木綿豆腐」1パック300円の1/4の直方体に末廣醤油(商標はオオギイチ)の「本造り醤油」をたらして食す。
ごくごくシンプルな冷ヤッコだが、これがたまらなくうまい。
播州龍野にあっては、秋口まで、これは毎晩欠かせないのである。
ビールがうまい。
楽しきかな下男生活。
仕事? 放っとけ、そんなもん。
5月12日(火) 播州龍野の日常
本日も初夏の陽気である。
張り切って下男仕事に勤しむ。
合間にちょっと英文文書作成……ボケが進んで、だんだんと時間を要するようになってきた。嗚呼。
午後、天気がいいので老母を龍野公園へ連れて行く。
老母は、モミジは紅葉よりも新緑の方が好きなのである。
紅葉谷から聚遠亭へ。ま、老犬の散歩のようなもの。
聚遠亭の庭、ひっそりとして人の気配なし。
若葉の中に、紅葉している木も2本あり。
Red In Green ……なんて曲はあったっけ。
ということで、日が落ちたら晩酌である。
「豆華の木綿豆腐」+オオギイチ「本造り醤油」の冷ヤッコ、枝豆、カツオのタタキ(食品スーパーで買ったが、これはハズレ。高知「大吉」のとは較べるべくもない)、筑前煮(大阪から持ってきたもの)など並べてビール。
老母はなぜか豆腐と刺身は食べない。枝豆はよく食べる。ややこしいことだが、老母用に別メニューも2品(キュウリ系と専属料理人が作ってくれた肉系)並べる。
老母就眠後、トマトスライスとフランスパン2枚焼きに専属料理人が作った「肝のペースト?」(大阪から持ってきたもの)を塗ったのでワイン・ハーフボトル。
楽しきかな下男生活。
仕事? 放っとけ、そんなもん。
5月13日(水) 播州龍野の日常
本日も初夏の陽気である。
早朝からトカトントンの物音が響く。
西隣の建築工事……大枠が出来上がって、壁や窓枠の取付段階に入った。
西窓から見ると、鶏籠山は視界から消えた。
ひと月前に始まった工事、あっという間に組み上がった印象である。
朝から張り切って下男仕事。
少しは仕事も……と思ったところに、老母が「美容院へ行きたい」といいだす。
ま、病院へ行くよりましか。
送迎。
と、老母、今度は、冬物衣料を片づけたり、庭の雑草を取ったり、やたら動く。
まあ結構なことだけど、手伝い(ストーブの片づけとか、花瓶の移動とか、家具の移動とか、雑草の焼却とか)を命じられる「下男」はたまったものではない。
ああしんど。
夕暮れにあわせて晩酌。
早寝するのである。
仕事? 放っとけ、そんなもん。
5月14日(木) 播州龍野の日常
午前4時半に朝刊を読んでいたら、何を思ったか、老母が午前5時過ぎから畑の雑草取りを始めた。
塀の向こうにある畑で、むろん今は何も作っていない。
が、雑草がのびると何かとうるさい隣人がいて、たぶん今年も何かいわれる前にと、こんな作業を始めたのであろう。
おれは「農作業」なんてまっぴらご免である。園芸も趣味ではないし。
が、老母に倒れられても困るので、監視はしなければならず。
つかず離れず。
この土地、雑木林にできればいいのだが、ややこしいこといわれるなら、アスファルトで固めてしまいたい気分だ。
テニスコートには狭く、駐車場にするにも道に面していない。
雑草が生い茂っていて何が悪いのかと思うけどなあ。
その他、終日、雑事色々。
夕方になった。
老母は久々の肉体労働のおかげで20時前に就眠。ほっ。
おれも「神の河」ロックを飲んで早寝するのである。
仕事? 放っとけ、そんなもん。
5月15日(金) 播州龍野の日常
本日も好天なり。
ただし朝の室温は17℃で肌寒い。居間はまだコタツを片づけてないのである。
張り切って下男仕事。
合間に、少しは仕事をするつもりで机に向かっていたら、昼前、70歳過ぎに見えるスーツを着た爺さんが訪ねてきた。
「この辺に嫁に出されるような娘さんのいるお宅はありませんでしょうか」
と丁寧な口調でいう。
今時、廃品回収みたいな方式で縁談に応じる家があるのか?!
ヨソで訊いてくださいとお引き取り願う。
じっさい、近所の家族構成なんて知らんもんね。
悪人には見えなかったが、詐欺師というのは絶対に怪しい人間には見えないものだ。
謎の爺さんである。用心しなければ。
さあ、明日は出所である。
前祝いで、枝豆、焼き魚などでビール。
20時前に老母が寝てから、デフランコからドン・バイロンまでをランダム・モードで聴きつつ、盛岡冷麺で「神の河」ロック。
21時を過ぎた。そろそろ早寝するのである。
仕事? しましたよ、いと少なしを。
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