『マッドサイエンティストの手帳』443
●マッドサイエンティスト日記(2008年12月後半)
主な事件
・天満JAZZ倶楽部(21日)
・姫路駅姫新線ホーム高架化(22日)
・納会(29日)
12月16日(火) 播州龍野の日常
早朝から下男仕事の後、本日もタイムマシン格納庫にて見張り番。
不況である。
電話などあまりなく、半分ほどは本を読んで過ごす。
ま、来年は冬眠だな。その覚悟も準備も出来ているから、慌てることは何もない。
夜はキムチ鍋で一献。
早寝するのである。
12月17日(水) 播州龍野の日常
本日も早朝から下男仕事の後、タイムマシン格納庫にて見張り番。
晩飯のあと、20時過ぎに老母就眠。おれもシャワーのあと、スグキで湯割り一杯。
色々やりたいことがあるが、疲れたので早寝。21時半。本来ならこれから2、3時間、何かやらねばいかんのだが。
原稿関係はお待ちくだされ。
12月18日(木) 播州龍野の日常
相も変わらず下男仕事+タイムマシン格納庫の見張り番。
あ、昼だ。帰館して昼飯。
あ、午後4時半だ。スーパーで食材買って帰館。
料理人モードに入る。
ああ、マンネリだな。
明日もう1日。それを耐えれば、晴れて数日間仮出所の予定である。
「穴蔵」で仕事がしたいなあ。
などとぼやきつつ、おでんでビール、スグキで龍力の熱燗。デフランコなど聴いて早寝するのである。
12月19日(金) 播州龍野の日常
週末である。
相も変わらず下男仕事+タイムマシン格納庫の見張り番。
午前9時に相棒の某くんの無事帰国を電話で確認。ほっ。
鳥インフルさえ持ち込まなければいいのだ。
ということで、本日は少し早めに切り上げる。
ここ数日、明らかに運動不足。
夕刻、1時間ほど揖保川沿いに歩く。
枯れすすきの群生が逆光の中に白し。
紅葉はすべて葉を落としたが、すすきだけはしぶとく残るものだなあ。
人間も枯れすすき状態になってからが長いからなあ。うんざりしてくるぜ。
気分はメランコリー。妙薬はなし。
ま、明日は出所である。
前祝いに、本日もビールと「龍力」一献、21時前に就眠するのである。
12月20日(土) 播州龍野→大阪/さらば姫新線ホーム
朝9時半、NHK『食彩浪漫』に山下洋輔氏登場。
湯沢の高原ホテルにて岡淳朗シェフとの料理セッションである。
うちの専属料理人が好むタイプのイタリアンである。
雑事色々。
昼前に助っ人到着、午後帰阪することに。
姫新線のジーゼル車、姫路駅の0番ホームに着く。
12月22日に姫新線も高架化されるから、この地上ホームを利用するのは本日が最後である。
この0番ホームは昔は「西1番ホーム」であった。
初めてひとりで姫路に出てきたのが、小学時代、「ゴジラ」を観るためであった。半世紀以上も昔である。
中学高校とSLで通学。中学当時は、姫新線は闇米運送列車でもあり、このホームから金網越しに構外へ米俵が放り投げられ、あっという間に運ばれていくのが毎朝のことであった。
逞しい連中だったなあ。
懐かしいホームである。
ということで午後帰館。
雑事山積。
夕食……専属料理人がさっそく『食彩浪漫』に影響されて、即興前菜アンチョビソースを作っている。
カボチャがパプリカに、エビがホタテに変えてあるあたりが専属料理人の矜持か。
その他イタリアン風を並べて白ワイン。うまーーーっ。
12月21日(日) 穴蔵/天満JAZZ倶楽部
定刻午前4時に起床。
龍野とは室温が7、8℃高く(18℃)、着替えもせずに仕事にかかれるのがありがたい。
粛々と雑事を処理。
午前5時にNHKニュースのあと、「日本の話芸」再放送は桂文珍『蔵丁稚』。
まあまあ面白い。
年賀状は3時間ほどで仕上げる。
忙中の閑。
午後、自転車で黒崎町のバンブークラブへ。
天満JAZZ倶楽部の例会である。
本日の会場・バンブークラブは青空書房の東側の路地を入ったところにある、時々ライブに使われる不定期営業スペースで、以前は歯科医院、80何歳まで現役でやってはったとか。
歯科の雰囲気が残っているのが面白い。
本日は「今年いちばん印象に残ったCD」の持ち寄り企画。
12、3人。沖山秀子から北欧ジャズまで、時代的にはクリフォードから西山瞳まで色々出てきて、何が印象に残ったかバラバラなところがかえって面白い。スタン・ゲッツやチェット・ベイカーの「晩年」盤、それに神戸のTさんの企画でクリフォードの「本当の」ラスト・レコーディング解説なども。
ラスト・レコーディングは、事故死と衰弱死とでは意味合いがまるっきり違うなあ、当然のことながら。
これはジャズに限らず、話芸にも小説にもいえることなのだが……。
12月22日(月) 穴蔵/ウロウロ
慌ただしい日である。
午前4時起床。
午前5時、天六の十八番へ朝飯を食いに行く。
穴蔵に戻る。
午前9時前にまたも這い出して、自転車で、郵便局〜金融機関関係〜御堂筋を南下して本町の某行「秘密金庫」にてタイムマシンの設計図の出し入れ。
ついでに昔の勤務先周辺を見物するが、栄枯盛衰、食べ物屋の変化は激しいなあ。
本町の紀伊国屋が残っているのが驚きであった。
中之島経由で昼前に帰館。
書類作成。
昼過ぎにまたも出かける。
明日が「祭日」なので本日中に片づけねばならぬこと多し。
いいにくいことだが、年末の慌ただしい時期になんで他人の誕生祝いをせにゃならんのよ。
毎年思うことだが、国民を思うなら、1月4日あたりに移してくれんかねえ。
チーハに寄ってヒーコ。
ズージャ専門店ミムラに寄ってCD1枚。
ああ、よく動いた。
夜……中之島あたりで光のルネサンスなんとかをやっているので見に行こうか(行くなら今夜しかない)迷うが、夕刻から寒風強くなり、昼間の疲れもあってやめる。
専属料理人に色々並べてもらってビール、ワイン少し。
明日から田舎行きのため、早寝するのである。
12月23日(火) 大阪→姫路→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動する。
JR姫路駅、昨日から高架化されて、改札が高架の下に移っている。
ただ、コンコースの姫路城側には廃墟となった駅ビルや付属設備、旧ホームなどが残っている。
これらが取り壊されれば、広大な「駅前広場」が出現することになるが、どんな計画なのか。
姫新線と播但線の旧ホームは柵で仕切られている。播但線ホームの「駅そば」も閉店。
新ホームは東西に長く、東が播但線、西が姫新線ホームとなっている。
2日目で祭日とあって、午前8時だが、カメラ持ったテツらしいのが数人ウロウロしている。
新ホームから滑り降りるように発車。
午前9時、本竜野に着く。
さあ楽しき下男仕事。
あれやこれやあれやこれや、煩わしくて細かくは書かないけど、よく動いたのであった。
18時から晩酌。
老母が20時過ぎに寝たので、おれも早寝するのである。
12月24日(水) 播州龍野の日常
ど田舎にて慌ただしいのであった。
以下列記。
・午前4時に起きて朝刊を読む
・朝食用意・朝食・片づけ
・洗濯
・(9時過ぎて)某行へ行く
・某屋でアルコール飲料を買う
・某青果で発送依頼
・某書店で某誌と某書購入
・某店で老母の万年筆用インク・カートリッジを買う
・某局から老母の某購読費の会費振込
・昼飯用意・昼飯・片づけ
・某不動産にてややこしい相談
・某スーパーで買い物
・某氏来宅某件依頼
・タイムマシン格納庫にて期末の調整色々
・またも某行へ行って処理事項
・散歩……の元気なし
・洗濯物の取り込み ・夕食用意・晩酌・片づけ
・シャワー・洗髪
・二次的晩酌・片づけ
……ああ疲れた。
ということで、HP更新
・21:30、早寝するのである。
12月25日(木) 播州龍野の日常
本日も慌ただしいのであった。
以下列記……は面倒なのでせず。
雑事が多いところに加えて、世間では給料日であって、龍野に唯一ある都市銀行やATMが1台しかない郵便局には長い行列、しかも操作モタモタ人種ばかりだから、高血圧気味のおれにはよくないわなあ。
無事夕刻まで生きながらえた。
夜はすき焼きで盛大にビール。
雑事が残っているが、ま、明日こそホリは羽ばたく。
早寝。
12月26日(金) 播州龍野の日常
本日も雑事が多いのであった。
タイムマシン関係も年末決算を迎える。
15時ギリギリで終了。
「悪の決算」……本年度はゼンジー北京師匠さまさまであった。
この方面は年明けまで何もやらないことにする。
下男仕事で市内ウロウロ。
夕刻、川沿いに30分ほど散歩する。
16時40分頃に日没。
枯れ草が赤く染まる。
白壁の前の楠の大樹は夕陽に映えるのであった。あの頃はよかったなあ、よっさん。
何やら訳のわからない気分で帰館、晩酌。
早寝するのである。
12月27日(土) 播州龍野の日常
世間は正月休みモード入り?
田舎ではとくに変化なし。
おれも下男仕事にいそしむのみである。
朝日の記事にギョ。N社が「全社員の14%にあたる520人」の「早期退職者募集」という。
おれは「構造不況業種」といわれる会社で長年働いてきたから、この手の話には驚かないけど、G繊維分野までとはなあ。P板も壊滅か。
わがタイムマシン業界への波及必至である。
ともかく、来年初めの「えべっさん」でゼンジー北京師匠のお祓い受けられなければ、1年間、完全冬眠をやらざるを得まい。
覚悟も用意もできてるからね。
冬眠状態で原稿を書く訓練はこれからだけど。
夕刻、久しぶりに自転車で北1.5キロのCOOPへ買い物に行く途中、アンテナが林立する「片山」山頂へつづく新しい道を眺める。
山の上のアンテナ群まで登ったのは2年半ほど前だが、北西方向からの裏道?が出来ているのである。
元旦に初日の出を見に登ってみるか。未明は暗くて危険であろうか。
ということで、夕刻に色々並べて晩酌。
本を読みながら早寝するのである。
12月28日(日) 播州龍野の日常
うーん、田舎の下男生活が限界である。
5日が限界のところ、本日6日目。
明日は一時的に出所できるから耐えるしかない。
夜、テレビでリメイク版『椿三十郎』を見る。
時間の無駄であった。
カラー化されて椿の色が鮮明になっただけ。藤田まこともペケ、明らかに手抜き演技。
最後のチャンバラも色々考えた上での「手」なんだろうけど、反則技みたいだしなあ。
室戸半兵衛が三十郎を最初から信用しすぎるのが脚本の欠点だが、豊川が強そうに見えないから、この欠点がより鮮明になって、しまりのない作品になった。
要するに名作はリメイクしてもダメ。
駄作というか、脚本はいいのに役者や演出やダメなのをリメイクすべきではないかい。
たとえば……っても、とっさに浮かばないけど。
無駄な夜更かしをしてしまった。
12月29日(月) 播州龍野→大阪/謎の納会
朝から下男仕事色々。
午後の電車で大阪へ移動。
ほっとするなあ。
夕刻に近い午後、阪急石橋へ。
某居酒屋にて、年末恒例の「会議のようで会議でない」「忘年会のようで忘年会ではない」、懇親会というか秘密会議というか、微妙な納会を執り行う。
てっさ、てっちりでヒレ酒、最後は雑炊。さっと解散、20時前に帰館。
茶屋町の寒々とした「光の回廊」を通って帰る。センチメンタルになるぜ……と、これ帰館のコースまで去年の12月30日とまったく同じではないか。
年末年始、ずっとこんなパターンになってしまうのであろうか。
ただ、今年はかんべむさし氏とのふたり忘年会はできなかった。
SF関係や歌やんや吉朝さんたちとの忘年会を含めると、これは1975年以来初めてのことではないか。
まあ、だんだんアチラの方が集まりやすくなるのは確かだけど。
一週間ぶりに穴蔵に戻る。雑事山積。
明日からまたど田舎行きなので、年内に片づけるのは無理であろう。嗚呼。
12月30日(火) 大阪→播州龍野
定刻午前4時に起床、雑事を片づけるのであった。
ま、年度末のことはだいたい終わったが、肝心の原稿関係その他は新年早々でいいということなので、資料を龍野へ持っていくことにする。
夕刻に近い午後、専属料理人がオセチなどできたというので、パック容器に詰め合わせたのと、書籍○冊を下げて、播州龍野へ移動。
明石大橋あたりで海が血に染まったような残照を見る。
メランコリックになるぜ。
弁当持ちで収監されるってのはこんな気分なのであろうか。
ということで、19時頃に播州龍野に着くが、雰囲気は深夜である。
景気づけにデフランコ聴きながらキムチ鍋で湯割り。
陽気に過ごさなければなあ。
12月31日(水) 播州龍野の大晦日
朝から相も変わらず下男仕事。
朝9時の開店直後にスーパーへ買い物に行く。
一応迎春準備は終わったので、少しは仕事をしようかと書斎にこもるが、色々と気になることが多くて没頭できない。(そりゃ守衛が小説書いてたらいかんわなあ)
窓から冬景色をボケーーーーッと眺めつつ、この10年、どのように大晦日を過ごしてきたのか振り返ってみる。
・1998年 大阪。自宅書斎にて仕事。
・1999年 大阪。Y2K問題の年でパソコン切って緊張の年越し。
・2000年 大阪。この夏から穴蔵生活。世紀末、夕刻かんべ氏と一杯呑んで早寝。
・2001年 大阪。普通に酔っぱらって早寝。
・2002年 大阪。一杯呑んで早寝。
・2003年 大阪。昼間、龍野往復、老母にオセチを届け、夜はボブ・サップ〜曙戦を見たあと、カウントダウン。0時にシャンパンを抜く。
・2004年 播州龍野。春に老母が骨折入院以来、生活の半分が龍野となる。大雪である。
・2005年 播州龍野。早寝。
・2006年 播州龍野。早寝。
・2007年 播州龍野。早寝。
転機は2002年末のカウントダウンか。年越しの瞬間まで起きていたのは10年で1度だけだ。
あれを境に寒い播州龍野の正月モードに入ってしまった。
派手な年越しが災いしたのかなあ……。
家族で正月というのはもうなさそうだな。
午後、教育テレビで「上方演芸ホール・特別選〜ちりとてちんの落語を聞こう」を連続再放送していて、最後が米朝師匠の「はてなの茶碗」(昭和58年3月2日収録) ……師匠58歳の高座である。たまらんなあ。
ま、これが見られたから、いい年越しであったとしよう。
夕刻、川沿いに30分ほど散歩。
ゆく川の流れは絶えずして……ここに六十の露消えがたに及びて、さらに末葉の宿りを……わしゃ、こんなど田舎に結びたくはないぞ。
年が明けたら大阪の俗塵にまみれることにしよう。
夜は「普通の」晩酌。
老母は国営放送の国民的学芸会が始まる前に寝てしまった。
おれもシャワー。
さっぱりしたところで、明日用のオセチを重箱に詰め、少し余分に小皿にとって「龍力」熱燗。
TimeDomain-miniでジョージ・ルイスからケン・ペプロフスキーまでランダム・モードで聴きながら、滝田誠一郎『ビッグコミック創刊物語』(プレジデント社)を読む。
まだ途中まで。面白いエピソードはあるものの、大出版社が当時のマンガ家ビッグ5を集めて(手塚さんなど向こうから打診してきたという!)のスタートだから、感動的な物語にはなり得ないな。
眠くなったところで早寝予定。
2008年が終わる。
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