『マッドサイエンティストの手帳』432

●マッドサイエンティスト日記(2008年7月後半)


主な事件
 ・タコヤキ・マーガレット(19日)
 ・宮崎/UMK PHOENIX Jam Night 2008(25日)
 ・阿蘇/熊本/カジシン(26-27日)


7月16日(水) 大阪→播州龍野
 集合住宅のエントランス。
 長期に及んだ大規模修繕工事、いよいよ大詰めで、オートロック化の完成寸前。
 今度帰館した時には終わっているであろう。
 
 が、こういう無人通路みたいな雰囲気の方がおれの好みなんだけどなあ。
 ガウディみたいに永久工事中建築にしたら面白いのだがなあ。
 などと愚考しつつ、早朝の電車で播州龍野へ移動する。
 ややこしき案件あり。
 龍野で唯一の都市銀行から書類が届いており、老母を連れて「出頭」する。
 通帳紛失(あとで発見できたのだが)したので、口座を凍結していたのを「解除」してもらうためである。
 本人が出向くのがいちばん手っ取り早い。
 この「本人確認」というのは面倒な作業だ。詐欺事件が多いから、慎重にチェックする理由はわかるが、老母の場合、パスポートも運転免許もないから、顔写真入りの公的証明物はない。
 念のために老母が文化功労賞を受賞した時の新聞記事を用意していたが、そこまでの必要はなかった。
 老母が住所氏名生年月日をスラスラと書くので、窓口のネエちゃん、ちょっと感心したようである。
 ディック世界になるのはまだ先のようだ。
 ちょっとしたアイデアを得たから、まあいいとするか。

7月17日(木) 播州龍野の日常
 夏である。
 粛々と下男仕事のあと、タイムマシン格納庫にてちょっと作業も。
 午後2時、タイムマシン格納庫は45℃となる。
 さすがにやばい。
 陋屋の書斎にもどる。
 こちらは34℃である。
 
 書斎からの眺め。炎天なり。扇風機を回していれば快適である。
 おれは「暑い」なんて愚痴は、めったに口にしない。
 夏来たりなば秋遠からじ。
 キンタマ収縮の季節がもうすぐ来るかと思うと憂鬱になるのであった。
 夕刻から一天にわかにかき曇り、夕立か……と期待したら、なーんも降らず。
 蒸し暑いまま。
 S字型の生殺しというのはこういうものか。
 老母の夕食につきあってビールを盛大に飲み、早寝するのである。

7月18日(金) 播州龍野の日常
 暑いのであった。
 下男仕事〜タイムマシン格納庫〜書斎と、色々動く。
 わが書斎、本日も昼前から34℃。嗚呼。
 要するに古い家の2階部屋、窓が小さく、空気の流れが悪いのである。
 扇風機フル稼働。
 
 Toshiba製で、たぶん40年以上使用している。
 推定重量6キロ。ドシンと重い。ボタンはバシッと押し込む方式。むろんリモコンなんてない。が、おそらくこの頃のモーターは品質最高であろう。そのへんの量販店で数千円で売っている中国製とは出来が違う。
 心なしか高品質の風を送ってくれるのであった。
 本日、
「answer songs」山田正紀『火星のコッペリア』が公開されて、昨年のワールドコン企画の瀬名企画に応える作品が出そろった。
 拙作については自信がないまま。ゲラで先に読んでいた飛・円城・瀬名・山田作品がいずれも凄いので、わしゃちょっと落ち込んでいた。が、まあ、大阪舞台のがひつとあってもいいではないかという気分になった。
 瀬名さんのコーディネート力による成果である。
 で、ロボットがらみ……というわけでもないが、扇風機からの熱風に吹かれつつ、高月靖『南極1号伝説』(バジリコ)を読む。
 
 ダッチワイフ(今はラブドール)の歴史をよく調べてある。セクソイドに関して、手塚治虫や石森章太郎作品について言及があるが、SF(小説)について何もないのが寂しい。南極1号(ベンテンさんと呼ばれていたという)については誰も「実行」しなかったらしい。主に最近の業界事情。なかなか面白かった。
 ロボットSFまではあと一歩。そこんとこ、もう少し考察してほしかった。
 というのは、山田正紀『火星のコッペリア』(火星調査隊に生じる微妙な人間関係)にもからむのだが、火星にロボツトを連れて行くという発想に関して、創サポの生徒でSF志向のひとりが先日提出してきた作品(ここで触れている)が、かなり生々しいところまで踏み込んでいたからである。
 「宇宙SF」と「ロボツトSF」を合体させるなんて通俗的過ぎる……というのは先世紀末までで、ロボットの扱いはこれから変わってくるなと、色々考えることが多いのであった。
 野茂が引退表明。今でこそ「偉業」を称えているが、大リーグ入り当時のマスコミの野茂バッシングはひどいものだった。おれが忘れてないほどだから、野茂が忘れているはずないよなあ。
 ノモとモナ。似て非なる……いや「悔いを残しての引退」では同じか。

7月19日(土) 播州龍野→大阪/タコヤキ「マーガレット」?
 本日も炎天なり。
 下男仕事の後、午後の電車で大阪へ移動。
 夕刻帰館。
 おお、エントランスが見違えるようにきれいになっている。
 
 オートロックになったから、写真公開してもいいであろう。
 で、帰館したら、今度は専属料理人が実家方面で急用発生、新幹線で帰ってしまった。
 慌ただしいことである。
 ということで、久しぶりに夜遊びすることにした。
 土曜日なのでニューサンへ行ってラスカルズと思ったが、
N.O.グローリーランド・ジャズバンドを思い出して、中崎町へ進路を変える。
 中崎町の商店街入り口の市場に隣接するタコヤキ屋へ。
 
 バンジョーの名手Sくんの店である。
 看板がまだ出ていなくて、今夜閉店後に付けるのだという。
 その店名は「マーガレット」……そんなジャズ・ナンバーあったっけ? といったら、ジャズではなく、快楽亭ブラックの昔の名前に由来するのだという。ふーん。
 タコヤキでハートランド・ビールをいただく。熱い、旨い。他にもコナモン系メニー色々あり、また来ることにする。
 中崎町から天六へ移動。
 ワイルドバンチへ。
 ここでもビールを一杯。
 映画ライターの某氏が来店、打ち合わせ中。毎月の天満JAZZ倶楽部例会に加えて、映画関係の会がスタートするらしい。
 企画内容をちらっと聞くと、ビデオ・DVDではまず見られない珍しいのが見られそうな。
 大阪常駐とはいかないおれとしては、日程調整に苦慮しそうである。
 ほろ酔い自転車で無事帰館。

7月20日(日) 穴蔵
 猛暑なり。
 専属料理人不在につき、朝から洗濯、自分用の朝食用意、やっとることは播州龍野と変わらんなあ。
 日照り強く、東向きの穴蔵、朝からエアコン稼働。
 終日穴蔵にこもる。
 粛々と雑事の消化……のつもりだったが、体がだるく、半分は昼寝。
 夜は外食も調理も面倒になり、冷や奴でビール、冷凍のごはんを暖め、レトルトカレーでハーフワイン。
 読売のモナオカが一軍復帰したというので、妙な興味でスポーツニュースを見る。凡退。「ファンの期待に応えられなくて」とコメントしたらしいが、十分応えてるよ。たかが選手なんだから、もっとやりたい放題やりゃいいんだ。
 と、職業野球への興味をこんなレベルに引き下げてしまったのは読売のナベツネなんだけどね。最近あまり消息聞かないが、死期が近いのか?
 22時〜NHK-FM「セッション2008」、辛島文雄トリオがなかなかいい。
 早寝するのである。

7月21日(月) 穴蔵
 本日も炎天なり。
 終日穴蔵。
 たまっている雑事を粛々と処理。主に集合住宅関係で、ほとんど終了した。
 運動不足なので夕刻、久しぶりに淀川堤を自転車で走る。
 
 夕陽が沈むのを見ると、おれのハートがチクチク痛む。橋幸夫の歌詞か。
 本日も専属料理人不在。
 晩酌をどうしようかと迷っていたら、ボンクラ親父の息子その2から「おれが作るから」と連絡してきた。
 ちょっと遅めの20時過ぎ、「自宅」へ行く。
 
 本日のメニュー。左から時計回りに、ゴーヤチャンプル(ゴーヤはベランダになっている)、鶏ササミと山芋の和え物、牛ロース焼き、茄子の煮浸し(青紫蘇を刻んだのが乗せてある)、……うーん、茄子の煮浸し(これがなかなかの味付け!)なんて20代の男が作るメニューか? 専属料理人の血筋なのであろう。
 これで盛大にビール。
 明日からまたも播州龍野行き。
 あ、残り物を持っていくべきか。

7月22日(火) 大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 下男モード入り。
 下男仕事の合間にタイムマシン格納庫へ。と、ちょうどその時、某国からメールとFAX。
 またもありがたき……猛暑の中、新案件始動である。
 ともかく今年は
ゼンジー北京師匠さまさま、である。
 午後は書斎にて英文ドキュメント作成。
 うへ、室温34℃である。
 サウナ気分で粛々と作業を進めるのであった。
 18時から老母の夕食につきあってビール。ビールが身にしみる。
 本日のメニュー。
 枝豆、イカ刺身、鶏ササミと山芋の和え物、茄子の煮浸し、キュウリの酢揉み、タケノコの土佐煮。
 2品は昨夜の残りを持ってきたものである。
 老母、茄子の煮浸しを食べて「おいしいね。○○さん(←専属料理人の本名)が作ってくれたの?」「そやそや」「いつも上手やね」
 ボンクラ息子その2が作ったとはいいかねた。
 ということで、おれは軽くビール。
 老母が20時過ぎに寝た後、シャワーを浴び、キムチ・カイワレ・トマト・ハムぶち込みの盛岡冷麺を作って「神の河」ロック2杯。
 早寝するのである。

7月23日(水) 播州龍野の日常
 猛暑なのであった。
 下男仕事に加えて、老母が美容院へ行きたいというので送迎ドライバーを務める。
 老母、髪の毛が伸びて暑苦しいというのは、それだけ新陳代謝が活発ということか。
 確かにおれよりも発毛・育毛・まんまにもう状態がいいような。嗚呼……。
 タイムマシン関係も色々。
 午後は34℃の書斎で高級扇風機の風に吹かれつつ本を読む。
 今年になって、本の感想関係、書いてないなあ。数十冊は読んでいるのだが。
 近日、集中アップしよう。
 明日は出所予定である。
 晩酌後、早寝。

7月24日(木) 播州龍野→大阪
 本日も炎天なり。
 慌ただしく下男仕事。朝からプラスチック・ゴミを指定場所へ捨てに行くが、ここで住民諸氏と顔を合わすのがともかく苦痛である。
 「暑いですね」……当たり前やないか。わかりきったこというなよ。
 (顔しかめて)「ああ、暑い」……おれのせいやないがな。おれにどないせいちゅうねん。だいたい、おれはこの程度の気温は平気で、これから寒なるのが心配やねん。
 いちいち反論はしないけどね。
 午後の電車で帰阪。
 大阪の穴蔵にも雑事色々堆積。
 軽く晩酌の後、慌ただしく旅支度。
 明日から某方面へ行くので本HPはしばらく中断。ネットカフェから更新といかないところがブログとちがって不便なところだ。
 が、まあしばらく網の外に出るのもいいであろう。

7月25日(金) 大阪→宮崎/UMK PHOENIX Jam Night 2008
 発作的に……ではなく、以前からこれだけはと決めていたツアーに出る。
 専属料理人と昼前のANAで宮崎に飛ぶ。
 シーガイアでのフェニックス・ジャム・ナイト2008で森山威男グループと山下洋輔スペシャル・ビッグバンドが出るとあっては、じっとしてられない。
 しかも、九州は他の県はすべて行ったことあるのに、宮崎だけは行ったことがない。
 ということで、日程調整して、やっと宮崎行きが実現した。
 宮崎空港にてテリーくん夫妻の出迎えを受ける。色々と手配してくれているのである。
 コンサートは夜なので、レクチャーを受けた後、夕刻まで日南海岸に行ってみることにする。
 快晴、猛暑。
 海岸沿いを鵜戸神宮まで。
 神宮内のレストランで冷汁定食なるものを試みたが、たいしてうまいものではなかった。これは店により当たりはずれが大きいらしい。
 少し戻って「サンメッセ日南」……カートでしか回れない構造のパークで、カートは900円/30分。延長料金が30分単位でかかってくるから、グルッと回るだけで退散。
 
 実物大のモアイ7体が売りで、これを10分ほど眺めただけであった。
 「鬼の洗濯板」を見物して、夕刻、シーガイアのコテージに到着。
 コテージ借り切りで、森山追っかけの宮崎組、大分組それにウチの合同合宿という趣向である。
 3組揃ったところでさっそくビール。
 無農薬野菜とか天然酵母パンとか地鶏などが並んで……これはやばい、コンサート前にできあがってしまいそうな。
 ということで、19時過ぎにコンサート会場へ移動……といっても、シーガイアは広大で、クルマでないと移動できない。ゲコひとり、ほとんど飲めないがひとりいるのはありがたいことである。
 「PHOENIX Jam Night 2008」……撮影禁止なのでデジカメは封印。
 5グループ出演だが、2番手の「Fried Pride」の最後の曲から聴く。
 会場はサッカー場でもあり、芝生にシート敷き、ビールを並べての鑑賞となる。後方には模擬店が並んでいて、結構な雰囲気である。
 津軽三味線の「上妻宏光トリオ」
 その後、盛大な花火打ち上げがあって、いよいよ「森山威男セプテット」登場。
 クインテット+高瀬龍一(tp)渡辺ファイアー(as)、これはもう準レギュラー・メンバーである。
 いいなあ。
 詳しくは
塩之谷レポートを。
 最後が「山下洋輔スペシャル・ビッグバンド」……東京と名古屋でしかないと思ってたのが宮崎で聴けるとは感激である。
 松本治氏のアレンジがすばらしく、最後の「ボレロ」は感涙ものであった。
 演奏を終えた森山さんがわれらのシートに現れて、いっしょにビッグバンドを聴くというのも感動的光景である。
 23時前に終演。
 シートなど撤収してホテルの地下入り口へ移動する。
 森山グループ+塩之谷さんは、明日の「めいほうジャズフェス」出演のため、夜行列車で小倉まで移動、早朝の新幹線に乗り換え、名古屋→めいほうスキー場へ移動するという。台風で飛行機が飛ばない場合に備えてこんな旅程になったという。
 調べてみると、確かに夜行特急(寝台車にあらず)はあった。
 宮崎23:47→小倉5:24 ひかりで小倉6:17→名古屋9:29、ここからバスでめいほうスキー場へ。約13時間。海外ツアーに匹敵するではないか。
 演奏会場からビッグバンド・メンバーを乗せて戻ってきたバスに、入れ替わりで森山グループが乗り込み、宮崎駅へ。われわれはお見送り。
 
 山下さんと森山さんはバスの前で短く挨拶してのすれ違いである。
 深夜にコテージに戻り、シャワーのあとまたビール。
 就眠は午前2時頃になってしまった。

7月26日(土) 阿蘇/熊本/カジシン
 松林に囲まれたコテージで気分よく目覚めて、午前8時過ぎに皆で朝食。
 この時刻、森山グループはまだ姫路あたりを移動中である。
 名残惜しいが10時頃に出発する。
 本日は熊本に向かうのである。
 おれは熊本はよく来ているのだが、専属料理人は初めてというので、阿蘇に向かう。
 パノラマラインを、米塚〜草千里。
 
 天気が変わりやすく、麓は晴れていたが、雲の動き急で、火口を見物していたら夕立に遭う。
 夕刻、熊本市へ。
 Nスカイにチェックイン。なんか懐かしい雰囲気だなと思ったら、30年以上前、カジシンの結婚式があったホテルだ。
 そのカジシン夫妻が迎えに来てくれて、馬肉料理のうまい店に案内してもらう。
 カジシン、新聞連載のが終り、1000枚近い長編の校正をすませたばかりだという。偉い作家になってしまったなあ……と思うが、むろんアホな話も色々するのであった。
 ビール飲みつつ、馬刺、魚の刺身、馬ホルモン煮、馬カツなど色々いただき、最後は馬汁(バジルと読む)で米焼酎の湯割り。たまらんなあ。
 あと不思議な雰囲気の喫茶店で不思議なコーヒーを飲ませていただいた。
 これは説明しがたい。そのうちカジシンがエッセイで紹介するかも。

7月27日(日) 熊本→大阪
 気分よく目覚めたら、フロントからの連絡メモ。
 梶尾様から封筒をお預かりしています、とある。
 なんと熊本城の入場チケットを早朝に届けてくれたのである。
 梶尾家は熊本城の「城主」のひとりなのである。その説明は省略。
 ということで、チェックアウト後、熊本城観光に行く。
 快晴はいいが、強烈な日射しである。
 日陰でないと歩けないほど。
 
 おれは中学高校と姫路に通学していたから城は見慣れている。
 三大名城といわれてもなあ……と思っていたが、「本丸御殿」復元工事が完了、確かにこちらの「内装」はすばらしいものだ。
 天守閣は、姫路城の「白」に対して、こちらは「黒」である。
 「外国人」観光客が多い。それも、なぜか加藤清正を忌み嫌っているはずの国の方が目立つ。なぜなのだ。
 昼前に熊本空港に向かい、昼過ぎに離陸、午後帰館。
 大阪は湿度が高いが、九州ほどの熱気はなし。
 ニュースでは大分県で39℃を記録。
 暑かったはずである。

7月28日(月) 大阪→播州龍野
 久しぶりにラッシュ時の地下鉄に乗る。
 大阪市内某所で朝9時にタイムマシンを調整する必要が生じたためである。
 ボンクラ・サラリーマン諸君と満員の地下鉄に乗る、また楽しからずや。10分ほどだけど。
 30分ほどでミッション終了。
 帰路、地下鉄の駅に向かう途中で、煉瓦造りの教会発見。
 何度も来た界隈だが、少し遠回りになるから通らなかった一角である。
 
 この造りがどういう様式と呼ぶのか知らないが、ニューオリンズ風である。
 ラスカルズが演奏すると似合いそうな。
 ウロウロしてみるものだ。
 慌ただしく播州龍野へ移動。
 炎天だったのが、昼過ぎに龍野に到着、実家まで200メートルあたりでポツリポツリと大粒の雨滴が落ち始め、あと20メートルのところで本格的に降り出した。セーフ。まるで先日の阿蘇火口である。
 天候急変、雷鳴が続くので、パソコンの電源を抜く。落雷破損で懲りたからなあ。
 停電が一度。
 ややこしい日である。
 夕刻には晴れてきて、涼しくなった。
 先日来の移動疲れが出てきた。早寝するのである。

7月29日(火) 播州龍野の日常
 昨日に引き続き天候不安定。
 朝から遠雷が続く。パソコン使用に警戒を要す。
 タイムマシン関係で雑事色々。
 なんとにく慌ただしい日である。
 夕刻、炊事。
 播州龍野では
男が作れる超簡単料理を参考にすることが多い。
 買ってきた総菜、切って並べる程度のものに加えて、最低1品は作ることにしている。
 本日は「イカと里芋の煮物」を試みたが……惨敗。
 修行し直さねば。嗚呼。
 ふて寝兼ねて早寝するのである。

7月30日(水) 播州龍野の日常
 炎天なり。
 下男仕事の合間にタイムマシン関係の仕事も色々。
 ニュース雑感。
●昨日発生した新日鐵八幡工場の火災。
 まだ燃えつづけており、未明の映像が朝のニュースで流れたが、「ブレードランナー」の冒頭シーンそっくりではないか。
 まさに「工場燃え」で、「工場萌え」諸君、興奮しとるだろうなあ。
 テレビで見ただけのおれが興奮するほどだからなあ。
●フジテレビの渡辺和洋とかいうアナウンサーの「不倫」騒動。
 週刊朝日が↑くだんの渡辺なるものの「不倫」を報じ、その渡辺が出演番組で「本日発売の週刊誌などで私のプライベートに関する記事が掲載されております。お騒がせしたことを深くおわびします」といったらしい。
 午後、龍野市立図書館へ行って週刊朝日の記事を読む。
 要するにオーディションの審査員という立場を利用してコマしたらしい。
 渡辺和洋は「イケメン」らしいが、どんな顔なのか、テレビは見ないからわからない。
 「不倫」は褒められたことではないが、双方に恋愛感情があれば、とやかくいうことでもなし、こちらは別に被害をうけてないから、公共電波を使って全国に「おわびいたします」といわれるのもけったいな話だ。
 ただ「オーディションの審査員」の立場を利用してのことだったら職業倫理に反するし、経費の処理に不正があれば処罰は受けるべき。事実関係に一切触れずおわびしたということは、おそらく週刊朝日の報道は事実なのであろう。
 フジテレビは渡辺なる犯罪者をテレビでさらし者にすることで処罰に代えているということか。
 わしだったら恥ずかしくて自殺未遂(あくまでも同情をひくための狂言)するけどなあ。
 犯罪者見たさに渡辺とかの出演番組を見ることはないけどね。
 渡辺くん、いさぎよく身を処すのがいいぜ。
●あの男が編集長になっていた!
 同じ週刊朝日のコラム、亀和田武さんの「マガジンの虎」の表題である。
 亀ちゃんの「マガジン・ウォッチ」コラム。
 フライデーが報じた、同じ「不倫」でも遙かに大きい「みずぼ銀行トップ」の不倫を暴いた記事について。
 現フライデー編集長が仙波某氏なのである。
 この名物「仙波記者」はよく覚えている。
 田中康夫にネチネチ取材したり、取材で殴られて「流血」写真が出たり。
 いちばん驚いたのが「大林雅美事件」の時だ。
 マスコミが張り込んでいる中、雅美の家から男が出てきて逃げ去った。すわ「第三の男」かと大騒ぎになった。
 これが仙波記者だったのである。
 おれは、この事件については、いずれ詳しく書くつもりでいる。
 なにしろ色々と被害を受けているからなあ。
 仙波記者とは直接の面識はないが、ともかくあの騒ぎ、マスコミ注視の最中に、大林雅美の家に入り込んで取材した能力に感嘆したものである。
 今週から「フライデー」注目するからね。

7月31日(木) 播州龍野→大阪
 朝も早よからホイホイと下男仕事。
 9時頃にタイムマシン格納庫へ行こうとしたら、H交差点あたりから時ならぬ大渋滞。
 大手スーパーだった跡地に「Mバリュー」なる食品スーパーが本日9時開店……目玉商品を狙ってのことらしい。
 そういえば7円のキュウリとか、チラシに色々出ていた。
 このご時世、無理もないよなあ。
 こちらは自転車だから渋滞は関係なし。が、特に買い物に行く必要もなし。落ち着いた頃に見学に行ってみよう。
 雑事色々の後、午後の電車で帰阪。
 しばらくは穴蔵生活となる。
 夜は専属料理人が、枝豆・ハムカツ・キャベツ・夏サラダ・夏パスタを並べてくれて、これらでビール・ワイン。
 たまっている本を積み上げて、早寝するのである。

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