『マッドサイエンティストの手帳』96
●マッドサイエンティスト日記(1999年2月後半)
主な事件
・わしゃ納税者としては昔から優等生である。が……
・SF大賞授賞式
・「SFの書き方」講座
・青テントゾーンは大川下流、ロイヤルホテル辺りまで拡大
1999年
2月16日(火)
朝、出勤前に確定申告の書類を大淀税務署のポストに投げ込む。模範的納税者である。20年前、SF大賞の賞金その他の申告について、ここの税務署の担当者がじつに親切に指導してくれ、それ以来、確定申告はほとんど初日に提出している。その時の担当者、実はSFファンで、パソコンを必要経費と認めてくれ(「ああ、あなたの場合、当然必要ですね」)た上、書斎専用に部屋を使っているのなら、その面積分は減価償却できると、色々教えてくれた。まあ原稿料や印税の内訳にも興味あったようだけど。……したがって税務署員に悪い印象は持っていないのだが、大蔵トップの官僚どもは「税金の基礎的な手続き」を知らなかったり、税金をてめえらの「女郎買い」費用に使うから、やっぱり納税には抵抗があるなあ。……3月中旬並の気温というが懐は寒い。
夜、集合住宅の理事会、4月からあと1年やらねばならぬようである。
午後10時前。やっと夕食、減塩スパゲティでワイン。このスパゲティは抜群のうまさ。と誉めても料理人が読む可能性はないが。ボンクラ息子がいる時はいつもケチャップ味になってしまうのよね。
2月17日(水)
夕方、かんべむさし氏の仕事場で雑談2時間。ちょっと暗い話。
帰路、靫公園を抜ける。ここにもホームレスの青テントが目立つようになった。明日は我が身か。
カード型データベースで、表計算ソフトとデータ互換のものはないかと書いたら、さっそく「完全なカード型ではありませんが、dbSheetではいかがでしょう」というメールをいただいた。試用版が落とせるというのでさっそく試してみる。なるほど、イメージしていたものとは違うが便利は便利である。印刷などわからないこともあり、もう少し検討してみよう。
2月18日(木)
北摂の事業所で、大量の設備・備品を長野に搬出のため、トラックへの積み込み作業。古い工場の内部ががらんどうになる。百年前に「火薬工場」としてスタートした工場、いよいよ終焉である。
ジャズライフを拾い読みしていてテナーの井上淑彦新グループのドラムに「つの犬」という名前を見つけてびっくり、なんじゃこれはと思ったら、角田健の別名と判明。たしか「つのだ・ひろ」の従兄弟か甥のはず。しかし凄いジャズネームであるなあ。
ジャッキー・バイアードが射殺されたというニュースを田中啓文さんのホームページで知る。ニューヨークは安全になったと聞いていたが……。ジャズメンにも静かな老後があっていいはずなのになあ。外山喜雄さんの文章では、最近ニューオリンズの治安が悪く、昼間に銃声を聞いたとか。ぼくはサッチモ公園の芝生で昼寝したことがあるのだが、5月頃にニューヨークからニューオリンズへというのは夢のまた夢である。
2月19日(金)
北摂の事業所、電話と電気設備の取り外し。水道のみ解体作業のために残す。ついに解体を待つだけになった。最後の荷物をワゴンに積み、相棒の運転で別倉庫へ移動。西風が強く、断続的に雨と霙、急に晴れたり、不安定な天気である。雷雲が通過しているらしい。
夜、倉庫から近い播州龍野の実家に帰る。
2月20日(土)
昼間帰阪。雑原稿がたまっているが体がだるく気力が湧かない。
先日、かんべむさし氏から「意見を聞かせてほしい」と要望のあった「小説すばる」3月号の「笑える小説」特集を読む。かんべ作品は、特集のなかでは出来のいい短編である。……ただし、特集外だが、ともかく志水辰夫「赤い記憶」がずば抜けている。
まれにいいことをやるNHK。FMの「セッション99」久々にデキシーで、中川嘉弘とデキシー・オールスターズ。トロンボーンの中川英二郎がまさに快演、親子でこんな演奏できるなんてボンクラ息子の父親としてはなんともうらやましい。
だいたい「親子でジャズメン」という場合、ライブで聴いているのはたいてい親父の方である。歳だからしかたないか。
小曽根実 小曽根真
中川喜弘 中川英二郎
南里文雄 南里雄一郎
ジミー原田 原田イサム 原田……孫ドラマーは失念。原田イサムだけは、リズムエースで息子を先に聴いた例外だ。
八城一夫と八城邦義は両方聴いている。
小林洋と小林恵も両方聴いた。
ウイントンもブランフォードも聴いてないけど親父のエリス・マルサリスはニューオリンズで聴いたなあ。
そのうち「え、ドラムの坂田学の親父ってジャズやってるの?」なんて時代になるのであろうか。
2月21日(日)
世間休日なれど雑用処理のため出社。
ボンクラはつらいよ。
夜、週末の「SFの書き方」講義のための資料作りと短編評。
【森山威男研究会】に関して、森山さんが叩いているのかどうか不明だった古澤良治郎「12,617.4km」を吉井“ぶる”誠一郎さんが発見、一曲だけの参加が判明。
森山威男ディスコグラフィーの「調査中」部分を訂正します。
これで現物確認できないのは「木曽」だけとなった。
2月22日(月)
ボンクラサラリーマン生活丸一日。
2月23日(火)
6時に家を出て、10時半に長野県・伊那松島へ。
重装備で来たが、快晴で暖かい。
帰宅午後9時。
車中よく寝た1日である。新書1冊が読めなかった。
夜中にキートンの「セブンチャンス」を放映しているが、とても起きられない。まあビデオで何度も観ているから無理する必要はないのだが、放送しているならやっぱり観たいなあ。
2月24日(水)
ボンクラサラリーマン生活丸一日。
心臓に良くない話が色々飛び交うが……100行省略。
血圧は156−78。下はまあ正常域である。
2月25日(木)
医局に医師が詰めている日なので診察受ける。血圧158−86 れれ、下がまた上昇している。給料日には血圧が上がるというボンクラサラリーマン症候群か。全部家族に巻き上げられて、血圧が上がるほどの興奮はないのだけどねえ。
夕方、ヒルトンで某タクマの専務・若村さんとおなじみK川嬢。近くの洋食屋「ネスパ」で年に一度も食べない「ハンバーグ」でワイン。むむむ。ハンバーグとはこんな味であったのか。
あとサントリー5。木曜でデキシーの日だが、最終木曜は期待の若手グループ「アルジャーズ・スーペリオール」。特別デキシーにはこだわらず、ホレス・シルバーの曲なんかも演っている。美人トロンボーン……あ、お名前失念……が素晴らしい。時々土曜のラスカルズに飛び入りして吹いていたのを何度か聴いている。
お願いして4人で記念撮影。
2月26日(金)
早朝のひかりで上京。
日本橋界隈を数社セカセカ。
夕方から東京會舘で第19回日本SF大賞受賞式に出席。
色々としゃべりたい顔ぶれが多いが、明日急用が発生、20時49分発の最終ひかりで帰宅深夜である。
2月27日(土)
朝から急なミーティング。ややこしいことである。
夕方から天満へ。京阪・天満橋から大川の対岸を見て、青いテントの増殖ぶりに仰天。この前来たのは年末だったが、3ヵ月で倍増以上ではないか。明日は我が身といっても、だんだんといい場所はなくなっていくだろうしなあ。
大阪シナリオ学校で「SFの書き方(2)」の講義。後半、提出作品を教材とするゼミ形式とする。黒川憲昭くんの「ギルマン物語」、最近では珍しい「サイボーグもの」で、考証面では弱点があるが、ともかく構成に関する着想が抜群である。どんな構成かを明かすと、プロでも試みたくなるほどの着想なので、黒川くんのプライオリティを尊重して明かさない。推敲してレベルアップしてほしいものである。
途中から北野勇作さんと芦辺拓さんが顔を出す。ロビーでしばらく雑談。その間も芦辺さん、なにやら分厚いレポート用紙を拡げてメモし続けている。
「仕事ですか?」
「バラバラ死体のパーツ表を作っているんだけど……」
うーん。臓器移植でマスコミが騒然としている中、それよりもずっと早くから進められている作業のようである。
2月28日(日)
午前中、漫然とごろ寝。「老眼鏡」を昨日紛失したらしく、パソコンを使うのがつらい。困ったものである。度が少し合わなくなっているから、作る機会ではあろうか。
昼、リーガロイヤルのワイン祭に行こうかというと、ボンクラ息子の母親、風邪気味でパスしたいという。それならと暖かいので自転車で出かける。
途中、メガネ屋で検眼。「遠近両用」を試してみると、意外に使いやすいことがわかる。
自転車で堂島川堤の遊歩道をロイヤルホテルへ。ホテル前の堤に自転車を止める。この辺りは大川の眺望がいい場所、斜め向かいの旧阪大病院が解体中である。「白い巨塔」時代を思い出す。千里に移転していなければ、臓器移植で今日あたりたいへんだったろうな……と感慨深くウォータースケープを楽しみつつ、ちょっと眼下を見ると、ここにも青いテントテントがちらほら。ホームレスホームゾーンはここまで拡大しているのである。
ロイヤルホテルのワイン祭り、大盛況だが、知人がいない。ワイングラス片手に人混みのなかにひとりというのは寂しいものである。……ここでSF大賞と異形コレクション・パーティの大阪版をやれば経済的だろうな。半券で出入り自由だし、朝11時から夕方6時まで、時間はたっぷりとれるからなあ。
などとワイン数杯で2月はもう終わりである。