『マッドサイエンティストの手帳』88
●マッドサイエンティスト日記(1998年12月前半)
主な事件
・血圧高騰胃チクチク悪寒下痢その他……
・見おさめの紅葉
1998年
12月1日(火)
血圧高騰中……胃も心臓も心配である。
むろん外的要因による。
12月2日(水)
昼、マイドーム大阪へ。
「第9回国際造形コンクール・大阪トリエンナーレ1998」を見る。国際的な彫刻展で、造形作家・劔持啓子さんの作品「SAMAGI」も展示されている。
劔持さんとちょっと雑談……横浜から箱根に引っ越して、環境激変でたいへんらしいが、どうやらアメリカへ1年間の留学決定とか。ダンナが1年「休職」して、いっしょに行く予定というのがうらやましい。タペストリーから立体造形への転進も凄いなあと感心する。
「なんとかなりますよ」(←わしが文筆に専念の場合である)といってくださるのがうれしい。
デジカメを持っていなかったので、作品紹介ができない。写真到着を待たれよ。
12月3日(木)
テレビで「男はつらいよ」第1作を見る。このシリーズ、2、3作見ている程度で、熱心なファンではない。第1作を見て、初めて人間関係がわかった。さくらの結婚が早すぎる事情も納得。どんな作品もシリーズ化を前提としないのに傑作が多い。SFの長い長いシリーズものなど、年末の大掃除で全部クズとして出してしまおうと決意。古本として売れたとしたら、クズを無垢な読者に読ませるという罪につながりかねない。わしが捨てようと思った本は、誰にも推薦できるものではないから、ゴミにした方がいいのである。グ×ンとかはトイレットペーパーにふさわしい。(グ××は一冊もないけどね)
12月4日(金)
「文書」で報告することの意味は、口頭での報告途中で一方的罵声を浴びせられることに対する回避策と理解していたのだが、読む前から攻撃開始ということもあり、なんとか「ご一読の上」と懇願しても、読みながらの「爆撃」という事態もあり、なんというか、いやはやである。文芸家協会会員の「報告書」など、企業においてはクズ同然である。ということもある。
血圧急騰を実感、恐ろしいものであるなあ。
12月5日(土)
夕刻、天満で大阪シナリオ学校の講座「SFの書き方1」の講義。
2時間2回の1回目。アイデア・発想法とプロットの立て方・前半。
途中、芦辺拓さんが来る。
終了後、近くの居酒屋で21時前までガヤガヤ。
本日、山下洋輔さんの八向山+Xのコンサートがいずみホールであり、たぶん大阪のどこかでウチアゲ中のはずだが、行けない。
12月6日(日)
「戦火にさらされた」自宅。復興途上でシンナー臭がこもっており、窓、扉を開けたまま寝ていたら、明け方、寒さで体が震えて起床。ホームレス気分満喫である。
朝、家族の「疎開先」へ行って入浴。
終日読書。
12月7日(月)
ボンクラ社員、おなじみ週明け血圧高騰胃チクチク。
北摂の事業所へ。阪急池田からバスで北へ。北摂山系の麓というか、山に少し入った場所にある工場である。なぜこんな場所にと誰もが驚くが、昔、水車を動力にしていたからというと、建物の古さとともに納得してもらえる。延べ20年近く、ぼくとしてはいちばん馴染みの深い工場である。
近くに久安寺という寺があり、紅葉の名所でもある。
暖かい日が続いたせいで、今が紅葉の盛り。
ぼくは花鳥風月まったく感心のない無粋者だが、今年に限ってちょっと境内を散策……はっきり書けないが、要するに女房を花見にやった大石内蔵助の心境なのである。いずれ仇討ちはいたさねばなるまい。
12月8日(火)
東奔西走。
バンクラ奔る。
12月9日(水)
安住の地なくねわしゃどうなるのか……
21時過ぎ、「疎開先」夕食中、体調がおかしくなる。悪寒。
食事途中でやめ、徒歩5分の帰路、体ガタガタ震え、数回立ち止まる。
暖房、厚着のまま布団にくるまる。
12月10日(木)
8時近くまで寝る。ふだんより4時間遅いから、ふつうの感覚では午前中寝ていたようなものか。下着ムレムレ、腹具合がおかしい。
が、ボンクラは体力勝負である。
北摂の事業所へ。気の重い話色々。
21時頃、鍋焼きうどんと熱燗、厚着で布団。
12月11日(金)
な、なんとボーナスが出た。社長さん、ありがとうございますだ。
体調、なんとか戻る。
12月12日(土)
朝、戦火から復興中の自宅を出て、播州龍野の実家・書斎に「疎開」。
小春日和のような快晴である。12月でも小春日和でいいのかな。
終日読書。20時にはあたり真っ暗である。田舎の夜は早いなあ。
12月13日(日)
夕方だと神戸のルミナリエで姫路からの電車が混むのが心配。昼過ぎに出て、午後帰阪。原稿が書けないなあ……
12月14日(月)
週明け恒例血圧暴騰。
12月15日(火)
12月前半終わる。なんの面白みもない半月であった。
いかんなあ……。