『マッドサイエンティストの手帳』87
●マッドサイエンティスト日記(1998年11月後半)
主な事件
・通産省の地下室はヨコジュンワールドである。
・しし座流星群は空振りに終わる
・トニー・スコット研究開始
・ボキャ貧首相のボンクラ面
・わが家は戦火の跡である。
・梅田の観覧車が回り始めた
・吉鹿徳之司さんの出版記念会
1998年
11月16日(月)
休日明けの月曜は胃にも心臓にも悪い。
11月17日(火)
ボンクラサラリーマン継続中。
11月18日(水)
ふだんより2時間早起きして、午前2時に防寒服を着て、自転車で淀川の堤防へ。しし座流星雨見物。これを狙ったように昨夜から寒波襲来、堤防の上は風もあって冷える。雲がかかっているが、晴れ間部分の空気は澄んでいる。が、ジャコビニに続いて今回も空振りの気配。30分ほど立っていて、体が冷え切ったので、天五まで自転車で走り、うなぎ屋でちょっと一杯。ふたたび堤防に引き返して、午前3時半から4時前まで「仰天」するもびっくりするような眺めはなし。
鼻水垂らしつつボンクラサラリーマンに戻って出勤。
北摂の事業所から、夕方、ミナミの「ワッハ上方」へ駆けつける。
四代目桂文我師匠による「三代目文我を偲ぶ会」。三代目と四代目でこんなに人柄が違うのも極端だが……。三代目のビデオ「京の茶漬け」を含めて「ふたり会」の雰囲気である。「遺品」がロビーに展示されていて、デジカメを忘れたのが悔やまれる。
「常連」の福海さん、天ちゃんと近所でビール。ゆっくり話したいが、明朝が早く、出張準備のために帰社しなければならないので22時前で失礼する。
よく「起きていた」1日である。
11月19日(木)
6時始発のひかりで上京。
某国特許調査のため通産省地下の閲覧室へ入る。書棚ぎっしりのいちばん奥に一列だけ閲覧机がある。地震があったらとうてい抜け出せないような場所である。閉所恐怖症の気があるぼくには3時間は辛い。
午後、業界の会合。
夕方、吉井“ぶる”誠一郎さんと会って、「森山威男研究会」関係の情報交換。
新大久保の「SOMEDAY」に、ラテン系のバンドに谷口英治さん参加しているので駆けつける。1ステージ目の終わり頃で、谷口英治編曲分は終わっているらしい。むむ、無念。しかし「オルケスタ・オバタラ・ラ・グランテ」というこのバンド、なかなか面白い(ルイス・パジェというトランペットが光っている)く、2ステージ目でも、谷口英治がスイングとは違う超絶的ソロを聴かせた。
谷口英治さんにクラリネット奏者トニー・スコットについて聞く。
日本におけるファンキーブームへの疑問から、急にトニー・スコットへの関心が生じたのだが、さすが専門家、貴重な情報を得る。「スコットは59年の来日時は瀬川昌久邸に住んでいたはず。当時の事情は瀬川先生が詳しいはず」など、まったく知らなかったことである。瀬川先生にお目にかかる機会を見つけねば。その他、デフランコやアーティ・ショウに関する考察など、話が拡大する。……なんだか、今後2、3年の研究課題を見出した気持ちである。森山威男研究の手を抜く気はさらさらないが。
11月20日(金)
午前6時前に起きて6時35分のこだまで静岡に向かう。清水港でタンカを切って、午後大阪に上る。
ひのまま夕方、宝塚の某救急病院に某社重役W村専務の見舞い。ナナハンライダーだが、ぼくより10歳上でまだ現役ライダーとは知らなかった。日曜日にバイクで丹後半島へ紅葉を見に行った帰りに中国縦貫の宝塚付近でトラックに追突され転倒、幸い肋骨2本の骨折だけで、じっとして直すしかないという。頭の脚も異常なしとは奇跡的だ。もう公人なのだから、バイクはやめなさいというつもりが、枕元にバイク雑誌が置いてあるので、なにもいえなくなった。
11月21日(土)
世間は休日なれど朝から北摂の事業所へ。
午後は本町の会社。
ボンクラは体力勝負である。
11月22日(日)
「家庭の事情」と「会社の事情」が重なって、自宅にじっと「待機」状態でいるものの、リビングからは終日物音が響いてくるという困った状況。
本日、ポール・アンタースンをゲストに神奈川で開催されている「コンタクト・ジャパン3」の中日。懇親会が開かれる日のはず。行くつもりでいたのだが、色々な事情が重なってどうにもならない。
昼、気分転換のため、自転車で梅田へ1時間。旭屋書店がリニューアルオープンしている。理系図書が6階へ移ったのが面倒である。
谷口英治さんに教えてもらったトニー・スコットの歌伴CD、ディスクピアでビリー・ホリディの「レディ・シングス・ザ・ブルース」16曲入りを見つける。「STAY WITH ME」と合体させた廉価版で、スコットがレディの伴奏した曲はほとんど納められていることになる。
11月23日(月)
世間は連休3日目。
この日も事情があって終日自室。「爆撃音」のごと騒音が続き、思考力ゼロ。
あるコラムで、フェイスマークに関連して木曾の「曾」の字が、「ボンクラ首相か破綻した証券会社の号泣社長に似ていて好きになれない」と書いたら、「ボンクラと決めつける根拠が微妙」とい意見があり、まあもっともでもあるので(ぼくはオブチはボンクラ中のボンクラと信じているが)本人がいったとおり「ボキャ貧首相」に変更した。
しかし、この漢字、似ているよなあ。
曾
どう見てもボンクラ首相をカカシにしたみたいである。
曾野綾子には何の恨みもないが、ボンクラを頭に乗せているように見えてくる。
ためしにボキャ貧首相の首を木とか棒の上に乗せてさらし首にしてみよう。
曾 曾 曾
木 十 |
ほれ、カカシそっくりではないか。われながら凄い発見だ。「似顔絵塾」に投稿してみようかしらん。
11月24日(火)
今や定例化した「休日明けの胃痛」に高血圧まで加わりそう。
夜、帰宅すると、リビングが爆撃されたような状態である。
家族は、わが書斎に荷物を詰め込んで近所に「疎開」してしまった。
これからしばらく、廃墟にかろうじてのこったスペースで、ひとり難民生活を送ることになるのである。
11月25日(水)
ボンクラサラリーマンの後、夕方、東洋ホテルで姫路市主催の懇話会。姫路に関係のある関西在住の懇話会。35年ぶりくらいで、中学高校で2年下だった石原くんに会う。日銀のエリートだが、現在、和歌山に単身赴任中という。積もる話はあるが、さっと帰宅し、「廃墟の中の書斎」で久しぶりに徹夜。10枚のショートショート……こりゃ7、800枚にすべきであった。
11月26日(木)
徹夜のまま、朝6時に出社、荷物を持って北摂の事業所。夕方、本町に戻る。ボンクラは体力勝負とはいえ、血圧高騰がわれながら心配である。
11月27日(金)
ボンクラ生活。
11月28日(土)
世間は休日なれど関連会社操業につき出社、ボンクラはつらいよ。
11月29日(日)
終日、廃墟で机に向かう。
梅田の観覧車が昨日から回り始めていて、なんど赤の電飾だけと思っていたら、時々全体がピカピカと光って、花火の印象である。音はしないが騒がしいことよ。
11月30日(月)
昼間ボンクラ、夕刻颯爽。
本日、東京では星新一さんの一回忌にあたる「偲ぶ会」が開かれているはず。会社があるので出席できないのだが、大阪では前サンケイ企画社長・吉鹿徳之司さんの出版記念会が夕方から開かれる。大阪新聞に連載された「舞台 めぐり逢い」が出版されたお祝いである。
出席者300人くらいか。
写真は、米朝師匠、吉鹿徳之司、朝比奈隆という巨人揃い。畏れ多いので、隅の方にいったら、米朝夫人・きぬ子様、枝雀夫人・志代子様、小米師匠らがテーブル席に並んでおられたので、こちらで静かにビール。
最後は例によって吉鹿さんの「だんだんよくなる米朝締め」でお開きである。
11月は終わる。