『マッドサイエンティストの手帳』62
●マッドサイエンティスト日記(1998年5月前半)
主な事件
・書斎籠城
・うどん出汁の東西分岐点へ行く
1998年
5月1日(金)
連休1日目。午前中、ホームページの更新。3月以来である。昼、飼育している女中兼子供の母親とそばを食べにでる。それ以外は書斎。
5月2日(土)
終日書斎。
5月3日(日)
終日書斎。
5月4日(月)
わしゃ午前4時に起きているのに「女中」が起床しないので、朝6時、自転車で梅田へ。某卯で朝飯。帰宅後、終日書斎。
5月5日(火)
海外関係の業務、特にFAXが気になって、朝、自転車で本町の会社へ。と、全館停電という。守衛が某(わが天敵社内政治専門無能社員)が来ているというから、慌てて退散、帰宅して、終日書斎。5日間、ソリトンの原稿を読み、細かいチェックの継続で暮れた。ソリトン7、8号の構成が固まってくる。
5月6日(水)
憂鬱な出社。雑件いっぱい。
5月7日(木)
夕方、道頓堀の「たちばな」で旧TPメンバー川崎さんと大迫公成さん、それに踊りの師匠・西本ひろみさんという不思議なメンバーで地ビール。あとバード56というジャズ喫茶で水割り。この店、大迫さんが案内してくれたが、なかなかの店である。
5月8日(金)
夕方から歌之助独演会。北浜「アイル・モレ・コタ」。歌コ、御父君が先月亡くなられたそうである。知らなかった。玉泉院で葬儀をやった顛末のマクラが面白いけど長すぎ。「ひとり酒盛り」が抜群にいい。歌さんにちょっと挨拶して、旧友・菊川さんと近くでビール、22時過ぎまで。休日前で人が多い。
5月9日(土)
自転車で会社へ。雑用色々。
午後、ソリトンの編集会議。真殿、児島、塩田氏と。
本町で軽くビール飲み、18時、自転車で帰宅。
19時から2時間、居住している集合住宅の定期総会。色々な職務がまわってくる。なんでもやれると、なんでも押しつけられる。もうすこし神経が太ければ楽なんだが。
5月10日(日)
終日書斎。本日は「女中の日」別名「母の日」であるが、特に何もせず。
5月11日(月)
終日辛い仕事。夕方、仕事関係で「あさひ庵」というアサヒビール経営の外食産業で食事。アサヒ君、がっばってるね。
5月12日(火)
昼休みを利用して、警察病院へインドネシアで交通事故に会った同期入社の男の見舞い。日本で検査とスラバヤの落差を痛感。かつぎ込まれて翌日やっと検査、終わればズボンがなくなっていたのいうのが笑える。
午後、瞳孔を開いて検査。レーザー手術の必要はなさそうだが……
5月13日(水)
夕方からソリトン編集会議。アトソン大阪分室で。7号内容決定。本渡章さん、児嶋康子さんに加えて、岩崎早百合さん参加、終了後、「アトソンのローランド・カーク」五十嵐氏を入れて、夕霧そばを食べにお初天神まで散歩。
5月14日(木)
夕方から、手塚治虫氏の『蟻人境』について8枚。
手塚さんが「長編SF小説」を書いたということ自体が驚きである。
5月15日(金)
業界のグループでJR東海道線「刈谷」へ。ちょうど昼に到着。ここはわがライフワークのひとつ、うどん、そばの「出汁」の東西分岐点探検の要衝である。つまり、この十キロくらいが東西の分岐帯なのである。さっそく「駅そば」を探すが、ない! 高架と陸橋でつながれた新しい駅で、立ち食いそばがどこにも見あたらないのである。
周辺、見渡したところ、うどん屋もそば屋もない。つまらん駅である。
結局、なんの特徴もないラーメンを食って、業界メンバーと合流。豊田自動織機・碧南工場の見学、バスでまた刈谷へ移動。刈谷工場を見学。
知財部門の方々と会議。金のかけ方がわが業界とは桁が違うようだ。
夜、名古屋駅から新大阪へ帰ろうとしたら、名古屋へ着く「ひかり」全部満員。自由席は、東京から立ってきた客が名古屋で座るから、名古屋から乗る客の席はまったくない。G金曜夜の新幹線下りが殺人的混み方であることを失念していた。数台見送ったあと、あきらめて名古屋泊まりにする。もう、到底体力がついていかない。……名古屋の新幹線側というのはビジネスホテルの多いところだ。こちらはガラガラ。明朝6時の始発で帰ることにして、インドネシア、ジャカルタ東部のデパート「焼き討ち」ニュースを気にしながら早寝。