HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』50

●星新一さん追悼

主な事件
 1月14日、星新一さんの葬儀・告別式


 1997年12月30日に亡くなられた星新一さんの葬儀が、1998年1月14日、青山葬儀場で執り行われた。
 寒波と夜からの大雪が心配されていたが、午後1時は暖かく、穏やかな薄日が射していた。会場は……手塚治虫さんの時と同じ場所である。もう来たくないなあ。
 午後1時から、石川喬司さんの司会で始まった。
 花壇に遺骨と星さんの遺影が飾られている。星さんらしいシンプルな設定である。
off
 この写真、QV−10で撮ったのだが、どういう訳か、星さんの写真がカラーになっている。決して加工はしていない。飾られていたのはモノクロ写真である。不思議だ。
 しばしの黙祷の後、
 矢野徹殿
 筒井康隆殿
 新井素子さま
 の3氏が弔辞を詠まれた。(……この「殿」と「さま」の使い分けは、SF界の「殿様」と長編「殿さまの日」にちなむ、石川さんのレトリックである)
 3氏の弔辞はそれぞれ「友情」「敬愛」「感謝」の気持ちを伝えられたもので、胸に迫るものがあった。森下一仁氏がうまくまとめて報告されている。
 その後、参列者が献花。
 最後に葬儀委員長・小松左京氏が挨拶。これは「星宇宙論」である。
 星さんにふさわしい、いっさいの虚飾のない式典であった。
 しばらく後、一般献花(告別式)。
 この時、世話役の方から「立礼」に立ってほしいとの依頼があった。それほどの立場ではないような気もしたが、かんべむさしとともに末端に並ぶ。
 たくさんの方々が献花を済ませて通られた。……そうか、例えば米朝師匠の葬儀があれば、歌之助師匠から歌々志くんまでがこうして並ぶわけだ。そう考えると、これはこれで良かったと思う。
 サングラスをかけた人がひとり黙って通り過ぎて行った。……あとで議論になったのだが、あれ、やっぱりタモリだったんですね。その時は編集者か誰かとしか思わなかった。オーラを完全に消しているのだものなあ。これもタモリ流の美学なのだろう。
 そういえば供花の名前に以下のおふたりが並ばれていた。
off
 お帰りになる遺骨をお見送りして散会。
 SF関係が向かい側の「デニーズ」に集まっているとかいう話もあったが、精進落としにデニーズはないだろう。
 かんべ、森下一仁、作曲家の大澤徹訓の各氏と近くの喫茶店でしばらく雑談。
 空が曇り、雪の気配が迫ってくるので、早めの帰阪とする。


 星さんに関して、某紙に短い文章を書いた。
 枚数の関係で、削った部分をここにアップしておきます。


・星さんのデビューは推理小説誌「宝石」五七年十一月号の「セキストラ」で、前年に創刊されたSF同人誌「宇宙塵」からの転載である。ぼくが最初に読んだのはショートショートではなく、朝日新聞社発行のバンビブックという小雑誌「空飛ぶ円盤なんでも号」(五八年九月)のエッセイ。宝石に書き始められた直後の文章である。SF映画・小説の紹介エッセイであるが、未訳だったブラウンの「闘技場」にも触れておられる。最後に「SFは科学的と毛嫌いされるのは困る、反対に非科学的という意見もあるが、でたらめなのではない」と、その後の創作姿勢をすでに表明されているのが興味深い。
・星作品は、その後、多くの次世代のSF作家を生む引き金にもなった。具体的には、平明な文体と短さが、誰にでも書けそうな気にさせるのである。ぼくも例外ではない。高校時代の秀作は星作品の亜流であった。だが、やがて、星作品はとうてい真似できないレベルと気づく。ファン創作から抜け出す通過儀礼である。亜流でも創作の第一歩であることは間違いない。……この事情は、八三年秋、千一篇達成の後、実質的な休筆生活に入られた後も、新人育成のため最後まで続けられた「ショートショートの広場」(ここからも江坂遊や井上雅彦など有力な書き手が育っている)で確認できる。
 いつだったか、夢枕獏さんが、「社長室なんて見たことがないからどう書いたらいいのかわからない」といったことがある。上記の「通過儀礼」というのはこういうことである。星さんは現実の社長室にいたことがある。エヌ氏が社長室で「業績は順調だ」とつぶやき、ノックの音がして秘書が入ってくる……こうした描写に至るまでには、若くして製薬会社を引継ぎ債権者に追われた経験が、きわめて高いレベルまで抽象化された結果である。社会経験のないライターが手間を省いた描写ではないのである。実父・星一の苦闘を描く「人民は弱し官吏は強し」からその背景がうかがえる。
・その「人民は弱し官吏は強し」が出た頃、匿名の書評にこんなのがあった。「……ただ、ここに登場する伊沢という官吏は、飯沢匡氏の父君ではないのか。この描き方には問題が残る……」うへぇーーーー、これが文壇というものか、とまだ理系の学生であった小生が呆れ返った記憶がある。星さんが日本的「文壇」を嫌うはずである。
・八二年、出張で帰りの飛行機が取れず上海で2日足止めを食ったことがある。この時、電話でSF作家・葉永烈氏を探し出して会った。日本のSF作家では初めてである。この時、中国のSF事情について訊いた。「一番人気はアシモフだ。が、もっとも読まれているのは星新一である。科幻小説(SF)と銘打たず、広く新聞雑誌に掲載される。聊斎志異とならぶ親しまれ方だ」……文豪とは、皮肉な意味でなれけば(皮肉な用例……台風接近時の気象庁で機器のチェックに行った新田次郎氏に小役人が「文豪、取材かね」(小説に書けなかった自伝))、古典的な評価の定まった大作家への尊称……まあ、ゲーテ、バルザック、トルストイ、漱石、鴎外。……ぼくが密かに「星さんは現代作家にして文豪という希有な例」と思うゆえんである。
・中国での評価を星さんに伝えたら、「いやまあ、けしからんものだ。著作権意識などまるでないから、海賊版を出して、出版してあげましたよといわんばかりに送ってくる……」


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