『マッドサイエンティストの手帳』51
●マッドサイエンティスト日記(1998年1月後半)
主な事件
・バリウムが体内通過
・厳寒の琵琶湖湖畔夜行
・北村英治を聴く
1998年
1月16日(金)
中央区本町でサラリーマン生活。
1月17日(土)
終日「レディ・ジョーカー」読む。
闇の戦後史を描く力作であり大作であるのは確かだが合田と義兄のやおい的関係は必要なのだろうか。なんだかシリーズものの悪弊のようで気になる。
昼、阪神大震災から丸3年ということで式典色々。NHKの昼のニュースが追悼式を中継。大澤徹訓氏作曲の「Let's Search for Tomorrow」が流れると聞いていたが放送ではカットされてしまったようだ。
1月18日(日)
「レディ・ジヨーカー」読了。
シリーズものということと別に、犯人の動機面について「黄金を抱いて跳べ」で感じた違和感がここにもある。なんであろうか。
1月20日(火)
夕方、ワッハ上方へ。桂文我さんの独演会。
「厄払い」「出歯吉」「佐々木裁き」の3席。
近日バリウムが控えているので、まっすぐ帰宅。
1月22日(木)
成人病検診でバリウムを飲む。
こんな日に限って某機械メーカーの技術重役・若村さんから声がかかる。
夕方から、堂島のサントリー・ロイヤル。ビールをたくさん飲む。サントリー5へ。マホガニーホール・ストンパーズ。先々でトイレを白濁させていく。帰宅22時30分。バリウムどうやら体内通過。
1月23日(金)
午後からJR湖西線・蓬莱へ。琵琶湖湖畔にある某社の保養所で業界の研修を兼ねた会合。「判例研究」の当番に当たっていたため、資料整理に正月休みをかなり犠牲にしてしまった。が、発表はせいぜい2時間である。……「太陽風交点事件」をやれればいいのだが、著作権法ではなく、特許法だから、いたしかたなし。
夕方から宴会。予想通りかも鍋である。これはアチラに効くそうである。チンチンカモカモという言葉はこれに由来する。
ほとんどのメンバーは宿泊であるが、翌日仕事あり、午後8時過ぎ、湖畔の道を15分歩いて蓬莱駅へ。雪が降りかけていて猛烈な寒風にさらされる。
京都駅で新快速に乗り換えようと地下通路を歩いていたに、民俗博物館の杉田繁治教授とばったり。「センセ、しばらく」「おお、駅の向こう側で飲んどったんや。一杯どうや」「カモ鍋で腹いっぱいですわ」「ほな、今度にしよか」「また行きますわ。夕方、石毛館長室へ行ったら飲めるらしいですなあ」「おお、いつでも来い」……春には万博公園の花見でまた会えるのである。
1月24日(土)
朝の新快速で播州龍野の実家(書庫/書斎)へ。
夕方帰阪。慌ただしいことである。
1月25日(日)
休日なれど本町の会社へ。御堂筋、人出が多いと思ったら、大阪女子マラソンという。つい先日、駅伝かマラソンがあったばかりでないか。夕方まで。さすがに冷える。
1月27日(火)
朝4時、朝刊を見ると、景山民夫氏が昨夜、書斎が燃えて重体とある。5時のニュースを見ると死亡している。何が原因の出火か。タバコを吸うとは思えないが……。(夕刊ではタバコは吸うらしい)
1月29火(木)
池田市にある事業所で仕事。帰りに会社の同僚と阪急・石橋にある餃子専門店「まんてんや」で軽く一杯。
いい店なので、次のページで紹介しておきます。阪急・石橋の近くの皆さん、どうぞよろしく。
1月30日(金)
夜、梅田「ロイヤルホース」で久しぶりに北村英治を聴く。年末年始、CDのクラリネット漬けだつたために、どうしても生が聴きたくて、仕事関係の友人数名で。
ワイン飲みながら2ステージ。本当にお元気で、「ローズルーム」からベニー・グッドマンのコラージュ風演奏まで。大阪で月1回聴けるのは嬉しい限りである。
北村英治さんのホームページがある。料理が優先しているのが面白い。
1月31日(土)
休日なれど堺沖人工島にて作業。
何もしないまま1月が終わる。
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