『マッドサイエンティストの手帳』110
●マッドサイエンティスト日記(1999年6月前半)
主な事件
・堀晃新作展開催
・発作的パリ旅行
・山下洋輔さんの芸術選奨受賞を祝う会
1999年
6月1日(火)
夕方、今日から梅田・中宮画廊で始まる堀晃新作展を見に行く。初日で、堀晃さん来ている。 京都在住の画家・山本桂右さん、和歌山の海友達(潜り仲間らしい)などと1時間ほど雑談。ジャズピアニスト・佐藤允彦さんの話が面白い。
堀晃さんの話。
以前、下関で、佐藤允彦コンサートの舞台で絵を描いた縁で、佐藤さんと親しくなった。ただ、ジャズはよく知らないので、どのような人なのかよく知らなかった。
昨年秋、横浜の工房で個展を開いた。佐藤さんの住まいは世田谷で、まあ近くだろうと電話したら、来てくれた。
工房にはグランドピアノがあった。
「早めに聴いていたら、会場に流すテープを作ってあげたのに、急だから間に合わなかった。代わりにここで弾くことにします」
工房の主人、あわてて知り合いなどに電話をし50人くらい集まった。
佐藤允彦さんのソロが始まり、1曲終わったところで、
「堀晃さんの個展で、コンサートではありませんから、皆さん、絵を見て、それからくつろいで、自由におしゃべりしていてください」
……それから2時間、ピアノを弾いてくれたという。
「お礼にイカとか魚の干物をお送りしたんだけど、あれで良かったんだろうか」
いいに決まってますがな。そんなの値段のつけようがありません。
6月2日(水)
午後、某特許事務所へのついで、久しぶりに「ハチ」に寄る。ハチママと久しぶりに雑談。
とんでもない話を聞く。
チーハ常連○○○の○に関する無茶苦茶な話。○○○が○○に○を○○っていて、昨年8月8日のハチパーティに、○○と入れ替わりにその○が来て……それが今年○○を○んで、それを○○したうえに、よりによって○○という○○を……まあともかく○○億円……○の方は引っ越して確か中津……と無茶苦茶なのだが、とても書けないなあ。
いや、知らなかったなあ。
去年の8月8日に8へ行かなかったのがいかんのだが、あの時は叔父の葬儀でしようがなかったものなあ。
帰宅して、ビールを飲みながら「専属料理人」にその話をする。
「え、この前、近くのスーパーで○○○が買い物しているのを見かけたわよ。なぜこんな所でと思ったのだけど……」
うへっ、全部本当なんだ!
6月3日(木)
本日、関西は梅雨入り宣言が出る。
夜、パリ行きの準備。
面倒なので、機内持ち込みできるショルダー1個にする。
6月4日(金)
午前7時半に出る。ナンバからラピート。
開港5周年という掲示のある関西国際空港に初めて行く。「鉄人28号」ラピートに乗るのもはじめて。……考えてみると海外に出るのが5年ぶりで、関空開港直前の10日間で、「あんな不便な空港へ行きたくない」という理由から、伊丹発着最後の旅行だった。5年前の予想の正しさに、われながら感心する。
エールフランスのパリ直行便AF293。ゲート前で待っていたら、わが勤務する会社の某部長を見かける。機内でいっしょになると困るなと心配していたら、どうやら業界の団体旅行らしく、ビジネスクラスへ搭乗したのでホッ。
機内12時間。……映画「ペイバック」メル・ギブソン主演を観るが、「悪党パーカー・人狩り」の映画化とい。主人公がやたらタバコを吸いまくるのが挑発的だ。……わずかな手取り分を取り戻すために裏切った組織の上部にまで挑むという設定は、リー・マービン主演の「ポイント・ブランク」と同じで(こちらは原作がウェストレーク)、脇役といい場面設定といい、こっちのが遥かに凄かった。あほらしくなって、あとはジャズを聴く。なかなかいい選曲で、ドルフィーの「グリーン・ドルフィン」がかかる。ドルフィー、ハバード、バイアードの競演。ジャッキー・バイアードの訃報を2月に聞いたところだからなあ。
時計を7時間戻して、同日午後5時頃に着陸。
バッグひとつだから、バゲッジ・クレイムで会社の人間と顔を合わすこともなく、ささっと通関、バス・メトロ乗り継ぎでチュエルリーのホテルに午後7時チェックイン。ほとんど同時に雨になる。
ジャズ・クラブに出かける元気もなく、雨が本格的なこともあって、近くの中華レストランで焼きそばとビール。
ホテルの1階が和食の店で、経営が地産グループであることが判明。フロントに日本人がいるはずだ。防音悪く、落ち着かない部屋である。
6月5日(土)
午前9時、ITMA99会場へ。
午後4時前に会場を出て、メトロでモンパルナス下車。
サマータイムで午後9時頃まで明るい。
モンパルナス墓地へ。青空だが雲の動きが速く時々驟雨。天候不安定である。ジーン・セバーグの墓、サルトルとボヴァワールの墓、ともに普通の墓である。
ブラブラと歩いてオデオン(「森山研」の「専務」ご推薦のレストランがある)に行くつもりが道を間違え、牡蠣や海老の匂いに満ちた店の前に。雨になったので、ここで牡蠣と白ワイン。隣の席のご婦人ふたりが食べているロブスターが旨そうなので、同じものを注文……メニューが読めないのでしょうがない。
歩いて、サンジェルマン・デプレからセーヌ河岸。ルーブルの横を抜けてホテルへ帰る。一昨日、昨日とメトロがスト。出展者はたいへんだったらしい。自転車を借りて走ったり、徒歩5時間組があったとか。……ルーブル、オルセーもストで閉館。まあ、ぼくは今回見る予定はないのだが、初めての観光客には気の毒なことである。
酔いを醒ましてから、また歩いてシャトレまで。
SLOW CLUB とSUNSETという、ともにジャズクラブを見つける。SUNSETはレストランの地下で、満員でドア付近まで立ち見である。
アケタよりきれいだがハチより狭いのではないか。ビール片手に1ステージ聴くが、うーん、まあこんなものかな。
1時過ぎ、地下鉄はまだ動いていて、2駅10分で帰館。
6月6日(日)
午前9時、ITMA99会場へ。
午後4時まで開場ウロウロ。
さすがに脚が疲れる。
いったんホテルに戻る。
19時、ヴァンドームからオペラ座まで徒歩10分、グランド・インターコンチネンタルで村田機械のパーティ。たいへんな盛況である。
人気の寿司コーナーは長い列。これを諦めて、オードブルでワイン。
飲み過ぎである。午後9時にはホテルに帰り、衛星放送を見たのは覚えているが。
6月7日(月)
昨夜の夕食の量が少なくワインの飲み過ぎによる二日酔いである。午前中惰眠、正午の衛星放送のニュースが日本の午後7時のニュースである。日本、たいした事件はないようである。午後、市内観光と外出すると、メトロがスト中。午後4時までの時限ストらしい。
歩いてノートルダム寺院。ここからセーヌ河に沿って散歩。何枚かデジカメで写真を撮るが、下のような絵葉書風ばかり。才能ないなあ。……と自己批評できるだけましか。
胃袋が回復してきたので、近くの「浪速YA」というつまらん日本料理屋で居酒屋メニュー。ホテルに戻って仮眠。…目が覚めると夜中。24時、衛星放送で日本の朝7時のニュースを見る。
パリにいるのか日本のビジネスホテルにいるのかわからなくなる。
6月8日(火)
5時頃に目覚めて、モバイルで原稿少し。
9時にチェックアウト。メトロで凱旋門へ。バスで空港、出発3時間前に着いてしまった。
大阪行きのゲート前待合いシート、なんとなくガラが悪く、旅情も何もなし。南海か近鉄の待合室ムードである。
13時30分に離陸。空いていて席は窓側で翼の上。通路側は空席でほっとする。
白ワイン3杯飲むが眠れず、モバイルで原稿。
機内17時、日本時間9日の0時であるので、ここで時計を7時間進める。日本時間の「夜中」である。北欧上空、カンカン照りで下は白雲。
6月9日(水)
シベリア上空、太陽は水平線あたりで沈まず、実質的「白夜」、飛行距離7千キロ、残り2千5百キロ、シベリア東部の上空1万メートルあたりで、日は完全に昇って午前5時……いつもなら起床している時間だがやっと1時間ほど仮眠。
関空着陸午前8時。荷物1個なのでほとんどフリーパスで税関を抜けると、さすがに8時5分のラピートは間に合わず、8時35分のラピートで、本町の会社に午前9時20分。
夕方まで仕事。さすがに午後は眠い。
定時で帰宅。
6月10日(木)
夜中に目が覚めて、溜まっていた新聞を読む。午前4時に朝刊が来たので読み、そのまま早朝出社。このまま早朝起床に戻ればいいのだが、午後、どうしても眠くなる。
6月11日(金)
午前1時起床。うーん、ふだんより3時間早くなってしまった。
朝まで、溜まっていた郵便物の処理と雑読。
ボンクラサラリーマン生活。
6月12日(土)
午前4時起床。ふつうに戻ったかと思うと眠くなり、この日、終日寝たり起きたり。
6月13日(日)
終日、寝たり起きたり。
6月14日(月)
午前2時起床。
早朝出社ののち、上京。
駅売り夕刊の見出しで谷岡ヤスジ氏の死亡を知る。
夜、六本木のスイートベイジルへ。
「山下洋輔さんの芸術選奨受賞を祝う会」に行く。
興奮状態で安ビジネスホテル帰館。就眠2時前。
6月15日(火)
夜中まで飲んだにも関わらず早朝に目が覚めてしまう。
頭だけが冴えない。
時差の影響がまだ残っているのか、断続的に睡魔に襲われる。
まさにボンクラサラリーマン状態で夕方帰阪。
時差でボケているのか本当にボケているのかわからない。
パリで今回はライブハウス「ビルボケ」には行かなかったのだが……。