HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』103

●マッドサイエンティスト日記(1999年4月後半)

主な事件
 ・中島啓江コンサートを聴く
 ・枝雀師匠追悼
 ・浅草寺をはじめて見物
 ・連休、「別荘」での「タコ部屋」生活に突入

1999年

4月16日(金)
 夜、書斎の整理。「別荘3軒」への移転も考えての書籍減量だが、どれが必需品かとなると、一生に一度使うつもりの資料も必需品のはずだから、なかなか減らない。本棚の隙間に詰め込んでいたのを床に分散させるだけで、逆に嵩張ってくる雰囲気である。2時間ほどで挫折。
 届いたばかりの花岡詠二のCD2枚、「エイジ・ミーツ・ブルックス」を聴く。
 エイジというクラリネット奏者を年齢順に並べると、北村・花岡・谷口で、ほぼ20年間隔。ぼくは花岡詠二と同年だが、谷口英治の若さに改めて驚く。
 明日は谷口英治である。

4月17日(土)
 世間休日なれど日頃のグータラ仕事のつけが回ってきて、午前中出社。決算期で出社しているのが多く、ふだんとあまり変わらない雰囲気である。
 夕方、「専属料理人」といっしょに神戸オリエンタル劇場へ。
 「中島啓江コンサート……夢で会いましょう」
 アレンジとバックを谷口英治氏が担当しているのである。
 メンバーは、谷口英治(cl,as)、佐久間順平(g,violin,vanjo)、佐瀬正(b)、出口誠(p)
 中島啓江という歌手についてはほとんど知らなかった。オペラが主だが、ポピュラーもこなす。……まず体格に仰天した。
 プログラムは、
 ・服部良一メドレー。東京ブギから始まり数曲。服部良一は好きで、雪村いずみのLPを持っているほどだが、むろん、体格からいっても、雪村いずみより数段凄い。「胸の振子」の谷口のクラが素晴らしい。
 ・美空ひばりメドレー、東京キッドから始まるが、「りんご追分」のハバネラアレンジと「悲しい酒」のオペラ風……これは谷口氏のアレンジか?
 2部が、フォスター・メドレー、そしてタイタニックやオペラなど。
 しつこいほど携帯電話、アラーム時計、テープレコーダー、カメラ禁止のアナウンスがあったが、なるほど、体格も衣装も重要な舞台効果だからなあ。……というわけでデジカメは鞄から出さなかった。
 午後8時半終演。ぶらぶらと三宮方向へ歩いていたら、後ろから声がかかる。なんと筒井倶楽部会長・岡本吉民・幸代夫妻である。こちらはYMCAで何とかのトレーニングの帰りとか。一杯飲ろうということになって元町付近まで行くが、丸玉食堂、愛園、新愛園……すべて閉店直後。21時ちょっと前だぜ。神戸の夜は早いなあ。「楽園」という中華料理店でやっと夕食。ここも22時閉店である。

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 店の前で記念撮影。岡本ご夫妻と。
 帰宅23時過ぎ。
 本日、「蘇える金狼」第1回放映日。ビデオ予約していたがナイター延長でうまく録画できていないことが判明。Gコード予約は野球延長に対応しないことをはじめて知った。

4月18日(日)
 終日書斎に籠もる。
 昼間の試合、阪神が久しぶりに勝ち、ナイターは巨人再逆転される。あと中島啓江のCDを聴いていたら、なんと谷口英治さんご本人から電話。神戸で会えるものと心待ちにしてくれていたらしい。金曜の浅草HUBへ「昨夜と同じメンバー」で行くことにする。

4月19日(月)
 ボンクラサラリーマン、一見まじめに仕事。

4月20日(火)
 午前4時、朝刊一面記事で桂枝雀師匠が心不全のため昨日死亡を知る。今さら驚きはしないが、米朝師匠の心中を察すると(子を失った親の気持ち)辛い。
 午後、米朝師匠の「会見」があるらしい。
 外出したついでに「ワイドショー」なるものを何年ぶりかで見る。神田うのの「抱擁」とか、野村サッチーの「帰国中継」とは、テレビの荒廃ここに極まれり。あきれ果てて席を立とうと思ったところに、やっと米朝師匠の会見が写された。……その前の「出棺」場面のビデオ。泣いている弟子の中、桂九雀が笑いながら「師匠、行ってらっしゃい」と送るのが痛々しい。これは芸人のダンディズムで、通夜の席で「師匠、寝とらんと、起きて一杯飲りなはれ」などとやる。つとめて日常的に振る舞うわけだが、これはファンが絶対にやってはいけないことである。芸人の「特権」で、それだけ悲しみの深さがわかるのである。
 それにしても枝雀理論をパクった中松の犯罪は許せんなあ。

4月21日(水)
 ボンクラサラリーマン、新幹線で東海道ウロウロ。
 夜、帰宅すると、藤家虹二のクラシックCDが届いていて、これを聴きながらビール。クラシックを聴く態度としては不謹慎だが、まあよろしいでしょう。
 22時からニュースステーションを見る。筒井康隆氏が「最後の晩餐」というコーナーに出るかもしれないのである。が、筒井さんの出演はなく、菅沼某も出ていない。「週刊文春」に元愛人の告白が載った影響か「降板」のようである。わはは。菅沼という異様にテンションの高いコメンテーター、2、3度見たことがあるが、目つきが昔の桂伸治に似ている。声はドナルドダックだが。

4月22日(木)
 おや、血圧134-70と良好である。イライラすることが多いのになあ。かえって不気味である。

  4月23日(金)
 早朝のひかりで上京、日本橋、人形町、銀座界隈をウロウロセカセカ、午後、雨になる。
 ふと気がつけば朝日ビルの近く。アトソンが移転したばかりである。雨宿りを兼ねてちょっと寄る。30ほど雑談……パソコン通信時代からインターネツト時代になって、経営陣にも移動があり、アトソンに知り合いが少なくなっていくのが寂しい限りである。
 夕方、時間があったので、銀座マツヤで開催中の「超感覚ミュージアム」というトリックアート展を見る。視覚トリックが多く、エッシャー生誕100年記念展である。立体作品が目立つ。
 床に寝そべると急斜面にいる錯覚に襲われる家が凄い。CGも多いが、コンテスト1位は芭蕉の句が上下逆転させると別の句になる「文字トリック」で、古典的でありながら極めて斬新なアイデアと感心。

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 午後5時で「出張」は終了とし、その後はプライベート・タイムとする。
 大阪から「追走」してきた「専属料理人」と合流、「浅草HUB」へ。谷口英治グラマシー・ファイブ・リバイバルズ。3ステージ聴く。  本日のメンバーは、谷口英治(cl)、菅野浩(as)、岸三晃(p)、高橋辰己(b)、島田忠男(ds)そしてゲスト・平田やすこ(vo)。菅野浩さんは早稲田を出て1〜2年?の新進。ピアノの岸三晃。この人は和歌山出身で中津に住んでいたという。うちのすぐ近所であったのだ。関西弁丸出し。岸トリオ+谷口英治で今年8月6日、コンコルド・ジャズ・フェスティバルの初日に出演という。行ってみたくなるなあ。
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 岸三晃氏、谷口英治氏と記念撮影。
 岸三晃トリオのCD2枚を購入、ギター、ベースとのトリオで、アート・テイタム直系ともいうべきスイング・ピアノである。これに谷口英治のクラが加わるというのは楽しみだなあ。
 しかし、8月上旬はピーク時で、航空券は跳ね上がるらしい。困ったものである。

4月24日(土)
 まだ雨が続く。
 早朝、浅草寺散歩。25年前から、足利・桐生への出張に東武線は時々利用するから、浅草を通ることはあったが、浅草寺見物は初めてである。

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 まさにお上りさん気分。
11時頃に、怨念の渦巻く「神田」で、友達と会うという「専属料理人」と別れて、ひとり帰阪。

4月25日(日)
 先日に引き続き、堺沖人工島から別工場へ機材の搬送。終日肉体労働である。
 頭を使わない仕事はたまにやると楽しい。

4月26日(月)
 体の節々が痛い。ボンクラ、まじめに仕事。

4月27日(火)
 夕方から某タクマ専務の「慰労会」……つぎの株主総会で専務から顧問に引かれるという。かんべむさしさん、それにまたも「専属料理人」同行。最後は例によってサントリー5へ。最終火曜日でサウスサイド・ジャズバンドの出演日。23時まで。

4月28日(水)
 6月初めのパリ行きの準備。知り合いの商社で見本市資料を貰う。パリの見本市会場は地下鉄直行、大阪のインテックスより遙かに便利なようである。
 午後、久しぶりに八日市の研究所へ。
 帰宅午後10時半になる。

4月29日(木)
 30日を休みにしたので、本日より7連休である。
 早朝に出て「某別荘」へ。……3軒の別荘をチェックするが、寝泊まり可能なのは1軒。もう一軒は、一部雨漏り。しかし、倉庫代わりには使用可能。最後の一軒は、老人が犬と同居していたとかで、犬小屋そっくりな悪臭が染みついていて、汚れもひどい。住居、物置、犬小屋と考えた方がいいようである。
 電気、水道、プロパンガス、その他の手配。役所関係は明日でないと無理。
 終日肉体労働。

4月30日(金)
 連休2日目。電気、水道は通じた。
 別荘片づけは適当なところで見切りをつけて、原稿執筆ならぬ肉体労働。
 これから連休中、タコ部屋生活である。
 「別荘」なるものがいかなる建物か、まだ事情があって公開できない。関西の某所である。謎のタコ部屋生活はいつまで続くか……。



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