『マッドサイエンティストの手帳』102
●マッドサイエンティスト日記(1999年4月前半)
主な事件
・蛇頭顔のバッパー・唐口一之を聴く
・別荘3軒を手に入れた
1999年
4月1日(木)
リストラをやる一方で入社式があるという矛盾を感じる会社員が多い日であろうが、吾輩のように自分が老細胞であると自覚しているボンクラはただ誠実に業務を遂行するだけである。
4月2日(金)
小林信彦「コラムは誘う」を読んで久しぶりに映画が観たくなる。が、結局は時間の調整がつかないであろうな。ボンクラ息子がテレビを占拠して、ビデオを観なくなって久しい。とうぜんリビングのオーディオも聴けない。楽しみはMDラジカセで聴く谷口英治だけである。嗚呼……。
独立した仕事場がほしくて、夕方、近所の物件を案内してもらう。住居に狭く書斎には高く……。
4月3日(土)
世間休日なれど自転車で出社、午後、梅田のジュンク堂を初めてのぞく。壮大な本屋である。テーマ別に資料が探しやすい構成になっている。自宅からは「紀伊之国屋」「朝屋」「ジュンク堂」の順に近いのだが、利用頻度は逆になりそうである。
ボンクラ息子の母親が急に熱を出したので、阪神デパート地下で夕食用の食料を買って帰宅。夕食の準備もする。「新車に乗った巨根」になったような惨めな気分である。この時間、ネットの者ども、東京で「かもめ」観劇のあとオフかと思うと情けない。……わしゃプライドが高いからカアちゃんのデカパン洗濯まではやらないぞ、某岡。
4月4日(日)
雲ひとつない快晴で、暖かく、絶好の花見日和であるが、ボンクラ息子どもぜんぜん出かけず、その母親は熱引かず、三食の世話。「新車に乗った巨根」状態がつづく。
午後に守口で歌之助師匠の「おごろもち亭」があるのだが、残念ながら欠席である。
4月5日(月)
古いつきあいの商社経営者某氏とランチ。ぼくの職歴ではいちばん長い繊維機器関係の情勢を聞く。この業界の国際見本市、今年は6月にパリで開催である。イスタンブール、スペイン、ポルトガルなどの知人と会えるとしたらこの時しかない。ぶらっと行ってみたくなる。いや、行こう。格安ツアーで5日ほど滞在、2、3日を見本市に当てればいい。と、発作的に決めてしまう。休みがとれるかどうかだけである。
4月6日(火)
ボンクラサラリーマン、誠実に仕事。自分で「誠実」などという場合、たいていは手抜きである。
4月7日(水)
パリ行きで6月初めの休暇を申し出、了承を貰う。「おお、そら出張で行ったらええがな」とはさすがにいってくれない。
血圧を測ったら134−68……高血圧の原因がストレスにあること間違いないなあ。心はもうパリである。
4月8日(木)
某倉庫でで久しぶりに終日肉体労働。血圧も下がっていることであろう。
仕事部屋について色々迷ってきたが、わが書斎は、基本的に「大阪」を極限までスリム化し、娯楽のための書籍すべてを播州に移すことする。近所で一室を借りるとどうしても年間約100万の出費となる、購入するには先々の利用の見通しが不確定というところである。しかし、趣味か仕事か区別できないところでやってきたことだから、書籍の量がそう減らせるとも思えない。結局、ほとんどを実家に移して大阪と「いたりきたり」生活になりそうである。
4月9日(金)
朝4時に朝刊を見たら、一面に検事長の女性スキャンダル記事。なんとなく楽しい朝である。
夜、豊中市岡町の「明響社」という会社が1階ホールで行うコンサート。今回はラテン系バンド「ECHA PA' LANTE +2」。無料だからと北野勇作さんが教えてくれたので駆けつける。「+2」というのがゲストで、そのひとりがトランペットの唐口一之氏、関西にこの男ありと知られるバッパーで、北野さんの師匠でもある。
メンバーは、福留敬(fl)、中嶋徹(p)、西川悟志(b)、山北健一(prc)、安藤弘(cong)それにゲスト 唐口一之(tp)、宮哲之(ts)
ピアノはアローのピアニスト? 「牧野修そっくり」(北野勇作)だが素晴らしい。……牧野さんに似ているとピアノがヘタというわけではないが。
容貌でいえば何といっても唐口一之である。最初聴いたとき、音よりも顔つきにびっくりした。ペットよりも青龍刀を振り回している方が似合う面構え、圧倒的な存在感である。……実生活では和歌山の山中で「自給自足」を目指してチェーンソーを振り回しているというから、似たようなものか。……唐口さんの演奏は、中村葉子さんのサルサバンドなどラテンで聴くことが多いが、本領はクリフォード流バップ。この日も、唐口フィーチャーで「エアジン」など演ると本領発揮、素晴らしい音色である。
21時頃までという予定が何と22時30まで。ギリギリまで仕事していたため、空腹にラテンのリズムはこたえる。
終演後、唐口さんにあいさつ。写真は唐口・北野の師弟。
岡町に居酒屋なく、北野さんと中津まで戻って土佐料理店で23時過ぎやっとビールとのれそれにありつく。
4月10日(土)
世間休日なれど、「相棒」と堺沖人工島へ。ここの工場の空きスペースを借りて時々仕事をしてきたが、新任の「現場担当者」によって追い出されることになったのである。荷物をバンに積んで、新しい外注先の倉庫へ運ぶ。
この浜寺沖にある人工島の眺めが好きで、いつか小説の舞台にしたいと思っているが、ここへくる機会もほとんどないと思うとちょっと寂しい。
4月11日(日)
一応、統一地方選挙の投票に行く。
結果はほとんど確定しているようなものだが……と、夜、開票が始まって1時間ほどでノックの当確。テレビのインタビューの時に、横にいるピンクのスーツの女性、ノックが女性用カツラをかぶったような顔。娘なんだろうか、たぶんそうだろうな。藤山寛美〜直美の関係に似ている。芸人の父娘相似則というのがありそうだ。
4月12日(月)
びっくりしない週明けは久しぶりのような気がする。
銀行から某所に「フミリーカー1台程度」の代金を振り込む。
税務署の関係があるから来年まで「非公開」だが、「別荘3軒」をいっぺんに買ったのである。わははははははは。下水道が近くまで来てるけどまだ「汲み取り」で、前の住人のが残っているらしい。まあ、1軒については水洗と風呂の工事と畳の入れ替え程度はやるけど、百万はかからんだろう。あとの2軒は「書庫」にするか。それでも1軒平均軽自動車並の値段。連休までに工事して、ここに篭もれるであろうか。
先日の筒井康隆氏の講演に「体面上、バンクーバーに別荘を持ちたがる作家がいたりするが…」というくだりがあったが、気持ち、わかるなあ。わしの場合、一挙3軒だから「文壇新記録」ではないか?
4月13日(火)
3軒の別荘所有者、誠実に仕事。
4月14日(水)
3軒別荘所有サラリーマン、終日肉体労働。
石橋でトラックから下ろしてもらう。ギョーザの「まんてんや」に寄りビール。ここでバイトしている阪大生、応援団に所属しているという。30年以上前に「某杉」という先輩が「副団長」を務めていたはずだがといったら「知ってます」という。この世界は凄いなあ。大酒のみでどうしようもないおっさんだったが……。ついでに会誌を見せて貰う。ふーん、結構美人もいるのだなあ。当時は○スばっかりだったのになあ……。
4月15日(木)
3軒の別荘のチェックを頼んだ工務店から電話。
3軒のうち2軒は雨漏りがひどくて、畳どろこか根太まで腐っている可能性がある。重い本など置けまへん。かろうじて1軒が手直しして使用可能だが、さあ、100万くらいかけてもそれほど見栄えが良うなるわけやおまへんで、という内容。うーん。別荘3軒所有者転じて廃屋3軒所有者となるか。
「週刊新潮」に田丸美寿々の前の亭主・美里泰伸の記事。「経済ジャーナリスト(失笑)」からヒモになり、三行半のあと、風呂のセールスマン、女給相手の「弁当屋」をやったあげく食事代にも事欠いて「失踪」というのが愉快である。この男も中大法卒、なんだか「新車に乗った巨根」の末路みたいである。……なんならわしの廃屋を1軒貸してやってもいいのだがね、美里くん。と、「日本一未練がましい男」に個人的には何の恨みもないのだが、十数年前、怖いものなしの赤塚不二夫がさんざんからかったのに対して、美里の司法上「あまりにも馬鹿げた発言」があったのを記憶しているので、あえて水に落ちた駄犬に石を投げる。あ、そうか、美里の発言と「新車に乗った巨根」の発言が似ていたからよく覚えているのだ。と、わしもしつっこい男であるなあ。