「宇宙法廷ノート」1
【NOTE】
まえがき
ネットへの掲載はタイムスタンプどおりであるが、本稿の起稿日は1997年7月9日である。
1997年7月5日朝(日本時間)、半年の飛行ののち火星表面に着地した探査機マーズパスファインダーが地表の映像を送ってきた。バイキング以来、21年ぶりの火星の映像である。
3日後、火星に大洪水の痕跡が発見されたと新聞社から会社に電話があり、コメントを求められた。40年前近く前に読んだ「火星の砂」のセンス・オブ・ワンダーがよみがえってくる、と述べる。トラブルが心配されていた探査車が地表を走行しはじめ、火星の岩を調査している頃、神戸では、兵庫県警が池の底を調査し、少年Aが少女を撲殺したらしい凶器の金づちを発見した。
それを伝える1997年7月9日朝日新聞の同じ1面に、地方分権推進委員会の「第2次勧告」提出が報道されている。地方分権に関する特集面があり、そのページ左肩の一角になにやらいやな雰囲気が漂っている。一枚の顔写真に目が釘づけになった。こいつは一家惨殺事件の犯人ではないか。ぼくは一瞬とまどった。まんざら間違いでもなかった。それは死刑が確定した凶悪犯ではないが、昔殺人犯を連想したことのある同じ相手だったからである。十年以上経って、やっぱり同じ錯覚が生じたのである。
「五十嵐敬喜 法政大教授(立法学)」とある。
なにやらコメントしているようであるが、活字の方はまるで頭に入らない。
頂点にわずかに残っていた頭髪は完全に後退しているが、抜け目のなさそうな目と特徴のある鼻の穴を見粉うはずがない。背広を着、ネクタイをしめているが、相変わらずの土建屋顔だ。「忘れようとして思い出せない」顔である。しばらく見んうちに長いこと会わなんだなあ……といいたくなるが、これは13年ぶりに見る顔である。正確には1984年3月23日以来である。
当時、この男の肩書きは弁護士であった。
まだ生きとるのだなあ。
生命力の強いやつは逞しく生きておるなあ……と素朴な感慨を覚える。
「五十嵐、元気か」と声をかけるまでもあるまい。つぎの関東大震災が起こったあとも、あんたは瓦礫の下からゴキブリのように這い出して、地面舞台に活躍するだろうよ。
五十嵐敬喜は、これから物語る話の準主役クラスの人物である。
主演級は数人いる。
だが、そろそろ「あの事件」についてまとめておかなければと考え、資料を整理しはじめた矢先にこの写真だ。結局、引き金はいつもこの男なのかもしれない。
1997年が特別な年というわけではないが、ひとことでいえば、死ぬまでにやるべき身辺整理をそろそろ始めようという気分になった年である。
50歳を過ぎると、誰が死んでも驚かないし、さほど悲しくもない。自分の身内であってもたぶんそうだろう。この傾向は近年とみに顕著だ。阪神大震災が、直接の被災者ではないにしろ、大きな契機になったのは間違いない。
どんどん周辺で人が死んでいく。事件の関係者も例外ではない。
1989年4月3日午前3時、美作太郎氏、脳梗塞のため死去。享年85歳。
1993年7月9日午前8時31分、早川清氏、急性心不全のため死去。享年80歳。
美作氏とは一度もお目にかかることのないままである。お礼申し上げたいことと、二、三お伺いしたいことが残っていた。
早川清氏とは一度お目にかかったことと、二度お見かけしたことがある。最後にお見かけしたのは、1983年3月4日(金)東京地裁の傍聴席に来られた時のはずで、もう14年も前だ。
早川清氏はこの事件の「原告」であり、主演クラスのひとりである。
できればこの記録を読んでいただきたかった。逝去されてもう4年、そしてその「大いなる遺産」が露見してから2年になる。
1995年1月17日早朝、地震で本棚が倒れた。
こたつの上に置いたパソコンが受けとめるかたちになり、直撃は免れたが、本や資料が雪崩となった。
その本棚の2段分を占めているのが、これから物語る事件の資料……即ち、ファイル、スクラップブック約10冊と著作権、出版関係の書籍、雑誌類である。この本棚の直撃で死んだら、まさに事件に殺されるようなものである。
20年も本棚に詰め込んだままにしておくわけにもいかない。資料に殺される前に、そろそろ整理すべき時期なのだ。
原告・早川清氏の命日を期して起稿することにしよう。
これは「『太陽風交点』事件」と呼ばれる訴訟に関連する手記である。
『「太陽風交点」事件』とは、1981年春から5年間にわたって争われた、「出版等差止請求事件」である。原告は早川書房、被告は堀晃と徳間書店。事件の名称は「出版差止等」だが、主な争点は出版権、出版契約に関するものである。
あらすじを先に知りたい方は、著作権法に関する判例集等に当たられるとよい。たいていの本に掲載されている。
代表的なところでは、
判例時報1110号 125頁 東京地裁昭五六(ワ)四二一〇号事件
判例時報1133号 201頁 (判例評論)
判例時報1201号 140頁 東京高裁昭六一(ネ)八一四号事件
別冊ジュリストNo.91 著作権判例百選
ただし、これらのほとんどは判決のダイジェストと解説で、訴訟の実態にはほど遠いものである。
訴状から準備書面、証人尋問の速記録、証拠、判決にいたる詳細は、『「太陽風交点」事件記録』として、別途掲載していく。
HTMLの特長を生かして、関連資料にリンクを張るなと、工夫して進めていきたい。
登場人物の名を伏せることはあっても、仮名はいっさい使わない。
したがって、この物語は99%が事実である。1%の虚構があるとすれば、SF的想像力による脱線であり(例えば「50センチはあろうかという巨根をパンツから露出して脱衣場で酔いつぶれているのを目撃したSFファンが……」などという記述がもし登場するならば、である)、それはそれでギャグとして楽しんでいただきたい。
ネットに限らず、論争ともいえない言葉の行き違いに、やたら名誉毀損による提訴・告訴をちらつかす人がいる。逆に……これはあまりいいたくないことだが……殴るより殴り返した方が罪が重いという実状を知っていて、挑発するがごとく相手を罵倒する無礼者もいる。明治政府が大政官令によって仇討ちを禁止し、報復権を国家が召し上げてしまったことに由来する矛盾がここにある。
言論には言論で応えるべきというのは、悪質なジャーナリズムに限って口にするレトリックである。司法に判断を仰ぐのは国民の権利であり、ぼくは、泥沼みたいな罵倒合戦をえんえんと続けるよりも、法廷闘争の方がよほど明快だと思っている。
「訴えるぞ」は、伝家の宝刀のように使われる決まり文句だ。
だが、いざ抜くとなると、かなりの決意を要するものだ。手間も時間も金もかかる。
それでも、やるべきときはやるべきである。
この事件は、いわば「伝家の宝刀を抜いてしまった」例である。
抜けばどうなるか、抜かれた立場はどう対応するか。その顛末がこれからの物語の主軸である。
著作権問題に興味をもっていただければありがたいし、民事訴訟の実態を知っていただければうれしい。
なによりも、当時のSF界の雰囲気、出版界の状況、かいま見えるマスコミ、SF作家、編集者、法曹家の聡明さと愚かさを楽しんでいただければ、これにまさる喜びはありません。
被告 堀晃
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