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『マッドサイエンティストの手帳』378

●マッドサイエンティスト日記(2006年7月後半)


主な事件
 ・穴蔵の日々(〜17日)
 ・播州龍野の日常(18〜21日)
 ・穴蔵生活(22日〜)
 ・第40回全日本ディキシー・フェス(30日)
 ・播州龍野の日常(31日〜)



7月16日(日) 穴蔵
 わ、目覚めれば午前7時。珍しい朝寝である。
 終日穴蔵。
 少しは仕事もするのであった。

7月17日(月) 穴蔵
 定刻4時に目覚めるが、外は暗い。
 日の出が5時を過ぎて、だんだんと秋の気配を感じる今日この頃である。
 5時過ぎ、海外へ送る郵便物あり、梅田の中央郵便局まで自転車で行く。
 25年前、早川へ内容証明を送るために深夜に自転車で往復したことを思い出すなあ。
 今岡清、五十嵐敬喜、菅原哲朗、堀敏明の1個+3匹が今ものうのうと生息していることに改めて腹が立ってくる。
 おれは一日たりとも怨みを忘れたことはないぞ。
 ……などと怨念反復しつつ、久しぶりに冷麺が食べたくなって、西梅田の「まん馬」へ行くが休みである。24時間営業はやめになったのか?
 ついでだから北新地を抜ける。3連休の最終日で無人。まるでゴーストタウン。
 「早朝グルメ」の時代ではなくなったか……。
 コンビニで週刊現代を買って帰館。
 昨日、JRが中吊り広告拒否というニュースがあったからである。
 西岡研介『テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実』を読む。
 革マルによるJR支配の実態は大きな謎のひとつだが、まだ「序」の段階。「内部告発者」の発言はまだほとんどなし。
 しかし週刊現代というのは他に読むところのない雑誌だなあ。毎号買う気にはならない。毎週立ち読みとするか。西岡氏は文春からフリーになったということであろうか。
 早朝のサイクリングの後、終日穴蔵。
 少しは仕事もする……つもりが、終日雨読。
 雨が降り続き、涼しい、肌寒くすら感じる一日である。

 ……どうでもいいけど、「e-アフィリ」のコメントはうざったいなあ。削除が面倒でかなわん。はじく方法はないものか。

7月18日(火) 大阪→播州龍野/『SF魂』
 雨ぞ降る。
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 車中、小松左京『SF魂』(新潮新書)を読む。
 播州龍野に着く。
 下男仕事開始。

7月19日(水) 播州龍野の日常/大雨警報
 夜中から雨が激しい。3時頃に雨音で目が覚める。
 大雨・洪水警報?
 が、10時過ぎに雨はほとんど止む。あとは断続的に小雨。
 老母が買い物に行くという。
 が、本音は揖保川の増水が気になるらしい。
 帰路は堤防沿いの道を走る。
 
 いつも通る大楠の上流あたり、用水路などすべて濁流下に隠れ、水位は畳堤の下あたりまできている。が、まあ洪水の心配はないレベル。
 写真の樹は大楠ではなく、水路沿いに生えているニセアカシア。
 わが小学時代の同級生のご父君は旧建設省の土木関係技官で、このような増水時には建設した橋が流されないか気が気でないと、その奥さんが述懐されていたという。念のためにいうが、奥さんがご主人の仕事の結果を心配してはったのである。半世紀前の話。が、わが老母はよく覚えていて、今も増水のたびにそれをいう。
 上流に引原ダムが出来るまで、確かに何度か洪水があり、わが家の前を泥水が流れていたのを見た記憶はある。
 終日涼しく、おれには肌寒い感じ。
 夜は老母と別メニューで、おれはキムチ鍋でビール。たまらんなあ。

7月20日(木)播州龍野の日常/『ケプラー疑惑』
 雨が降り続くのであった。
 老母を医院へ定期検診に連れて行く。
 雨だと空いているだろうと予想したが、いつもと変わらぬ混みよう。
 通院する皆さん、元気であるなあ。
 終日雨読。
 ジョシュア・ギルダー、アン・リー・ギルダー『ケプラー疑惑』(地人書館)を読む。

7月21日(金) 播州龍野の日常/評伝について
 午前4時、激しい雨音で目覚める。
 室温26℃で肌寒く、秋霖かと錯覚してしまう。
 午前8時、雨の中を傘さしてゴミ出しに行く、また侘びしからずや。
 先日陸送したタイムマシンが航空機に搭載、某国へ向かって離陸、航空貨物の場合、ドキュメントの受け渡しが慌ただしく、下男仕事の合間に国際電話とFAX、またややこしからずや。
 わがタイムマシン、時間砲(豊田有恒)のごとく兵器に転用されぬことを祈るばかりである。←本気にしないように、エシュロンくん。
 夕刻一段落。
 平井隆太郎『うつし世の乱歩』(河出書房新社)を読む。
 
 江戸川乱歩のご長男(80歳を超えてはるのだなあ)があちこちに書かれた「父・乱歩」に関するエッセイの集成。読んだのが3割ほどかな。孫の憲太郎氏があとがきを書かれているのが時代を感じさせる。
 乱歩の評伝は谷崎より多いのではなかろうか。
 荷風ほどではないと思うが。
 作品が読まれることと評伝の多さの相関関係はどうなのだろうと考える。
 少しだけ考えるが、結論は出ない。調べるべきことが多すぎるからなあ。
 ただ、SF分野、評伝は少ないなあ。現代日本SFについては歴史が浅いし、死んだ人も少ないということはあるけど、誰か「星新一」か「光瀬龍」か「矢野徹」を書かないものか。
 押川春浪をヨコジュンが書いたタイムスパンを考えると、数十年先になってしまいそうな……。

7月22日(土) 播州龍野→大阪
 朝から播州龍野の冷蔵庫内を整理するのであった。
 朝食は「牛乳・ごはん・味噌汁・トマト・キムチ・レタス・バナナ・リンゴ」という不思議なメニューとなる。
 昼前に身内がやってきた。
 見張り役交替。
 おれはタイムマシン格納庫で某部品の到着を待って直ちに大阪に移動……のつもりであったが、いつもなら午前10時までに着く佐川便、昼まで到着せず。
 問い合わせると「早くて午後2時半です」という。嗚呼。
 確かに14:32に到着したから、それなりにパンクチャルだが、日によって配送の順路が変わるのかねえ。
 5時間無駄にしてしまった。
 大阪へ移動。
 夕刻帰館。
 穴蔵……某ドキュメントや某ゲラなどでFAXの用紙が大量にうねっている(連続の感熱紙だからねえ)。
 ま、期限は月曜の朝である。
 明日集中して処理することにして、本日はまずビールである。
 専属料理人が「豆腐と山芋の掻き揚げ風」なるもの中心に、カイワレおひた・焼き茄子・トマトサラダ、明太子となんとか菜ののり巻き、胡瓜の浅漬け、その他を並べてくれたので、ビール、水割り。
 もう寝るのである。

7月23日(日) 穴蔵
 終日穴蔵。
 夕食で「自宅」へ行くまで、外出せず。
 田舎生活がつづくと不思議なもので、朝刊を読むためにわざわざ着替えて「自宅」まで行くのが面倒になってしまう。
 播州龍野では、朝刊の記事は実質的に1日遅れ。ネットでチェック、午前4時半からのテレビニュースをちょっと見たら、だいたいわかってしまう。新聞はいらないんだよね。(いっとくけど、通信社は必要である。1日遅れのニュースが印刷された紙をわざわざ配達してもらう必要は感じなくなってしまうのである)
 田舎感覚が継続して、大阪でも、朝刊は夕食時に読めばいいという気分になってしまった。
 ということで、終日仕事。
 夕食時に朝刊と夕刊をざっと読んで早寝。

7月24日(月) 市内ウロウロ/インデアン試食
 わ、午前3時頃に目が覚めた。
 朝まで雑用。
 小雨が降っていて、土用翌日というのに早朝うなぎの「天五屋」へは行けず。
 朝9時前から、久しぶりに「ビジネスモード」で雨の中を傘さして外出。
 ビジネスとはいえ、ネクタイをするのが面倒になった。
 おれは夏場でもあまり暑さは感じず、ネクタイにスートツかジャケットで通してきた。が、ネクタイなしでもいい生活が続くと、本当に面倒になってしまう。
 自民党議員のクールビズみたいで、だらしないのはわかっているが、ノーネクタイで某社・某行をウロウロ。
 11時頃、早めの昼飯。三番街の「インデアンカレー」が空いているので、初めてここのカレーを食べる。
 興味はあったのだが、いつも列が出来ている。おれは並んで食べることはしない、まして背後に並ばれて食べるなんてまっぴら。ということで、今まで食べる機会がなかったのである。
 730円のレギュラー。
 ともかく……「食後の水がうまい」カレーであった。おれは、冷たい水がこんなにうまいと思ったのは35年ぶりではないかと思う。
 35年前にうまいと思った水は……富士の湧き水かもしれない、静岡県小山の水道水であった。
 いったん帰館。
 某行から電話あり、あわてて書類の作り直し。午後も自転車で市内ウロウロ。
 ハチにも寄る。
 夕刻まで慌ただしい日であった。
 明日もまたかくあるべし。
 夕刻、ビール、ワイン。
 早寝するのである。

7月25日(火) 穴蔵/市内ウロウロ
 定刻午前4時起床。
 雨は降っていないが、このところ「早朝グルメ」に出かける元気も食欲もなし。
 9時前にきちんとスーツを来て出かける。
 某銀行・外為へ……某国にタイムマシンを持ち込んでくれたエージェントの秘密口座へ送金手続き(←本気にしないように、エシュロンくん)をするが、某行、合併(実質吸収)後、手数料が高くなったなあ。数口に分けての送金なら格安チケットで持参した方が安くなるのではないか。(←くどいようだけど、本気にしないように、エシュロンくん)
 某銀行の諸君、恐縮気味に手数料アップの説明をしてくれるが、いじめられてるのかなあ。
 まあ、頻度は少ないから他行に変えるつもりはないけど。
 昼前に帰館。
 午後はステテコ姿(ではないれど、昔の植木等に似た夏スタイル)で穴蔵にこもる。
 少しは仕事もするのであった。
 夕刻から遠雷のような響き。
 本日は天神祭であったのだ。遠い花火の音で思い出した。
 以前なら北浜のアイルモレコタで歌之助師匠の落語を聴いて、あとは花火見物・ビールで歓談がパターンであったが……寂しいことである。
 花火を見に行く元気もなし。  専属料理人に「げんこつラーメン」特製の餃子をたくさん焼いてもらい、茄子とミンチのなんとか、豚とトマト・レタスのかんとか、中華メニューを並べてもらってビール1リットル強。
 花火の音もしなくなったので、早寝するのである。

7月26日(水) 穴蔵/カーニバルの朝
 早寝したら午前3時前に目が覚めてしまった。
 久しぶりに早朝の散歩に出かけることにする。
 福永武彦・中村真一郎・丸谷才一の3氏にならって『深夜の散歩』といいたいところだが、午前3時を過ぎると深夜でもないなあ。「暁闇の散歩」では語呂が悪いし。
 などと愚考しつつ天六から天神橋筋の長い長い商店街を北端から南端まで自転車でノンストップ走行。
 目的地は南端の大阪天満宮。
 昨夜の喧噪の名残がまだくすぶっているかと期待していたが、午前3時半、静かなもの。
 商店街の両側にはまだ御神燈がついているが、人影はまばら。酔っぱらいの姿はない。
 
 天満宮の境内まで自転車で入る。
 本殿は真っ暗。山車?か御輿?の置いてある舞台の横で、おっさん2人が大の字になって鼾をかいる。
 これだけが昨夜の余燼であった。
 「黒いオルフェ」を口ずさみつつ天五まで引き返す。
 天五屋は休み。「ひろや」でビール一杯。
 カウンター連中(店を仕舞って来たらしき人たち)の話を聞くに、人出は少なかった……というより、たいていの観客は花火が終わればさっと帰ってしまうらしい。「まだ週初めやからなあ……」と居酒屋諸氏はアテが外れた模様。
 扇町公園を抜けて帰る。
 
 当然ながら……ルン吉くんの姿はない。
 昨年秋に見かけてからもう8ヶ月以上になる。
 どうしているのだろう。
 公園には誰もいない。主なき石柱がたたずんでいるだけである。
 午前5時前に帰館。
 終日穴蔵。

7月27日(木) 穴蔵/公園異変
 午前3時前に目が覚める。
 またも早起き傾向、4時までは眠りたいところだが……。
 終日穴蔵。
 午後、宅配便発送のために豊崎西公園を抜ける。
 ホームレスが2名減っているのに気づく。
 この公園、都心に近く、公衆便所と水道が完備しているので、数名(5、6人)が住みついている。
 数戸並んでいるうち、いちばん古い「小屋」が撤去されている。
 この人は7年以上住んでいたのではないか。携帯も持っていたし、猫も飼っていた……というか、野良のうちの一匹をそんな風に扱っていた。連れて行ったのだろうか。
 元気そうだったから、たぶんいいところへ転居しはったのであろう。
  
 もうひとりは、石飛卓美によく似た人で、小屋が並んだ一角には近寄らず、ヒマラヤスギの根元にいた。小屋は持たず、寝るときだけダンボールを敷き、出かける時荷物を持って移動していた。したがって、木の根元はきれいなものだった。
 3年ほどいたはず。群れるのを嫌う感じの人であった。
 この木だけにロープが張られて、「公園内にテント・小屋掛け等の設置・物品の放置を禁止します」という札がかけられている。
 この場所で何かあったとも聞かない。
 市がわざわざこの木だけをロープで囲う意味がわからない。
 不幸な追い立てられ方だったのではないかと、ちょっと気になるのであった。
 明日は我が身であるなあ……。

7月28日(金) 穴蔵
 真夏の日照りである。
 久しぶりに穴蔵の大掃除。
 サイクロン型掃除機に大量の綿ぼこりがたまる。
 最近咳がでるのはこのせいか。
 近所の医院へ。血圧はまあまあ……と思ったら、夏はもっと低いはずといわれる。大掃除で汗をかいたあとだからであろうか。
 体調は悪くないはずだが、老化は進行しとるのだろうなあ。
 ヤボ用あって自転車で梅田へ。
 西天満まで行く。昼飯は「ランプハウス」のカレーにするかと迷うが、本日はインタープレイ・ハチでランチとする。8/8の山下洋輔ソロ・ライブまで来る機会がなさそうなので、挨拶かねて。あまりの暑さに生ビール一杯。
 まっすぐ帰館。
 夕刻、久しぶりにかんべむさし氏来穴蔵。ビール飲みながら恒例<SF検討会>を開催するが、本日、珍しくも小説作法中心の議論になった。年齢と文体・作風といった話題。これは、最近、筒井さん・小松さん・眉村さんと、おれにとってはNULL以来の大先輩の作品を続けて読んだ影響であろう。
 ちなみに、この3氏と会ったのが1962年8月で、もう44年になるのである。
 3氏+谷甲州氏の作品については明日にでも書くことにしよう。
 ジーやん・桂米二さんが公式HP「米二ドットコム」を開設。
 「アルバム」を見ていたら、若き日の歌やんや吉朝さんが出てくる。懐かしくもあり寂しくもあり。

7月29日(土) 穴蔵/香雅
 早寝したら、午前2時半に目が覚める。
 テレビをつけると「朝まで生テレビ」、天皇と靖国について電波芸者諸君が熱演中であった。
 暑苦しいので、1時間ほど自転車で梅田周辺徘徊。
 久しぶりにうなぎの「天五屋」に寄る。
 今は「19時開店〜売り切れまで」で、普通の店になってしまったのだなあ。
 朝4時頃に帰館、昼まで机に向かうのであった。
 昼前に専属料理人と炎天下を歩いて梅田へ。
 ちょっとした買い物、ついでに「やまもと」でネギ焼き食べるため……であったが、昼前というのに20人くらいの列。たいしたものだ。
 暑い中、並んで食べるほどのものでなし、新梅田食道街へ。
 「春駒」の隣り、新しくできた、ガード下にしてはあまりにも上品な店構えの「香雅(かが)」という店に入る。
 
 最近(7月初め)に出来た店である。
 これが……メニュー限定、器は凝りに凝った印象、大きいテーブルに8席のみ……おれはやまかけの一半、専属料理人はおろしそばを頼んだが、絶品!
 おれは「立ち食いうどん」専門で、蕎麦については味覚に自信がないが、それでも感嘆した。名はあげないが、北区の数店の中では最高と思うし、専属料理人も同感のようであった。
 そば湯がまた素晴らしい。
 これからタウン誌などで紹介されるかもしれないが、ともかくびっくり。
 客が殺到して食べられなくなれば、それはそれでよし。
 新梅田食道街で「隠れ家」的というのはあり得ないのである。
 ということで、午後は穴蔵にこもる。
 夜……ひょっとしたら明日の全日本デキシー・フェスの前夜祭で、サントリー5は面白いかなと思うが、朝昼と遊んだわけだし、明日はまた色々あるし、で、夜は静かに飲み、静かに早寝するので゜ある。

7月30日(日) 大阪→舞子(ディキシー・フェス)→播州龍野
 早朝から雑用色々。
 相棒の某国出張とおれの田舎行きが重なって、準備事項などあれやこれや。
 分刻みで片づける。やればできるじゃないか。
 専属料理人と出かける。
 阪急、山陽電車を乗り継いで「舞子公園」へ。舞子ヴィラに11時着。
 「第40回全日本ディキシーランド・ジャズ・フェスティバル」である。
 今年の特別ゲストは東京から後藤雅広・千香ご夫妻。
 後藤雅広さんはここで紹介したCD「Creamy!」「Echos Of The 78's Era」で素晴らしい演奏の聴ける、ジャズ・クラリネットの名手。
 しかも、今年の趣向が、「各ステージ、ゲスト参加や飛び入りがある」という趣向。
 後藤さん追っかけのかたちで色々なステージを聴いたが、ニューオリンズの雰囲気を残す音色と、モダンな曲まで吹きこなすテクニックに聴き惚れてしまった。
  
 最後は庭園の教会での「夕べの祈り」。
 ここは背景が海で、船が行き交う。日没に近い時間で、刻々と色を変える夕暮れの海をバックに演奏される賛美歌がたまらない。
 ここでラスカルズに後藤さんが参加、河合良一さんとのデュオで「In The Upper Garden」が演奏された。
 ……このディキシー・フェスについては、近日「ODJCのHP」にレポートを掲載。
 夕刻、舞子駅で、専属料理人と西と東に生き別れ。
 おれは西(播州龍野)に向かう。
 暗くなって、田舎の実家に到着。
 シャワーを浴び、さあビールだ、と、冷蔵庫を開けると、ビールが1缶しか冷やしてないではないか!
 これだから、あまり飲まない人間に留守番をまかせられないのだ。
 ゼロよりまし? 確かに。

7月31日(月) 播州龍野の日常/小松左京マガジン
 朝からタイムマシン格納庫で見張り番。
 相棒の某くんが某国へ行くので、その間、見張り交替である。
 その某くんが昼過ぎに関空から飛び立つ予定のところへ、某国の秘密エージェントから緊急連絡。
 ある物品が日本で入手できるなら運んでほしいという。
 緊張が走るなあ。
 その品……「なんとかZapper」とかいう虫さされの「カユミどめ」なのだが、ネットで調べても、これ日本製ではないし、通販でしか扱ってないような。
 『サウンド・オブ・サンダー』みたいな時代にタイムトラベルする場合にそなえて、機体に塗っておけば予防効果でもあるのだろうか……。
 そこらのドラッグストアで売ってはいまい。まして関空の免税店においておや。
 入手は無理と某くんに連絡。
 ややこしいことである。
 
 「小松左京マガジン」23号に、小松作品研究に関して興味深くかつ重要な記事。
 下村健寿「映画化された小松左京作品が海外でどのように公開されてきたか」。
 小松作品の映画化は『日本沈没』『エスパイ』『復活の日』『さよならジュピター』『首都消失』があり、このうち前の4作品(沈没は73年版)がなんらかの形で海外で公開されている。映画以外にビデオ、DVDもあり、英語圏に限らない。
 これらについて、出来る限り現物を確認し、徹底した文献調査を行ったレポートである。
 「編集」によって映画が別物に変わってしまうということはある程度知っていたが、なんとカットして「追加撮影」分を挿入して、主役が交替、まったく別のお話になってしまう場合まであるという。「日本沈没」についてはロジャー・コーマンによるアリメカ版を中心に、ドイツ版、イタリア版が検証されているが、いやはや……。「復活の日」の「数奇な運命」にいたっては、あの角川春樹氏が手玉にとられたとしか思えず……ともかく、詳しくは小松左京マガジンを読んでいただきたい。
 筆者・下村氏はオックスフォードの研究員(映画とは別分野)らしい。
 すごい人がいるものだなあ。
 この記事を読むためだけでも「入会」の値打ちありである。
 今度のリメイク版『日本沈没』がどのような運命をたどるのか。
 原作(小説)と映画が違うぞなんていってる場合じゃない気分になってくる。

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