JALINET JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』372

●マッドサイエンティスト日記(2006年5月前半)


主な事件
 ・穴蔵の日々(1日〜)
 ・ビッグリバー・ジャズフェス2006(5日)
 ・マホガニーホール・ライブ(6日)
 ・播州龍野の日常(7日〜)
 ・穴蔵の日々(13日〜)
 ・神戸ジャズウォーク(14日)



5月1日(月) 穴蔵
 暖かくなった。
 午前9時前の室温25℃。まあまあ快適。おれは28℃くらいの方がいいのだが。
 近所の医院へ行く。血圧はまあ正常。「ぬくなったからで、安心したらあきまへんで」はい。
 そのまま自転車で梅田ウロウロ。
 月末月初の事務処理である。
 午後は穴蔵の整理。
 本棚を整理して、床の露出部分に掃除機をかけたが、なんだか大量の微塵を吸い込んでしまったような気分になる。
 屋外の空気の方がよさそうで、夕方、近所を散歩するが……黄砂であろう、深呼吸する気分にはなれず。
 穴蔵のすぐ向かい側のビル、この季節、白い花が咲く。木の名は知らず。桜よりもこの方が好きである。
 なかなかいい風情だが、このビルの数フロア、夜中まで(よく徹夜で)仕事していて、喫煙コーナーが、わが穴蔵から出たら向かい合わせみたいな位置にある。
  
 窓が開いてたからしゃべれそうな距離。交換機みたいな装置の横にソファがあり、窓に沿って長いテーブルがある。
 夜など、時々若い女性が「こちらを向いて」物憂げにタバコを吸っていたりする。
 このビル、Paulゐのうへさんが3年ほど前まで勤務していたはずである。転勤が決まってから判明したことだけど。
 ポールにはルン吉くんまがいの格好を目撃されていたかもしれない。パジャマのままコンビニへ行くこともあるので、これからの季節、用心しないと……。

5月2日(火) 穴蔵/梅田ウロウロ
 急な事情で、明日から田舎行きとなった。
 雑用片づけのため終日穴蔵……のつもりでいたが、本棚整理が裏目に出た。メガネを外して位置変更した本を読んだり戻したりしているうちに、床に置いたメガネを踏んづけてしまった。
 パソコン用のだが、フレームが歪んでしまった。
 昼過ぎに自転車で梅田へ。
 大阪駅前第3ビル2階の「メガネの三城」梅田店へ。……と店名まで出すのは、この店を30年近く使っているからで、姫路時代からなら40年以上になる。
 最高の技術を駆使して無償で直してくれた。良心的な店である。買い替え覚悟していたのだが。よかったよかった。
 帰路、ハチに寄ってコーヒー。
 久しぶりに「ジャズの専門店ミムラ」にも寄る。
 中古CDの中に『FATTY GEORGE ON THE AIR』というのがあって購入。
 1956年ウィーンで録音されたコンサートの放送テープが音源らしい。FATTY GEORGE というクラリネット・フィーチャーで「インディアナ」とか「サヴォイ・ブルース」とか「君去し後」などが入っていて、どうやらスイング・スタイルらしいが、ピアノにジョー・ザヴィヌルの名がある。
 どんなものか。
 夜、ビールを飲みながら一聴。
 これ、録音は悪いが、掘り出し物ではないか。クラのノリもいいが、若干24歳のザヴィヌルがブギウギを弾いているのである。見事なもの。これがウィーン時代の代表的なスタイルではないのだろうけど。
  
 ジャケットの写真は鼻筋の通った美青年……これが『ジャズでめぐるニューヨーク』(からデジカメでちょっとお借りしました。掲載写真は素晴らしいので、ぜひご購入を)では、こうなっている。いい歳のとりかたをしているなあ。
 ますますニューヨークへ行きたくなってくる。

5月3日(水) 大阪→播州龍野
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 快晴。
 先日から(老母から見て)子・孫・曾孫が来ていて、おれと交替。
 午後は急に静かになる。
 庭の牡丹が満開で、老母が写真を撮っておいてくれという。が、天気が良すぎて、こういう日に花の撮影は無理である。
 庭の松の一本、一部が枯れかけているという。
 全体に松葉の色も他の2本に較べて茶色っぽく見える。
 出入りの植木屋氏の診断でも不明。「松食い虫ではなく、一部だけが枯れかけ。似たような例は近所にもある」という。
 
 この松は「盆栽から成長させた」とかで、枝の形状がやたら複雑。ねじくれ過ぎである。おれの好みの造形ではない。
 樹齢は、記憶にないが、おれより少し若い?
 小学時代からある庭木は、もう1本の松、百日紅、木犀、梅、柿くらいで、他はいつどのように変わったのか記憶にない。
 樫や無花果もあったはずだが。
 庭木の入れ替わりも結構あるのだなあ。
 凡才あがりの「ひねくれ」がアタマから枯れかかり……おれのことか。

5月4日(木) 播州龍野→大阪
 快晴である。
 『朝はミラクル』のアタマは連休の話題。かんべむさし氏「会社勤めしていた時の連休、ずっと部屋にこもってSFのコンテストに応募する作品を鉛筆で書いたり消したりしていた」という。
 『決戦・日本シリーズ』で、1973年5月、33年前である。
 阪神・阪急の経営統合なんて、さすがのむさしくんも想像していなかったであろう。
 おれがかんべさんと出会うのが翌年夏、ネオ・ヌルの会合の席であった。
 うへっ、お互い、人生の半分以上をアホな話しながら過ごしていることになる。
 ボケ防止にはなっているかもしれんなあ。
 朝の室温は13℃で、書斎では厚着して足温マットを、居間ではストーブを使用する。
 昼前に老母を連れて買い物に行く。
 外に出て少し動くと汗ばむ。
 初夏と早春の混在である。
 夏と冬の混在はマグリットも描いてないはず。これは使えるかも。(昔『ミステリーゾーン』に似た設定はあったが、これはオチに使われていただけ)
 夕食後に大阪へ移動。
 本日もJRは敬遠して、姫路からは山陽電車〜阪神梅田行き特急を利用。
 と、乗客の声から判断するに、甲子園で阪神・読売戦をやっているらしい。
 新開地で阪急に乗り換えて、23時過ぎの帰館となる。
 夜中のニュースを見るに、甲子園を避けたのは正解だったようである。

5月5日(金) ビッグリバー・ジャズフェス2006
 5月の連休、ジャズ関係のイベントが目白押し。
 3、4日の高槻ジャズストリートには残念ながら行けなかった。
 本日「子供の日」は、服部緑地公園の『春一番』と天満・大川沿いの『ビッグリバー・ジャズフェスティバル』が重なった。
 『春一番』は去年で終わったはずが、急遽再開になったらしい。本日は山下洋輔さんのグループ、坂田明さんも来るらしい。
 迷うところだが、去年が『春一番』だったので、今年は『ビッグリバー』へ。
 天気がよく、自転車で天満OAPへ。
 会場は3つ。38階スカイプラザ、芝生広場、ジャズ・ボート。
 38階からの眺望はいいし、天気がよければ芝生広場は快適である。
 
 今年は、これに加えて「出前ライブ」というのがあって、昼食時に「寿司」「そば」「中華」の3店で小編成の演奏もある。
 おれは滝川雅弘参加の「ビッグリバー・トリオ」の出る38階の中華レストランで、五目焼きそばとビール。
 あとは3会場を夕方までウロウロ。
 詳しくは、レポートを近日「ODJCのHP」に書く予定。
 そのレポートでは触れないことであるが……。
 とんでもないおっさんと遭遇。
 芝生広場の後ろの方で気分よくレッドビーンズの演奏を聴いていたところ、近くで若い女性の悲鳴があがった。
 「嫌や! 嫌やーっ!」
 と悲鳴を上げて逃げる。
 痴漢ではない。
 このおっさん、「ペット」を大きなバックに詰めて持ち歩いているらしく、それを「見せてあげる」とジッパーを開いたのである。
 犬猫のたぐいではないよ。
 おれが文字にするのも嫌なやつで、しかも……いや、これ以上は書きたくもない。
 悲鳴にびっくりして、おれも一瞬ソレを見てしまった。
 おれも慌ててその場所を離れたが、これ、痴漢以上に悪質な犯罪にならないのかねえ。
 こんなとんでもないのが現実にいるのだなあ。
 スカイプラザへ移り、1時間ほどして戻ってきた時にはおらず、どこかへ行ったのだろう。ほっ。
 ジャズファンとは思いたくない。
 ということで、ビクビクしながら夕方まで。
 夜はニューサントリー・ファイブで有志によるセッションがあるらしいが、明日も内輪のコンサートがあるので、まっすぐ帰館するのであった。

5月6日(土) マホガニーホール・ライブ
 午前中、穴蔵にて雑事処理。
 午後、専属料理人と出かける。
 心斎橋のマホガニーホールへ。
 「ビッグリバー・ジャズフェス」に来た早稲田ニューオルリンズ・ジャズクラブの居残りライブである。
 「11人いる!」
 ただし、本日の出演は10人。半数が女性である。
 
 早稲田諸君の若々しい演奏を、耄碌寸前のおっさん連中(むろんおれもその一員)で堪能。
 さらに、ラスカルズ・メンバー、ピアノの石本さん、トランペットの池本さん、特別ゲストのジェフ・ブルさんも加わって、色んなセッション。
 3時間半ほど。
 河合良一さんの後輩諸君に対する面倒見の良さ、ただ頭が下がる。
 SFもしかり。おれはSFの先輩諸氏から計り知れぬ恩恵をいただいてきた。
 少しは見習わねば。
 早稲田NO諸君は、これからニューサントリーファイブにもゲスト出演、ラスカルズと共演後、クルマで帰京という。
 ファイブにつき合ってもいいのだが、明朝早いこともあり、心斎橋で失礼する。
 専属料理人と歩いてミナミへ。
 久しぶりに道頓堀界隈を見学。
 ナンパ橋に「アサヒ・スーパードライ」のど派手な電飾が出現している。
 
 北側のキリン会館への対抗広告か。
 キリンの白い行灯状のイルミネーションが(商品名がないだけに)上品に見える。
 アサヒ、えげつないぜよ。
 おれは30年以上キリンを飲まないできたが(基本はシェアの低い順で飲んできたが、クマソ発言で最下位のを飲まなくなった)……考えを変えることにする。
 背理法でしばらくはサッポロか。

5月7日(日) 大阪→播州龍野
 定刻より遅く、午前5時起床。
 早朝の電車で播州龍野へ移動。
 連休最終日にふさわしいジトジト雨。
 「大雨洪水警報」などのテロップが流れるが、播州龍野、梅雨空のごとく。
 まるでわが心象風景である。
 気分は鬱。
 理由ははっきりしていて、気心知れた友人と一杯やりながら「アホ事例検討」やれば発散することなのだが、田舎ではそれがかなわない。
 ビール飲んで、老母より先に就眠を試みることにする。

5月8日(月) 播州龍野の日常
 早寝したら午前2時頃に目が覚めてしまった。
 朝刊が届く時刻まで本を読んで過ごす。
 あとは終日「下男」仕事。
 老母がまた歌作を再開したので、新緑を見るために龍野公園へ連れて行く。
 連休明けの月曜で、公園に人影なし。
 
 もみじも秋より5月の方がいい。
 聚遠亭からもみじ谷にかけて、新緑の中で深呼吸の後、昔の「6人殺し」昨年の「ゴルフクラブ殴打殺人」の現場を見学してから帰館。
 やっぱり花鳥風月より事件現場の方が面白い。

5月9日(火) 播州龍野の日常/鬱の理由
 田舎にて坦々と下男(おとこし)仕事を遂行するのであった。
 先日来、ちょっとひっかかることがあり、気分が晴れない。
 たぶん、こういう理由と思う。
 (以下、まったく別分野での話なのだが、SFに置き換えたたとえ話として進める)
 SFの会合があって、古手のSFファンが集まってガヤガヤ飲んでいたとしよう。
 そのうち、ひとりが「おれは筒井康隆と眉村卓の合作を持っている」と言い出した……としよう。
 そんなのが本当に出版されていたとすれば、SFファンなら当然驚く。
 「ほんとに出てるんですか?」
 「出てた」
 「筒井さんに合作はないし、眉村さんの場合、福島正実との合作『飢餓列島』だけじゃないですか?」
 「ちゃんと持っている」
 「何というタイトルなんですか?」
 「何やったかな……」
 「どんなテーマですか?」
 「よう覚えてない」
 「見せてもらえませんか」
 「阪神大震災でぐちゃぐちゃになったまま、まだ整理がついてない」
 「ファンのためにも、それはぜひ発掘してほしいですね」
 「手作りケーキとヨットで忙しいから死ぬまで無理やな」
 「ケーキは誰が食べるんです?」
 「自分で食べる」
 「家族含めてせいぜい10人くらいのケーキより、数千人が期待する文献整理を優先してほしいですね」
 要約すればこんな会話があったところで、とつぜんこの人物が激高した。
 「あんたとは趣味も考え方も価値観もまったくちがう! 差し出がましいこと言われる筋合いはない! 不愉快だ!」
 話はここまで。
 「幻の合作」については、その存在の真偽を含めて、わからぬままだ。
 なぜこんな結末になったのか。
 @おれの軽口が相手には揶揄のように聞こえた。(これは時々あることで反省しとるのだが)
 Aおれの「追及」がしつこすぎる。
 Bマニア特有の出し惜しみ?
 C本当に忘れかけている。
 Dエキセントリックな人物である。
 Eヨタ話か妄想……
 その他色々考えられるが、気が重いのは、調査の手だてが閉ざされてしまったことだ。
 本当にそんな作品が存在するのか?
 むろん@+Dの可能性がいちばん高いが、おれはEではないかと疑っている。
 その場合、「存在しないことを証明」しなければならぬわけで、こんな徒労はない。証明できたとして、何の実りもないわけだし。
 けったいな「課題」を抱えてしまったなあというのが「気が重い」理由なのであった。
 以上、あくまでも「たとえ話」である。
 「岡本喜八が実は完成させていた『日本アパッチ族』」とか「エルビン・ジョーンズと森山威男のドラム合戦」とか「小林信彦『春の風葬』流出生原稿」とか「三島由紀夫と桂米朝の対談テープ」とか、適宜置き換えてみてください。
 稀覯本やレアもの自慢する場合、やっぱり出展は明示しないと周辺に迷惑を及ぼすことになる……と、やつがれは愚考するのであった。

 ※なお、たとえ話として挙げた「眉村氏と筒井氏の合作」については、それらしきものは実在する。興味ある方はこちらを見て下さい。

5月10日(水) 播州龍野の日常
 ど田舎にて粛々と下男仕事。
 梅雨を思わせる小雨が終日降り続く。
 蛙の声が急に増えた。
 ということは、これを狙う動物も冬眠から覚めるわけで、寒さは和らぐものの、ちと憂鬱である。
 暖房器具を片づけるにはまだ消極的。
 こういうことは老母の指示待ちである。
 紫がかった牡丹が開花すれば孫のだれそれの誕生日とか、凌霄花が咲くと玄米茶を麦茶に切り替えるとか、庭の花で判断することが多いようである。
 霧島が盛りであるが、本日特段の指示なし。

5月11日(木) 播州龍野の日常
 朝7時、町内放送で訃報が流れる。
 老母が親しくしていたKさん。5歳年上の93歳。
 葬儀に付き添って行けるか微妙なので、通夜に老母を連れて行く。
 歳が歳だけに暗い雰囲気はなし。
 「導師のご入場です」で入ってきた坊さん、小学校同級のTくんではないか。
 悪ガキ時代しか知らないが、龍野ではなかなか評判の僧侶らしい。
 真言宗なんとか派で、その読経、嗄れた声が渋い。
 ノーマク・サラマンダー・ナントカ・アホンダーラ……みたいな名調子で、なかなか聴かせる。グズラさんのベースが加わるといいような雰囲気である。
 読経のあと、ありがたーいお話もうかがった。
 50歳過ぎてから本領発揮ということでは、坊さんは噺家と並ぶなあ。
 ……ということで、夕食が遅くなった。
 冷蔵庫内整理メニュー。
 今年もスーパーにヒガシマルの「ぶっかけそうめんつゆ」が並ぶ季節になったので、昨秋買いだめしていた最後の1本を使い切り。
 揖保の糸・特級品1.5把を茹で、キムチ・トマト・ハムを盛り、ぶっかけつゆドバドバの「代用冷麺」……これで焼酎の水割り。
 読経の続きで、サッチモの「ジャズ・クラシックス」を聴く。

5月12日(金) 播州龍野の日常
 午前4時起床。
 午前5時頃にに朝刊が届くので、それを取りに出て、門を開ける。
 これが通常のパターン。
 午前8時を過ぎて門が閉じたままだと「特定のご近所」が「心配」して、近い身内に電話、何かあるのではないかとご注進となり、身内が駆けつけてきてブザーが鳴らされる。(老母がひとりで暮らしていた時はこれが繰り返されるので、ちょっとした風邪でも寝ているわけにはいかず、8時前に無理して起きて門を開けていたのである。体調が悪くても寝てられないのは困ったものだ)
 おれがこちらにいる時は、午前5時に門を開ける。
 と……本日がそうだが、午前6時前にブザーが鳴らされ、「特定のご近所」が急ぎもしない回覧板を持って玄関まで入ってきた。
 郵便受けに入れておけば済むことではないか。
 こんなことがよくある。
 早朝に「起きている」ことと「日常生活を始動させている」ことは別なのである。
 老母はまだ寝ているし、おれは新聞を読んでいるかパソコンに向かっているか「朝ミラ」を聴いているか……いずれにしても、午前9時までは(本当は終日)来訪者などあってほしくないのである。
 門を開けてれば入ってくる、閉ざしてれば「通報」される。
 怒鳴りつけたくなるが、それをやって、気まずい気分で老母の存命中こちらで生活するというのも息苦しいことだしなあ。
 なぜここまで生活に干渉されるのだろう。
 他人に終日監視されるより死後3ヶ月経って発見される方がよほど快適だと思うが。ともかく、こちらは門を閉じたまま、必要な時だけ出ていく生活を選びたいのである。
 これからは、おれが「駐在」している場合は、「門は閉じておく」「ブザーが鳴っても応対しない」「書斎から覗いて、郵便など必要な場合のみ対応する」というパターンにしてみようか。
 そのうち「あの家に偏屈な二男がいる時は行ってもあかん」という噂が広まって、静かな生活が確保されるであろう。
 ……と、ややヒステリックになっているのは、今日帰阪の予定が、事情あって明日に「出所」が延びたためである。
 田舎ストレスがピーク。
 これから水割りを飲んで早寝する。

5月13日(土) 播州龍野→大阪/創サポ講義
 午前、雨の中を播州龍野から大阪へ移動。
 「無名性」世界への解放感があるなあ。
 午後、穴蔵にて雑件処理。
 夕刻から天満で創作サポートセンターの講義。
 SFの書き方「概論」で、今回は、参考作品として『日本沈没』を中心に。
 おれの場合、具体的な例示としてあげる作品が、今では絶版という場合が多い。
 その点、『日本沈没』は今月末試写会、来月公開。しかもSFのほとんどすべての要件を備えているからなあ。
 ということで、帰館後、ワイン飲みつつデフランコを聴く。
 気分爽快。

5月14日(日) 神戸ジャズウォーク(オープニング)
 曇天が昼前から晴れ上がってきた。
 専属料理人と神戸へ行く。
 神戸 JAZZ CITY が主催する「神戸Jazz Walk」のオープニング・セッション。
 滝川さん出演なので駆けつける。
 11時少し前、NHKの「トアステ」超満員である。
 後ろの方で立ち見。
 小曽根実(p),滝川雅弘(cl),井出正雄(tb),村松泰治(bs),上場正俊(ds)
 
 写真撮影は禁止なので、写真は終了直後。
 小曽根さんのしゃれたアレンジによるスタンダード中心。
 「林檎の樹の下で」から始まって、デキシー風もあったり、滝川フィーチャーのスターダストで泣かせたり、1時間、最後は軽快なスイングで「アヴァロン」。
 天気晴朗。
 神戸まつりの最終日?とあって、人出も多し。
 西元町まで歩いて、「チャイナボーイ」(JR線路に面した南側)で餃子・五目焼きそば・生ビールの昼食。
 
 この大衆中華店を選んだのは、アヴァロン→チャイナボーイという、おれなりのグッドマン・トリビュートである。
 餃子がうまい。
 ということで、南京街などブラブラ歩いて帰館。
 ちょっと休憩してたら脚が攣った。
 播州龍野での生活が自転車からクルマ中心になり、運動不足、そこに神戸の坂道をウロウロした結果であろう。
 明日は大阪を自転車でウロウロすることにする。

5月15日(月) 穴蔵/市内ウロウロ
 終日穴蔵……のつもりであったが、タイムマシンの部品関係で急に出かけなければならなくなり、昼を挟んで自転車で市内ウロウロ。
 足の筋肉のためには好ましいことである。
 「仕事」以外では、「ジャズの専門店ミムラ」、ボンクラ・サラリーマン時代になじみのチャンコ屋、酒の「篁」、ジュンク堂、ヨドバシに寄って帰館。
 よく運動した。
 夜は、オムレツにハッシュドビーフをぶっかけたの・その他色々並べて、ステファン・グラッペリなど聴きながら、篁で買った白ワインを飲む。
 健康的な一日というべき……であったが。
 穴蔵に戻って、快楽亭ブラックの「道具屋・松竹篇」CDを聴く。
 この、あまりの過激さに、急激に酔いがまわる。
 内容の紹介は、まあやめとこ。予断抜きで聴くのがベスト。
 立川レーガンの頃は頼りない印象だったのが、とんでもない噺家になってるんだなあ。
 ヨレヨレで就眠。

『マッドサイエンティストの手帳』メニューヘ [次回へ] [前回へ]

SF HomePage