『マッドサイエンティストの手帳』354
●『朝ミラ』見物に行ってきた
9月20日(火)
朝7時過ぎ、弁天町のラジオ大阪へ。
本日、じつはむさし・ふみ子の『朝はミラクル!』にゲスト出演なのである。
朝からハードSFの話でもなく、趣味のジャズの話。
むさし・ふみ子コンビとは、25年前に『サタデー・イン・クローバー』に出て以来、25年ぶりである。
話の主旨は『道頓堀は日本のニューオリンズだ』
大阪はデキシー、ニューオリンズジャズでは日本一なのである。いや、今や世界一か。
ただ、15分ならこんなものかなとメモ(※)を用意していたが、しゃべったのは想定していた1/5程度。たしかに、読み返せば1時間以上かかる内容であった。
本日「ホームルーム」のテーマが「早起き」……わしゃ筋金入りの早起きだから、ジャズよりこちらのテーマの方が得意だといったら、それも折り込み済みで、ホームルームにも居残りとなった。
ふみ子「堀さんは早朝割引なんか利用されますか」
アキラ「映画や喫茶店の早朝サービス時間なんて、わしの場合、早朝とはいわん」
むさし「払暁ですか」
アキラ「暁闇でしょうなあ」
リスナーにわかるんかいな?
スタジオは三角形の、そう大きくない部屋。ラジオの場合、これくらいの方が落ち着くというか、集中できるんだろうな。
気楽にしゃべっているように聞こえるが、副調とは絶えずタイムキーピングの合図と応答、CMやニュースの間にADが次々と原稿を持ち込む。
未決箱に山積みされる書類を次々と決済していく雰囲気に似ている。
2時間過ぎるとぐったりというのがよくわかる現場なのであった。
8時過ぎ、タケダが登場したところで失礼する。
※用意していたメモの概略はこんなもの。
●ジャズが日本に伝わったのはいつ?
明治末の地洋丸の楽士。大正の初め(1910年代)の横浜・神戸・大阪。「ジャズ大名」はあり得たか。
●大阪はジャズの中心だった?
大正10年代のダンスホール、カフェ。
大正12年の関東大震災で東京から楽士が移住。
「いづもや」少年音楽隊の服部良一、高島屋少年音楽隊の南里文雄。 服部良一の自伝「道頓堀周辺はニューオリンズみたいだと思った」→「東京ブギウギ」「買い物ブキ」
綿花積出港・ニョーオリンズと紡績の中心地・大阪。
●大阪のジャズのその後は?
官の規制。大阪府知事がダンスホールを禁止。戦時色濃厚。敵性音楽。
●戦後は?
ジャズブーム。進駐軍クラブ。
●その後の大阪のジャズは?
モダンジャズの中心は東京。精神的には「道頓堀ジャズ」を継承?
ニューオリンズ・ラスカルズ、サウスサイド・ジャズバンド、マホガニーホール・ストンパーズ他。若手に「ミッチ」
ニューオリンズ名誉市民。
●ライブやコンサート
ODJC。
トラディショナル系コンサート。「奈良スイングフェスティバル」「ジャズシティOSAKA2005」「神戸ジャズストリート」と続く。
「精華小劇場」のジャズシティOSAKAは「道頓堀ジャズ」の再現?
●今の問題は?
高齢化。大学の軽音からデキシーバンドが消えていく。
●現地ニューオリンズは?
被災状況と復興支援。現地のミュージシャンの消息。募金活動。チャリティ・コンサート計画。詐欺まがいの募金もあり。
ジャズファンの気持ちは「Do you know what it means to miss New Orleans?」
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