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『マッドサイエンティストの手帳』335

●中野晴行『そうだったのか 手塚治虫』(祥伝社新書)


 中野晴行氏の久しぶりの手塚治虫論。中野さんの最近の活動領域は、マンガ研究を超えてずいぶん広がっているが、手塚研究はやっぱり原点であり核である。
 
 これはユニークな戦後論である。
 基本的には中野晴行氏の戦後論。
 敗戦による「日本人のアイデンテティ喪失」から始まって、高度成長を経てバブルの崩壊(その直前に手塚治虫の死がある)……その要所要所で、手塚治虫はどう考えていたかが、その時期を代表する作品を通して語られる。
 「手塚作品を読めば戦後のすべてがわかる」といった大げさな(詐欺まがいの)ものではなく、冷静に、「時代が手塚作品にどう反映しているか」が分析されている。
 手塚治虫(作品)に繰り返し質問しつつ戦後日本を考えたというところか。
 その論考、妙に身につまされるところが多い。
 戦後のスタートと「アトム大使」が重ねられているからで、ぼくの場合、これに自分の誕生が重なるからである。
 鉄腕アトムの誕生日は2003年4月7日とされる。
 雑誌発表は1951年。……なぜ約半世紀未来に設定されたか。これについては、ぼくの意見は、下記のコラムに書いたとおりである。
 
 未来論における「中未来」とは……というのは、長くなるからここではやめとこ。
 なぜ4月7日か。
 ぼくはこれを「アトムの誕生日」よりも「アトムの小学校入学の日」と考えている。
 アトムは「赤ちゃん」として生まれたのではない。小学1年生として生まれた。
 と考えれば、ぼくが小学校に入学したのが1951年。アトムが実際に誌面上に登場した年である。
 つまり、ぼくはアトムと同学年なのだ。
 「妙に身につまされるところが多い」といったのは、こんな事情があるからである。
 本書が『アトムが見た戦後史』であったら、まったくおれの人生に重なってしまう。
 中野さん、次、期待してますよ。

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