HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』284

●マッドサイエンティスト日記(2003年9月後半)


主な事件
 ・虎ファン、意外におとなしい(16日)
 ・MORIYAMA JAZZ NIGHT 2003(可児市)へ行く(19-20日)
 ・名古屋のモーニングサービスを初めて目撃(21日)
 ・朝夕に「異様な笑顔の記者会見」2件(26日)
 ・歌之助の本、編集会議(28日)
 ・「芸能生活二十五周年記念/桂小米朝 落語の世界」(28日)
 ・世にも不思議な「酒」に関するアンケート(28日)

2003年

9月16日(火)
 定刻4時に起床、自転車で梅田へ行ってみる。
 OSビルから阪神デパート前あたりまで、なにもなし。ホームレス諸君が寝そべっているだけである。
 前回の阪神優勝の時は、朝5時でもまだ旗振って歌っていたやつがいたものだが。
 もっとも、あの時は優勝決定が午後10時頃だったけど。
 早朝の電車で播州龍野の実家に移動。
 大量のワープロ・フロッピーをMS−DOS機でテキストファイルに変換する。
 夕刻帰阪。
 読売が2-19のボロ負け9連敗、1回12点取られる体たらくで借金生活に転落という「歴史的な名試合」……道頓堀に飛び込みたくなるやつの気持ちがわからんでもない。
 その「道頓堀ダイブ」、昨夜は5300人と、これはどの新聞も一致している。W杯の時には消防署発表と目撃した記者?の記事に900:3000くらいの差があって、まるでデモの動員数みたいに感じたものだが、今回、何か協定が結ばれたのか?
 史上空前の数字であることには間違いないが、これはダイブ数(延べ人数)で、3、4回飛び込むアホが多いから、実際には2000人以下、1000人程度ではないのか?

9月17日(水)
 終日穴蔵。
 少しは仕事もするのであった。
 夕刻、西日本出版のU社長、来穴蔵。「超麺通団」とか「タコヤキ」関係の本でがんばってはる人である。初対面と思っていたら、昨年末の小松さん忘年会(カラオケ)で会っていたらしい。
 現在企画中の案件について色々アドバイスをもらう。

9月18日(木)
 歌之助夫人・維久子さんからメール。歌やんの演じた「古事記」のテープ3巻が見つかったという。「郵送しますから」とあるので、あわてて電話してストップ。ともかくダビングしたテープを送ってもらうか手渡しでと連絡。
 午後、市内ウロウロの用事。
 帰路、阪神デパート前に大行列。
 off
 虎グッズ専用の行列らしく、末尾に「2時間待ち」のプラカード。これは興奮状態というのではない雰囲気。
 おれは冷静に、梅田ジョーシン(こちらは空いている)の優勝セールで「770円のパソコンバッグ」を購入したのであった。
 21時〜テレビで「世にも奇妙な物語」を見る。
 4話中、3作「鍵」(筒井康隆)、「迷路」(山田正紀)、「影が重なる時」(小松左京)がSF。それぞれ悪い出来ではないが、「鍵」は原作の、特にラストの恐ろしさを表現できていない印象。

9月19日(金)
 2日間出かけることになるので雑件集中。
 早朝から午前中、穴蔵。
 昼過ぎに、770円のバッグにノートパソコンを詰め込んで出かける。
 13時のこだまで名古屋へ。
 A Live Supreme / MORIYAMA JAZZ NIGHT 2003に参加である。
 第1日、午後10時まで。
 あと、深夜まで「森山組」宴会。
 岐阜県可児市泊。

9月20日(土)
 わ、3時間寝過ごしである。定刻から3時間遅れ、午前7時起床。
 ふだんより4時間ほど夜更かししたのだから、こんなものである。
 ホテルの食堂、朝食時間、誰も起きてこない……と思ったら、元気いっぱいの藤井くんが降りてきた。昼間、岐阜にいる友人の子供が「運動会」で、そこへ遊びに行くのだという。
 が、台風が列島に沿って移動中らしく、小雨になる。
 わしゃ、昼、近所の台湾料理の店に行く以外、終日ホテルでパソコンに向かうのであった。
 午後4時頃にホテルの「大浴場」へ行くと、「よう、ホリちゃん」と声がかかる。
 九州の森山威男保存会のふたり、宮崎のテリー税田くんと大分の松浦くん(つまり、大阪にいたスッチーコンビ、節ちゃん和ちゃんの旦那同士)が入浴中。
 MORIYAMA JAZZ NIGHT 2003 の2日目を聴くために九州から飛行機で着いたばかりだという。昨年同様、夫人連もいっしょだから、たいしたものだ。
 ということで、18時にバスで会場「ala」へ。
 A Live Supreme / MORIYAMA JAZZ NIGHT 20032日目である。
 またも夜中まで。
 可児市泊。

9月21日(日)
 やっぱり午前7時に目が覚める。朝寝がクセになりそうな。
 朝食……さすがに本日は誰も食堂に降りてこない。
 気分爽快、9時前にチェックアウト。小雨の中、歩いて可児駅へ。少し肌寒いほど。
 JR大多線に乗ってみたかったが、多治見方面のは出たばかり。名鉄で犬山経由、名古屋へ。
 名古屋駅で今高英一さんと会う。
 名古屋駅隣接のホテル喫茶室に入ったのだが、なんとここでも名古屋名物「モーニングサービス」があるのであった。
 11時までなら、アイスティ450円だが、バイキング形式で「パン、ゆで卵、バナナ」が「食べ放題」なのであった。
 近所を見ると、家族連れで、もう皿にてんこ盛りである。
 わしらはジャズの話、それに今高さんから提供してもらう資料の話なのであるが、お茶だけというのは異様らしく、ウェイトレスが11時直前に「もうすぐモーニングサービスは終わりますが」と念押しにきた。
 で、11時を過ぎると店内潮が引くように静かになったから恐ろしい。
 昼前のひかりで帰阪。
 色々と雑件が溜まっている。
 夕刻、タイムマシン関係の相棒・某くん来穴蔵。相談の結果、明日22日は休業日とする。まあ海外からは関係なくメールが来るが。
 夜、やっとalaロビーで手に入れた、森山さん参加CD、杉本喜代志との『Battery's not included』、音川英二リーダーアルバム『存在〜New & Old Wonder』(ともにハートミュージック)を聴きながら、軽くワイン。
 やっと森山威男ディスコグラフィに追加できた。
 宮崎のテリー税田くんが貸してくれたビデオ、1983年「フェニックスジャズイン」のビデオ、ジョージ川口、ジミー竹内、森山威男による「ドラムバトル」……若々しい森山さんの映像が見られる。ただし「ドラムブギ」1曲だけで、5,6分。これはテレビ放送の録画らしいく、ディスコグラフィに記載するかどうか迷うところだ。
 21時前に穴蔵に戻る。
 NHKの大河ドラマ「武蔵」が「巌流島」というので決闘場面を見るが、こりゃひどい。「CG的リアリズム」の逆というか、CGの悪しき影響というか、なんの迫力もなし。ど素人演出か? 視聴率が低迷するはずだ。「七人の侍」のパクリから始まったドラマ、見るのはこれが2回目だけど、あほらしくてあほらしくて。  「森山武蔵」と「ガゾーン小次郎」の対決を見た翌日だから、よけいにそう感じるのかなあ。

9月22日(月)
 雑用で市内ウロウロ。
 午後、かんべむさし氏の仕事場によってSF川柳の本を借りる。
 桂歌之助の本用の資料である。
 夕方のニュース、小泉の組閣ばかり。誰が「毒まんじゅう」を喰ったのか、かいもくわからん。

9月23日(火)
 終日穴蔵。
 少しは仕事もするのであった。
 世間は休日で、静かな一日である。

9月24日(水)
 終日雨である。
 こんな日に限って、午前と午後、出かけねばならぬ用件が重なる。
 小雨の中、傘を差して自転車。快適ではないなあ。
 阪神〜読売戦は雨で中止。
 森山威男CDを聴きながら気分よくビール飲んでいたら、妹から電話、専属料理人と延々とらちもない世間話を始める。いい加減イライラしたところで俺に替わってくれといったらしい。電話を替わると、「実家の母が体調が悪いらしく……」
 アホ、そんな話は先にしろと怒鳴りたくかける。
 明日の龍野行きを即決。
 ビール中断して、短い原稿を夜中まで。

9月25日(木)
 早朝の電車で播州龍野の実家に向かう。
 午前9時前に到着。
 母、起きて普通に本を読んでいる。近くの医院へ行こうというと「美容院へ行ってないので云々」と、これはまあ元気な証拠である。
 が、完治してないまま持病になっても困るので、予約に行く。番号札をとっとかないと、待ち時間が1時間以上になるらしい。……が、行ってみると閑散としたもの。待合室にたまたま従兄弟がいて「雨の日はこんなもんだ。年寄りが来んから」
 そう大きくない医院でも事情は同じか。
 慌てて母を電話で呼ぶ。
 まあ、たいした症状ではなさそうである。
 夜、帰阪。

9月26日(金)
 定刻4時に起床、朝刊を読み、朝のニュースを見ていたら、十勝沖で地震のニュースが刻々と報じられ始める。苫小牧で火災を見て、慌てて妹の携帯にメール。石油会社ではないが、旦那が数年間工場長を務めていた場所が近くのはずである。まだ寝ているはずだからなあ……。
 と、6時過ぎに「気象庁の記者会見」
 ここに出てきた役人、何やらものすごく嬉しそうな表情をしている。
 もともとこんな顔なのかなと見ていたが(目とは口元が笑っているように見えるだけなのかもしれない)、質疑応答になって、やっぱり明らかに「笑っている」ことが確認できた。記者の質問に笑顔で答えている。早朝、やっと巡ってきた「出番」に、嬉しさをこらえきれないって顔だ。もう少し締まった顔できないものかねえ。
 芸能レポーターに答える、「殺人犯の近所のオバハン」じゃないんだから。
 ということで、本日、珍しく朝8時近い時間の朝食となった。
 終日穴蔵。
 17時、今度は「読売・原の辞任記者会見」……ナベツネが出てきて「人事異動だ」。
 ふーん。
 ま、どうでもいいけど、堀内の方が能力あるだけに、俺としては嫌だね。
 今年の読売のていたらく、理由ははっきりしている。松井が抜けたことに尽きる。……長嶋の初年度最下位も自分が抜けたから。翌年、張本を獲って優勝した。野球は選手がやるものなのだよ。その選手への投資の仕方を間違っているのだから経営責任なんだけどね。
 堀内が「喜びを隠しきれない」表情なのが印象的だ。
 気象庁の役人とちがって、ホリはふだん仏頂面なんだけどね。
 朝と夕、不思議な記者会見の日であった。

9月27日(土)
 午後、わが「穴蔵」で桂歌之助遺稿集の「編集会議」。
 編集委員は、50音順に、桂歌々志、桂米輔、小牟田正嗣(ファンクラブ代表といっていい人)、永野一晃(30年近く前に松鶴師匠インタビューを歌さんといっしょにやって以来親交の深いカメラマン)、深尾壽(親子二代にわたって川柳での親交が深い)とおれ。そして、委員ではないが、中心人物はむろん維久子夫人である。
 off
 続々到着、永野一晃さん、はクルマで、なんとパソコンとスキャナー持ち込みである。歌コ写真も多く、それに資料などもその場で取り込み。
 ということで、持ち寄った資料の交換や確認だけで、たちまち夕方になる。
 タイトルも未定のまま時間切れ。
 時間切れというのは、本日、夜、サンケイホールで「桂小米朝独演会」があるから。
 米朝師匠も出演なので、楽屋で「序文」をお願いする絶好のタイミングなのである。
 米輔さんからお願いをというと、「うちの師匠は外面がええ(つまり内面が悪い)ですから、堀センセの方からのがええでっせ」……ということで委員を代表して、おれと維久子夫人で行く。
 うへぇ、ダフ屋の出る盛況である。
 「芸能生活二十五周年記念/桂小米朝 落語の世界」
 これから来春まで全国8ヶ所の公演が始まるわけだが、本日と、最終・京都南座がいちばん豪華メンバーかな。南光さんは全部「反省記」でつき合うのだという。
 ・七度狐 桂紅雀
 ・子ほめ 桂小米朝
 ・遊山船 桂ざこば
 ・替り目 桂米朝
 (中入り)
 ・小米朝反省記 桂南光 プロジェクターを使った演出が面白い。
 ・三枚起請 桂小米朝
 本日の米朝師匠、見事な酔っぱらいぶり、最後のうどん屋のくだりまで、お元気そのものであった。
 終了後、久しぶりに楽屋へ。
 米朝師匠に挨拶。
 小佐田定雄さんから話がしてあったらしく、黙って酒をついでくださって「また歌之助が世話になるそうで」……感激であるなあ。
 あと、ウチアゲにも声をかけていただく。
 あれっ、小松さん、石毛先生を会場で見かけたが、こちらには来てはらん。
 かんべむさし氏、小佐田氏以外、どちらかというとエライ人が多い。
 off
 各氏の挨拶……小米朝さんの「三枚起請」についてやや厳しい意見が多いようだが、わしゃ、判定不能であった。むしろ大笑いした方。ただ女の開き直りが難しいのかな。「身請け」自体が……というよりも、女郎を女房にしたいという感覚が、おれには本質的にわからないところがあるからなあ……フィクションの世界は難しい。というよりも、年寄り連中が「実際の女郎屋」云々というわけだが、そう原典に忠実に演る必要もなかろうと思う。歌やんが「三人兄弟」を現代風に「翻訳」してみせた演り方がいいのではないか。文句のつけようがないもの。
 これはSFで、教養としてガーンズバックを知っているのはいいことだが、今さらガーンズくんを読みたくはなしという心境と同じである。野尻抱介や小川一水の方がずっと面白いもの。
 お年寄り、もうごちゃごちゃいう時代ではないぜ。おれも含めてだけど。
 権藤くん、小吟ちゃん、読んでたら心するように。時代は変わっとるのだよ。ものごとには言い方がある。わしも含めて「消えゆこう」ぜ。
 気がつけば23時過ぎである。
 本日、梅田で、ソリトン関係中心に、上田早夕里さんの祝賀会があったのだが、この時間では、二次会合流も到底無理であった。
 まあ、来月早々に授賞式があることだから。

9月28日(日)
 穴蔵で歌之助資料の整理と訂正。
 午後、自転車で西長堀の市立中央図書館へ。
 3階の大阪関係の資料室で、上方落語関係、大阪のタウン誌など、歌之助関係の調査。
 ここは雑誌の保管がきちんとしているので助かる。
 コピー機の前で、「天満人」の井上彰さんとばったり。井上さんは松竹芸能関係の調査であるという。米朝一門と松竹芸能の接近遭遇である。ははは。お互い熱心ですなあ。
 資料数点を借り出して、夕刻帰宅。
 と、
 ネットに夢路いとしさん死去のニュース。
 密葬はもう終わっている。
 こいしさんのショックは大きいだろうなあ。
 小松さんがデビュー前、いとこいさんの時事漫才の台本を書いていたのは有名だが、年齢、考えてみるとそんなに違わないのだなあ。
 いとこいさんは当時から「長老格」という雰囲気があって、たとえば「スチャラカ社員」に時々ゲスト出演する時は、いとしさんは藤田まことの父親役だった。実年齢からいうと無理があるが、これが自然に決まっていた。(ちなみに、こいしさんはこの場合、道を教える交番の巡査で、役名はなぜかカワシマユウゾウであった。巡査のカワシマはん。へんなことをよく覚えているものだ)
 ついでに、有名なギャグは「がっちり買いまショー」のパロディだろうな。
 某社の文庫解説は書き手のランクで原稿料がちがうという噂があって「3万円5万円7万円、稿料の分かれ道、解説、ガッチリ書きましょう!」なんてギャグが(一部で)流行ったことがあるほどだ。
 いとしさんはSFファンという話もあるが、真性SFファンはこいしさんの方である。ハインラインやブラッドベリはほとんど読んではるはず。真性SFファンといえるのは、役者では日下武史、笑芸では喜味こいしさんである。

9月29日(月)
 まさに秋晴れである。
 終日穴蔵。
 たちまち夕方になる。
 夕刻、周囲の建物が陰り、彼方の赤いマンションにのみ夕日が射す。
off
 穴蔵から見る秋の夕暮れ、マグリットの絵のように、昼と夜が混在して見える数分があって、この光景を見ると、秋だなあと、ちょっと感傷的になる。

9月30日(火)
 本日も秋晴れ。
 先日の資料を返却しようと、朝から西長堀まで。が、うかつであった、図書館、月末で休館である。
 本町に戻り、スペランザ・小牟田氏の事務所に寄る。歌さんが寄稿した「オール川柳」のコピーをもらい、ちょっと打ち合わせ。
 銀行その他を回って、あとは専属料理人に頼まれていたtakeuchiのパンを買いに、靱公園まで。
 と、四つ橋筋交差点(富山会館南側路上)で「酒の広告?」についてのアンケートを求められるが、ありゃなんじゃい。
 「何を飲むか」はともかく「広告関係」「マスコミ関係に親しい友人がいるかどうか」
 いるというと、家族同士か、どんな頻度で会うのか、本当に親しいのかと、くどいほど訊く。50過ぎのオバハン。何かの使命感でやってる気配だが、そんなアンケート、意味ないぜと拒否。
 「親しい友人かどうか」相手がどう思っているかもわからんのだから、そこをくどいほど念押ししても、有意な回答になるわけないだろうが。
 質問を設定したのが「何者」なのか、どんな予断に基づく要因分析を行ったのか、調査員にどんな「指導」をしたのか、気になるところだ。
 つまり「酒類の広告を規制するための世論作り」のデータ作成と想像したのだが、ちがうか、黒幕さんよ。
 ちなみに、上記「四つ橋筋交差点(富山会館南側路上)」で午前11時40分頃の出来事である。
 午後は穴蔵。
 明日は「体力を要するかもしれない」上京である。


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