『マッドサイエンティストの手帳』202
●マッドサイエンティスト日記(2001年6月後半)
主な事件
・滝川雅弘ライブを聴く(19日)
・誕生日におこづかいを貰う(21日)
・おもしろロボット塾(23日)
・久しぶりに谷口英治ライブを聴く(27日)
・菅浩江さん『永遠の森』で推理作家協会賞受賞(28日)
2001年
6月16日(土)
ひどい咳である。自分の咳で眠りが破られてまるで眠れない。咳が断続的に出て、そのたびに目が覚める。風邪薬を飲んだので、頭が働かず、本が読めないまま朝になる。薬を飲む前に何か食べようと冷蔵庫を見るがろくなものなし。ケーキみたいなパンとオレンジジュース。降圧剤と咳止めの薬を飲んでまた寝る。
終日寝続けである。断続的な咳で、読めず眠れずビールを飲む気にもならず。
音を小さくしてラジオを聞く。
夜中、0時から、日本短波放送で「洋輔的チューニング」……山下洋輔さんの番組で、ゲストが上山高史さんである。聞いていたら、突然小生の名をあげて「ありがとうございました」といわれたのでびっくりする。定年退職記念で製作されたCD『TAKASHI KAMIYAMA “ALLEGIANCE”』をこのホームページで誉めたことについてであるらしい。……ちょっと恐縮してしまうが、なによりも上山さんの実力だし、その後、TUCなどでライブも行われているのがうれしい限りだ。
あ、上山高史さんのホームページも開設されているのだった。
まだライブに行けないのが残念。
6月17日(日)
相変わらず咳がひどい。
リビングのテーブルにボンクラ息子その1が「父の日ということでほんのスコッチだけの気持ちですが」というメモといっしょにシーバスが1本。ありがたいことであるが、とても飲む気にならず、アイスティでトースト1枚。
……本日も結局外出はしないまま穴蔵に引きこもりである。
6月18日(月)
市内を自転車でウロウロする一日なのであった。
集合住宅の高架水槽工事で終日断水……かんべむさしの事務所へトイレを借りに行くまた楽しからずや。
夜、またも咳がひどくなり、夕食の大半を残す。
夜半、咳が出るたびに目が覚めて眠れない。深呼吸をつづけていると咳は出ない。眠くなって呼吸が弱くなると咳が出る。酸素吸入していればいいのだろうか。……どうもわが生命力が弱いとしか思えない。盛大にいびきがかければ大丈夫なのではないか。つまり睡眠力は基本的には生命力の問題に帰する。「いびきの大きい作家は大成する」という持論にますます確信が深まるのであった。
6月19日(火)
近所のK呼吸器科へ行く。
専属料理人のいうには、ここのK医師は許永中を小柄にしたような風貌でベンツに乗っているが、薬を極力出さないことで知られているという。診察を受けてみると、その通りであった。……風邪のウィルスは「5日で通過」していてもう問題ない。気管支の内部が荒れている。これが咳の原因。直るには時間をかけるしかなく、放っといてもいい。1週間くらい、場合によれば数ヶ月かもしれないが、必ず直る。薬を飲ませたがる医者がいるが、一時的にちょっと良くしたと見せたいだけの小細工である。咳止めとか抗生物質は不要であろう。「背中タタキ」やっとけば「今夜、ちょっと咳がひどいが」これが峠で、あとはだんだんましになっていく……とのご託宣。
いびきが大きいと咳は出ませんかと質問したが、聞いたことがないとの返事であった。
「背中たたき」で気分がましになったので、夜、谷町九丁目の「SUB」へ。
滝川雅弘カルテットの月例ライブである。
コルトレーン・ナンバーなどモダン・クラを堪能。いつものメンバーと違って、ベースが女性で……あ、ええっとお名前失念……なかなか生きのいい演奏であった。滝川カルテットのスタイルは基本的にマッコイ、ジミー、エルビン時代の形式で、クラ独占でなくサイドメンにもまったく均等にソロパートを割り振る。このあたりが滝川さんらしい姿勢である。
休憩時間にちょっと話す。……近いうち、このホームページの一角に「滝川雅弘応援ページ」を併設させてもらう計画をお願いする。色々と企画中。まず何回かにわけてロング・インタビューを行う予定である。……その他、いいアイデアがあればメール下さいよろしく。
さて2ステージ目……。
そばでワインを飲んでいた、天才バカボンの親父に似たおじさん(推定年齢68?)が、どういうわけかチェロを持ってきて、ベースみたいに弾き始めた。が、はっきりいって音色がまったくクラにそぐわないし、ともかく耳障りなことこの上ない。ちゃんとベースはいるのよ。……花岡詠二のライブに尺八を持ってくるおじさんがいて、上手いのかどうか判定不能だが、どうやら1曲愛嬌で乱入が許容されているらしい。それに似たかたちで「色もの」かと思ったら、そうでもないらしい。2曲目もえんえんと聞かされる。わしゃ滝川カルテットを聴きに来たのだけどなあ。……またも咳き込みそうになり、明朝が早いこともあって2ステージ目途中で出る。が、気分は席を蹴ったも同然であった。あのおじさん、いったい何者だったのだろう。
6月20日(水)
小雨が残っているなか、早朝のJRで播州龍野の別荘へ移動。タイムマシンの組立。
このタイムマシン、中央アジアの某国から引き合いがあって、そちらへ行きそうである。貿易管理令がうるさいので、法令も鎖国もない500年前まで移動させて、それから空間移動、その上で現代に戻すというコースをとることになりそうだ。
実家泊。
6月21日(木)
本日は夏至である。
わが誕生日が夏至であったことを母はよく覚えていて、ニュースなどで夏至と聞くとわが誕生日を思い出すらしい。なんと「誕生日のおこづかい」をくれる。……今度の土曜に、兄が来阪の予定なので一杯飲む予定と話したので、そのためにという気遣いである。
五十ヅラ下げた兄弟が老母から「おこづかい」を貰うとは、情けなくもうれしいではないか。
夕刻帰阪……と、加古川で資産家老夫婦強盗殺人のニュース。
あのう……ウチの母は「おこづかい」をくれるけど、決して資産家じゃないからね。狙わんとってね。
物騒であるなあ。
6月22日(金)
4時に朝刊、加古川で資産家老夫婦強盗殺人、孫が出頭している。嗚呼……。ウチでいえば、ボンクラ息子が犯人みたいなものか。まあ、うちのは焼き肉屋でアルバイトしていて、昼の弁当代はいらないという程度だからまあ安心か。五十ヅラさげておこずかいを貰うワシの方がよほど危険だ。もっとも無心しているわけじゃないけど……。
昼、梅田で中学高校と1年違いだったI江くんとばったり会う。加古川に近い、高砂市の旧家の御曹司だが、熟慮の結果、実家を市に寄付したのだという。「重要文化財」級の屋敷だが、税金と経費を考えると到底維持できないのだという。龍野の堀家(ウチではなく、本家筋の屋敷)も似た事情をかかえていて、他人事とは思えない。……しかし、結局は大半が役人の給料になって消えてしまうのであろうなあ。
6月23日(土)
昼前に本町のマイドーム大阪へ。ロボフェスタのプレイベントとして続けられてきた「おもしろロボット塾」、第7回(最終回)で、高校生6人のパネル・ディスカッションがあり、またも声がかかる。メインのゲストは塾長の浅田稔教授とチーフ・プロデューサーの眉村卓さん。
会場前に長蛇の列。ロボット人気かと思ったら、下の会場ではアシックスのファミリー・バーゲンが行われているのだった。ロボット塾とはえらい違いである。
高2、高3の諸君の主張はそれぞれ個性的で面白く、ソーラーカー・レースなどで実技を研鑽している人もいて、技術レベルもわが学生時代と格段にちがうなあ。……まあ、ぼくがSFを書き始めたのが高2の時だから、感覚はいちばん鋭い年齢でもある。
午後の3時間、ロボカップ・ジュニアの実演もあって、なかなか面白かった。
眉村さん、浅田さんと「なんだが大阪のロボット3人男」みたいになってしまいましたねえ、などと話す。
夕方、梅田で、わが兄と専属料理人の3名で、まずはお初天神の瓢亭でちょっと一杯。早めにニューサントリー5へ移動する。いい席確保のためである。
某大手電機メーカー勤務の兄は、6月の株主総会でひとつの区切りということで、挨拶回りもあっての来阪である。……ちなみにラスカルズのドラマー木村陽一さんは「先輩」でもある。
ということで、ニューオリンズ・ラスカルズ3ステージ全部聴く。
2ステージからは久しぶりに全メンバーが揃って充実。リクエストの「セント・ジェームス病院」が素晴らしい出来映えであった。
老母からもらったおこづかい、まだ少しおつりがあった。
6月24日(日)
急に韓国へ行かねばならぬ事情が生じた。
タイムマシンが不時着したらしいのである。北朝鮮でなくてよかった。
あわててスキャナーを買ってくる。梅田のソフマップで買って自転車で持ち帰る。あわただしいことである。別にパスポートを偽造するわけじゃないけど。
6月25日(月)
快晴である……というより真夏の日差し、カンカン照りである。ルン吉くん、定位置でよく寝ている。相変わらずの防寒服だが、下半身は完全に半ズボンになっている。
終日、タイムマシンの操縦マニュアルを作成。
電話とFAX頻繁。あわただしいことである。
6月26日(火)
タイムマシンの操縦マニュアル作成……英文のも必要になってにわか翻訳。
あわただしいことである。
スキャナー使っての切り貼りでだいぶ助かるが……。
夕方までかかってなんとか完成、某所で某氏に預ける。
ああしんど。……小説がこれくらいのスピードで書けたらなあ。
6月27日(水)
韓国行きのチケット手配のあと、ひかりで上京。ずいぶん久しぶりである。
午後、都内でうち合わせゴソゴソ。
夜、「浅草HUB」へ。谷口英治グラマシー・ファイブ・リバイバルズの出演日である。
谷口英治とグラマシー・ファイブ・リバイバルズ……といっても、メンバーが固定しているわけではないのだが、本日の編成は、谷口英治(cl)、成田敦(p)、野中英士(b)、岡田朋之(ds)……あ、お名前失念の若手(vib)
このトリオとの相性はすごくいい。ピアノが岸ミツアキさん(もすごくいいのだが)とは対照的な寡黙型モンク型で、それにベースの野中さんはやっぱり聴かせる。
1ステージ目はグッドマンから始まったが、2ステージ目、無伴奏ソロで「グリーン・スリーブス」を披露したり、デフランコ・ナンバーなど本領発揮。
ゲスト・ボーカルの角のりょうさん(スミノ/リョウと呼ぶ)はCD『MY SONG BOOK』が出たばかりということで一枚購入。サインを貰って記念撮影。……このCD、角のさんのハスキーな声がむろんいいが、宮の上貴昭さんらがバックで、特にギターのソロがたっぷり聴けるのがいい。角のさんは女性カメラマンからジャズに転じたという異色の経歴の持ち主である。
昨年末の忘年会に同席させてもらった谷口クラリネット教室の「生徒さん」らも数名、休憩時間にガヤガヤとジャズ・クラ談義をやっていたら、たちまち終演である。まだまだ聴いていたい気分であった。
ホテルに戻って、昼間ディスクユニオンで買った「ジャズ批評」108号を読む。
「スタンダード」特集だが、注目すべきは日本ジャズLPコレクター・鈴木秀人氏のトークページ。守安祥太郎のLPから始まるコレクションの数々に圧倒される。カツシンが歌うスタンダード集という珍品なども。グラビアを見ているだけでも楽しい。特に気になるのが、鈴木章治の出した「コンポサーズ・コーナー」のシリーズ……これは「鈴懸の経」のヒットに続いて企画された作曲家別のシリーズで10集まで出たという。ぼくは第1集の「ガーシュイン」を持っているが、当時の中学生の小遣いではとても続けて買えなかった。コール・ポーター、ジェローム・カーン、アーヴィング・バーリンと続いたが、あとはどんなランッアップだったのか。鈴木秀人氏は7集まで持っているという。
驚くべきことに、この鈴木秀人氏、なんと1970年生まれの30歳だという。資金力もだけど、とんでもない人がいるものだ。
6月28日(木)
昼間、都内ウロウロ。
夕方から新橋第一ホテルで「第54回推理作家協会賞贈呈式」と記念パーティ。
受賞作は『残光』東直己、『永遠の森』菅浩江、『20世紀冒険小説読本』井家上隆幸、『推理作家の出来るまで』都筑道夫。
菅さんのSFによる受賞はいわば快挙で、SF関係の参加者が多く、大盛況である。
(短篇部門で草上仁『サージャリ・マシン』も候補になっていたのだが、惜しかったなあ。この作品もぼくは買っていたのであるが)
SF受賞は小松さんの『日本沈没』以来のはずで、これが第27回で1974年。(評論部門で石川喬司『SFの時代』が1978年)……いかに「久しぶり」かがわかる。……ええっと1996年に『ソリトンの悪魔』があるんだけど、SFというとまずいのかなあ。ぼくはSFとしてほめたけど。
むろん、推理作家協会賞であるから、ミステリーとしての趣向が評価され、なによりも小説としての出来映えがすばらしいからであるが、菅さんの挨拶に「正真正銘のSFのつもりで書いた作品が評価されてうれしい」というセリフがあってこちらも嬉しかった。
菅さんは上品な薄紫の着物姿。例によって銀座の綺麗どころと間違われたようだ。
会場には、小松左京さんも来ている。他にSF関係では順不同敬称略で……森下一仁、巽孝之、難波弘之、高千穂遙、川又千秋、牧眞司、柴野拓美、大森望、山田正紀、新井素子、牧野修……あ、瀬名秀明さんも。まだまだ色々な人に会ったような。ネクタイ(持ってはるのだ)したS澤編集長とか。山田さんと珍しくミステリーの話をする。
前からお世話になってきた編集者数名の方がリタイア、セミリタイアなどの挨拶も。寂しいが、こちらもそんな歳になっているからなあ。
井家上隆幸さんに初めて挨拶した。ジャズ・マニアではないのだが、不思議な縁で上山高史さんとお知り合い。そのヴォーカルも何度か聴かれているのである。世間は狭いものである。
二次会など色々あるようだが、20時過ぎに出て、最終ひかりで帰阪。……人身事故で東海道線が不通になっていたが、どんな事故だったのだろう。
ひさしぶりの上京、すごく疲れた。新幹線の3時間が辛い。SF大会も含めて、当分上京はできそうにない。小松さんは元気なんだなあ。まあ地球全体を駆け回って来た人だから、東京往復なんて散歩みたいなものか。
6月29日(金)
蒸し暑い日である。ルン吉くん、定位置で防寒服で寝ている。暑そうであるなあ。見るだにぐったりしてくる。東京往復の疲労が抜けない。
あ、ジャック・レモンの訃報。
夜、角のりょうさんの「酒とバラの日々」を流しながらワインを飲む。
6月30日(土)
終日穴蔵に閉じこもることにする。……韓国から戻ったら、7月8月は冬眠ならぬ夏眠で過ごすか。この穴蔵に前から設置してあるクーラー、古く大きいガーゴー型だから、冷えすぎるし気が散るしで、3,000円の扇風機の方がまし。まあ、ルン吉くんが「防寒服」でがんばっている間は、この夏、わしもクーラーは使わないで過ごしてみよう。これもまた実験である。
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