HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』195

●ヨコジュンのハチャハチャ2題

『横田順彌のハチャハチャ青春記』と『e文庫』
 ヨコジュンのハチャハチャが2件(1冊と1枚というのかな)続けて出た。

横田順彌『横田順彌(ヨコジュン)のハチャハチャ青春記』(東京書籍)

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 ハチャハチャはヨコジュンの一時期の代名詞である。そして今、『ハチャハチャ青春記』である。だから、これはヨコジュンのハチャハチャな青春時代を書いたハチャハチャ手記である。
 うーん、何の説明にもなってない。
 読後思ったことがふたつある。
 ハチャハチャとは何かと改めて考えたことと、この時期(50代半ば)に青春記を書くことの意味である。
 どうしても思い浮かぶのが、かんべむさし『むさしキャンパス記』である。
 これはかんべむさしの3冊目の著作であって、きわめて早い時期…まだ「若造」といっていい時代に書かれている、しかも当然ノンSFである。……これは、作者の「計算」、つまり筒井康隆氏とともに師と仰ぐひとり・北杜夫「どくとるマンボウ青春記」に倣ってのものである。北杜夫が「人気作家」の地位を確立したのは「航海記」「青春記」によってであり、かんべむさしの「計算」というかマーケティング感覚がこれを見習ったことは間違いない。文体もしかり。ドタバタ文体であるが、ギャグもきちんと計算されていて、いわば「芸」なのである。
 ヨコジュンの場合この計算がまったくできない。あ、数学が出来なかったと書いてあるが、そういう意味ではありません。世渡りの計算ね。しても狂ってしまう。つまりずっこける。意外にも、自分の予想外のところで評価されてしまう。
 ハチャハチャSFは小松左京氏によって「含羞」の産物と評されて、これは見事に当たっているのだが、ハチャハチャに行き着いた経路は、計算されたものではないし、開き直りでもない。作者のわからぬまま到達した面があると思う。
 青春記としてどちらが正統的か。むろんハチャハチャの方である。
 同時に、この『ハチャハチャ青春記』、ハチャハチャでありながら、どこかに「苦い」ものもあって、これが深みにもなっている。50代で書かれる意味がここにある。
 SFに関しては、ぼくはヨコジュンと同時代に育っているから知っていることが多いが、落研に関してはまったく初めてのことが多く、ぼくにはこちらが面白かった。……大谷昭弘(←宏と思う)氏はもと読売のジャーナリスト、大阪で一度会ったことがあるがヨコジュンと同級とは知らなかった。
 他に……ヨコジュンのファンジン掲載作に対するわがコメント……これも忘れていたなあ。まあ、ファンジンレベルの創作からなんとか脱皮しようと焦っていた時期のことだから、若気の至りということでヒラにご容赦を。
 もう一カ所、118ページの××に関する部分で「なあ、堀晃!」と呼びかけられているが、これには「まったくその通り!」と答える他ない。

横田順彌『幻影の女性』『脱線! たいむましん奇譚』(e文庫)

 さてそのヨコジュンのハチャハチャSFだが、e文庫から、ハチャハチャSFの最高傑作と誰もが認める短編集『脱線! たいむましん奇譚』が再刊?された。
 e文庫は平井和正氏の著作中心に刊行されているオンライン出版。平井さんが意欲的に活動されているのはうれしい限りだ。
 今回の目玉は未刊行だった、横田順彌『幻影の女性』である。
 ぜひご一見を。
 しかし、やっぱり『脱線! たいむましん奇譚』は凄い。特に巻頭の「おたまじゃくしの反乱」のハチャハチャ密度は空前絶後であろう。


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