HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』177

●瀬名秀明『八月の博物館』(角川書店)

これは凄い「冒険小説」である

 多くの書評が飛び交っている話題作なので、遅ればせながらここでも。

off


 驚いた。これはたいへんな「冒険」小説である。
 瀬名氏の3作目の長篇だが、「パラサイト・イヴ」「Brain Valley」ときて、バイオ・テクノロジー、ホラー、生命科学といったイメージとはまったく離れた長篇の登場である。
 あらすじなど紹介するのがこのページの任務ではない。
 帯から引用すれば、「小説の意味を問い続ける作家、小学校の夏休みを駆け抜ける少年、エジプトに魅せられた19世紀の考古学者」が織りなす物語である。バイオはまったく出てこない。
 1 作者を投影したような理系出身の小説家が作法に悩む。
 2 作者の少年時代を想像させる夏休みの冒険。
 3 考古学者のエジプト遺跡発掘譚。
 この三つの設定が重奏して物語が進む。
 当然ながら……といってはいかんかな、やっぱりぼくには1の部分がいちばん面白い。共感する部分、言いたいこと、僭越ながらアドバイスしたいことまで、いっぱいある。
 つぎに話の中心となる2の「夏休みの冒険」が面白く(ちょっと世代が違うからノスタルジーでは読めないところが残念)、3が最後……といっても、これもまた、単独の物語としても凄く面白いのである。
 作者が手間をかけたのは、3→2→1の順であろう。ぼくが面白がる順とは逆かなと余計な心配をする。ただし、1は四六時中考えていることだろうし、2は帰らざる少年時代の記憶とすれば、「仕込みの時間」の順は、やはり1→2→3の順であろう。あ、こんな分析は無意味だ。長篇は全体で評価しなければ。
 しかし「エジプト学」とは意外といえば意外。瀬名さんは、ひょっとしたら、マイクル・クライトン的な資質の持ち主かなとも想像する。
 ワルタリの「エジプト人」のミイラ蘊蓄部分を懐かしく思い出したり……。
 途中、妙な昂揚がある。1の作者らしい作家と2の登場人物とのメタ・フィクション的な趣向。思い出した。筒井康隆『朝のガスパール』騒動である。朝ガスは「読者参加」であったが、「八月……」は精神形成期とのインタープレイである。さらに登場人物が゜作者を意識しはじめたところで『虚人たち』のイメージがちらっと出てくる。
 が……三つが収斂するクライマックスはまったく別物であった。
 ここには、やはりクライトンでも筒井康隆でもなく、まさに瀬名秀明であった。きわめてエレガントに、しかもマニフェストとも読め、また一種の認知科学による結末ともいえる見事なエンデングを迎える。
 この部分をここで色々と分析するのは野暮であり、またこれからの読者に失礼と思う。したがって、次の一行を添えるのがいちばん適切であろう。即ち、
 「感動した。」
 と。


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