HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』176

●田中啓文『異形家の食卓』(集英社)

グロパワー炸裂の短編集

 だいぶ前に読んでいたのだが、まあやっと落ち着いて感想を書ける状態になったというところ。

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 田中啓文氏の最初の短編集……すでに何冊か出ているものと思っていたからちょっと意外。異形コレクションの常連だから錯覚していたのだろうか。
 筒井康隆氏が帯に推薦文を寄せている。
 『この本は食卓で読むべきものである。……(中略。ここも凄い)……いったい作者の、かくも徹底した想像の、過剰なエネルギの源泉は何であろうか?』
 ぼくも、この「グロテスクの饗宴」に、最後のフレーズと同じ感想を抱いた。
 これは疑問文のかたちであるが、ニュアンスは感嘆である。「アホか」という場合、「お前はアホじゃ」と同義である。ここでは疑問文であるが、「とんでもない想像力のエネルギーであることよ!」のアキレカエリであろう。
 が、わしゃアホの代表だから、この「源泉」を愚直に考えてしまう。
 1 作者が病気である。(「ありゃビョーキやぞ」というのは小松の親っさんの決まり文句である)
 2 ともかくグロ好きである。(1よりはやや軽度)
 3 体験を書いているだけである。(わしの日記11/22ご参照)
 4 これを売り物にしたい計算。
 5 編集者からそそのかされた結果。
 6 ……あかん、やっぱりわからん。
 「計算」で書いても、こんなに続くわけがない。
 が「体験」かというと、たぶん違う。作者は「うどん」好きで、冬樹蛉とは嗜好が違う。
 しかし←またも逆接続だが、どこか体質と考えないと理解できない。
 ただ、野暮を承知で作品分析してみると、「グロ」を取り除いてもすべてウェルメイドな短篇なのだ。巻頭の「にこやかな男」はもう少し押さえてもいいし、別のバージョンもあり得る。「俊一と俊二」など、俊二をそう奇怪な容貌にしなくても(たとえば人情話でも)成り立つ話である。
 が、また、グロでないと寂しいのも確か。
 結局は、ヨコジュンのハチャハチャに似た、作者の「含羞」がちょちとばかり作用しているように読める。
 こういう分析は野暮でありますなあ……。
 ここはやはり、ローランド・カークがパワー全開で30分ほど吹きまくるような雰囲気に素直に浸るべきなのであろう。それを数曲聴いているうちに、拒絶反応を起こすか、なんやらたまらん気分になってくるか、わしゃ後者だから恐ろしい。

 ウチの専属料理人は食費の節減を喜んでおります。節約生活の実用書でもあるのだ。
 「この本は食卓で読むべき」……至言である。


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