HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』165

●マッドサイエンティスト日記(2000年8月後半)


主な事件
 ・見晴らしの悪い小部屋幽閉の日々……
 ・眉村卓さんの代表作のひとつ『日課・一日三枚以上』(18日)
 ・平谷美樹さんが第一回小松左京賞を受賞。(28日)

2000年

8月16日(水)
 定刻午前4時、「旧」書斎で目覚める。周囲に本とパソコンがないので落ち着かないことである。朝刊を読んでから、午前5時、パジャマ同然の格好で徒歩2分、眺めの良くない小部屋に移動。7時までの2時間、パコソンに向かってゴソゴソ。このパターンがこれからしばらくの日課か。
 東向きの部屋、7時過ぎになると急にまぶしくなり、遮光カーテンを引くと暑くなる。
 このへんで「自宅」に戻って朝飯、あとはボンクラ・サラリーマンとなる。
 世間はまだ夏休みのところが多く、終日ヒマサラである。
 まっすぐ帰宅、ビール、またもパジャマ同然の格好で小部屋送り。そのうちご近所から苦情が出そうである。

8月17日(木)
 生活パターンを変えてみる。
 4時起床、朝刊、ひとりで朝食。出勤の格好で自宅を出て「小部屋」、7時過ぎまで机に向かってから、ボンサラとなる。
 朝食の時間が違うだけで、別に能率があがるわけでもないなあ。
 それでもショートショート一編。
 この程度で仕事をしたつもりになってはいかんのだなあ。
 眉村さんは「日課」として一日一編……それも3年以上続けておられる。
 『日替わり一話』としてセレクトされたショートショート集が2冊刊行されているが、今回出た(そしてこれからも続けて刊行される予定の)『日課・一日三枚以上』は、その完全版である。マイナーな刊行になるので、ここで紹介するのが適当か迷うが、やはりこれは重要作品なので記録しておくべきだろう。
off
 発行所 真生印刷株式会社
     〒559-8585 大阪市住之江区浜口西1-13-3
           電話 06-6672-1131
 コント風のもあればちょっとしたスケッチ風の身辺雑記もある。しかし、こうして全部が並べられてみると、広義には観念小説であるSFと、極めて日本的な自然主義文学(というか、はっきりいうと私小説)が、不思議なかたちで融合していて、胸に迫るものがある。
 盆休みから書斎の片づけの合間に数編ずつ読み進めてきて、これはやはり眉村さんのライフワークのひとつなんだなあと感じた。
 ……そんなところに、夜、なんと眉村さんご本人から電話をいただいた。
 用件は別のことだったが、横浜でのSF大会においでになる予定が会えなかった……その事情などもお伺いする。
 大先輩からの電話には緊張すると同時に励まされることも多い。

8月18日(金)
 世間、まだ夏休みが多いらしい。わしも一週間休めばよかった……と思うが、盆だけは海外どこの国も休みではないからなあ。貿易に関わっているとしかたがないことである。
 夜、某社の某氏から電話、色々とありがたい話あり、近日公開できればいいが……。

8月19日(土)
 終日、東向きの小部屋幽閉、大量のファイル類、雑誌、新聞の切り抜きなどを整理……のつもりが、珍しい記事など色々出てきて、読み始めると、整理は全然進まない。
 たとえば……。
 「本の雑誌」25号。まだ隔月刊の時だ。コラムで鏡明が珍しく激昂している。「鈴城雅文」という男を叱っているわけだ。ああ、そういえば「鏡明という極楽トンボ」とか書いた男がいたなあ。これは「日本SF論争史」には入らないか。降りかかった火の粉を払っただけで論争以前だものなあ。などと周辺の記事を探し出すともういけない。ますます部屋が散らかっていく。それにしても、雅文ちゃん、どうしてるんだろう。

8月20日(日)
 終日、東向きの小部屋幽閉。
 資料整理のつもりがますます散らかっていく。

8月21日(月)
 散らかり放題の小部屋から出勤、終日ボンサラ。
 午前中「経営会議」があり、わが「上司」が恥をかかされたという。上司がおれ(堀)に指示したはずのことが、他部門の怠慢で実行されていないと発言したところ、「他部署の長」なる者が、その件はそちらから断ってきたから中止したはず、今頃何をいっとるかと冷笑されたという。
 松の廊下に匹敵する由々しき事態である。
 これが本当であれば、わしゃ即刻辞表を出さねばならぬ。
 絶対に中止を申し入れたことはない。……と、わが発言に、わが上司、それではすぐ「他部署」へ抗議に行くと、おれを引き連れて「他部署」へ乗り込んだが、肝心の「冷笑」の主はいない。ヒラと風采のあがらん課長のみ。が、実務担当はそいつらであるから、その2名の者に「わが上司」が、まあまともな神経の持ち主ならこの世からおさらばしたくなるような罵倒を浴びせた。はははは。痛快ではないか。……と、この課長、なんと「こちらも調べるが、事実関係をはっきりさせようではないか」と、聞きようによってはしごくまともな反論をしてきた。
 よっしゃ、文書で出すことにしようと、わしゃ昼休みの1時間で経過報告書を書き上げた。
 2月前のことだが、わしゃ、業務(だけではない、自分の生活)に関しては、時間刻みで再現できる。当日の時刻から会話まで正確に再現して「相手側」へ持っていった。「相手側」は「忙しい」からと何もやっとらん。あほう。懲りとらんなあ。こっちは昼休みにやっとるのだぜ。クビがかかっとるのに、悠長に昼飯なんか食ってる場合か。
 夕刻になって「他部署の長」なる者がヒラを引き連れてやってきた。「こちらの勘違いだった」
 あのなあ……。
 言った言わないに持ち込めばうやむやにできると思っておったのかい。
 わしゃ、こういう記録癖があったからこそ、チンケな弁護士・五十嵐敬喜を撃破できたのだぜ。
 しかし、まあ、おれを信じて、報告書より先に相手側を罵倒してくれた上司にはつくづく頭が下がる。これでおれのチョンボだったら、両名ともただではすまんところだものなあ。
 ちなみに「勘違い」にいたった相手側の経過は不明のままである。「事実関係をはっきりさせよう」という立派なタンカはどこへ行ったのか。
 ※わが社の諸君、固有名詞入りで聞きたい場合は、中ジョッキ一杯で詳しく教えてあげるから連絡してくるように。

8月22日(火)
 朝刊に川上弘美さんが「溺レる」で女流文学賞受賞の記事。すごいなあ。この人の「受賞率」は文壇史上トップに近いのではないか。

8月23日(水)
 ボンサラ、終日手抜き仕事。つまらん日である。

8月24日(木)
 夕方、久しぶりに兄が来阪。軽くビールを飲んで、いつものコースでサントリー5へ。と、「超満員」である。
 30周年記念特別週間で、デキシーの「木曜日」、木曜に出る3バンド(マホガニーホール・ストンパーズ、ニューオーリンズ・レッドビーンズ、ロイヤルフラッシュバンド)が総出演……それはいいのだが、バンド関係者だけでもかなりの人数になる上にそれぞれのファンが詰めかけたから、立ち見も難しいほどの混みよう。ここまでの盛況ははじめてである。
 バーガンディストリート・ブルースを聞いて、記念CDを貰って退散。

8月25日(金)
 終日ボンサラ仕事。

8月26日(土)
 東向きの小部屋に閉じこもり。
 午後、レンタルビデオで「雨あがる」と「影なき狙撃者」を借りてきて、ボンクラ息子から払い下げの小型テレビデオで観る。
 「影なき狙撃者」は35年ぶりに観るが、やはり傑作である。当時「反共妄想映画」みたいに扱われたが、ちがうよなあ。特に洗脳シーン(正確には洗脳後遺症の悪夢)場面だけは、今観ても本当に恐ろしい。これに比べると、「国際諜報局」(これも傑作なのだが)の洗脳シーンなんてオモチャみたいなものである。

8月27日(日)
 ボンクラ息子その1のワゴンでホームセンターへ行く。整理棚など数本購入、本はなんとか詰め直したが、CDとビデオがあふれてしまったのである。
 夕方まで家族総出で棚の組立と整理。
 夕食の準備を犠牲にしたので、夕刻、家族揃って近く中華料理屋・菊華へ。汗をかいたのでシャワーを浴びてからなのだが、こうなると、本当にパジャマで行きたくなる。この店、昨年の7月18日にパジャマ姿のご一家と遭遇した店なのである。
 ピータン、鶏唐、春巻からはじまって皿うどんまで、たらふく飲み食いして、ひとり二千円ちょっとであったから、焼き肉食べ放題よりもはるかに良心的である。

8月28日(月)
 夜、晩酌開始直後に岩手の平谷美樹さんから。さっき第一回小松左京賞の受賞が決まったという連絡があったという吉報である。すごいなあ、よかったなあ、おめでとう、と、つい大声になってしまう。専属料理人がいうのに、FAX電話に替えたばかりで、今の声量だと声がわれて、何をいってるのかわからないのではありませんか。……まあ、大声にもなるわな。6月に初対面、2週間ほど前に大阪で再会したばかり。どんどん凄いことになつていくではないか。
 ビールを、お祝いを兼ねて「銀河高原ビール」に切り替え、たくさん飲む。
 小部屋に戻ってネットで調べると、受賞作は「エリ・エリ」。最終候補4作に、北野勇作「かめくん」も入っていたのだ。うーん、北野さんは「町内会」だしなあ……。こちらもなんらかのかたちで読んでみたい。

8月29日(火)
 夜、平谷さんの受賞を祝って(という名目で)サントリー5へ。
 サウスサイド・ジャズバントの出番の日である。……本当は、今日と明日、新宿ピットインで森山威男グループのライブ。【森山研】としては無理しても行きたいところだが、ボンサラ仕事の調整がつかず、いたしかたないのである。
 本日、吉川裕之さん、どういう心境か、半分ほどソプラノを使用。……これでもう少し太ると梅津和時になるのではないかしらん、などと愚考する。
 off off
 ベッシェ風にと、「小さな花」をソプラノで吹いてもらった。

8月30日(水)
 珍しくも右原彰子さんから電子メール。右原さんといっても、よほど古いファンしか覚えていだろうなあ。豊田有恒さんが「学生」の時に、京都を案内したことがあるとか、NULLでは高校生のぼくも若かったが、さらに若い最年少会員であったとか、しかし、もう35年以上会ってない……。
 介護に多忙で、出かけられないから、子供がパソコンを買ってくれたとか。
 近況を尋ねられて、ぼくのホームページを見てくださいと返事。と、「堀くん、作家になっていたのですか!」と再メール、そうか、1967年頃から会ってないからなあ。

8月31日(木)
 朝、地下鉄の駅まで行くと、地下鉄御堂筋線、西田辺で事故のため全線運転見合わせという。朝7時、復旧の見込みは立たないというので、いったん戻り、自転車で出勤。梅田から本町まで、サラリーマンの行列である。暑い中、知恵よりは汗を出すしか能のないボンクラサラリーマン、ただひたすら忠誠心を示さんがための大行進、さしずめわしなぞは、その先頭を走っている気分である。
 終日ボンサラ仕事。
 雨の降らない8月であったが、自転車出勤の帰宅時間になって雨である。
 ついてないなあ。


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