HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』160

●谷甲州『彼方の山へ』(中公文庫)

風体浮浪者風・谷甲州の青春の放浪記……。

off

 これはちょっと感動的な青春記であり放浪記であり冒険(若気の至り)記である。
 谷甲州氏のエッセイはそう多くない。
 また、ぼくは山には興味がない(どころか、極めて個人的事情で、「山男を自称する」やつ(※)に対する怨念がある)ので、山岳雑誌など手に取る機会もなかった。で、谷甲州氏が、断片的には聞いていたものの、若い頃からの登山歴、放浪歴をまとめて書いていたとは知らなかった。
 それがこうしてまとまった。一冊で読めるのがうれしい。
 うへーっと感心寒心感嘆呆然のエピソードが詰まっている。
 同時に、谷甲州の作品の背景も色々とわかってくるところが面白い。
 まず、学生時代に、徒歩で日本のほとんど全土を歩いていたとは知らなかった。
 短いサラリーマン時代に銚子の「現場」から「日帰り」で長野往復する件りも凄い。
 ネパールのことはある程度知っていたが、現在の「同居人」事情などは明かされていなかったし、学術隊に紛れ込む?経過も初めて知った。
 そのまま帰国しないでアフリカへ流れ着くのも凄いけど、そこでの加藤喬氏とのすれ違いエピソードも面白い。
 最後の、小松に居を定めて白山に向かい合うあたり、全体の構成もうまいものだ。
 良質の青春小説の感動である。
 それにしても、やっぱり谷甲州は宇宙空間にいちばん近いSF作家だなあ。
 「新釈『人はなぜ山に登るのか』」の章を読んで再確認。谷甲州の山岳小説の凄さは、その舞台があと少しで宇宙空間につながっていると実感させるところにあって(特に『遙かなり神々の座』に顕著……これは出た頃に長い感想を書いたことがあったなあ)、無意識のうちに宇宙空間まで自分の力で「這い上がろう」とする感覚ではなかろうか。そういう意味で(自分の肉体で宇宙へ出ようとする意味で)谷甲州は進化の先端にいるのではないか。
 逆に、谷甲州のスペースSFの臨場感も、たぶん登山体験とつながっているのだろうなあ。
 もうひとつ気がついたこと。
 先日、谷さんと大阪でしゃべる機会があった。岡山の金属バット少年が新潟で逮捕された直後で、まるで風間一輝「男たちは北へ」の展開だなどと喋っていたのだが、「逃走経路」で意見がわかれた。ぼくの推論は国道2号線を走り、京都から湖西、福井から日本海沿いに走ったのだろう(あとで考えると、列車移動のイメージでしかない)。これに対して谷説は、兵庫に入って但馬方面から日本海側へ抜けている。標識と地勢からそっちへ行くはずだ、という。
 後日判明したコースは谷甲州説がドンピシャであった。
 学生時代に歩いた経験が生きているのだろう。たいしたもんだぜ。
 明け方の大阪市内を自転車で徘徊するのを趣味とするわしとは、スケールが桁違いだなあ。
 谷甲州……過激派と間違えられて職務質問を受けた。
 堀晃……グリコ森永犯と間違えられて職務質問を受けた。
 この差は近くて大きい。全世界放浪と梅田自転車徘徊の差である。
 しかし、ともかく、いい本を読んだなあというカタルシスがある。
 とくにカラー写真がたくさん載せてあるのが楽しい。

 ※ 以前、「山男」には個人的怨念があると述べたところ、谷甲州からたしなめられた。「自分で『山男』なんていうのはハイカーに毛の生えた程度の男でっせ。ホンマに山が好きな連中は普通『山屋』いうし、山をネタにして女口説いたりしまへんで。自称山男に女をとられるんやったら、そらよっぽどふがいないんですわ。まあその女も無難なハイカーといっしょになって、そこそこ幸せに暮らしてはるんちゃいまっか」……うーん、わしゃますます「山男」が憎い。
 ついでながら、わしゃ「山男」は嫌いだが、山岳小説は好きです。新田次郎文学賞受賞者のためにも申し添えます。
 


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