『マッドサイエンティストの手帳』159
●マッドサイエンティスト日記(2000年7月前半)
主な事件
・20年ぶりに山尾悠子さんに会う。(3日)
・花岡詠二カルテット+1を聴く。(3日)
・タイムマシンの組立をやる。(7日)
・サイエンスパーティと宇宙作家クラブの合同セッション(8日)
・SOTECはじつにええかげんな会社である。
2000年
7月1日(土)
世間休日なれど、大阪駅6時過ぎに出る快速で滋賀県近江八幡へ。ここを8時前にでる工場の専用バスで八日市の研究所へ。仕事の引継の打ち合わせである。色々とややこしい話ばかり。
昼までで、八日市から近江鉄道、JRと乗り継いで帰阪。
この路線に乗るのもあと何度あるか……。
7月2日(日)
終日、書斎に閉じこもり。
7月3日(月)
朝6時過ぎに出社して雑用片づけ、昼前に新大阪からひかりで上京。
都内ウロウロとこれも「仕事の引継」関係。
夕刻、東京駅へ。丸の内側にある「東京ステーションホテル」にはじめて入ったが、なんともクラシックなホテル。思いがけないところに個室の喫茶室があったりして驚く。
「松の間」で山尾悠子さんの出版記念会。国書刊行会から『山尾悠子作品集成』が刊行された記念パーティである。
山尾さんを見るのは何年ぶりだろう。20年以上会っていない……というか、一度お目にかかったことがあるだけだ。
会場に入ったところに山尾さんが立っておられた。印象は20年前とまるで変わらない。
比較的少人数だが、熱狂的支持者というべき人たち……発起人の小松左京さん、小谷真理さん、東雅夫さんをはじめ、山尾さんを引っぱり出すきっかけを作った野阿梓(記念写真を撮ったが、なんと「初対面」らしい)、その他、順不同で、巽孝之、大森望、山田正紀、牧野修、倉坂鬼一郎、佐藤哲也、佐藤亜紀さんたち……。
猫を肩に載せた倉坂鬼一郎さんとは初対面である。
山尾さんのご近影は約束により「非公開」である。……といっても、「集成」扉の写真とほとんど変わらないのだけどね。
山尾さんの神秘的なイメージは、むろん作品がまったく古びないどころかますます輝きを帯びてくるところによるのだが、その美貌をあまり露出させないところにもあるのだろう。……作品の量からいえば、わしゃ自慢じゃないが山尾さんとそう変わらない。ただ、ネットやSF大会でパカ面をさらし続けているところがえらい違いなのである。
山田さんがスピーチで、当時(1977年頃)の山尾さんのマドンナぶりについて述べる。
わかるなあ……。そういえば、当時、ノヴァ・エキスプレスに「山尾悠子氏に第三種以上の接近遭遇を謀るフトドキ者がいる」という記事があったなあ。(筆者は岡本俊弥だったかな?) 確か海峡を越えたコンベンションでのことである。……という話を大森望氏にしたら、そのコンベンションには高校生で参加したのだという。……ということは、そのフトドキ者××も目撃したわけか。……わしも当時「××が歌うカラオケ・ナンバーは?」という大喜利ネタを考えた。回答は『そんなユウコに惚れました(増位山)』ザブトン一枚なんちゃって。
などと、つまらんことはよく覚えているなあ。
20時で別件あり、途中で失礼する。
田原町の浅草HUBへ。本日、花岡詠二4+1の出演であることが判明したので、ここで中野晴行氏と合流である。
中野氏、前の『水木しげる未収録短編集』(ちくま文庫)に続いて企画・編集を行った『手塚治虫ミステリー傑作集』(ちくま文庫)が出たばかり。まあ、こちらもささやかなお祝いである。
山尾悠子さんの集成と手塚治虫さんのミステリー集を両手にスイングを聴くなんて、なんと贅沢な夜であろうか。
花岡詠二ファンは多くて、満員の盛況。前に「カナディアン・ウインドウ」という店で聴いた時はガラガラで、客ふたりほど。1977年6月16日(月)のことだから、ほとんど3年前だ。(と、この日のことは花岡さんもよく覚えていてくれた)……たぶん翌日に「メモリーズ・オブ・ベニー・グッドマン」というコンサートがあって、ファンはほとんどそちらに行く予定だったのであろう。
バイブの出口辰治さんはライブでははじめて聴いたが、野尻抱介に似ているのでびっくりする。
最終ステージまで。
7月4日(火)
都内ウロウロ、午後のひかりでふだんよりは早めの帰阪。車中『夢の棲む街』や『遠近法』を再読、やっぱり凄い。
神田近くで食べたカツ丼の油が悪かったのか、胸焼けとやたらゲップが出かけて困る。
山尾作品の雰囲気にそぐわないではないか。
7月5日(水)
同期の某くんの辞令が回ってきて驚く。某社出向で、先週すでに東北へ赴任しているという。送別会もやる時間がなく、在社していた者だけに挨拶あったという。たぶん、もう顔を会わすことはなさそうである。が、また、去り方というのは、これが理想であろう、わしもそうしよう、と本日決定する。
7月6日(木)
朝3時に目が覚めて、そのまま机に向かうが、たいして能率あがらず。
終日ボンサラ仕事。つまらん日である。
7月7日(金)
6:00のひかりで某所に移動し、朝8時から、冷房なしのガレージのような場所でタイムマシンの組立にかかる。
オークションに出せば百億の値がつくか。
からっとしない天気で、直射光がスレートの屋根に射さないだけましだが、湿度が高く、ジトジトとでる汗があまり気持ちのいいものではない。
午後7時半頃まで。西の空はまだ明るく、薄いピンクの刷毛雲がきれいであり、ちょっとセンチメンタルな気分になる。
ビール2リットル。小便はぜんぜん出ない。……いかんなあ。血液の粘度がだいぶ上がってやばいのではないか。だが、このビールのうまさが楽しみで、つい水分を補給しないままになるのである。
7月8日(土)
朝から、タイムマシンの組立続行。
昼過ぎまでで作業を中止して帰阪。
16時から、大阪・靫公園横にある「ホリディイン・エキスプレス」へ。
「サイエンスパーティ/宇宙作家クラブの合同セッション」の臨時幹事なのである。
宇宙作家クラブ大阪例会の拡大版で、ネットで理科教育問題を中心に議論しているグループ「サイエンスパーティ」との合同セッションをやろうということになったのである。コーディネーターは両グループに係わっている福江純さん。
出席は、サイエンスパーティ11名、宇宙作家クラブ9名、日本惑星協会の高岸さんと、かんべむさし氏がビジター参加。
双方の活動紹介などやり、サイパー側の有本淳一さんが、『And Then There Were None − そして何もなくなった − 〜高等学校における新教育課程導入について〜』と題する基調報告を行った。
これは理科教育で進められている新カリキュラムの内容と、それがもたらす影響を考察するもので、なんといえばいいか、衝撃を受けるというか、腰を抜かしそうになった。
学力低下とか技術立国・日本の将来も気になるが、日本人の精神構造が変わってしまうのではないか。
斎藤貴男のいう『カルト資本主義』が文部省によって積極推進されているとしか思えないのである。
有本氏の結論「日本は階層社会へ向かう」には説得力がある。
夕刻から最上階のホールで懇親会。
支配人が会社関係の知り合いであって、格安で場所を提供してくれたので、5、60人のパーティに適した会場でビールを飲む。
午後8時半まで。
小松から日帰り参加の谷甲州氏を送って新大阪まで。発車ギリギリまで焼酎で仕上げ。
楽しくも有意義な一日であった。
7月9日(日)
終日ごろ寝雑読。
珍しくも書斎を掃除、専属掃除婦に掃除機をかけてもらう。
7月10日(月)
新聞休刊日で、出社がその分早くなり、7時前に出社。
こんな日に限り公私ともにややこしいことが多い。
7月11日(火)
昨日からの「私的」ややこしい事態で休みをとる。
播州龍野の実家往復。
7月12日(水)
朝刊によれば雪印が「全工場の操業停止」、へえ、全工場で雑菌が湧くのではないか……とよけいな心配をするが、専門に近い人間の意見によると、原料費はしれていて、しわ寄せは酪農家の方へ行くだろうという予想。なるほど……。
SOTECから電話があったと家人から会社に電話。6月16日にネットで注文したM260RWが納期がきても届く気配なく、問い合わせたら7月末になりますという連絡が来たという。ネット上に掲示の納期と照合してみるに、放ったらかしにしていたこと歴然。ええかげんな会社であるとは聞き及んでいたが。即刻キャンセル。なめられたものである。他社から出る対抗機種を待つことにする。秋にはどこかから出るだろう。ソーテック、クーソクッテ死ね。
7月13日(木)
終日ボンサラ仕事。つまらん日である。
7月14日(金) 終日ボンサラ仕事。午後、「西走」の仕事あり、帰路、そのまま播州龍野の実家へ。
7月15日(土)
早朝から3軒所有している「別荘」のひとつで肉体労働。
汗ドロドロ。水分補給しなければと昼ビールを飲むと、たちまち眠くなり、気がつけば午後4時。
夕刻帰宅。梅田で高井信や草上仁らがビールを飲んでいるらしい。しばらくニューオリンズ・ジャズも聴いていないので出かけたいのだが、入浴、カツオのタタキでビールを飲み始めると、乾いたスポンジがビールを吸収していく感じで、動く気力なし。
かんべむさし『人事部長極秘ファイル2 重役追放』(光文社文庫)を読む。
シリーズ? 第2作になるのかな、かんべ作品には珍しい「本格的悪役」登場である。どうやら、この悪党との全面的対決は3巻目に移りそうな気配だが……。
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