HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』156

●マッドサイエンティスト日記(2000年6月前半)


主な事件
 ・ISTS2000(〜2日)
 ・牧野利秋先生に会う。「宇宙法廷」の「取材」終わる……。(5日)
 ・K木くんからの電話への返事(8日>

2000年

6月1日(木)
 ISTS2000『エンディミュオン エンデュミオン』の作者との遭遇が重なる不思議な日であった。

6月2日(金)
 朝、ホテルをチェックアウト。バスで花巻空港へ。
 JASで伊丹空港へ。晴れていて、日本縦断の眺めがいい。鳥海山を見て、秋田から日本海海岸線に沿って南下、佐渡島が見えたあたりから、なんとかアルプスの上を飛行して、伊良子岬を過ぎたなと思ったら、しばらくして奈良で着陸準備である。
 伊丹着陸後、モノレール、阪急、地下鉄と乗り継いで、40で普通のボンクラサラリーマンに戻ってしまうから不思議だ。
 ちょっと不在の間に恐ろしい事態が進行していてギョ。

6月3日(土)
 終日書斎。

6月4日(日)
 雑件が溜まってしまったので午前中、会社でボンサラ仕事。
 午後、書斎、ごろ寝。

6月5日(月)
 ややこしい案件あり、6時過ぎに出社……といっても、わしゃふだんより1時間早いだけで平気なのだが。
 ごちゃごちゃのあと9時前、通勤ラッシュに逆らって新大阪へ。ひかりで上京、都内ウロウロのあと、午後、東京国際フォーラムへ。
 某法律事務所主催のセミナー「特許訴訟:今、何が問題か」を聞きに行く。特許管理の実務からはもう離れているのだが、これは「最後の機会」かもしれないからである。
 このセミナーで基調講演を務められたのが現在弁護士の牧野利秋先生なのである。
 有意義な講演とパネル、16:30まで。
 あと、レセプションの席で牧野先生に挨拶する。
 牧野利秋先生は、特許関係の仕事をした人なら知らない人はない。コンピュータ・プログラムが著作物であると認定されたのをはじめ、均等論等に関して重要判例が多数ある、東京高裁第13民事部総括判事だった方である。……が、むろん、ぼくにとっては、東京地裁時代に「太陽風交点」事件を担当された首席判事だったことの方が大きい。
 挨拶し、10分ほど話すことができた。1983年3月4日に判事席と証人席、3メートルほどを隔てて「お話」して以来である。
 牧野先生はこの事件のことはよく覚えていてくださった。
 感慨無量……という平凡な言葉しか出てこない。
 話の内容は「宇宙法廷ノート」最終回に書くことにして、裁判以外の予想もしなかった話まで聞く。
 これで1981年4月15日から始まった「宇宙法廷」に関する長い長い「取材」が終わった……。
 有楽町で会社同期であった内藤くんと会う。ガード下の居酒屋で新幹線の時間ギリギリまでビール。こちらの話題は会社での「終わり」について。
 多くのことがシンクロされたように終わっていくなあ。

6月6日(火)
 終日、ボンサラ仕事。つまらん日……でもないか。○○の通告に対して喜んでくれるやつが多いのはいかなることか。
 某社のコンピュータシステムに関してとんでもない話を聞く。
 これは時期がくれば「暴露」してもいいか。

6月7日(水)
 6時16分、机に向かっていたらゆ〜らゆらと恐ろしく長い地震。不気味である。テレビの速報を見ると小松が震度5の地震らしい。谷甲州は大丈夫か。
 終日ボンサラ仕事。

6月8日(木)
 夕方、所用あって出先からそのまま播州龍野の実家に帰る。本日、桂歌之助百噺の97、98、99席目の日で、そちらへ行くつもりだったのは断念。むむ、百席目(7月25日、天神祭つき)の予告編みたいなものか。
 22時過ぎ、宿泊先の実家に「専属料理人」から電話がかかってくる。こちらでは「深夜」に相当する時間。またも緊急事態かと慌てる。
 このホームページを見てということで、どうやら「エヴァゲリ」のK木くんらしい。……なんでも体調が悪いのか、もっと深刻な事態なのか、アキノコンで会って以来のはずであるが……。
 伝言はお聞きしたが……。一件だけお返事を。このページで時々、五十嵐敬喜に関して「土建屋面」という形容を使用するのは、差別的言辞で耐え難いということ。K木くんに不快感を与えたとしたら誠に申し訳ない。これは公共投資事業(土建屋国家といわれる事業)に批判的な本人のご面相が土建屋面をしているという、顔面上のパラドックスをからかったレトリックなのである。ついでに鉄面皮ぶりも。つまり顔文不一致というか、この顔面と性格のねじれよじれが訴訟指揮においておよそ常識では考えられない事態を引き起こしたことを批判しているのでもあります。
 ただ、これは「宇宙法廷ノート」のなかで記述されるべきことで、このページに再三書くことではない。まして、先日5日で「取材行」は終わったわけだから、このページでこの形容句の使用はもう終わりにします。
 それはともかく(またひょっとして鬱状態だと迷惑な言辞になるかもしれないが)、K木くん、元気出してくれよ。

6月9日(金)
 梅雨入りである。
 こんな日に外出は辛いが、ボンサラ、ウロウロ。気持ち悪い汗をかいて夕方帰阪。

6月10日(土)
 雑件が残っており、午前中出社。
 午後、夕方まで「日本SF論争史」を読む。やっぱり小松さんはすごいなあ。
 気分が重く、久しぶりにラスカルズを聴きたくなるが、梅雨空その他でめんどくさくなって中止。ニューオリンズジャズ中心にCDを夜中まで聴く。

6月11日(日)
 終日ごろ寝。雑読。無為のまま時間が過ぎていく……。

6月12日(月)
 なんとボーナス支給日であった。忘れていた。
 が、考えてみると、ここから個人的には一円も貰えない。嗚呼……。

6月13日(火)
 「お笑い北朝鮮」の小金ちゃんが本当に空港に現れたのにはちょっとびっくりだ。

6月14日(水)
 金正日に関して、サンケイの記事が光っている。敬語を使い慣れていないらしく、実に無礼なニュアンスらしい。正確な語感で翻訳してほしいものだ。
 ボンサラ東奔西走。途中で緊急連絡あり……銀行から「カードを拾得しているぞ」との連絡があったらしい。月曜にATM機を使用した時に取り忘れたらしい。ボケはじめであろうか。
 もっとも、この時は、悪いことをしたのではないが、怪しまれないようにそそくさと立ち去った、やっぱり慌てていたのだろう。
 なぜ慌てていたかというと、個人的興味(と某コラムのための実験)で、ATMの「硬貨」投入口に、枚数の表記がない場合、何枚まで入るのか、5ヶ所ほど実験していたのである。目的は「一円玉の逆両替」。一円玉をザラザラと投入して「数十円の普通預金」だから、銀行にとってはありがた迷惑であろう。銀行にはたいてい不審者を監視しているのがいるから、何か注意されると不愉快だし……で、コソコソソワソワと実験したのである。
 まあ、無事にカードが戻ってよかった。すみませんね、大和銀行さん。おたくのは100枚入る。三和、さくらは50枚。たまに66枚というのがあるが、旧型なのかな。けしからんのは郵便局。ほとんどのATMで硬貨は使えなくしている。

6月15日(水)
 終日ボンサラ仕事。
 梅雨のせいでもないのだが、6月前半、気分が重く、生産的なことがなにもできない日々であった……。


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