『マッドサイエンティストの手帳』153
●ISTS2000
第22回 宇宙技術および科学の国際シンポジウム
2000年5月28日〜6月2日
岩手県盛岡市 盛岡メトロポリタン
5月31日(水)
夕刻に近い午後、岩手県盛岡市、盛岡駅前のメトロポリタン・ニューウィングに到着。
ISTS2000(22nd INTERNATIONAL SYMPOSIUM ON SPACE TECHNOLOGY AND SCIENCE) 「宇宙技術および科学の国際シンポジウム」、市をあげての支援体制のようである。
5月28日から6月2日まで6日間開催。ぼくは1.5日ほどのの参加である。
6月1日の夕方、笹本祐一氏による「SF Writer Special Talk」があり、その後、SF作家(宇宙作家クラブ)と研究者のパネルをやろうという企画。それで招待者扱いとなったわけである。
こんな機会でもなければ盛岡に来ることはなさそうだし。
全部「英語」であることが判明。うへっ。……これは2年に一度、日本の首都圏と地方都市で開催されているシンポジウムで、糸川英夫の発案で講演も質疑も全部英語。スタート当時(40年以上前)はほとんど日本人、それでも全部英語で徹底したという。日本人同士の質疑も英語以外はダメ。が、こっちはチンプンカンプン。レジメと照合しつつ5%くらいしかわからない。
ええっ、パネルも英語でやるのか!? と急に不安になる。
いったんホテルにチェックイン。市の中心部を北上川が流れ、ほんんどのところ、徒歩圏である。
駅近くの展示会場を見学。それからまたメトロポリタンへ。
この日は学生の発表がメイン。この質疑あたりはなんとかわかる。テザー衛星の軌道上のふるまいなど。
彗星探査の部屋で笹本氏、野田氏と合流。
宇宙作家クラブからの参加は、笹本祐一、松浦晋也それに公式的参加者でもある司令「軌道の天才」野田厚司。参加予定だったあさりよしとう氏は締め切りと重なって間に合わなかった。
世界各国から参加者は400人ほどらしい。
この夜は盛岡市主催で「わんこそば」。……参加希望者は「バス4台」を連ねて南部会館へ移動。
広い会場にずらりと200人。盛岡市長の挨拶。……この挨拶が日本語であるのが不自然な感じがするほど。ちなみにわんこそば「開始」の合図は当然ロケット発射のカウントダウン方式である。
わんこそばははじめてで、少しずつ椀に入れてくれるくらいしか予備知識がなかったのだが、これは食事というよりも大食い競技。運動会のパン食い競争のパンがディナーです、というようなものか。これに三味線やお囃子の伴奏がつくから、狂騒状態。 ……はじめて来日した研究者の目にこれはどう映るのか。ニホンの夕食は音楽に合わせてソバを食べてカラにした椀の数を競い合っている、ということにならないかと心配になる。と隣の野田司令にいったら「心配ないですよ。昨夜のレセプションパーティでは県知事が挨拶、岩手牛のローストビーフなどが並ぶ豪華で正統的なパーティでしたから」 昨夜から来るべきだったか……。
左隣の席に宇宙旅行推進派の旗頭、パトリック・コリンズ氏。神戸でのコンタクト・ジャパンで会って以来である。この人は日本語ペラペラなのでほっとする。向かいが中国から来た女性。斜め向かいには(松浦さんが聞いたところでは)アルゼンチンから来て旦那に替わってスピーカーを務めたというエリナ教授。詩人でもあるという。
昨年のヤネコンではじめてSF大会に参加した野田司令、すっかり「ISTSはSF大会である」論者で、細かく別れた分科会での議論、派生的に生じる議論の輪、旧友との再会、徹夜宴会など、SF大会とかわらないのだという。と、「ミスさんさ踊り」を先頭にしたさんさ踊りの列が会場を練り歩きはじめた。「ね、コスチュームショーもあるでしょ」
うーん。だが、ISTSとSF大会の根本的な違いは地元から歓迎されるかどうかである。県知事や市長が挨拶するSF大会なんて聞いたことがありませんぜ。
なお、わんこそば競技の成績はチームの平均値によるもので、
大学別では東大、国別でスエーデン、組織別でJTB(旅慣れているからか)。
個人成績では、外国人優勝がスエーデンのドクターで104杯、レディ部門がミス長谷川101杯。無差別個人部門の優勝者はスエーデンのヤマウチ博士で152杯というダントツの成績。
ちなみにわがチームは、笹本93、松浦72、野田62、コリンズ57、堀34で、健闘の笹本さんの足を堀が引っ張ったかたち。わしゃ「薬味」のマグロでビールを飲んでいたからなあ。
惨敗のSFチーム4名。
……このところ「モリオカ」の変換が「盛岡」「森岡」と交互になることが多いものだから、「星界の戦旗」の最終決着はわんこそばでつけたらどうかというアイデアが出る。クライマックスにふさわしいのではなかろうか。
終了後、笹本、松浦氏と3人で大通りにある「COTO DA COTO」という笹本氏が偶然入って「4日間で5回通うことになった」という店へ。ビールの試飲とか980円でワイン飲み放題とかあり、料理は欧風創作料理中心だが確かにどれもうまくて良心的な価格。……もっとも、ソバを食べ過ぎの両氏は辛そうで、わしひとりワインをガブ飲みした。
6月1日(木)
ぶらぶらと盛岡城趾公園や大通りなど散策。新緑がきれいである。規模は佐賀市程度であろうか。
東山堂ブックセンターに寄ると、新刊を台車から並べているところ。平谷美樹『エンデュミオン エンデュミオン』を発見。この顛末は別章に書きます。
午後、ISTS会場へ。
パトリックが座長を務めるスペースツアー関係の部屋を中心に聞く。
夕方から、笹本祐一氏による「SF Writer Special Talk」である。……宇宙作家クラブのホームページに掲載されるのかな?
演題は「火星航路とその先にあるもの」で、要約すると、「日本単独の火星有人探査計画を進めるべきで、これはオリジン計画(火星軌道上に計画されている太陽系外地球型惑星の探査計画)が、将来の『大きな経済という強力な動機をともなった新しい大航海時代のはじまり』につながる」というもの。これが説得力のあるデティルで補強されている。笹本さん、最初は緊張気味であったが、堂々と英語で30分の講演をこなした。
その後、宇宙作家クラブと研究者のパネル。笹本さんの講演までが公式的プログラムで、ここからは非公式の興味あるメンバーだけの企画ということになり、「日本語」でやることになり、ほっ。
研究者側から、航空宇宙研の松本先生、宇宙開発事業団の岩田先生、通信総合研究所の木村先生。
宇宙作家クラブ側は、笹本、堀、松浦。
司会が野田司令。
それにコーディネーターがISTSの中心メンバーでもある、東大の中須賀先生。
笹本講演のあとを受けて、有人探査計画から、目標と技術レベルの落差、予算取りの方法、夢と現実のギャップなどが中心になった。
最後の方は、マッドサイエンティスト論になり、異端者として学会からパージされるのはどんな場合かという話になり、研究者サイドからは「会費未納が唯一の理由」という極めて現実的な回答があった。
午後8時過ぎ、閉会間際に平谷美樹氏が到着、「地元のSFライター」を紹介できるというドラマチックな幕切れになった。
終了後、パネルメンバーその他十数人で、またも「COTO DA COTO」へゾロゾロ移動。
深夜11時過ぎまで話し込んむ。
店の前で解散。笹本祐一氏は折り畳み自転車と鉄道を利用して、明日は龍勢ロケットの発射を見学に移動するという。
わしゃ、明日はボンサラ生活が待っている。
しかし、楽しくも実り多い盛岡行であった。
(表記ミスあり、2000.6.9一部訂正しました)
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