『マッドサイエンティストの手帳』592
●マッドサイエンティスト日記(2014年11月後半)
主な事件
・播州龍野いたりきたり
・中国山脈越え(19-20日)
・創サポ講義(22日)
・レッドビーンズ30周年コンサート(24日)
・師匠の墓参/箕面の紅葉(28日)
・大塚善章音楽生活60周年記念コンサート(30日)
11月16日(日) 穴蔵/ウロウロ
明け方に目覚める。悪酔いか風邪か、よくわからんが気分最悪。
吐き気と喉が痛いので食欲なし。
水を飲んで、また寝る。
昼まで寝たら、気分はなんとか回復した。
昼、歩いて梅田へ。
ディアモールの市役所サービスカウンターで某書類の受け取り。
第1ビルへ行って、たかはたできつね。
大阪駅を抜けると、うめきたの広場に樹脂製のスケートリンクが出来ていて、大衆諸君が滑っている。
*
おれは恐ろしくてスケートは出来ない。前のめりに両手を広げて転んだら、横から来たやつが前を通過して、指10本がパラパラと切り落とされるのが嫌なのである。世の中、度胸のある連中が多いなあ。
梅田北地下道を通ってスカイビルへ。
こちらは模擬店やクリスマスの装飾色々。昼間見てもたいして面白くなし。
*
北側の里山、稲刈りは終わっている。
貨物線沿いに中津経由で帰館。
夕刻、2週間ぶりに専属料理人が帰ってきた。
夜は久しぶりにまともな晩酌。
*
生しらす、黒半、わさび漬けなど静岡メニュー中心でビール、湯割り。
早寝するのである。
11月17日(月) 穴蔵
定刻午前4時に目が覚める。
5時頃にひとり朝食。
昨夜の静岡メニューの残りがあり、中トロ・しらす・納豆・めかぶの「ネバネバ海鮮丼」を作る。これに黒半・わさび漬け、味噌汁。
なんだか朝市に来た気分である。
うまいけど食べ過ぎ。10年前なら早朝の鰻丼が平気だったのだが。
午前中は寝転がって雑読。
昼はうどん。
午後、少しは仕事もするのであった。
たちまち夕刻となる。
本日は外出せず。
夜は比較的普通のメニューに戻る。
*
和風ハンバーグ、しらすのサラダ(これはなかなか)、フライドポテトなどでビール、安ワインを少しばかり。
明らかに運動不足である。
政局の動き急であるが、憶測ニュースを見るのは面倒な。
早寝するのである。
11月18日(火) 穴蔵/高倉健の訃報/理事会
終日穴蔵。
気の進まぬ雑事色々。
昼のニュースで高倉健の訃報。11月10日に悪性リンパ腫で死去という。
号外も出たらしく、確かにどうでもいい解散などよりも大ニュースである。
小松左京師匠とほぼ同年(誕生日が1月ほど後)だったのだなあ。
おれが最初に観た高倉作品はタイトルが思い出せない。東映のプログラムピクチャーで、冒頭、与太者みたな皮ジャン姿の高倉健が肩の触れた通行人をはり倒す場面が鮮烈であった。
何よりも興奮したのは『花と嵐とギャング』。以後『恋と太陽とギャング』『暗黒街最後の日』『ジャコ万と鉄』(冒頭の「シェーン」パクリの木を斧で切るシーンもよかった)『狼と豚と人間』と熱心に観た。『宮本武蔵』の小次郎役もよかった。そしてやはり『網走番外地』(あくまでも第1作の脱獄もの/任侠映画になってからは全部は観ていない)が最高傑作であろう。
深作より石井輝男との相性がよかったのではないか。
任侠映画は観てはいるが途切れがちである。就職してから映画館にあまり行けなくなった事情もある。
以後、大スターと評価されていくが、そしてむろんほとんどの作品を観ているが、これは出演本数が減っていったからだろう。
動かなくなった健さんも嫌いではないが、ギャング時代が溌剌としていたなあ。
などと思い出しつつ、夜は気の重い理事会。
予想通り鬱陶しい展開になる。
辞任前提で議論を打ち切るつもりでいたのだが、ここは花田秀次郎のように理不尽に耐える場面かと、最小限の発言に抑えていたら、周囲が(問題人物に対して)「ええかげんにしなはれ」「さっきと同じ事何回繰り返してまんねん」と諫めだして、時間は要したがなんとなく落ち着くところへ落ち着いた。
何事も健さんに学ぶべきなんだなあ。
ああしんど。
遅い晩酌。
明日が早いのでともかく就眠。
11月19日(水) 大阪→播州龍野→山陰
定刻午前4時に目覚める。
早朝の電車で播州龍野へ移動する。午前8時過ぎに着く。
タイムマシン格納庫・金融機関・某司法書士事務所などの雑事を午前9時からの1時間で片づける。
クルマで姫路へ。
大阪から来た専属料理人を姫路駅でピックアップ。
急に思い立って晩秋の宍道湖周辺へ行くことにしたのである。
山崎から中国道にのり、高速を乗り継いで中国山脈を越える。
午後に古い駅舎着く。
*
なかなかの風情。
あと大社に参拝。
近くの浜辺を散策。
夕陽が沈む眺めがいいらしいが、暗くなる前に西隣の県の西端の街へ移動する。
暗くなって、駅前のホテルにチェックイン。
駅前の炉端焼き居酒屋で、刺身、煮魚、唐揚げなどでビール、日本酒。
うまいのだが、コスパいまひとつ。
すぐ近所に「大阪新世界」をうたった大型居酒屋が進出していて、これもどうかと思うがなあ。
来年のSF大会はこの街で開催される。
来るとしたら別の店を探すことにしよう。
11月20日(木) 山陰→播州龍野→大阪
午前6時半、窓からご当地の○○富士と呼ばれる名山の朝焼けを見る。
5分ほどで普通の空に戻る。
8時頃にチェックアウト。
以前から一度行ってみたかった港町へ向かう。
魚の直販所やなんとかセンターがあるが、いずれも開店前。
活気のある魚市場を見たかったが、朝市みたいなものはないようだ。
フェリーのりば近くの妖怪ロードを歩く。
*
普通の商店街みたいな通の両側に妖怪像が並び、これは銀河鉄道・ヤマト・シンボルロードより高密度である。
どじょうすくいの町へ移動する。
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主目的のひとつ、「庭園日本一」の美術館を見学する。
紅葉の季節にと決めていたのである。
なかなか。
近所で手打ち蕎麦を食し、次の目的地へ向かう。
ご当地富士の眺めがいいので、カーナビを切り、しばらく裾野を勝手に走る。
本家の富士の裾野(静岡側)は住居や工場が多いが、こちらはほとんど自然が残っている。
*
クルマもほとんど通らないので、あちこちで一時停車。
カーナビを入れると、目的地はすぐ近くであった。
*
山麓にある写真美術館。
ロビーからの眺め……マグリットかと思ったら、帽子とこうもり傘は写真家の「演出写真」の重要な小道具なのであった。
写真美術館から高速道にのり、中国道に戻り、佐用ICでおりる。
播州龍野に暗くなる前に帰着。
電車で帰阪する。
11月21日(金) 穴蔵
わ、定刻午前4時に目が覚めた。
疲れているから、6時までは眠ると予想していたのだが。
体力気力充実、さあやるぜ……というところで、集合住宅の各戸洗浄作業が進行していて、穴蔵にて待機しておらねばならず。落ち着かぬことである。
午前中の予定が11時半にやっと順番が回ってくる。たいていこなんパターンになる。
午後は集中して……のつもりが、別の部屋でトラブル発生、急に呼び出される。
担当者がことの重大性に無自覚のようで、困ったものだ。
中途半端な応急処理のまま、3連休入りになりそうな。
この間に大きなトラブルになったらどうなりますやら。
落ち着かぬ連休になりそうな。
いっそどこかへ出かけてしまう方がいいか。
11月22日(土) 穴蔵/創サポ講義
終日穴蔵。
マジメに机に向かって過ごす。仕事が進んだかどうかは別として。
夕刻這い出て地下鉄で天満橋へ。
八軒家浜の夜景。
*
ここを通るのはいつも午後5時半頃になる。もう暗く、冬至が近いのである。
センチメンタルになるぜ。
エルおおさかで創サポ講義。17期の第1回ということで、SF限定ではなく、エンタメの一般論ということになるが、題材になる作品がないことには話しづらい(具体例が乏しいからである)。
ちょうど『宇喜多の捨て嫁』(文藝春秋)が出版されたばかりの木下昌輝さんが来られたので、ゲストとして参加してもらう。(『宇喜多の捨て嫁』は注目作で、別途取り上げることに)
高校時代から文章表現の道を志していたが「引き出しが多い方がいい」と建築科に進んだとか、SFやメルヘンも試みたが、時代小説を選んだ経過など、面白く参考になる話が多い。
今期の雰囲気、テンションが高そうである。
21時頃に帰館。
ダラダラと遅めの晩酌。
穴蔵に戻ったところで微震があった。蛍光灯の吊り紐がかすかに揺れている。
地震のニュース。長野方面、白馬で震度5。
ボンクラ息子その1とその配偶者が休日に時々行く方面である。
専属料理人が電話したら、東京にはいるらしいが……
11月23日(日) 穴蔵/ウロウロ/よくわからんNHK
定刻午前4時に目覚める。が、また寝て、6時に起きる。
地震が気になって、6時からのNHKニュースを見ていたら、関西のニュースで「佃家煎茶室の主屋と土蔵が有形文化財に登録される」という。それはいいが「しゅおくとどぞう」とアナウンス。主屋(おもや)を「しゅおく」と読んでいる。こちらの思い違いかと、手持ちの辞書事典を10分ほど調べるが、おれの間違いとは思えない。「お詫びして訂正します」はなかったから、文部科学省の正規の読み方は「しゅおく」なのだろうか。おれは使わないけど。表記も「母屋」を使う。
わけがわからんまま雑事色々。
ボンクラ息子その1から専属料理人に「長野方面は無事」とメールがあったらしい。
昼過ぎに1時間ほど梅田散歩。
*
うめきたの小径にて紅葉を見る。
本当は箕面(瀧安寺)へ行くべきなのだが、この連休中、滝道はラッシュなみの混雑であろう。
夜、午後7時から晩酌。
NHKニュース見ながら明太子パンで安ワインを飲んでいたら、19時29分、とつぜん番組予告で巨大なS字型が映し出された。
なにすんねんな。食欲なくなる。
おれは「大自然」とか「動物」の番組が嫌いなのである。いつ出てくるからわからんからなあ。
しかし、ニュース直後に出すのはどうかと思うぜ。
朝夕、人心を惑わすNHKに災厄あれ。
11月24日(月) レッドビーンズ30周年コンサート
昼過ぎに専属料理人と心斎橋へ。
午後1時から、島之内教会で「ニューオリンズ・レッドビーンズ結成30周年記念コンサート」である。
マホガニーホールで練習していた若手(主に大学でデキシーやってた連中)が結成したのが、マホガニーホール・ストンパーズとニューオリンズ・レッドビーンズ。
1984年頃のことで、つい先日のことみたいに思える。
もう30年か……仕事との両立だから、そろそろ定年なんて話もあるらしい。
SFの方も似たような話が多いものなあ。水鏡子が定年とか。M27はどうしとるのか。
それはともかく、フォーティーズ、ストンパーズ、ラスカルズとゲストバンドも駆けつけて、いい雰囲気のコンサートになった。
*
↑ゲスト含めた大セッション。
前列に並ぶオーディエンスのアタマを見るに、ずいぶん遠くまで来てしまったと実感するなあ。
おれは数年前からコンサートは後列で聴くことにしている。
夕刻からニューサンで続きのジャズ・パーテイがあるのだが、こちらはパス。
体調維持しなければ。
ということで、夜は専属料理人が並べたローストビーフ、サラダ、胚芽パン、その他でボージョレヌーボ。
早寝するのである。
11月25日(火) 穴蔵
雨ぞ降る。
終日穴蔵。
たいして仕事はできないのであった。
11月26日(水) 大阪→播州龍野
早朝の電車で播州龍野へ移動する。
相棒の某くん出張のため、タイムマシン格納庫にて見張り番を務める。
昼、少し晴れ間もあり、龍野公園を1時間ほど散策する。
オータムフェスも終わり、ご老人のグループがちらほら程度。こちらもご老人だけど。
*
聚遠亭の庭。
午後も格納庫にて2時間ほど見張り番。荷造り発送業務など肉体労働1時間。
午後5時過ぎ、たちまち真っ暗になる。
播州龍野泊。
食品スーパーでひとり鍋のセットを買ってきて、久しぶりに「一人酒盛」。龍力の熱燗をチビチビ。
ゲッツ&バロンの『People Time』を聴きつつ。晩秋の夜、ただ泣けてくる。
11月27日(木) 播州龍野→大阪
播州龍野にて午前6時に目覚める。
灯油ストーブつけっぱなしで寝てたから、喉がおかしい。
今度の真冬、龍野滞在はもう無理だな。
午前中、タイムマシン格納庫にて見張り番。
本日はたいした用件なし。昼までで引き上げることにする。
昼過ぎの姫新線で姫路へ。
駅前地下の「石挽蕎麦・御座候」にて「重ねせいろ」をいただく。
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やっぱりうまい。おれの評価では近畿圏トップである。
午後の新快速で穴蔵に戻る。
夜は専属料理人が並べた和洋メニュー。
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某方面からいただいた山芋でやまかけ、白身のブイヤベース風などで安ワイン。
これはこれで結構な。
早寝するのである。
11月28日(金) 師匠の墓参/箕面の紅葉
秋晴れである。
朝9時、集合住宅関係の雑事を片づけ、専属料理人と出かけることにする。
師匠の墓参が主目的だが、箕面の紅葉も見たく、今夕から天気下り坂という予報なので、今日がたぶん今季最後の機会である。
阪急で箕面へ。先日の3連休は通勤ラッシュなみの混雑だったはずだが、本日も幼稚園児が遠足に来ていたり、人出は多い(ようである)。
滝道を20分ほど。瀧安寺霊園入ると静かである。
小松師匠の墓は紅葉の中にあった。
*
相変わらずさぼってばかりだが、おれも少しは仕事もしなければと殊勝に思うのであった。
師匠、がんばります。
あと、専属料理人が瀧まで行ってみたいというので、滝道をさらに歩くことにする。
箕面から瀧まで2.8q(霊園まで1.2q)である。
*
大学時代は石橋に住み、ボンサラ時代の20年近くは池田市勤務だったのに、箕面の瀧に来るのは初めてである。
猿は見当たらず。老化した猿たちがたくさん来ている。おれもその一匹だけど。
帰路、十三で途中下車。
整地されたものの復興計画はまとまらぬ「しょんべん横丁」を見てから「やまもと」にてネギ焼き。
水分補給も怠りなし。
丹波に寄って「きさらぎ漬け」を、近所の中本酒店で「厳選辛口・吉乃川」を買って帰る。
*
ということで、夜は和風の少量色々でちょっと一杯。赤かぶとキャベツがうまいねえ(→オキシくん、お薦めでっせ)。
秋の夜は更けゆく。
こんな優雅な日が続いていいものであろうか。ありません。明日からしばらくは粗食……のつもり。
11月29日(土) 穴蔵/臨時総会
終日穴蔵。
心を入れ替えて少しは仕事……のつもりが、気が重くて、何もできず。
本を読んで過ごす(あまりアタマには入らないけど)。
夜に集合住宅の臨時総会が控えているからである。
ということで、夜、臨時総会。1時間足らず。
一応、議案は成立したが、具体的な作業はどうなるやら。
ともかく、こちらの手は放れた。
任期はあと半年。ともかく積極的には何もしないことにする。
少しは自分の仕事をしないとなあ。
11月30日(日) 大塚善章音楽生活60周年記念コンサート
夕刻に近い午後に専属料理人と出かける。
地下鉄で谷四のNHKホールへ。
大塚善章音楽生活60周年記念コンサートである。
ほぼ満員の盛況。
最初に神田陽子の講談「大塚善章物語」
1部はアロー・ジャズ・オーケストラをバックに、古谷充さんはじめ、ゲスト色々。
2部はゴールデン・シニア・トリオ(鍋島直昶88歳、大塚善章80歳、宮本直介78歳)はら始まって、自己のトリオに、またも次々とゲスト。
アローを入れて40数名、最後に坂本スミ子まで。
善章さん、リハーサル含めて昨夜から弾きっぱなしだとか。
最後はアローとのピアノ・コンチェルト「上町台地2014」が披露される。
大塚善章を初めて聴いたのは1960年、ラジオでフレッシュメンの「城ヶ島の雨」だった。
東京キューバンボーイズの「城ヶ島の雨」がヒットしていた時期で、フレッシュメンの斬新なアレンジ(ブルーノート・サウンドはこの曲で洗礼を受けたようなもの)に驚いたものである。
当時(「ファンキー・ドライブ」の時)から、作編曲は善章さんが担当されていたのだ。
音楽生活60年の55年くらいを聴いてきたことになる。
わがSF歴とほとんど重なるのである。
20時半まで、15分の休憩入れて3時間半の長丁場。
大阪らしく、ゲスト詰め込みすぎ、挨拶・しゃべりが多すぎの感あり。
神田陽子の講談なんていらんと思うよ。
などといいつつ、まあ60周年、なによりでありました。
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