『マッドサイエンティストの手帳』99
●マッドサイエンティスト日記(1999年3月前半)
主な事件
・血圧いたりきたり
・ボンクラサラリーマン楽しき地獄生活
・ヤキトリは「東の親西の子」である
1999年
3月1日(月)
所用があって北摂の職安へ出向く。たいへんな賑わいである。
3月2日(火)
早寝したら午前2時半に起床してしまった。
午前4時、朝刊。朝日の1面に「大和銀行、本店売却の方針」。明日は我が身か。
会社で血圧を測る。144-72。眠くてぼけっと座っているのがいいのだろうか。それでも上は130台が正常なのだという。
3月3日(水)
ボンクラ、東奔西走の西走篇。
夜、姫路の近くまで来たので播州龍野の実家。田舎の夜は早く、午後8時を過ぎると深夜に近い雰囲気。……と、寝静まったごとき真夜中「午後9時」に電話がけたたましく鳴る。会社の某君からの緊急電話。えらいことである。
3月4日(木)
早朝の姫新線で姫路経由大阪へ。来客予定に連絡がつかず、別人28号に代役依頼、ああややこしい。……以下300行省略して……ああしんどと帰宅後、ボンクラ息子とふたりで夕食。「女中」がお友達と「ふぐコース」を食べに出かけてしまったので、残されたご主人はコロッケでビール。情けない限りである。
3月5日(金)
昨日に引き続きややこしい事態継続中。
3月6日(土)
晴れて暖かいが杉花粉がピークという。
朝からマスクをして自転車。市内数カ所の仕事を済ませて、会社で雑用昼過ぎまで。
かんべ氏の事務所で雑談1時間ほど。例によって不景気な話……というよりも健康上の心配な話題が幾つか。血圧などしれたものである。
自宅の近くで幾つか「部屋」を見る。必要があって仕事のための場所を移さねばならないかもしれない。……30年働いて、結局は家から追い出される運命にあるのであろうか。
3月7日(日)
眼鏡を遠近両用にする。先週頼んでおいたのを受け取りに行く。眼鏡の上下で世界か異なるほどかと期待していたが、ごく自然に馴染むから、肩すかしに近い。視野は「専用」よりも狭いが、まあこんなこのであろう。書店やCDショップでは便利である。
帰りにウディ・アレンの「ワイルドマン・ブルース」を買う。映画を先に観たかったのだが……。帰って一聴……うーん、買うんじゃなかった。ものすごくナルシスティックなビブラートが生理的に合わない。
3月8日(月)
先週に引き続き、ややこしい状態継続である。
夕刊にスタンリー・キューブリック死亡の記事。7日朝で死因は不明。「2001年」は別格として、ぼくには高校時代に観た「現ナマに体を張れ」のサスペンスが忘れられない。
3月9日(火)
あいもかわらずボンクラサラリーマン生活。
面白いこといっぱいだが、書けないことばっかりである。楽しきかな地獄。
3月10日(水)
数年ぶりに和歌山へ行くが、林邸とは別方向。減塩中につき和歌山ラーメンも食べられない。
3月11日(木)
血圧168-78。また上が上昇している。この一週間を考えると無理もないか。
夕方、現代画廊で古吟勲一絵画展を観る。
3月12日(金)
あいもかわらずボンクラサラリーマン楽しき地獄生活。
3月13日(土)
天気が不安定で、朝の快晴が昼には小雨。ほぼ終日書斎で雑読。
夕方、天満の「える大阪」へ。某講座のために「SFの書き方」補足をプリント、コピーを届ける。本日の講師はミステリーの芦辺拓氏。聞きたいのだが、後の約束があり、ちょっと挨拶をして失礼する。……芦辺さん関係では「本格ミステリーを語ろう」という本が出たばかりで、これがものすごく刺激的で「勉強」にもなる。この本については改めて書く予定。ともかくポー、ホームズ、ブラウン神父と再読していくと、とてもひと月では読了できないのである。
梅田で女性1.5人と待ち合わせ。すなわち【森山研】ののりこり専務とウチの「ボンクラ息子の母親」で後者が「半」。専務のお誘いがなければ「半」が遊びに出てくることは珍しいのである。
ハチ近傍のヤキトリ屋「てころ」へ。ヤキトリの味は「鳥正」が上だが、てころの大将が作ってくれる出汁巻きは絶品である。「親」は阿佐ヶ谷「子」は梅ヶ枝というところであろう。
出汁巻き調理課程を盗み見していた「専務」と「ボンクラ息子の母親」がそのノウハウについて議論し始めた。……なんでもかんでも家庭料理にというのは困る。たとえばヤキトリ、モツ料理、うなぎ、にぎり寿司などは、家庭に持ち込むべきではない。「なんでもご家庭に」は戦後民主主義の悪弊である。……などといいつつ、出汁巻きは許容できるメニューであり、減塩出汁巻きに挑戦してくれるのはいいことである。 本日をもって「ボンクラ息子の母親兼女中」を「専属料理人」に格上げすることにする。
あと、瓢亭で本日の目玉、山芋ののりまきで冷酒、夕霧そば。
土曜なのでサントリー5へニューオリンズ・ラスカルズを聴きに行く。と、本日珍しいことにクラ、トランペット、トロンボーンの3管がお休み。サウスサイドのクラ・吉川裕之とマホガニーホール・ストンパーズのペットがゲスト。こうなると、ラスカルズの最強のリズム陣をバックにクラを吹きまくるという、吉川裕之の独演会の雰囲気となる。
盛況で、相席にった隣りのおふたり、会話に瀬川先生の名が混じるので、ひょっとしてと尋ねると、やっぱりクラリネット協会の平井常哉氏と判明。瀬川先生から連絡をとってみるようにと教えられていた方である。トニー・スコットについては、初来日の時のテープを保存しているとか、ものすごい知識とコレクションの一端をうかがう。先日の谷口英治「ダイナマイツ」コンサートにも来ておられたという。この30年、しょっちゅう同じ会場にいた可能性大である。
途中から草上仁、天羽孔明、林譲治氏らSF者が8人ほど、賑やかな日である。
最終ステージ23時まで聴いて帰宅。
吉川裕之氏と記念撮影。専務、やつがれ、「専属料理人」。右は最前列テーブルを占拠したSF者たち。
3月14日(日)
机に向かう気力が沸かず、終日雑読。ホームズ全集を読み返す。罪な本を出してくれるぜ、芦辺さんよ。
3月15日(月)
新聞の休刊日というのは、朝の時間を持て余してしまい、ふだんより出社が早くなり、午前7時頃に着いてしまう。
ワーカーホリックではないのだが。
結構雑用があって、気がつけば午後7時前。
12時間近く同じ場所にいるとさすがに圧迫感を覚える。