HORI AKIRA JALINET

『マッドサイエンティストの手帳』94

宙がえり何度もできる無重力

無重力と無重量
 


 1月20日の朝刊によれば、向井千秋さんがスペースシャトルの中で詠んだ「上の句」、
  宙がえり何度もできる無重力
の「下の句」は、
  着地できないこのもどかしさ
だったとある。
 クイズじゃないからこれが「正解」という訳ではないようだけど。
 ぼくが作った下の句は、
  回り続けて止まれなくなる
であった。向井さんは「地球でできて宇宙では簡単にできないこともある」ことを詠んだという。自画自賛みたいだけど、着眼点は似ているのである。

 上の句の英訳は、
  Turn space somersaults,
  As many as you like,
  That is weigthlessness
だそうである。
 英語俳句をやるソリトン同人が訳したら、もっとうまいのではないか……とネットに書いたら、さっそく試訳が幾つかアップされた。

 まず、「俳号Yuri」中条卓さんの訳。

 (1)
  somersaults
  as many times as you like
  zero gravity

 (2)
  sommersaults
  again and again and...
  zero G

  ……Yuri氏の意見は、weightlessnessの語感はよくないという。後述するがぼくも同感である。グルグル回る感じは(2)の方が出ている。

 つづいて帆羽英一さんが「自由落下」に注目して、

  Many times, I can
  Turn somersoults,
  At free fall.

 これも面白い。
 つづいてぶるさん訳。幾つか作ってくれたが、笑ったのは

  F-L-O-A-T
  turn!aRoundaRoundaRoundaRoundaRoundaRound
  under NO gravity

 ……止まれなくなってしまったというぼくの解釈がいちばんよく出ている。
 こりゃ視覚的表現だな。

 ところで、ぼくが引っかかったのは、「weightlessness」という訳。
 この訳語は「無重量」。
 人工衛星内は重力が作用しないのではないから、無情力よりも無重量と表記するのが正しいというわけで、最近は新聞は「無重量状態」と書かれることが多い。
 しかし、向井千秋さんはあえてポピュラーな「無重力」を使っているわけだから、zero gravityを使うべきではないか。
 気になってマグローヒル科学技術用語大辞典を調べてみる。

「無重力」 weightlessness、zero gravity 引力やその他の力などの加速度が、問題とする系にいる観測者によって検知されない状態

 見事な説明である。
 宇宙空間においてとか、主に地球の引力がとか、余計な注釈を入れてないところがいい。
 ちなみに「広辞苑」の定義は
「宇宙船内などで、慣性力が重力と釣り合う状態。無重量。」
で、いまひとつである。

 帆羽訳の「自由落下感覚」も面白いが、「詩的」というよりは「ギャグ感覚」。軌道上を真横に落ち続けているというのは正しいのだけれど、無重力という言葉の背後にある、地表の重力加速度からの解放感が失われるようにも思う。
 これはぼくが関西人でイラチだからかもしれない。等価原理によって、落下するエレベーターの中でもいいわけで、

 宙返り何度もできるエレベーター
 着地したならハイそれまでよ

 となる。

 ……こんな議論をしていたら、石原藤夫博士が賛意を表明してくださった。
 石原博士も、「無重量」という言葉に違和感をもっておられるという。
 石原博士の意見をつたない表現で要約すると、
 観測者がどの座標に固定されているかという「物理学的視点」が欠落しているのではないか。点で近似できる範囲の現象は、観測者が固定されている座標(地球か、衛星か、太陽か……)で同じ事象がちがって見える。(点で近似できる)シャトル内は(地球座標から見れば重力圏だろうど、その座標にいる主体にとっては)無重力なので、「無重量」という表現は物理学的でないのではないか。
 ということになる。
 ここからの展開が面白い。……もし向井さんが目隠しされて記憶を失っていたとしたら、虚空を漂っているのか、地球の周囲を自由落下しているのか、区別はつかないはず……とつづく。

 宇宙SFの書き出しとしても、サスペンスに満ちた、見事なものである。
 これは重要な指摘で、ぼくにとっては、「物理学的視点」というよりも、小説の視点、とくに「SF創作上の視点の置き方」の本質的な部分を明快に説明しておられると理解する。

 ぼくは、ソリトンや、現在行っている某SF講座で、宇宙SFではいつも「その場に身を置いた感覚で描写すること」と繰り返し述べてきた。上下感覚、大小の比較、スピード感覚、加減速、巨大惑星の表面、高温高質、異臭、ドロドロ感?……その他色々な設定の場面を描写するのに、主人公がどのような生理感覚を覚えるか、その感覚を介して非日常的な世界を描写していくところにSFの醍醐味がある。それをもっと簡潔に定義できないか、なんだかボキャ貧首相みたいにあれやこれやあまりうまくない例をあげながら説明しようとしてきたわけである。
 石原博士の意見を参考に、こういえばいいのかな。つまり、

 「宇宙SF創作においては、主人公の固定されている座標系と作者の座標系は同一であることが望ましい」
 望ましいというのは、むろん例外もあるわけで、複数の座標を混在させる(意識と肉体が別座標という時間SFとか、メタ宇宙SFなど)色々な方法が派生していく。
 ここではむろん基本を述べているわけです。
 無重力感覚こそ宇宙SFの本質……というのが、まあぼくの体質でもありますので、ついくどくなってしまいました。


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