『マッドサイエンティストの手帳』58
●マッドサイエンティスト日記(1998年3月後半)
主な事件
・サラリーマン稼業、いよいよ世紀末
・久しぶりに短編を書いた
・左脚負傷
1998年
3月16日(月)〜19日(木)
世紀末……じゃなかった3月末の期末が近づき、勤め人としての仕事、ややこしく鬱陶しい案件が錯綜。ここに書けないことばかり。
3月20日(金)
夕方、大阪へ出張の兄と会う。梅田でビール。
久しぶりに小説の話をする。
意外なことに、兄貴は開高健の文章が苦手で、開高作品は結局読んだことがないという。50年近くつき合っていて知らなかったなあ。福永武彦はよく読んでいた。……と珍しくSF抜きの話になった。梁石日がいかに凄いかを説明しようとしたことから、こんな話になったのである。
3月21日(土)
播州龍野の書斎へ。朝行って夕方帰阪。
3月22日(日)
花井愛子「マネー・ストリッパー」(徳間文庫)を読む。むむ。女の小説である。「悪役」が単純すぎるなあ。
その他、終日読書。
3月23日(月)〜29日(火)
特に日付は伏せる。
この間、一晩完全に徹夜。久しぶりに短編を書いた。と、頭が「小説型」に固まってしまって、朝、会社へ行っても「会社型」に戻らない。明らかに日頃とビヘイビアが異なるのが自分でもわかるのである。
勢いで、日頃妙に気遣いが先行して片づかないことまで整理してしまう。
小説の威力恐るべし。
夜、帰宅しても戻らない。あまり眠くもならないまま、コラムも一編書いてしまう。
小説は書かなきゃいかんなあ。
翌朝は、普通のグータラ・サラリーマンに戻っている。
不思議なものである。……会社で嫌な仕事をやらねばならぬ時は、前夜から小説を書こう。
3月28日(土)
春休みのボンクラ息子ふたりをアルバイトに使って書庫その他の荷物運送と整理。ふつうの運送屋よりもいいギャラが出るとなると、意外に張り切って手伝ってくれる。
作業中にモーターが棚から落下、左太股直撃。うーん。骨には異常ないようだが、打撲痛は残りそうである。
トラックで大阪と播州龍野を往復。
3月29日(日)
案の定、左太股が痛む。湿布して寝ころんだまま終日読書。
3月30日(月)
左脚が痛む。早朝の人の少ない時間に出勤。
いよいよ世紀末。世の経営者諸君は株価の動向を気にしているようであるが、PKOなどで株価が維持できるわけがない。株価は市場が決めるもの。政府が株価を「公約」するのは原理原則から勘違いしている。中学生でもわかることではないか。アホウ。案の定、パーフェクト・ノック・アウトである。
3月31日(火)
5時半に出る。6時新大阪始発のひかりで上京、9時東京着。
日本橋の支社によりゴソゴソ。昼前、そこから徒歩3分のアトソンへ。ソリトン同人の手嶋氏、本日をもって退職という。挨拶と激励に寄る。20分ほど雑談。
また東京駅へ。
朝刊によれば福島次郎「三島由紀夫 剣と寒紅」が、三島の手紙の無断公開を理由に販売中止の仮処分。文芸春秋はこの処分を受け入れるらしいが、確信犯的出版ではなかったのか。これは将来自分の首を絞めることになろう。……まだ書店店頭には並んでいる。一週間以内の回収ということで、その間に売り切る作戦なのだろうか。買うかどうか迷うが、知人から借りることにする。
特急「わかしお」で房総半島方面へ。こちらは大手化学会社が多い。
夕方まで色々と打ち合わせ。……田原さん、ホームページご覧になっておりますか、とメールモード。
新日本橋まで戻り、中野晴行氏と会う。
中野氏は手塚治虫研究の専門家のような印象だが、そのカバーしている範囲はものすごく広い。上方芸能や近代史の分野まで仕事の領域を広げていて、驚かされる。大阪にいるものとばかり思っていたら、いつの間にか東京に仕事場を移している。……手塚治虫についてレクチャーを受け、資料を借りるつもりだったのが、ビールを飲みながら話しているうちに、話題が大阪の某財閥の解体史に移って、新幹線の時間ギリギリまで。
20時49分の最終ひかりで帰阪。車中、手塚治虫氏の「小説」を読む。